小説 | ナノ

  2 金色の姫


 俺は気が付くと、自分の部屋の前まで来ていた。中に入って鍵を施錠した途端、足から力が抜け扉を背に足元から崩れ落ちる。
「ッ、クソ…!」
 なにが、”先に言わなくて悪かった”だ……!悪いと思ってんなら、なんで………!
やりきれない苛立ちや怒りや色んな感情が混ざり混ざって、もう頭がぐちゃぐちゃだった。
「ッ…、ふ……」
 高ぶる感情からまたじわりと世界が滲んだ。気を抜いたら溜まった涙が頬を流れてしまいそうでぐっ、と堪える。
 ルキーノは俺が好んで外に出たことを決して口にしなかった。全て自分が計画したんだと、俺が被るべき罪を全て被った。
 ――――俺を、俺の王子の座を…護るために。
 オヤジに報告が上がり、ルキーノの処分が下るのは3日後。だが、パパラッチに知られた今、民衆にその事実を公表されるのも時間の問題だ。そうなれば民衆が抗議をしてルキーノは、俺を強引に外へ連れ出した罪で不敬罪に問われ、監獄行きになる。もう、この城には居られない…兵隊を解任されて運が悪ければ、監獄行きーーー良くても城を追い出されるだろう。……もう二度とルキーノに会えないかもしれない。
「…………」
 だけど。
 俺は、深く深呼吸を数回してから袖口で涙を強引に拭い、顔を上げ立ち上がった。後悔ならいつでも出来る。今やるべき事は泣く事じゃねえ、ルキーノを助け出す事だ。
「………今度会ったら、絶対に殴り飛ばしてやる」
 …まだ三日間ある。絶対に、ルキーノを罪人になんかさせねえ。俺を助けたとかヒーロー気取りのあの男を、俺の手でメタメタにしてやるんだ。
 ーーー出来ねえ筈、ねえよな?
 この国の王子は、この俺だ。
 決意を固めた俺は、目立たないように黒色のガウンコートに身を包み、フードを被り腰にホルスターを巻くと、机の引き出しから銃を取り出した。急いでさっさとそれをホルスターに仕舞う。ついでに折りたたみ式のナイフも幾つかポケットに潜ませた。
 これでーーー準備は万端だ。
 いい塩梅に日も落ち始めた。俺はタンスからいつも脱走用に置いている長太いかぎ爪ロープを取り出すと、窓枠に引っ掛けロープを下に垂らす。どうせ扉の外には見張りがいるだろうから捕まっちまうだろうし、出るならここしかなかった。
「よっ、……と」
 窓枠に足をかけ、ロープを握りながらゆっくりと降りていく。ここは3階だから直ぐに地面は見えてきた。地面に足がつくと、素早く壁に張り付き身を隠す。
 ……よし、誰もいない、な。
 闇に紛れながら、移動する。日が暮れたのと服装が幸いして、俺は見張りの兵隊の目に止まることなく大きな大木の下までくることが出来た。ーーー今のうちだ。
 俺はひょいひょいと木の上まで登り、枝を伝い城を囲んでいる高い塀の上に降り立つ。いつも脱走用に身につけていた木登りがこんなとこで役に立つとはなぁ。何事も無駄なスキルなんてねえんだなァと考えつつ、塀の淵にかぎ爪を引っ掛け、さっきの要領でロープを伝い塀の向こう側へ降り立った。
「ーーーっと……ここまでくれば大丈夫だな」
 誰にも見つからなかったことに安堵しつつ、俺は邪魔なフードを頭から取り去る。
ふう、と息を吐いて吸うと森の新鮮な空気が肺に入ってきた。後はこの丘を降りて、あの城下町へ繰り出すだけ。
 歩きながら、俺はどう行動するか考えていた。城に忍び込み、俺たちを盗み見しやがったあのパパラッチをとっ捕まえてやると意気込んできたはいいが、具体的な策はない。パパラッチの男だって、ルキーノは見たらしいが俺は見てないから、顔すら分からないし。だが、ここら辺でフリーのパパラッチは滅多に居ないから、大抵何処かの悪徳ゴシップ誌で雇われているに決まってる。そういえば前、西地区のどこかにそんな場所があるって耳にしたな…。
 ーーーそうなれば、先ずはその辺りの奴らに探りを入れて…後は、会社を片っ端から調査だな…。
「よし、いっちょやってやるか…!」
 俺は意気込みながら、城下町へと向かう足取りを早めた。

