小説 | ナノ

  プレゼントはお早めに



「はあ………」
 広く静まり返った俺の執務室でひとり書類に向かっていると、意識しなくてもため息が漏れでる。目の前にある書類に目を通すことも面倒臭い。ただひたすらにぼーっとしていると、嫌でも奴のことが頭に浮かんできた。
「……ルキーノ、今なにしてんのかな」
 誰に言うでもない言葉が、口から漏れる。
 ゆるりと癖のある赤い髪のライオンヘアーに、ガタイの良い大きな身体。にやりと笑うとセクシーな肉厚の唇に、色っぽいロゼの瞳。いつも憮然で漢らしくて部下もアイツに惚れ込んでるってのに、いざって時はどうしようもなく弱い一面もある愛しい俺の恋人。
 ーーーああ、畜生。
 俺は胸が詰まる思いに、思わず顔を手で覆った。こんな遠い恋人を想う、なんて乙女チックな思考になっちまってる原因はーーー完全に、フロリダに出張に行っているルキーノの所為だ。くそう、ルキーノのヤツ……。
 ーーーもう、ルキーノの顔を見なくなってもう10日が経ってる。良く分からんけど、なんでもデイバンへ流すルートの情報と物資が、いつも物資の流通の為に鼻薬を効かせている筈のポリスに通報されちまったらしく、ルキーノが処理しなきゃなんねえヤマらしい……んだが、例によって今現在ーーー問題が起きて居た。
 その問題とやらは、俺の恋人であるルキーノの誕生日が出張に重なっちまったって事。本当なら、ルキーノは2週間で帰ってくる予定だった。丁度アイツがデイバンに帰ってくる日が誕生日でーーーけど暗黙の了解で、その流通を手助けして貰っているカタギのお偉方さんらとの話し合いが、揉めに揉めてるらしくて?大丈夫かよ、って心配してたら、案の定今日ベルナルドの方に更に後数日は掛かるとか連絡が入ってきた。お陰で用意してた誕生日の計画もパアになっちまうし、誕生日当日は顔すら見れねえワヨ。
「ホント……、ヤクザってのは因果な商売だよネ」
 分かってはいる。組織を守る為にも、彼奴には大切な……すべき事がある。俺だって、ルキーノの誕生日までは一日開ける為に詰めまくった仕事があるから仕事が忙しいし……まあ、それも詰める必要も無くなったけどな。
 分かってンだケドーーーでも、割り切れねー事ってあるよなぁ……。
 ーーー俺……思ったより、アイツを祝うの楽しみにしてたのね…。だってさ、俺たちは仕事柄毎日会える訳じゃねえし、久しぶり会えた恋人を目一杯祝ってやりたいと想うだろフツー。
「はぁあ………」
 また口からため息が出る。連絡が入ってから、仕事も身が入らねえ。挙句にはさっき、様子を見にきたイヴァンにも、「テメェ、具合悪いのかよ…?」って心配される始末だ。
「あーファック!」
 こんなん俺らしくねえ。俺はイヴァンがいつもしている様な暴言を吐き捨て、頭を振って悪い思考を取り払い柔らかな椅子から立ち上がった。その拍子に、はらりと書類が一枚落ちる。ずっともんもんとしていたせいで、まだやりかけの仕事。
 ーーー……うっし!
