小説 | ナノ

  愛してるって言わせろよ4








 ーーはあ、はあ。俺はひたすら走る。気づいてしまったこの想いから逃れるように。
「……っ、」
 さっきまでとは打って変わって、まるで呼吸の仕方を忘れたかのように息が苦しい。
走っているせいかも分からない。自分の内側にいる獣がむくりと起き上がり、勢い良く暴れだすようだ。得体の知れない感情が何処からかぶわりと湧き上がってきて、どうしようもなく叫び出したい気分だった。ベルナルドの前では冷静だった頭の中も、我を忘れたようにぐちゃぐちゃになっていた。
 どうしようどうしようーーー俺……ベルナルドの事が、好きなんだ。アイツの頑張ってる姿も、ちょっとダメオヤジなとこも、頼りになって俺に甘いとこも、全部全部。いつの間にか………すき、になってた。
 そう思った瞬間、顔が焼けているんじゃないかと錯覚するほどに熱くなる。これから逃げようとすればするほど、鮮明に分かってしまった。さっきまではどこかふわふわしていたすきが、はっきりとした好きになっていることに。
 今まで感じたことがない感情がごちゃごちゃになって俺の頭の中を真っ白に埋め尽くす。
「はあっ……はあっ」
 それでも足は止めず、ただ前へ前へとひた走る。もうとっくに街を抜け、森へと入っていた。数メートル先に見知った建物が見える。俺の住んでいる屋敷だ。草木を掻き分け必死に走っていたせいか、こんなところまできていたらしい。
「はぁッ……、」
 俺は入り口の門まで行くと、勢い良く門を通り抜けた。そのまま広すぎる庭を突っ切って、屋敷の扉を開けバタン、と中に入る。扉を開閉した大きな音に、たまたま入り口付近にいた使用人のルキーノがビクッと反応してこっちを見た。
「なーーっジャン!?」
「っ、ハア……ハア……」
 ルキーノの瞳が驚きに見開かれ、慌てて俺の側に駆け寄ってきた。俺は途端に力が抜け、息を整えながら扉を背に崩れ落ちる。
「どうした、おい!?何があった?」
 ルキーノがぎょっとして、普通じゃない俺の様子を見て瞳に心配そうな色を滲ませ焦っていた。しかし、俺はそんなルキーノの問いかけに何か対応できる余裕が無く、小さく、悪い、と呟くと、よろりと立ち上がってノロノロと自らの部屋に向かう。
「お、おい……ジャン……?」
 ルキーノはそんな俺の背後で、訳が分からないと言った様子で何かをつぶやいていたが、よく分からなかった。
 パタリ。扉を開け自分の部屋に入った俺は、倒れるようにベッドへなだれ込む。
 そのまま柔らかいフトンの中に包まれた。
「………」
 ほっ、と息がつける場所な筈なのに、柔らかく優しい布に包まれている俺の心臓は割れるかと思うほどに痛くーー自分でも煩いと思うほどにどくどくと鼓動が早かった。いくら待っても、鳴り止むことがない。 苦しくて、逃れたいのに、酷くなるばかりだった。
 どろり、と黒く、得体の知れない闇の中に足からずるりと引きずり込まれる。一度入ったら、抜け出せない。底なしの沼のようなそれに。
「べ、………ッ」
 無意識に男の名前を口に出そうとして、ぐっ、と喉の奥で息が詰まる。腹の中に溜まっているものがあまりにも大きく膨れ上がッて、俺はもう吐き出し方が分からなくなっていた。外に出すことが叶わないそれが、俺の内側をぐるぐると駆け巡る。
 ーーーべるなるど。ベルナルド。……べるなるど。ベルなるど。
 まるで、なにかの呪文のように俺は男の名前を頭の中で叫んでいた。ぎゅ、と目を瞑ると今まで一緒に過ごしてきたベルナルドの様々な顔がフラッシュバックする。
 ーーー研究するときの真剣な顔。冗談を言うときの子供みたいな顔。俺の悪戯にする困ったような顔。……ナスターシャの事を考えている時の切なそうな顔。
 ……俺に向かって笑いかける、瞳からとろけてしまう様な……笑顔……。
「……、っ」
 ぽろり。考えたら、じわじわと苦しく何かがまた込み上げてきて、目尻からなにかが溢れて滴り落ちた。
 ーーなんだ、これ。
 ぽた、ぽた、と次から次へと雫が落ち、俺の布地や頬を濡らす。じわりと視界がぼんやりと歪んで、心臓が裂けるような痛みに襲われる。思考がほぼ停止していた俺はようやくその事で、気がついた。
 これは涙だ。俺は泣いているのだ。
「……なんで俺、泣いて…、……っ」
 そのことに、肌が濡れる感触を味わうまで気づかないほどに、俺の気は動転していた。
「ーーう、………っく……」
 泣いてると自覚した途端に、堰を切ったように涙がぼたぼたと滴り落ちる。
「うあ、あっ………!」
 我慢していた何もかもが放たれて、止まらなくなってしまった。ーー好きだ。アイツが好きなんだ……。だからもう、今まで通り、友達ではいられない。………俺は、どうすればいい?