 街に着く頃には、もうすっかり日も落ちて、辺りは闇につつまれていた。この時間だと、街を歩いている人もいない。
 さて、まずは噂の場所からだ。確か前に聞いた時、王城から西地区にある5番街の廃屋だって言っていた気がする。俺は、頭にとっくにインプットされているこの街の地図を脳内で繰り出し、数分考えた。
「西地区か……、すぐそこだな」
 西地区は王城から少し西に歩いたところにある。この国は東西南北によって4つの地区に分かれているが、西地区はその中でも一番小さく、お世辞にもいい場所とは言えない。住宅も廃れ廃屋ばかりが残り、枯れ果てた土地に草木は朽ち果て、住民は移民や社会から疎外を受けた人々、犯罪者ばかりが集まっているらしい。このことは城でも他の地区でも、それなりに大きな問題になっていた。改善策を議論しては、不本意だが今の段階では何も出来ていないとか親父がボヤいてた気がする。西地区にあった惨劇を思えば、そうやすやすと手を出せないのが現実だからだ。
 西地区まで静かに歩きながら、ある書物に書かれた西地区の歴史を思い出してしまい俺は眉を顰める。西地区がこうなってしまったきっかけの事件。
”暗黒の西”ーーー人々はそう称した。
 まだ西地区が明るく穏やかな街だった頃ーーそう、オヤジが王についた当初。先代の王が何者かに暗殺され、新たな王が就任したばかりだという事実に国内は混乱し、ざわついていた……その頃。
 何故先代は死んだのか?暗殺は王族の者が?新たな王は信用に足るのか?まさか暗殺とグルか?俺たちはどうなる?税がまたあげられるそうだ…もしかしてこのまま全て絞り取られるのか?……などと不安から国民の間に様々な憶測が飛び交っていた。
そんなある時。王政はある一人の罪人を捕まえた。名はダレン・アッカーソン。容疑は、殺人だった。西地区の移住者で、庭師の仕事をしながら病気の母を養う、辺りでも有名のーーー心優しい働き者の青年だったらしい。
 そんな人柄には到底似合わない、殺人という犯罪。当然、ダレンは容疑を否認し、最初はそれを擁護する者もいたようだ。しかし、その言い分も直ぐに言い逃れになってしまうほどに犯行は決定的だった。路上でか弱い女性を一突きーーーナイフを手にしたダレンを、その現場を通りすがりの警察官が目撃……、抵抗も受けず程なく逮捕。つまりは現行犯逮捕だ。目の前で犯行を認めたーーー警察官がそう証言した。それ程に信用に足る”証拠”は無い、と。ダレンは有罪になり、極刑で死んだ。
 だが、刑が執行された直ぐ後。友と酒を浴び完全に酔っ払った例の警察官は、路上であり得ない事を呟いた。
 ーーーふ、ハハッ……!…本当は俺が殺したのによぉ!だぁれも気付かねえで、あの男を殺しちまいやがった!ククッ、ハハハ!こりゃー傑作だぜ……!
 この事には誰もが驚いた。そりゃそうだ、国に使えてる役人の中に殺人者がいるなんて、俺でも驚く。そう、ダレンは無実だった。無実の元に死んだのだ。
 勿論、その後王都にこのことは知れ渡り正式にその警官は処罰されたが、この事が火種になってしまった。西地区の国民は不安、怒り、哀しみーーーその矛先を国、城に向け…暴動を起こした。そのせいで地区は朽ち果て、人は去り、悪人が住み着き、今も王族に恨みを持つものが多いらしい。書物に書かれたものでも十分酷え話だ。今からそこに行かなくちゃいけない。命を狙われる覚悟はしとかねえとな。
「ふう……」
 急ぎ足だったせいか、息が弾んで、俺は小さく息を吐いた。白い息が透明になり溶けていく。夜も更けたせいで大分冷え込んできたみたいだな…。
遠くにぽつり、と『西地区』と書かれた看板が見えた。廃れ、ボロボロに朽ちたそれらは今にも倒れそうだ。
「ーーー着いたな」
 ぼそりと呟いた声は意外に響いた。ひゅうう、と冷たく鋭い空気が俺を襲ってくる。大通りを歩いてみるが、廃墟ばかり立ち並び辺りには人っ子ひとり居なかった。これじゃあ、ハナシ聞こうにもどうしようもねえな…。
「とりあえず、歩くか」
 立ち止まっていてもしょうがないと、大通りをサクサクと歩く。暗闇と冷たい空気、そして不気味なほどの静けさが俺の周りを取り囲んでいた。……なんか、出そうな感じだな。西地区は思った通りの有り様だ。暴動やらのせいだろう、建物もハリケーンが通った後かのように崩壊している。所々に落ちている弾の残骸や木の破片がそれを物語っていた。相当酷い出来事だったんだろうな。本当にこの地区には人っ子一人居ないのか?