 その紙を見つめ、暫く考えた俺はあることを決意したのだった。


ルキーノ誕生日当日 フロリダ州某所


「ーーこれはどういうことかね、ドン……グレゴレッティ?」
「ーーー、ーー」
 俺はーーー怒り狂ったように根も無い話し続ける男の目の前に鎮座している、この俺は。
 ーーーたっぷり5秒。唇の間に挟まっている葉巻からゆっくりと煙を吸い込み、吐き出す。
「……ですから、それは先程お話した通りです」
 何回同じ事を言わせるつもりだ、このストロンツォ。良い加減話の付かないこの状況に、俺のストレスはとっくにピークを達していた。フロリダの熱い猛暑の日差しが差し込んでくる、この薄暗い部屋で、俺は一体何をしているのか。イライラもするってもんだ。
「ルートが露わになったせいで、物資も潰れたんだぞ!鼻を聞かせていた流通のルートをポリスが突然嗅ぎつけて通報する、なんて事はどう考えてもおかしいだろう!やはり、そちらの不始末じゃないのか?」
 おかしいのはお前の頭だ鳥野郎。俺は葉巻を指で摘むと、灰皿に勢い良く押し付けた。葉巻はへなり、と形を歪め、勢いを失う。
「ーーですから、何度も申し上げた通りこちらの言う通りに物資を動かして頂いていれば、そんな事は万が一にも」
「なんだと!?俺たちが情報を横流しでもしたと、そう言いたいのか!!?」
 それ以外にないだろうが、頭悪いのか?そう言いたいのをぐっ、と堪え俺は冷静を務める。
「ーーーそんなことは」
 ない訳がない。というのも、俺はカタギとは名ばかりのこいつらが仕組んだ事だと言う事を気づいていた。通報したポリスを捕まえて話を聞くとあっさりと誰の目論見であるかを吐き、目撃者の証言までも手に入れたからだ。どう考えてもこ奴らが犯人しかないと俺は確信していた。
 ーーーだが、確証が無い。
 実行犯を指示したのが、この会社の奴らだという確証が。今も部下に走らせて探っているが、一向に見つからない。無理やり奴らを捕まえて吐かせる事が出来ればどんなに楽か。だが、腐っても奴らはカタギ……脅したりすれば即刻ムショ行き決定だ。
 ーーーああ、腹立たしい。それゆえ、新しい情報が入るのを待つしかない俺は、今もこうしてフロリダで時間を無為に過ごしていた。
 しかし、確証が無いのは相手も同じ。何故俺たちCR-5を貶めようとしてるか知らないが、相手も確証無い為に動けない。当然だ、俺たちがやった訳じゃない。
 互いにハーフハーフ、未だに平行線のままだ。だが、早くしないと、奴らは偽装工作でもなんでも強行手段をとって来るかもしれないな。
 どうしたらいい?上手くこの場を乗り切る方法は無いか、そんなことばかり考えていた。
「やはりヤクザとは良い加減な奴らばかりだな…!」
 目の前にいるペンギンがそんなことを言いながら、馬鹿にしたような笑いを零す。こっちを怒らせて暴力沙汰にでも持ち込ませて面子を潰そうっていう魂胆か?ーー分かり易いにも程があるぞ。
「ふう………」
 決着のつかない話し合いにいよいよ面倒臭くなってきて、口から煙とともにため息が漏れ出る。
 ーーーコンコン。
 さて、どうしたもんかと思っていると、突然。部屋にノック音が鳴り響いた。俺と目の前にいる男は同時にピクリ、と動きを止めてそちらを見やる。
「だ、誰だ!?」
「ッ、」
 男が動揺したように声を荒げた。ーーそれもそうだ。この部屋には、話し合いが終わるまで誰も近づけないようきつく言ってある。それが、こうして部屋に侵入してこようとする者が居るという事は、相当急な報告か、話し合いを左右する事柄以外に有り得ない。それが分かっている俺も少なからず動揺を隠せないでいた。
 一体誰だーーー俺の部下からの連絡、か…?