 ーーーもう分からなかった。
 俺はただ、ぼたぼたと溢れるこの気持ちを見つめて、涙を流していた。




 あれから1週間くらい、経っただろうか。
 俺はオヤジと話をつけ、これからは本格的に家を継ぐ勉強に専念することを誓わされた。今は毎日ルキーノからの厳しいレッスンでしごかれている毎日だ。
 ーーあれから、ベルナルドとは逢っていない。俺は屋敷から一歩も出ることなく、ただそれに従っていた。
 言われたように、望まれたままに。オヤジは俺が素直になったことにご満足らしい。
 ーーこれでいい。俺が望んだことだ。だって、もう後戻りは出来ないから。ベルナルドに迷惑をかけるよりはマシだ。
 ………それでも。そう言い聞かせていても、日に日にあの男が恋しくなる。あの優しい瞳に見つめられたくなる。切なく心が軋んだ。俺ってすげえ浅ましいな……。
「はあ………」
 もう何度こうやってため息をついただろうか。
 ここまできたら、もう俺の気分が高揚することも二度とないかもな……。内心そんな自分に苦笑いを一つ。
 部屋から窓の外を見ると、キラキラと俺の心情とは裏腹に爽やかな日差しが辺りを照らしていた。今日は快晴らしい。ーー心底どうでもいいことだよな。ベルナルド、今頃……仲直りして楽しんでたりして。あ、やべえ、考えたら泣きたくなってきた。
 ………コンコン。
 ふと、俺の部屋のドアを叩く音が外から聞こえてくる。
「ーージャン。入ってもいいか?」
 ドアの向こう側からルキーノの声が聞こえて、俺はああ、とかうん、とかいうよく分からない生返事を返した。すると、カチャリ、とドアが開いて、赤毛の色男が姿を現わす。
「……次の予定の確認か、ルキーノ?」
 そう声をかけると、ルキーノは嫌に真剣な顔をして俺を見た。ドアを閉めてこちらに近づいてくる。
「いや。そうではないんだがな」
「………。じゃあ、なんだよ……」
 ルキーノは俺の側までくると、ゆっくりとしゃがみこんだ。俯いていた視線がルキーノの視線と交わる。
「帰ってきてから、いやにしっかり勉強し始めた割に元気がねえし……なにかあったんだろうと思ってな」
「っ、別に………」
 ルキーノの心配が伝わってくるのが分かる。わざわざ俺の話を聞いてやろうと来たのかもしれない。しかし、なにがあったかなんてことを洗いざらい喋る気になれなかった。
「ーーーアイツの事か?」
「ッ、」
 アイツ、と言うのが、ベルナルドを指す言葉だと瞬時に分かって、俺はつい反応して身体を揺らしてしまう。ずっと、避けていた事柄を人から突きつけられた事に、俺の中で少なからず動揺が生まれるのが分かった。
「相変わらずお前は、分かり易いな」
 俺の反応を見て察したのか、そう言ってルキーノは笑う。
「うっせえ………」
 分かりやすくて悪かったな。図星を突かれて、俺は思わずルキーノから顔を反らす。すると、ルキーノがいる方向から小さく息を吐く音が聞こえた。
「何があったか知らないが、あんまり思い詰めるなよ。何か困った事があるなら、迷わず俺に言え」
 そう言って、ルキーノは俺の頭を数回ぽん、と叩いてまた笑った。
「………ん」
 俺は小さく頷いた。
 ーーやっぱり、なんだかんだルキーノに心配かけちまってたんだよな……。
何も聞かないでそう言ってくれたルキーノに感謝の念を持ちつつも、自分自身どうしてこんなに引きずり続けているんだと情けなくなってくる。こんな気持ち、なかったかのように過ごせたらいいのに。
 またネガティブな思考が溢れてきて、ため息がつきたくなる。