 ーーーいや、そんな筈無えよな。俺は思い切って声をあげてみた。
「おーい、誰か居ないかー?」
 ーーーガサリ
「ッ、!」
 右側の真っ暗な路地から物音がして、ハッと息を呑む。俺は身を硬くしながら、そっと其方を伺った。ーーー誰か居るのか…?
「………」
 少し待ってみるが、さっきのような音は無く最初からそうだったかの様に辺りは静まり帰っていた。心臓がどく、と嫌な警戒音を立てている。俺ははあ、と小さく息を吐くと、音がした方へゆっくりと歩を進めた。街灯もない路地裏は薄暗く、ろくに先も見えない。 これじゃ、分かんねえなあ…。
 ーーあ、そういえば……。
 ふと思い出して、ポケットを探ってみると、カツリ、と指に硬い物が当たった。あったあった、此れだ。持ってたのすっかり忘れてたぜ。蓋を開けライターをしゅ、と擦ると暖かいオレンジ色の光が一瞬で辺りを照らした。
「こういう時の為に持ってきて置いて良かったぜ」
 ライターを手に持ちそろり路地裏を進んでいくと、路地の先に人影があった。ボロボロの黒い帽子に、古びた灰色の服ーー何処から見ても、西地区の住人だ。ようやく人間見つけたか!だが、そいつは床に丸く蹲ったままぴくりとも動かない。
「なあ、あのさーーー」
「ヒッ!?」
 なんだ?と不思議に思いながら声をかけると、座っていた男は驚き怯えた様に立ち上がった。俺を見るや否や、一歩二歩と後ずさりする。立ち上がったその身体には、改めて確かめるまでもなくボロボロだった。
 肌のあちこちにこれ見よがしに残る青痣。額からは血が出ていたのか、それが固まって妙な筋を作っている。顔はリンチに遭ったかの様に痛々しい腫れがいくつもあった。いや様ではなく、これは正にリンチそのものに遭ったんだろう。西地区の住人というだけでこの人を……、犯人は暴動を起こした奴らか、あるいはーーー
「ひ、ひい……、すみませ、ゆ、許して……ッ、うぐ」
 今にもどっかに走って行っちまいそうだ。俺は慌ててそいつを落ち着かせる様に、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「い、いやーーーそうじゃねーって!ちっとばかし聞きたいんだ。……アンタさ、ここらでちょっとヤバイってハナシのゴシップ社があるらしいんだケド、知ってるか?」
 なるべく低姿勢でそう問いかけると、俺が害を加える者じゃないらしいと推測した男は少しホッとした様に肩の力を抜き、おずおずと口を開いた。よし、上手く行った。
「ッ、…ゴシップーーーあ、ああ…アイツらだろ………?そ、それなら大通りを2ブロック程行った、…右にある建物に……」
「ッーーーマジか!?」
 ずい、と俺が顔を覗き込むと、男は慌てて頭を縦に振った。
 ーーーラッキー、か?
 突然の有力な情報をゲットに、俺は思わずほくそ笑む。ワンペアかと思ったらまさかのフルハウスに化けたみてえだ。こりゃ凄え。
「確かな、筈だ……」
「ッサンキュー!マジで助かった!お礼にこれやるよ、治療の足しにでもしてくれ」
 矢継ぎ早にそう言い、いざという時に持って来ていた金が入った袋を男目掛けて投げる。男はそれをなんとか受け取り、信じられないという表情で俺を見る。
「なッ、本当に、いいのか……?誰だか知らんが、す、すまない………!」
「じゃあな」
 男に手を振り背中を向けると、さっき大通りに戻ろうと歩を進めようとするーーーと、横目に、感極まって目に涙まで浮かべた男の姿が目に入ってきた。
「ありがてえ……!ありがてえ……ッ!」
 男は些細な金にしがみつき、救いを感謝する。こんな姿、おかしいだろ。ふと、そんな思いがジワリと心に広がってくる。ダレンを処罰したのは王族。真犯人が出たのも。碌な捜査もなく、王に仕える者は正しいとーーー情報を鵜呑みにしたのも。
 俺は本当の意味では、この国を理解して居なかったらしい。俺たち王族の大半は腐っていたんだ。盤上のキングが独裁者では、部下はいつか息の根を止められる。
 目の当たりにして俺は、ようやくその事に気がついた。キングが進まなければーーー現実はこんなにも非情なまま進むという事を。傷は塞がってなどいない、隠れていただけだ。憎しみの連鎖は、間違いなく広がり続けていた。
 なら何もかも、変えてやるーーーこの世の非条理を、悪を、闇を。
 この国の王子である、この俺の手で。