 表面上落ち着きを払いつつ、俺は扉を注視する。
「ーーー失礼」
 と、そんな聞き覚えがあり過ぎる声とともに、少し開いた扉から見えた質の良いピカピカの靴。
「な、なァッ………!」
「ッ、!?」
 扉を開けて入ってきた人物に、相手の男と俺迄もが驚いて眼を見張った。
 ーーーそこに立っていたのは……、見間違える筈もない。今、まさにデイバンの本部に篭っている筈のーー
「ーージャ、ッ、カ……カポ……!?」
 ジャン、と呼んでしまいそうになった口を寸でのところで言い止めると、ジャンは口元ににやりとした笑みを灯す。

 何でジャンがフロリダにいる!?確か、数日前に連絡を入れた時は、ベルナルドが、「ジャンはこのところ仕事が進んでいない様でね。その上、仕事は増える一方だから……参ってるよ」とため息をつきながら報告していたと記憶しているが……。ジャンも多忙でこのところ寝れていないとかなんとかとも。あのままだったなら、到底ここには居る筈が無いだろうがーーーまさか、仕事を終わらせて此処に来た、のか……?
「な、な、な、何故此処にーーー」
 流石に組のトップの顔を知っていたらしい男はジャンの存在に完全に意表を突かれた様で、さっきの威勢は何処へ行ったか、動揺を隠せないといった感じで吸っていた煙草を慌てて揉み消す。
「いやなに、俺の部下に忘れ物を届けに来ただけでね」
 ボス風を吹かしながら含み笑いを浮かべるジャンは、俺が座っている元へゆっくりと寄ってくる。その手には、平たい茶封筒。
 ーーー忘れ物、だと…?
 当然、ジャンとこのところ連絡を取っていなかった俺は、そんなもの知る由も無い。
 ましてやこんな状況で、この俺が忘れる物などある訳が無いだろう。
 俺の預かり知らぬ事柄に、俺の表情は自然と眉が寄り怪訝な物になって封筒を見ていた。
「……感謝しろよ?ルキーノ」
 ジャンは少しだけ屈み俺の耳に顔を近づけると、こそりと男には聞こえないようなボリュームでそう囁き、封筒を俺の手に押し付け俺に向かってウインクをひとつ。
「邪魔したな。ーーそれではシニョーレ、良い1日を」
 そう言うと、男に向かってくす、と笑みを向けたジャンは来た時と同じように颯爽と出て行く。
 ーーーあいつ、何を……。
 扉がパタン、と音を立てて閉まると、目の前の男がそれを待ってましたとばかりに顔を赤らめて俺に突っかかってきた。
「ーーい、今のはどういうことだ!?」
 その言葉を丸ごと無視しつつ、俺は手渡された封筒を静かに開いて中身を取り出す。それは一枚の書類だった。タイプライタで打たれた文面に、さっと目を通す。
 文面に俺は目を見張った。そこに書かれていたものは、この不毛な話し合いをたった数分で終わらせるようなものだったからだ。俺は一言一句全てを読み終えると、可笑しくて思わず顔に手を当てる。目の前の男はそれを怪訝な顔で見ていたが、構いやしない。
 ーーーああ、ファンクーロ。なんてこった。あの犬っころめ……、今すぐに追いかけて犯しまくってやろうか。サイコーだ、クソ。
「おい、何なんだ!?」
 いい加減焦れたように俺に迫ってくる男を視界に入れつつ、俺は一呼吸置くと。
「ーーーそれはこっちが聞きたいが?」
 ぺらりとした書類を奴に突きつけて、鼻で笑ってやったのだった。