 そんな暗い空気を打ち消すように、ルキーノがそうだ、と話を続けてきた。
「そう根詰めていたら疲れるだろう。気分転換に、すぐそこの池でも散歩に行って来たらどうだ?」
「え、でも―――」
 この屋敷からまた出たら、親父から何言われるか……
 そんな俺の危惧を察したのか、ルキーノは大丈夫だ、と言い聞かせるように頷く。
「すぐそこの場所なら、何も問題はないだろう。お前がしっかり勉強に取り組めるようスケジューリングするのは俺の役目だからな。もし何か言われたら、俺から言っておく」
「え………?」
 あまりにテキパキした口調でそんなことを言うので、俺は驚いてルキーノを見る。ルキーノは俺の腕をとったかと思うと、座っていた椅子から引っぺがされた。そのまま、ルキーノは俺の部屋の扉を開ける。
「お、おい、ルキーノ………?」
 突然のことに戸惑っていると、ぐいっと俺の背中を押され開いた扉から外の廊下に押し出された。え、なんだ突然?
 慌てて振り返ると、ルキーノはその色っぽい唇と釣り上げて、そのロゼの瞳を優しく細めた。
「いいからその辛気臭い顔、早く治してこい」
 ―――バタン。
「え」
 すぐさま扉が閉められた。ぽかん、としてそのまま数秒そこに立ち尽くす。
 あー……。予想外の展開に、一瞬思考が宙に浮いちまった。
 てか、俺の意思は無視か?おいおい。
「……ったく、俺の教育係サマは困るワ」
 はあ、とため息をつき扉の向こうのルキーノにも聞こえるように言ってから、廊下を歩きだす。
 ――ああ、ホント。
 余計な気ばっか使いやがって。こんなに優秀すぎる教育係なんて、困る……。んな辛気臭い顔してたんかな……。
 荒っぽいけれど、俺の事気遣ってくれているのが分かって、どんな顔をしていいのかわからなくなりながらも少しだけ俺の心が軽くなった気がした。


――−


 さわさわ、と木々が風に吹かれて擦り合う音と、心地いい日差しが俺を包む。すう、と空気を吸うと、思い切り爽やかな空気が肺に満ちて、心が自然と落ち着くようだった。
「………」
 屋敷から脇の道をサクサクと進むと、あっという間に池のほとりまで来ていた。大して大きくもない池をぐるりと囲むように生えた木々たちがあるせいか、ここだけヒミツの空間のような気がする。
「よ、っと……」
 池を覗くと、ゆらゆらと揺らめいた水の中で色鮮やかな魚がすい、と快適そうに泳いでいるのが目に入ってきた。ときどき、きらきらとした水面がちゃぷ、と水音を奏でる。
 ――あー、外に出んの久々だ……やっぱ気持ちイイ。
 しん、と誰も居ない隔離された空間に、耳に心地よい自然音。……世界に俺だけしかいねえみてえ。
「ずっと、引きこもってんのも、良くねえんだな……」
 今回ばっかは、ルキーノにお礼言わねえとかも、と思いつつ、俺はほとりに座り込み、空を見上げる。
 空は快晴。澄んだ青空にはっきりとした白い雲が漂って、どこかへと運ばれていく。太陽がその存在を主張するように、辺りに光を降り注いでいた。
 ーーどっか、行きたくなる天気だよな。
「あ、そういや………」
 昔から、小さい頃はこの森で遊んでたんだっけ。良く、隠れたりしてルキーノを困らせてたよなあ……。我ながら、何やってんだって感じだけど……、ベルナルド、とも……よくこの森で会ってたっけ。
「………」
 この池のそばに座って、俺の愚痴とかベルナルドの店のこととか、時間が経つのも忘れて喋ったときもあった。ルキーノが俺を探しに来た時も、2人で木々に隠れて、見つかんなかったな、ってくすくす笑いあったりして。