 男の言われたままに2ブロック程進むと、右の細い道を少し入ったところに小さな建物があった。普通なら気づかないで素通りしてしまうだろう廃虚からは、細やかな物音が聞こえ、扉の隙間から灯りが漏れている。一階にある窓からは、ゆらゆらと灯りが揺らめくのとともに人影が現れては消えているのが見えた。やっぱ誰かいるか。うおお、見つかりそうで怖え……!
「ッ………」
 見つからない様に手元にあったライターの灯りを素早く消し、窓の側へと張り付く。……奴らなのか?
「ーーにしても、よオ!最高だよな、このネタ」
「ああ!ーーックク、わざわざ身を削って潜入した甲斐があったぜ!こーんな面白いスクープが取れちまうなんてな」
 窓の隙間から中を伺うと、男2人が会話しているのが見えた。まさか……この会話は。
「見出しはこうか?『次期王子側近の愚行!常軌を逸した殺人計画』!ソソられるだろ?」
「オイオイ、殺人計画って!単にあの王子を無理に連れ出しただけだろー?大袈裟だ」
「良いんだって!これだけ過剰に煽っとけば客がつく。それに、どうせならあの腐った王族が危機であると知らしめた方が、ダレンの奴も浮かばれるってもんさ」
 見つけたーーー間違いなく奴らだ。俺たちが起こした内容を知ってるのは、俺たちの他にはパパラッチ共だけだ。潜入とかスクープとか言っているのも頷ける。にしても、ホント腹立つ奴らだな。こんな下世話な話、聞いてるだけで虫酸が走る。そりゃあダレンの死の要因は俺たちにあるかもしれないーーーだが、ルキーノを俺たちを非難する犠牲になんかさせてたまるかよ。
「確かにそうだな。じゃーーー朝までにこの記事を仕上げなきゃな」
 そう言うと、話を交わして居た2人は仕事を始める為に他の部屋に移動した様だ。窓の近くは途端にしん、となる。
 ーーーさて、どうやって奴らを黙らせるか。やっぱ、気づかれないように突入して銃で脅すしかねえかね。
「うし………」
 ホルスターから銃を取り出すと、窓から気配が完全に無くなったのを確認してから窓戸を開けた。よし、誰も居ないな。
 俺は音を立てない様にそっと部屋に入った。よし、侵入成功だ。
「うえ、汚え……」
 部屋に入ったばかりだったが、俺はすぐにでも出て行きたい様な心境になる。部屋は足の踏み場もない程に、紙の束や食べ物のカスやゴミがあちこちに散らばっていた。クソ、掃除くらいしてろよな。
「急がないとな。明日には街は大騒ぎになるぜ」
「王の慌てふためく顔が楽しみだな」
 ドアが右に一つ。左に一つ。その内、右のドアから奴らが楽しそうに会話している声が聞こえてくる。その扉は少し開いていたので、隙間からそっと覗き込んで奴らの様子を伺った。右の部屋にはテーブルが中央にあり、それを挟んで向かい合う様にして男2人がペンを走らせていた。扉は丁度死角になり、俺の方は見えていない。
 これなら背後から忍び寄れば、気づかれなさそうだな。
 ーーーよし、行くぞ。
 なるべく音を立てないように、俺はそっと、そーっと少しずつ扉を開く。よし、上手く行った。