 俺はルキーノに忘れ物を届けてやった後、どっとした疲れが襲ってきて、デイバンに帰る前に休息をとろうとフロリダの良さそうなホテルを取った。モチロン、CR-5の息がちょっとかかってるとこで、無理言って一緒にきてもらったラグに消毒してもらったとこ。俺はラグに案内され部屋に着くなり、部屋に備え付けの消毒した電話が鳴った。リリリ、と機械的な音がして、暫くすると回線が繋がる。ラグには部屋に着いた時に、後でベルナルドから連絡が来ますので、と伝えられていたので、きっとそれに違いないと思いつつ受話器を手に取った。
「ハロウ?コチラ野良犬保管局〜。只今、赤髪の飼育員がボイコット中〜」
 電話を取るなりそう言うと、受話器の向こう側からクスクスと楽しそうな笑い声が届いてくる。
「ーーならすぐに書類をまとめなければね。フハハ。お疲れ様、ジャン」
 他愛もない言葉遊びに俺もつられて笑う。ーーベルナルド、元気そうだな。
「そっちもお疲れちゃん。今さっきおつかい済ませてきたぜ」
「ああ。彼方がたの様子はどうだった?」
「ンーー青い顔して焦ってた。アンタの予想通り、もうひと押しってとこだな。ルキーノの奴も例のプレゼント、喜んでたみたいだぜ?」
 俺の返答に、ベルナルドは電話口の向こうで満足げなため息を小さく零した。それから、実に楽しげに言葉を紡ぐ。
「勝ち誇った顔で笑う奴の顔が眼に浮かぶよ。ルキーノにこれは貸しだからなと伝えておいてくれ?」
「ハイハイ、了解。きっと、これでもかってくらい渋い顔するだろうぜ」
 ルキーノの苦々しい顔を想像して、少し可笑しくて笑みが零れる。
「フハハ、違いないな。ーーま、たまには良いだろう?こっちだっていつも、アイツの横暴な資金請求には頭を悩ませてるんだ」
 電話の向こうのベルナルドが、低い声色でそんな事を言う。ルキーノの事に関してだけではなさそうだが、日々のアレコレで、相当ストレスが溜まってるらしい事が察せられた。
「……アンタにも、色々苦労かけてスマンねぇ。ま、これでコッチの問題はほぼ解決だろうから、改めてルキーノから報告が行くと思うよ。そしたら、ルキーノと一緒に戻るから」
「ああ、わかった。水臭い事言ってないで、ジャンもあんまり無理はするなよ」
 その言葉、そっくりそのままアンタに返したいよ全く。俺は内心俺より疲れている声のベルナルドに向けてため息をひとつ。
 ホント、できる部下過ぎて困る。
「ん、了解。じゃ、またなー」
「ああ、チャオ」
 カチャン、と受話器を戻し、電話を切った。
 さて、と。俺のご主人様はまだ奴らの事で手が空かないかな。
 帰ってくるまで、暇だ。……かといってもだ。
「うーん、どうすっかなあ」
 ポツリと独り言を呟く。問題がまだ残ってるのだ。そう、今日はルキーノの誕生日。
思い立って、仕事終わらせたその足で何も考えずにフロリダに来たから、何も用意出来てないし。ていうか、実はルキーノの誕生日に備えてケーキとかプレゼント、とか?……用意してたんだけど、な。でも、ケーキは今、デイバンにある俺の部屋の冷蔵庫の中。プレゼントも執務室の引き出しにある。
 …………。ーーーって、こっちになきゃ、意味ねえええ………。
 俺はガックリと肩を落とす。
「うううん、どーしよ……」
 今からでもプレゼント探しに行くか?ケーキは部下にでも頼む?
