小説 | ナノ

  そばにいるだけで


「グスッ、ベルナルドぉ……」
 ジャンが珍しく悪酔いしている。
 CR-5の幹部筆頭となり、そして我らがカポであるこの男、ジャンカルロの恋人となってから幾年経っただろうか。俺は、今までの何回あったか、いつからか見慣れてしまったその状態に、小さく息を吐いた。
「はいはい。なんだい、ジャン」
 俺はあやす様に、ジャンの背中をさする。ジャンはカウチに座っていた俺の膝の上に、こちらに向かい合う様に座っていた。
「ん、うう〜〜……ベルナルドぉ…」
 ジャンは俺の首に腕を回して、先程から、俺の名前を何度も呼びながら、小さな子供の様に瞳をうるうるとさせて、ぐずっていた。
 今日は久々のオフが、明日取れたから、と前日の今日は羽目を外して部屋で今までお酒を飲み交わしていた。
 一時間、二時間。時間の感覚が分からなくなってきた頃、ジャンはグラスから手を離し、くしゃりと顔を歪めると、ふらふらと俺の膝の上についた。
 そうやって、今に至るわけだが。
 ーーああ。まさか、CR-5のカポが泣き上戸なんて、誰が思うだろうね?
 ジャンのは箍が外れると、やたら俺にぺったりくっつき、ぐすぐすと雫を零し始める。今ではもうすっかり見慣れたものだが、最初にそれを見た時は本当に驚いたのを、覚えてる。
 なにせ、ジャンとは、他の幹部を含め幾度となく飲み会をしているが、その時のジャンは凄く上機嫌で、そんな素振りはカケラもなかったからだ。どんなに気兼ねがない飲み会であっても、ジャンが俺以外の人間の前で、泣き上戸を出すところを俺は今現在も見たことがない。
 これは惚気とかそういうのではなく、ジャンがこの状態になるのは俺の前だけだと、気がついたのはいつの頃だったろうか。もう思い出せもしないが。今日の様に、明日の心配もない、邪魔者もいない時には、ジャンの中で普段はセーブされているものが、まるでスイッチが入ったかの如く、出てくるんじゃないかと俺は思うのだ。
「ぐす、う、んん〜〜ベルナルドぉ〜〜」
 ジャンがぐりぐりと俺の肩に頭を擦り付ける。キラキラと輝く髪がサラサラと首に当たって妙にくすぐったい気がする。
 マフィアのカポを続けているとなれば、毎日プレッシャーや仕事も相当だろう。それに押し潰されそうになって、ジャンも行き詰っているに違いない。ジャンは取り繕うのが上手いから、核心的な気持ちは何も話さないが、その事はジャンの態度から容易に感じ取れる。なんとなく、間違えてはいないような気がした。
 そんなジャンが、俺だけの前ではこんな風に弱みを見せるなんてーーー
 恋人同士になる前とは比べ物にならないほどに、ジャンの心の中まで踏み込むことを許してもらえているように感じて、そんなの嬉しくない訳がない。つい、口元が緩んでしまうのが分かって、慌てて引き締める。
「眠いの?ジャン」
「う、んん〜〜〜……」
 そう問うが、ジャンは肯定とも否定とも取れない声を上げて、もぞもぞと身体を動かしていた。
 俺はちらりと、自分の腕に巻かれている腕時計の、一分一秒も休まずに正確な時を刻み続けている針を見た。ゆったりしすぎたせいか、もうすっかり夜が更けてしまっている。
「もうこれぐらいにして、ベッドに行くかい?」
 ああ、今にも寝そうじゃないか。相当疲れてたんだろう、可哀想に。
 ぐずりながら、うとうととジャンが眠気を感じ始めたのが分かった俺は、ゆっくりとサラリと指通りの良い髪を撫でながら問いかける。
「………」
 ジャンは俺の言葉に、突然ぱっと顔をこちらに向けると、蕩けた水飴のように瞳を細め、じっと俺の方を見つめてきた。と、思ったら、ジャンは今にも倒れそうにぐらぐらと頭を揺らしながら口を開きボソリとつぶやく。
「きす……、べるなるど……」
「え?」
 その言葉が小さく、聞き取れなかった俺はそれを聞き返す。
「はやく……きす。…っ……しろよお〜〜〜」
 俺が首を傾げていると、ジャンは更にうるうると瞳に今にも決壊しそうな涙の膜を張って、俺の方に手を広げ駄々を捏ねる子供のようにそんな事を言った。
「っ……!」
 ぎゅん、と俺の中の何かが、破裂する。普段は言わないセリフに、ギャップを感じて堪らなくなった。こんな姿が見られるのは、俺だけ。
 ーーー俺だけのジャン。
 そう思うと、じん、と愛しさが募った。
「ハニーの、お望みのままに」
 治りそうもない涙の膜を張った瞳が少しでも収まるようにと、そこに吸い付くように唇をつけ、ちゅ、としっとりとした軽いキスを送る。
「っ、」
 ジャンは突然のことにびっくりして、反射的に目を閉じてキスを受け入れた後、ぱちぱちと目を瞬かせた。
 そして、数秒してから、先ほどよりも瞳に涙をいっぱいに溜めてしまう。
「そこじゃねえ〜〜〜っ……ばかあ……」