 大抵の相談事はベルナルドにしてーーー
 そこまで考えて、はた、とまたベルナルドの事を考えていたことを自覚してしまう。と、同時にどれだけ未練たらしいんだと己に舌打ちしたくなる。
「………」
 さわ、と土の匂いのする風が俺の頬を撫でた。ーーーこのまま、俺の思考ごとどこかに運ばれてしまえばいいのに。
「………はぁっ」
 何もかも投げ出すように、起こしていた自身の上半身をばふ、と辺りに生い茂った草の上に落とした。そのまま、寝るような姿勢になって、その自然のクッションに身体を預ける。
「っ、」
 勢いのまま背後も見ずに寝転がったせいか、数枚の花びらが風に煽られて舞い上がった。ふわ、とその中の1枚が俺の顔の上に乗る。
「……なん、」
 びっくりしてつまみ上げると、それは白と青のコントラストが鮮やかな青い色をしていた。どこかで見たようなその色ーーー
 何故かとても懐かしく感じた。不思議に思いながらも、なんとはなしに俺はふ、と顔を横に向ける。
「ッあ…………」
 思わず目を見開いた。そこにあったものに、俺の視線は釘付けになる。
暖かな日差しを浴びて、そよそよとした風が気持ちいいとばかりに右に左に揺れる花。甘い匂いが鼻を掠める。小さいのに、美しく鮮やかなそれを見て、懐かしく感じていた理由が頭の中にフラッシュバックした。
 ーーーつやつやとした陶磁器。そこに描かれていた花。あの日、あの場所で交わした会話。
「………ネモフィラ、だ……」
 そう口に出してみて、胸が熱くなり、ぎゅ、と圧迫されているように苦しくなった。
そうだ。何で忘れていたんだろうな……。
 ーーー俺と、ベルナルドが始めてあった日の大切なきっかけ……。割れた陶器に、ベルナルドの苦々しい顔がつい先ほどのことのように思い出される。
 ーーそして、あの時のベルナルドの言葉。
『ーーじゃあ、ネモフィラの花言葉は?』
 ぽつり、と頭の中にしまってあった会話のレコードが流れ出す。
『正解は、貴方を許す、だ』
 俺は奥歯を噛み締めた。
『まるでこうなることが予想されてた見たいだろう?ーーな?だから、気にすることないんだよ』
 頭の中のベルナルドが俺に向けて優しく笑う。何の問題もない、と。胸の奥が、押しつぶされているかのように苦しくてたまらない。嗚咽が今にも口から漏れ出そうになる。
「っ………!」
 もしかして、俺がアイツにこんな気持ちを持ったって事も予想されてちまってたのかな。俺はもうベルナルドの事を気にしちゃ、いけねえのか?
「ベルナルド………あいてえよ……」
 なあ、ベルナルド。
 俺のこの気持ちは、許されるかな?

 心臓が張り裂けそうだった。泣きたいのに、涙は枯れ果てて出なかった。俺は、ズキズキと痛む胸を押さえながら、眼を閉じて視界を闇に落とす。あたりを包み込む風が優しかった。静かに深呼吸をすると、ごちゃごちゃな思考が段々と落ち着いてくる。するとものの数分で俺の意識は、静寂の中に沈み込んでいったのだった。


ーーー


『……、…〜〜、』
 遠くで誰かの声が聞こえる。なにかを言っている気がする。
 分からなかった。俺は川の流れのように、静寂が漂う時間の中にいた。そのまま心地よい暗闇の中で流れに身を任せる。頭の中は空っぽで、静かで、このままでいたいとどことなく感じた。
『〜〜。………、……』
 また何かが聞こえる。
 何も分からない。頭の中はやはり何も浮かばず、真っ暗で静かで。
すると、唐突に右頬に暖かさを感じた。
 ーーーなん、だ?