 でも、今からじゃ……ルキーノもすぐに帰ってくるだろうし、どう考えても間に合わないよなあ。どうすっか………。
「せめて、アイツが喜ぶ事する、とか?」
 ルキーノが喜ぶって……。過去を振り返ると頭の中に、ルキーノの誕生日にされたアレコレとか、コスプレとかガーターベルトとかの思い出がフラッシュバックして、一気にげんなりとする。
 気分を変えようと、なんとはなしに視線を動かすと、部屋に壁付けされた質素なクローゼットが目に入った。

 ーーーいやいやいや。ナイナイ。
 流石に今年もコスプレは………………



「ああ……。いらっしゃいましたか」
 ホテルに入り涼やかな空気に包まれると、横の椅子から能天気な声が聞こえてきた。そちらを向くと、サングラスに夏だというのに暑苦しいコートを羽織った男がにこにこと笑みを向けていた。
「ーーー掃除屋か。連絡、御苦労。ボスは何処にいる?」
「ええ。最上階のスイートルームに。端の部屋です。ジャンカルロさんが、一応ベルナルドに電話で報告しておりますので」
 早速ジャンの居場所を聞くと、掃除屋は淡々と答え、俺にジャンの部屋のキーを渡してくる。スペアがあるのか。俺はそれを受け取ると、軽く手を挙げもう十分だということを示す。
「そうか。わかった、御苦労だったな」
「いえいえ。あ、それでは僕はこれで。またどうぞご贔屓に〜〜」
 俺に鍵を渡すまでがベルナルドの言いつけだったのだろう。掃除屋は事が済んだと分かると、にこにこと表情を崩さず、さっと身を引いた。俺は挨拶もそこそこに足早にエレベーターへと向か―――
「あっ」
 おうとして。背後の掃除屋の思い出したような声に止められた。一体なんだ、と怪訝にそちらに振り向くと、
「―――おめでとうございます」
 にっこりと微笑んでそんなことを言われる。
 ―――は?何が、だ?
 訳が分からなく、首を傾げたが掃除屋は何事もなかったかのように、さっさと歩いていってしまった。
 ………一体、なんだっていうんだ。いや、今はそんなことより。
 俺は気を取り直してエレベーターの方へ足を向ける。その歩は、エレベーターが近くなっていくと同時に自然と早くなり、何故だか妙に落ち着かなくなるのだった。
「…………、チッ」
 〜〜ああ、クソ。ティーンのガキか、俺は。何をソワソワしてるんだ、馬鹿か。
 落ち着かない事に、自分で自分をたしなめる。するとつい、口から舌打ちが漏れた。
 チン。
 エレベーターが止まり、その鉄の扉を俺に向けて開ける。俺はエレベーターに乗り込むと最上階のボタンを押した。すると、行き先を指定されたその機械は、意思を持ったように扉を閉め、俺をその場所へと迅速に連れて行こうとする。
「ふ、うーーー」
 ジャン…………クソ……あの犬っころの顔が、早く見てえ。先程のジャンの不敵な笑みが脳裏に浮かぶ。本当なら、今はデイバンで俺の帰りを待っているはずのジャン。それが、今は何故だか分からないがすぐ会える距離だ。ああ、会ったらまず、どうしてやろうか。ジャンへの想いがしとどに溢れ、エレベーターは正常にかつ機械的に動いているだけだというのに、あまりに遅く感じてしまう。
 ああ、まだか。
 チン。ようやくか、と言いたいくらいに感じた頃、エレベーターが最上階に止まった。俺はまた、足早に部屋の前に向かう。角まで付き、ジャンがいる部屋であることを確認すると、キーを使ってガチャリと部屋に入る。
「よ、っと、今帰ったぞ。おい、ジャンどこだ?」
 部屋に入ってドサリと荷物を置き、ジャケットを脱ぎながら部屋の奥へと進んでいく。
「ひえっ!??」
 すると、奥の寝室からそんな声が聞こえてきた。どう考えてもジャンの声だが、寝室へと続く扉はほんの少しだけ開いているだけで、肝心の当人の姿は確認出来ない。
「ん、ジャン……?そこに居るのか?」
 リビングのコートかけにジャケットを渡し、汗でべたついたシャツを脱ぎながら、俺は扉に向かってそう声をかける。
「え、ちょ、る、ルキーノ!?は、早くねえ!??」
 すぐに、あからさまに動揺した様子のジャンの声が帰ってきた。
 ーーーなんだ?ジャンのやつ。
「ん、ああ……。そうでもないぞ。後処理に少し手間取っちまったからな」
ちらりと時計を見る。ジャンが来てからもう1、2時間は経っているはずだ。なんせそれほどに厄介な相手でもあった。新しいシャツを羽織りながら俺は、なんだかジャンの様子がおかしい事を感じ取る。いつものジャンなら待っていたという態度を前面に出して酒を煽っていてもおかしくない頃合いだというのに。
「あ。そ、そか………」
 こうして帰ってきても、ジャンは姿ひとつ目の前に現さない。ドアの向こうからどこか弱々しい声が聞こえてくる。
「………」
「………」
 それっきり、少しの沈黙。
「お、おい、ジャン?なんだ、どうした?」
 シャツを身につけ終えて、そっちを見てもジャンがドアから出てくる気配はまるで無かった。
 ーーーなんか、おかしくねえか?