 ーーーと思った、その時。

 カタン背後から音がした。ハッとして振り返る、と同時に視界がブレる。
「う、ッぐ!?」
 次には首に圧迫感と息苦しさ。クソ、何が起きた!?
 慌てて薄目で辺りを見回すと、大柄な体型の男が憎らしい目で俺の首を締め上げているのが分かった。
 ーーーいつの間に背後に!?ックソ、ぬかった……!もう1人いたのか!
「てんめええええええええ!!!」
「なッ、なんだ!?」
「う、お!?どうしたんだコイツ!?」
 怒りで叫び散らす目の前の男、驚いて部屋からさっきの男達2人が出てきた。
「……ぐ、がは………ッ!」
 …チク、ショウ……マジでやっちまった……!コールしてみたら、相手がまさかのロイヤルストレートフラッシュかよ……!
 俺は震える指で手に持っていた銃のハンマーを起こすと、目の前の男の足へ銃を向けトリガーに指を掛ける。
 ーーー食、らえ……ッ!
「ッ、この野郎!?」
 しかし、俺がトリガーを引くよりも早くーーー右にいた男が眼ざとく気づき、奪い取ろうと銃に食らい付かれた。その弾みで俺の手から銃が滑り落ち、カシャンと床に落ちる。
 ーーークソ……ッ……!
 慌てて右にいた男がそれを取り上げ、目の前の男がそれを見ると更に首を絞める力が強まった。
「なンめやがってえええええええ!!」
 ギリギリと締め上げられて、もう視界が霞んでくる。息が、出来ねえ。
 ーーー死、ぬ。
 そう思った瞬間、何処からともなく声が飛んできた。
「ッおい、ちょっと待て!コイツ、どうして此処が分かったんだ……?コイツから情報を引き出さないと、俺たちが危ないぞ!」
「ッ、」
 そう言った右にいる男の声に反応して、目の前の男の力が途端に緩む。手が俺から離れ、俺は重力に従うままに床に崩れ落ちた。
「ーーーゲホ、…グッ、ハ、ぁッう……!」
「……まあ。確かにそう、だな」
 阻まれていた空気が、一気に肺に入ってきて噎せる。床に蹲ると、ぐっと吐き気や頭痛が襲ってきた。クソ……なんでッ…!
「とりあえず、此奴を拘束しよう」
「ッぐ、う……!」
 左の男が言うなり、俺は乱暴に腕を掴まれ部屋の中に引きずり込まされた。身体を捩って逃れようとするが、強い力がそれをさせねえ。
「オラア!大人しくしろ!」
 俺は壁に押し付けられ、抵抗もできず部屋にあった細いロープで素早く手足を縛られる。なんとか奴らを鋭く睨みつけるが、それよりも明らかに敵視している顔がいくつも俺を睨んでいた。
「ぐ、このッ、……はな、せよ……ッ!」
 必死に抵抗し身体を捩ると、さっき俺を締め上げていた大柄の男が襟首を掴んで顔を近づけてガンつけてくる。
「ーーー指図してんじゃねえよ、この野郎」
 ーーークソ、気持ち悪ぃ。息かかるほど寄ってくんじゃねえよ。
 チッ、と舌打ちをかまし俺は、口内に溜まっていたツバを思い切りソイツに吐きつけてやった。ザマアミロだ。
「う、ぐぁ!?ーーッ……やりやがったなあ!」
 男はニヤッと笑った俺を驚いたように見たかと思うと、次の瞬間マッチに火がつく瞬間のように怒りを燃え上がらせた。あ、マズイ。そう思った時にはもう既に、鋭い足蹴りが俺の腹に直撃していた。
「ひ、ぎ……ッグ、アアアッ!」
 あまりの激痛に、口から潰れた蛙のような声が出る。痛っ…てえ……、この豚野郎が……!
「もういい。お前は俺の手で殺すーーー今ここで、だ」
 そう言うと、男は右の男がさっき奪っていた銃を腰からかっさらう。男は改めてハンマーを起こし銃を俺に向けた。その男の目はハイエナのようにギラギラと血走っていて、怒りで周りが見えていないようだった。俺はこの男の逆鱗に触れちまったらしい。
 ーーーマズイ、コイツ俺を本気で殺す気だ。背中にゾクリと悪寒が走る。
「ちょ、冷静になれって!まだコイツから何も引き出してないだろ!?」
「そうだぞ!このままコイツを死なせるのは不味い」
 俺の目の前に右と左にいた男が立ちはだかり、なんとか収めようと説得を試みた。
「知るか。そんなもん後でどうとでも出来る。こいつは俺のプライドを踏みにじったーー絶対に、今殺す」
 しかし、大柄な体型を利用して男はその壁をなんなく押しのける。怒りが宿った眼が上から俺を睨みつけ、黒光りする俺のルガーの銃口が俺の額に押し付けられた。この瞬間俺は死を悟る。
 ーーーしくった、か……!
「ーーー消えろ」
 男の指がトリガーにかかる。その光景が、ヤケにスローモーションに見えた。思わず、俺はぎゅ、と眼を瞑る。
 ーーーすまねえ、ルキーノ……。俺、アンタの汚名晴らせそうにねえ、や……。ッ、ホント情けねえ終わり方、だ……!
 でも。本当は、俺ーーーー