 生きているということを感じるぬくもり。
 暖かい………。存在を主張しこちらを労わるようなようなそれに、安心感すら覚えた。
 ーーーこれ、何………、誰……?
 ぽん、とそんな疑問が頭の中に現れる。ふ、と静かだった俺の意識がそちらに向いた。
「………きだ、………ン」
 まだ何か言っている。ぼんやりとしていた声が少しずつ、何か意味のあるものに聞こえてきた。語尾だけだが、わかったような気がして首を傾げる。そしてそれが、何故か聞き慣れた声のようにも感じた。
 ーーー誰だっけ………?
 そんなことを考えていたら、暖かさが目の端を撫でて、そして、俺の唇に触れた。それはじん、と心に染み込んでくるようで、まるでーーー
「…………!」
 その瞬間、俺はハッとして目を開いた。ぼんやりとして暗闇の中だった意識が一瞬にしてはっきりとする。と、同時に距離が数センチといった眼前に広がるアップルグリーンの色合いとかち合う。
 ーーーあ、え……?
「ッ………!」
 完全に目があって一体何が起こっているのか分からず硬直していると、バッ、とさっきまで感じていた唇の暖かさが勢いよく離れていく。目の前が開けて俺は寝ていた体制から起き上がってぱちぱち、と数回瞬きしてから周りを見渡し、目の前にいる人物を二度見した。
 ーーーえ、え……ベルナルド!?………え、ここ、池のとこ、だよな……。あ、俺、寝ちまったのか………??てか、なんで、今のは……!?
「…………」
「…………」
 突然のことに、俺の思考はパニックに陥って、それとは逆に俺たちの間は静寂に包まれる。ここは俺がルキーノに急かされてきた池のほとりで、俺はここに寝転がってて、さっきまでと何も変わんねえ風景のはずなのに。
 ーーーなのに、なんで居るはずのねえベルナルドがいるんだよ?!
 つ、つうか今………き、キッ……!え、いや、俺の見間違いか……ゆ、夢……?嘘だよ な……?
 完全に俺の頭の中は落ち着く気配はなく、俺は何と口にすればいいのか分からず、ぐるぐると思考の波に呑まれながらそういう魚のように口を小さくパクパクと動かしていた。
「…………」
 少しの静寂が永遠に続くように感じた後、沈黙を破ったのはベルナルドだった。
「ーーーすまない、ジャン」
「ッえ………」
 これでもかという真剣な表情で謝罪の言葉を吐かれて俺は動揺を隠しきれない。不安になってベルナルドの瞳をじっと見つめた。
「今のは………、忘れてくれ」
 ふい、と視線を逸らされ、ベルナルドはそう言う。
 ーーー忘れろって……なんだそれ。イミ、分かんねえよ……。
 ベルナルドの表情が見えなくなってぎゅう、と心臓が張り裂けそうなほど痛くなる。まだ動揺していて、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
「ーーなんで………」
 だが、気がついたらそんな言葉が口から出ていた。きっと、俺の純粋な疑問だった。そうだ。なんで、こんなこと。なんで。
 ベルナルドは静かに口を開いた。
「ーーーおまえが、好きなんだ」
 ベルナルドの真剣な瞳が、俺を射抜く。心臓がどくん、と高鳴った。その言葉がすとん、と俺の中に入ってきて、途端、俺の思考は止まる。この世界の全てのものが見えなくなり、ベルナルドと俺だけのように感じた。俺が何も言えないでいると、ベルナルドは言い訳するかのように言葉を発する。
「………本当は、一生告げないつもりだった。ーーーだがお前が、もう店には来ないというし、ふとここへ来てみたらお前がいて……たまらなくなって」
 そう言って、ベルナルドは俯く。握りしめたその拳をみると、それは微かに震えていた。
「…………」
 ーーーベルナルドが、俺を、すき?