 俺は、いつもと違うジャンの様子を不思議に思ってその姿を確かめようと扉に近づく。
「あッ、あけんな!ッ、今、ちょっとまずい、から!」
「………あ?」
 まずい?………何が……?
 まさか……ジャンの他に誰か居るのか?
「おい、何がマズイんだ?」
 俺は若干扉の向こうを警戒しつつ、ジャンに声をかける。
「なんでもッ!とにかく!開けんなあ!」
 やはり、ジャンの声はらしくもなく、動揺しまくっているものだった。びしり、とそう言い放つと、扉の向こうで何やらバタバタと騒ぎ回る音がする。
 ーーーなんなんだ、一体。
 ………だが、しかし。
 開けるなと言われたら、気になるのが男ってもんだろ。昔、誰かが言ってた気がするが恋人が言う「開けるな」は「開けろ」って事らしい。……つまりは開けて欲しいって事だろ?
 ーーよし。
 俺は扉の目の前に立つと、小さく開いた扉の取っ手に手をかけた。
「ジャン。入るぞー」
「ぎゃっ!?ーーッえ、ってなんでッ!?」
 そして、何の前触れも無く中に押し入る。
 と、同時にジャンから悲鳴のようなものが上がった。電気が付いてないのか、暗い室内に目を凝らしジャンを探す。すると、ドアを開けた事で、部屋に入ってきた淡い光がジャンの姿を露わにさせた。
「―――」
 部屋の端に置いてあるクローゼット。そこにもたれかかるようにして立っていたジャン。ああ、そこにいたのか、なんて悠長な言葉を吐く前にその姿を見て、俺は予想外の事に固まってしまった。
「あ、あけんなって言ったのにっ……このアホライオン……」
 鮮やかな赤色のショートドレス。その布地に細やかに散りばめられた宝石の数々。裾はそれは柔らかな羽根のような素材でふわっとした仕上がりになっていた。ドレスの下から覗くのは処女の肌のように白いガーターベルト。滑らかなジャンの肌に吸い付くようなそれらを身に纏ったジャンが、悪態をつきながらそこに立っていた。
 ーー赤色に映える金の髪、その端正な顔立ち。そして、その装いはどんな淑女でさえも嫉妬してしまうほどに美しい。
「………」
 俺は…突然のことに何の言葉も、出なかった。いや、見惚れていたって、言った方が正しいか?