 ガチッ……

 そんな乾いた音がした。
「………?」
 しかし何の痛さも衝撃もやってこず、不思議に思ってそろりと眼を開けると、困惑したように銃を見る男の姿があった。
「な、な…!?…ど、どうして発射されない!??」
 銃を見ると、トリガーは引かれていてちゃんと仕組みが作動した事が分かる。男はやり直しとばかりに何度もカチカチと引き金を引くが、弾が発射される気配は無い。
「あ………」
 そこで俺は気づいた。
 忘れてたぜーーーアレ……モデルガンだ。
 そういえば、急いでたから碌に確認もしねーでホルスターに入れたっけな……。さっきの記憶を遡り、正にその通りすぎてげんなりと心が萎えた。間違えて持って来ちまったのか……アホすぎるぞ、俺…!いや、ラッキー……か…?
「ーーーッち!クソがあああ!」
 更に怒りのゲージを高めちまったらしく怒りを爆発させた男は、銃を床に叩きつけ懐からナイフを取り出した。
 ーーーなんで、ンなの持ってんだよ!?
 と、突っ込む間も無くギラリとした刃が俺に向き、
「死ねえええええ!!!」
 殺意を持って振り下ろされた。
「ッ!」
 ああ、今度こそ、死ぬ……ッ!
 俺はまた恐怖から、ぎゅ、と眼を瞑った。

 ーーールキーノ……ッ……!

 ダダダダダッ!!