 冗談、だろ……?そんな訳ねえ。だって……、だって、ベルナルドはあの女と。
急な展開に俺はついて行けず、何も言うことが出来なかった。そんな俺を知ってか知らずか話を続ける。
「ーーーお前に嫌われているのは、分かってる。だけどお前が、俺から離れていくのだけは、どうしても……耐えられなかったんだ……!」
 絞り出すような声で、ベルナルドはそう吐き捨てる。
「ッえ、」
 ーーー嫌われてるって、……。
「……どんな形になっても、お前のそばにいたかった。お前には笑っていて欲しい。本当だ。ーーーだけど、好きなんだ………お前が、好きだ。ジャン」
 ゆらゆらと揺れるベルナルドのアップルグリーンの瞳が、俺を捉えて苦しそうに歪む。今にもどうにかなってしまうんじゃないかと思う程に頼りない声だった。
「べ、」
 ベルナルド………。
 そうベルナルドの名前を口にするかしないかのところで、はあ、と大きなため息と共に呟く。
「ーーーーすまない」
 それだけ言って、ベルナルドは辛そうに手で顔を覆った。痛々しいその表情に、何故か俺の心臓がチリ、と痛くなる。
「っ、」
 ーーそれ、って…………
 ベルナルド、ほんとに俺が好きなのか?
 そんなカオ、するほどーーー?
 そう考え始めると、どんどん俺の中に実感が生まれてきた。あ、ヤベえ、なんか………顔が熱い。なんだ俺、何、赤くなっちまってんだよ!
「ーーーお前を困らせたい訳じゃなかったんだ。だが、悪意じゃないことだけは、伝えたかった」
 段々と赤みが増していく俺の顔とは反対に、ベルナルドの顔からは血の気が引いていく。その顔にさらに眉間のシワを増やし震えた声を絞り出す。
「ーーこうなってしまった以上、もう……ダメだ……俺の我儘でお前をもう振り回す訳にはいかない。だからーーーだから、俺はもう、二度とお前の前には現れない」
 ベルナルドは口角を上げて、笑う。しかし、その眼差しは酷く寂しく、決意に満ちたものだった。俺は驚いて、思わず息を呑む。
「ッ、ぁ」
「最後にこれだけは言わせてくれーーー愛してるよ、ジャンカルロ。お前は俺にとって全て、なんだ」
 そう言って、ベルナルドはまた笑った。慈しむように、優しく俺を見て。
「………っ、!」
 なんで。なんで、そんなこと言って自己完結してんだよ。告白するだけしといて、俺の気持ち、決めつけて………、そんで、逃げる気かよ!
 そこで、ハッとしてしまう。いや、そうだ。俺も、ベルナルドの事を言えない。ベルナルドがナスターシャが好きなんだと、2人は両想いだと勝手に思い込んで、自分の気持ちに気がつくと、アンタの前から逃げた。ーーもう、傍には居られないと。
「ーーーじゃあ、な」
 ベルナルドは、俺に背を向け足を踏み出そうとしている。そんな、悲しい顔をしながら。
 ーーーベルナルドは、今あの時の俺と同じ気持ちなのか?
 だったら、俺がここで言ってやらねえと、始まんねえよな。俺はぐっ、と奥歯を噛み締める、だって、何も悲しむことなんか無いんだ。ーー俺は、アンタのことが好きなんだから。
俺は胸のうちに生まれる衝動に従うままバッと走っていき、歩き去ろうとしているベルナルドの腕を掴んだ。
「え?」
 突然のことに驚いたベルナルドが、俺の方を向く。ベルナルドの瞳を睨みつけ、すう、と大きく息を吸ってから口を開く。
「俺にも―――」
「……愛してるって、言わせろよッ!」
 森に俺の大声が響き渡る。と、同時にベルナルドが鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして俺を見た。
「………え、?」
「ーーー言いたいことだけ言って、どっか行くんじゃねえ、ばか」
 驚きを隠せずをぽかん、としている表情をしているこの男の額にぴしり、と指を弾き痛みを与える。
「ッ、」
 その衝撃にベルナルドは顔を顰め、そしてハッとした表情を俺に向けた。
「………俺もアンタが好きなんだよ。でも、アンタはナスターシャが好きなんだと思って……でも、違ったんだな」
 だから、ああやって、アンタの前から逃げちまった。
「ッーーーえ、ジャン、何を……」
 俺の言葉に、ベルナルドは分かりやすいくらいに動揺してその眼鏡の奥の眼をゆらゆらと泳がせていた。俺は更にぐ、と足を踏み込んでベルナルドに近づく。俺とベルナルドとの距離は数十センチというところまで。
「なあ、ベルナルド。あのな、俺ーーー」
 俺が口を開くと、ベルナルドはびくり、と肩を揺らした。アップルグリーンの瞳は、どこか怯えた色をして、此方を見ることはない。苦渋に満ちた表情をして、ベルナルドは俺の言葉を遮り震える声を絞り出した。
「ーーージャン……。からかうのは、もう、やめてくれ……。ーーもういいんだ、俺を行かせてくれ」
「…………は?」
 どうやらベルナルドは、何か勘違いしてるらしい。俺の口から間の抜けた声が出ちまう。
 ーーなんだよ、からかうって。
 最後まで聞けよ、と内心ため息をつきたくなりながらも、痛々しいその姿にちょっと可哀想にも思えてきてしまう。
 ーーッああ、ったく、もう!