 とりあえず、それほどまでに衝撃的な光景が目の前にあった。
「………。っ……そんな真顔でジロジロ見るなよう……」
 暫く開いた口が塞がらないでいると、妙な沈黙に耐えきれなくなったのか、ジャンは俺に向かって悪態をぽつりと呟くと俺の視線から逃れるようにすぐ横のベッドのシーツの中にバッと潜り込んだ。
「あっ、おい、ジャン?」
 視界から消えたジャンにハッとして、俺は慌ててベッドサイドまで近づく。
「あっちいけ。ばーかばーか!見るな変態エロライオン!」
 布団の中から怒気を含み、ぐくもった声が耳に届く。
 悪口のチョイスが子供並みだぞ……とそのセリフに、突っ込みたくなりつつ、ベッドの端にゆっくりと腰かけた。
「…………」
 ジャンは、ぴくり、と反応したがむっつりとして何も喋らなくなる。
 ーーあー、……こりゃ、かなり拗ねてんな……。
「あっと……あー、……色々と聞きたい事が山積みなんだが……。まずは、ただいま、ジャン。――随分刺激的なお出迎えだったな」
まさか、こんなサプライズがあるとは。混乱してそんな第一声しか出なかった。
「っ、うっせーなぁ!」
 しみじみ先ほどの光景が思い出されて、ついそんな感想をぽつりと漏らすと、すかさず布団の中のジャンが威嚇している犬のように吠えた。白い物体がもぞもぞと動いている。
「てか、開けんなって言ったのに、信じらんねえ!なんで入ってくんだよ!?」
 布団の中から抗議の声が聞こえてくる。
「それはお前、開けるなって言われたら開けるのが筋ってモンだろうが」
「どんな筋だよ!?」
 そりゃ、俺の筋だが。どうやら、俺のお姫様は着替えを見られて相当ご機嫌斜めらしい。布団の中でふくれっ面しているのが手に取るように分かる。というよりは、恥ずかしがってるだけだと思うが。
「なあ―――ジャン」
 丸まっている布団に体を寄せて、多分顔があるであろう部分に、顔を近づけてそっと名前を呼んだ。ジャンが、微かに反応を見せたのが分かる。
「俺の為に、着てくれたんだろ?なら、俺に見えるようにもっとよく見せろよ」
「っ、……」
 ジャンの息をのんだ音がした。
「―――それとも、無理やり見えるようにしてほしいか?」
「〜〜〜っ、ホントにアンタ、良い性格してんな!」
 そんな悪態をついたジャンは、間もなくおずおずと布団をのけてそこから這い出てきた。ふわり、と赤いドレスが広がるとともにジャンのすらりとした足が地に着いた。ジャンの表情は、むっつりとして、恥ずかしさと腹立たしさが混じったようなものだったが、改めて見ても神に感謝したいほどに似合っている。
―――エクセレント。
「ッジャン!」
「ーーう、わっ……!」
 あまりの可愛さに感極まって、ジャンに抱きつくと突然のことに慌てたジャンはバランスを崩して背中からベッドに倒れこんだ。ぼふり、といい音がして質の良いスプリングがジャンを背中から支える。俺が押し倒したような形になって、ジャンを見下ろすと不機嫌な視線を向けられた。
「っ、なにすんだよ!」
「―――ハハッ、お前は最高だ、ジャン。最高に似合ってる」
 思わず笑みが零れる。おかげで、今日の疲れも一気に吹っ飛んだぞ、と笑いながら告げると、ジャンは顔を赤らめて慌てながらふい、と顔を背けた。
「………そうかよ、」
 やっぱりあんま見んな、と手で顎を押し上げられて上を向かせられる。おいおい、これを見なくてどうするってんだ?
「にしても、本当に今日はお前に驚かせられてばかりだな。今日の昼もそうだ。突然こっちまで来たと思ったらあんなもの俺に渡しやがって」
 事前に何もなかった事に少し思うところがなくもない気がし、そう言うと、ジャンは照れたような表情から一変して悪戯に成功した子供のようににやり、と笑みを浮かべた。
「―――最高なサプライズだったろ?」
 してやったり、のと笑うジャンのおでこを小さく小突く。
「ああ……この確信犯め。あの後―――あの男、相当焦ってたぜ。まさか、情報を横流ししたときの相手との会話を、盗聴されているなんて思ってもいなかっただろうからな」