 ナイフの切っ先が肌に当たろうという寸での場面。突然響いた異様な音に、目の前にいる男も、誰も彼もが動きを止めた。そして、まるでマシンガンの銃声のような音の原因を探ろうと辺りを見回す。
 バァン!!
 と、突然。そんな音が部屋の向こう側から聞こえてきた。
「な、何だ!?お前、見てこい!」
 左側にいた男に、俺にナイフを突きつけていた男は苛立ったように命令する。男は渋々といった様子で、恐る恐る部屋を出て音が聞こえた方ーー玄関へと向かった。
「ッ、ぎ!?」
 と少しして、向こうに行った男の短い悲鳴だけが聞こえーーしん、と部屋が静寂に包まれる。
「どうした!?オイ!」
「な、なんだ?何が起きてる!?」
 問いかけるが、返事はない。男2人は動揺して、顔を見合わせた後右の男が扉にゆっくりと近づき部屋を出て行く。
 ーーー何だ?
 ぼやけた視界で其方を見やると、突然。
 ドゴッ!という鈍い打撃音と共に、右の男が遠い壁まで吹っ飛ばされていた。
 ーーーは?
 何が起こった?
「な、なんだテメエ!!」
 大柄な男が、扉の入り口に向かって狂った様に叫ぶ。すると、扉の向こう側から質の良い靴の音が聞こえーーー鮮やかな赤毛をしたガタイの良い男が現れた。
「る……きーの……」
 口から情けない声が漏れる。
 ーーールキーノ、だ…。
 ルキーノの姿を見た瞬間、俺はなんでここに、とか、追いかけてきてくれたのか、とかそんな事よりも堪らなく安心しちまってじわりと目頭が熱くなった。……遅えよ、ばかやろ。
「ーーーッ、ジャン!」
 部屋に俺の姿を見つけたルキーノは、ホッと息を吐いた後、立ちはだかっている大柄な男に向かって不敵に笑った。
「随分と世話になったようだな……、この借りは倍で返してやる」
 赤いロゼの瞳がすう、と鋭くなる。男はイラついたようにナイフをルキーノに向けた。
「あ?粋がってんじゃねえよ、お前なんか俺が一捻りでーー、で、……え?」
 言い終わる前に、男は異変に気付く。ナイフを向けた方の腕が、普通なら曲がらない方へねじ曲がっていた。
「ひぎ、ッ……!あ、ぐ、ああああアアッ!」
 遅れて、耐え難いだろう激痛に男はのたうち回る。凄え、ルキーノ…あんな技いつの間に……。
「ーー今日見た事は忘れろ。記事も書くな。パパラッチも辞めろ。分かったか?」
 ルキーノが男の腕を掴み締め上げると、男は涙まで流しさっき俺を痛めつけていた男とは思えない醜さで必死に言葉を紡ぐ。
「ひい、ッ、う、ごめ…、なさ……!わか、わかった……!ち、ち、誓う!」
「もし破るようなことがあればーーー次は、腕だけじゃ済まさんからな」
「ひ、いいッ!!」
 すっかりルキーノの威圧に押された男は、ガタガタと震え気色悪い虫か何かのように廃屋から全力で逃げて行った。
「ーーふ、う」
 パパラッチはようやく居なくなり、ルキーノは手に持っていたマシンガンを床に捨て、疲れたため息を漏らした。今だに、両手両足を縄で縛られた俺はそこにじっとしているしかねえ。ルキーノはゆっくりと歩を進めると、どかりと俺の前に座った。
「ーーージャ、ン……」
 ルキーノの大きな手が俺の頬に触れた。その瞬間、その手が震えていることに気付く。 ルキーノ……震えてる…。
「この、馬鹿……。クソ、心臓が止まったぞ」
 そんなルキーノを見たら、今度会ったら殴り飛ばしてやる、なんて思ってた事も忘れて、俺はルキーノの広い肩に顔を押し付けた。
「うん、……すまねえ…ルキーノ……」
 口から自然と謝罪の言葉が漏れた。
 今更ながら、衝動だけで行動した事をちょっと反省する。ルキーノが来てくんなかったら、俺はきっともう死んでた。
「ーーーお前が居なくなったら、俺は……、ッ………」
 ルキーノの声は、絞り出すようで…酷く心細く思える。何時もはあんな頼もしい奴なのにな…。
「すまねえーーー」
 俺はそれしか言うことが出来なくて、ただルキーノの温もりを頬に感じて居た。