 俺はじれったくなって来ちまって、俺に背を向けて去って行こうとするベルナルドの胸ぐら掴んでぐっ、と引き寄せる。
「っ、う!」
 うめき声を無視して、近づいて来た唇に唇を重ね合わせた。
「ッ、ッーー!??」
 ベルナルドの瞳が驚きに目が見開かれる。
「ッン、」
 数秒重ね合わせるだけのキスだが、じんわりと暖かさが伝わってきた。パッ、とキスをほどくと、目の前の男は状況が理解できない、といった感じで呆然と俺を見つめていた。眼を細めて見つめ返してやると、アップルグリーンの色が大きく揺らぐ。
「ーーーこれで、信じたか?」
「は………」
 ぽかん、とした様子のベルナルドに続ける。
「だから!ーーす、好き、じゃねえと……キスなんて、出来ねえダロ……」
 あ、うう、なに言ってんだ俺。自分で言っておいて、恥ずかしくなってきちまった。思わず眼を逸らすと、ベルナルドがハッとして息を飲んだ気がした。
「ジャン………」
 行動の意味が理解できたらしいベルナルドは、震えた声で俺の名前を呼ぶ。
「な、なんだよ?ーーッうわ」
 腕を引かれベルナルドに抱きしめられると、俺の体はすっぽりと胸のなかに収まった。どこか使い古したようなコートからベルナルドがいつも使っている香水の匂いがふわりと漂う。
ーーあ、ベルナルドの匂い…。
「ジャン………ッ」
 突然の状況に加えて泣きそうなベルナルドの声が頭上から降ってきて、痛いほど抱きしめられて俺の心臓は故障したかのようにバクバクと高鳴る。
「も、苦しいって、オイ……」
「ーーー嬉しい。これは、もしかして都合の良い俺の夢か……?」
 まだ信じられないといった様子のベルナルドに、俺はつい笑っちまいながら、ベルナルドの頬を軽くつねってやる。
「ばーか」
「っ、たた……ハハ、夢じゃ、ないな」
 痛みに顔を歪めながら、本当に嬉しそうに笑うその顔に、俺も自然と笑みが零れた。
でも、ホントに、夢じゃねえんだな……。出会ってから、当たり前のように会っていたけど、この間までコイツの事が好きだなんて、考えたことすらなかった。それが、いつの間にか居ないと違和感を感じるようになっちまって、些細なとこにドキドキしちまうようになって。気がつくと、どうようもないほど好きになっていた。
ーーホント、人生って何が起きるか、分かんねえな。
 くすり、と笑っちまうと、ベルナルドはそっと優しく俺の頬に手を添えた。
「ジャン。……もう一度、キスしても?」
 おずおず、と言った感じでそう言ったベルナルドに、俺はにやりと笑って口を開く。ベルナルドの手に自分の手を重ねた。
「ーーー愛してるって、言うならな?」
 ベルナルドは、俺の言葉に驚いてぱちぱちと眼を瞬かせるとふっ、と心底嬉しそうに笑って耳元に口を寄せ、俺が待ち望んでいた言葉を囁く。俺は近づいてくるベルナルドの顔を見つめながら、その言葉に満足して眼を細めたのだった。





END

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