 あの手のひら返しには笑えたぜ。慌てふためいて血の気が引いた男の無様な様子が思い出されて、つい口の端を上げて笑いを零す。極めつけは、ちっ、覚えてろよ!とかいう恥ずかしい捨て台詞だったな。
「まさか、たまたまベルナルドが別の案件で奴を調べてて、たまたま盗聴してるところにアンタの流通のハナシが出てくるなんてな〜〜。感謝しろよー?これも、日々盗聴や録音してる悪趣味なオジちゃんのお陰なんだからな」
 書類を見たときに、盗聴の証拠だという事と、ベルナルドの仕業だという事は大体わかっていたが、そういう理由だとは知らず、内心驚く。
こんなに都合よく証拠が手元に来たのは、別の件でアイツを追ってたからなのか……ベルナルドのやつ。あの封筒に入ったタイプされた紙最初に見たときには、会話文が永遠と書いてあってなんだと思ったが…ご丁寧な記録だったわけだ。というか、お前、その言い方は辺に悪意ある気がするぞ………。
「はあ、暫くはアイツには頭が上がらんな………」
 デイバンへ帰ったら、お礼に今度酒でもおごってやるとするか。アイツに借りをつくったようで、微妙な気持ちになる。
「そういえばジャン、お前仕事はどうした?前にベルナルドに聞いた話じゃ、随分溜まってたそうだが………。それに、あの封筒を渡すためにわざわざお前が直々に来なくても、部下に任せれば問題なかっただろうが。一体、どうした?」
 ベルナルドの話をしていればふと、ジャンが多忙だという事を前にベルナルドと話したことが頭をよぎりそんな問いが出てくる。
 するとジャンは、何が驚いたのか目を見開き呆れたように俺を見た後、大きくため息をついた。
「仕事なら、もう終わらせてきたぜ。つーか、アンタともあろう者がンな事も分かんねえなんて、ビックリだよ」
 何がムカついたのかはわからないが、何かが悪かったらしく。ジャンはあからさまに拗ねてますよ、というような態度でそう吐き捨てた。
「ああ?」
何がだって………?
「ったく………。今日は、何日だよ?」
 そんな風に問われ、数秒頭の中で思案し―――
「何って………7月29日だろうが……。………。……ああ、そうか」
 ―――そうか。今、気が付いた。
「ようやく気付いたかよ……自分の誕生日忘れてんじゃねえばか!」
 今日は俺の誕生日だったか………。ジャンは遅いとばかりに、ったくなんのために俺がこんな格好してっと思ってんだとぶつぶつ言いながら怒り始めた。
「ああ―――忙しすぎて完全に忘れてたぞ……」
 そうか、だからか。
 あの時の掃除屋の言葉や、ジャンがここにいて、こんな格好をしている意味が理解できて、口の端が上がるのが抑えられない。俺がデイバンに帰るころにはとっくに誕生日は過ぎているから、今日のためにジャンは。
「なんだよ……準備して待ってた俺がバカ見てえじゃねえか……あほルキーノ」
 準備って……おいおい。ぶわ、と色々なものが溢れてくるのが分かった。恥ずかしそうに顔を手で覆って自己嫌悪に陥っている様子のジャンを見てたまらなくなる。
「ったく、お前は可愛いなジャン。俺のマイボス―――」
 思わず、その腕をつかんで色付けされた唇に噛みついた。
「うわっ、ン……!」
 ジャンがひるんで、驚いた声を漏らす。
 口内を浅く蹂躙してから唇を話すと、ジャンがはあ、と息を吐いて潤んだその蜂蜜色の瞳を俺に向けた。
 ああ―――美味そうな色だ。
「―――今年のプレゼントも最高だな」
 ゆっくりと全身を視線で舐めまわして白くほっそりとした足をゆっくりと撫でた後、足の甲にゆっくりとキスを落とす。赤いショートドレスと白のガーターベルト。包装も完璧に済まされたそれをこれから一枚づつ開ける事を想像してほくそ笑んだ。
「ちゃんと受け取らねえと、許さねえからな……」
 ジャンは、ピクリ、と反応した後、キッ、と潤んだ瞳で俺を睨みつけると、そう言って俺に向かってその手を伸ばす。ああ、この最高に可愛い俺の犬っころめ――
愛しさを募らせながら、まだまだ時間はたっぷりあるな、と俺は笑みを深くしたのだった。



END




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