 それから少しして、部屋にあった記事の残骸を全て処分した俺たちは王都に帰るべく歩を進める。帰り道、俺たちは何を話すわけでもなく、ただ静かな沈黙が包んで居た。
それから、王城に帰ると泣きそうなジュリオとホッとしたようなイヴァンが迎えてくれて、いつの間にか来て居たカヴァッリじい様に激怒されたりと色々あったりしたが、俺たちは無事に乗り越えて。俺とルキーノが、俺の自室のカウチに並んで座る頃には、もう日が昇り始めてきた頃合いになっていた。
 長い、一日だったな……。
 どっ、と疲れが押し寄せてきて俺はカウチに深く沈み込む。暫く、何も喋らなかったがルキーノがボソリと口を開いた。
「ーーー悪かった…あんなことを言って。どうしても、お前を巻き込みたくなかった」
 喧嘩のときの事か。俺はつい数時間前にはルキーノの事を怒っていたーーでも、こんな格好良く助けられておいて、文句なんてあるわけねえじゃんか。
「俺も、勝手なことしてごめん。だから、さーーーもう言いっこなしにしようぜ」
 そう笑いかけると、ルキーノははあ、と息をつき苦笑いをして俺の髪をくしゃりと撫でる。その顔は、いつもの男前な奴の姿に戻っていた。そのことに少しほっとする。
「にしてもさ、なんで俺の居場所が分かったのけ?」
「何年お前の傍にいたと思ってるーーお前の場所なんか大抵の検討はつくさ。お前が脱走した時だって、見つけられなかった事ねえだろうが」
「ッ……そうかよ」
 まあそうだケド。なんだよそれ、…なんか凄えこっぱずかしいじゃねえか。
 いつもなら流せるはずの言葉に、俺は予想外に顔が赤くなっちまう。なんだか知らんが、心臓が痛い気がした。
「………」
「………」
 会話が途切れ、俺たちの間に心地良い沈黙が落ちる。何も話さなくても、なにかが通じ合っている気がした。落ち着く。そう、コイツの隣は昔からーーー
 ………話さないままどれぐらい経ったか。怒涛の一日だったせいで、疲れから俺はうとうとしてきていた。つい、頭が隣にいるルキーノの肩につくと、ルキーノの大きい手が俺の金髪を優しく撫でる。
「……もう遅い。寝ろ、ジャン」
「ン……」
 蕩けかけていた思考が、ルキーノの声にハッとする。俺はベッドへダイブするべくカウチから立ち上がった。
「ーー今日は、どこへも脱走するなよ。……じゃ、おやすみ」
 数歩でベッドへ到着するとそこに横たえる。ルキーノはそう言うと、ベッド脇で俺の髪を数回梳いてから、部屋を後にしようと身を翻した。
「ッ、」
 あ、ッーーー
 ルキーノの背中が小さくなっていくのが視界に入って、俺は思わずルキーノの腕を掴んでいた。

「ん?なんだ?」
「あ、のさーーーその、…ッ次、また連れて行って、くれるか?」
 出かけたときに言ってくれた言葉を思い出し、俺は勢いのままルキーノに尋ねる。この騒動のせいで、ルキーノと城下町へもう出かけられなったら嫌だった。ルキーノは俺の言葉にぽかんとした顔をした後、楽しそうに笑った。
「言っただろ。……また連れて行ってやるよ。今度は夜までだ、楽しみにしてろ?」
 そう言って、俺に向けられた笑みにまた胸が熱くなる。髪を通るルキーノの指先がなんだか、心地良かった。
「ーー楽しみにしてる。おやすみ、ルキーノ」
 次に城下町に下りるときが楽しみにしながら、俺は深い眠りについたのだった。




 その後、西地区の復旧政策を進め始めたり、俺が正式に王位を継いだり、ルキーノが俺直属の騎士に昇格したりと色々あったがーー俺は相変わらずイヴァンの手から逃れて、たまに脱走したりしている。やっぱ、この木の上は木漏れ日が降り注いで気持ちイイな。
「ーーー見つけたぞ、ジャン」
 ……ま、すぐにルキーノにはすぐ見つかっちまうケドな。
 ルキーノと恋人同士になるのはそれからすぐの話だった。



END




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