 ジャンの指が俺の髪を掴み引っ張りながら、頬を膨らませて俺を睨みつけてきた。その仕草が妙に可愛くて、俺はつい笑みを浮かべてしまう。
「ふっ、ははっ……、可愛いな、ジャン」
 ーーまったく、こんなジャンの姿を見られるだけで、なんでもしてあげたくなるんだから、俺はほとほと、ジャンに骨抜きにされているらしい。
 俺はジャンの身体をぐい、と抱き寄せて、ほんのりと色づいているその耳元で低く囁いた。
「ーーーどこにキスしてほしい?」
「……っ、!」
 ジャンはびっくりしたのか、慌てて俺から身体を少し離すとその肌を赤く染める。そして、恥ずかしいのか蜂蜜色の瞳をうるうると涙ぐませながら、口元を曲げてあからさまに俺の方を睨みつけた。しかし、その肌が熟れたりんごみたいで噛り付いてくれと言っているような恋人を見て、ついつい堪えきれず口元が緩んでしまう。
 ーーあー可愛すぎるぞ、ジャン。好きな子ほど、虐めたいとはこういう感情なんだろうか。明日には覚えていないだろうが、それに乗じて録音とか、その、好き勝手してしまってる俺を許してくれ……ジャン……。
「………、くちびる……に、…して」
 お酒が入って、普段より素直になっているジャンが、ぽわんとした表情でそう言う。
「ーーうッ、」
 ずきゅん。普段とのギャップとか、あんまり見れない表情とか、あまりに魅力的なハニーに、俺は心臓がぎゅ、と痛くなった気がして、つい胸を抑える。どどど、と心臓が早い鼓動を刻んでいた。
「ーーああ、ジャンッ」
 この気持ちはなんて表したらいいのか。堪らなくなって、俺は先ほどまでに装えていた余裕などが全く無くなってしまう。そのまま、誘われるようにその唇に口付けた。
「っん、ん……っ、ふ、ぁ……」
 ジャンの口内は何故か果実のように甘くて、そして火傷するかと思うほどに熱い。背中を抱き寄せ思う様蹂躙すると、ジャンからはすぐに甘い声がこちらに漏れてきた。
「はぁ、……んっ、う……」
 すり、と舌で口内をなぞりあげると、ジャンがピクリと反応して……ああ、ヤバい。止まらなくなりそうだ。
「は………っ」
 一旦口を離すと、ジャンはくて、と俺の肩にもたれかかった。
「大丈夫か?」
「う、ン…………」
 微かに頷いた気がする。背中を優しく撫でてあげると、満足そうにふ、と息を吐いた。腕の中にある暖かい温もりに、愛しさが募る。その幸せに浸っていれば、ふっと昔のことが思い出された。
「なあ、ジャン。ちょっと昔話してもいいか?」
「 、…………」
 囁くように話しかけると、ジャンはその身体をぴくり、と反応させた。いい、という意思表示だろう。
「……昔からだが、俺は暗い場所がダメだろう?今は大分マシになったが、昔は本当に酷かった」
 ポツリ、と呟く。俺の脳裏には丁度脱獄してデイバンに戻ってきたばかりのあの時期が思い出された。
「そのこともあってね、ベッドに入って寝ようとすると、必ずと言っていいほど悪夢を見るんだ」
 ジャンのきらきら輝く髪を優しく撫でる。
「だから、いつも電話部屋で仕事に明け暮れてた。お前はワーカーホリックだって言ったけど、仕事は俺の気を紛らわせるいい道具だったんだよ」
 そう。だから、夜になっても明るい電気と電話配線の中で機械と戯れていた。それらは、何もせず、何も言わない。無機質なそれだけが、静寂を運んできてくれるような気がしていた。
「だけど、お前とこうなってからはーー寧ろ、暗闇が好きになった。それに、仕事なんかよりもお前にいつでも触れていたくなったしな」
「ジャンが俺のそばにいて、こうして体温や温もりを感じていられるだけで、何でも大丈夫な気がする……これって、凄くないか?」
 感慨にふけって、ジャンになあ?と問いかける。
「…………」
 が、返事が返ってこない。ジャンの方を見やると、すうすう、と規則正しい呼吸を繰り返しながら目を閉じていた。完全に寝こけている。
「ああ、寝てしまったか……」
 自分で言うのもなんだが、ちょっと良い話のようなものをしてたんだがな、と内心苦笑いした。しかし、問いかけたところで、そんなことねえよ、と否定されるのがオチだっただろう。俺の恋人は自分がどれだけ相手に影響を与えてきたか分かっていない。ジャンに接触してから、幹部や役員の連中もお前に夢中だというのに。
 ーーま、そんな鈍感なところも可愛いが。
「すう、……、すう……」
 流石に疲労しているところにお酒が入ったもんだから、疲れたのだろう。
 ーーーああ。
 俺の手の中で、静かな寝息を立てているその姿に、愛おしい気持ちが募る。この無防備な男は、いつまでも俺を虜にしてやまない。この気持ちをなんて表現できるのだろうか。俺は、ジャンの耳元に顔を近づけて、静かに囁いた。
「さっきの話……何が言いたかったかって、お前の存在が俺の中で全てだってことさ」
 そう言って無防備なおでこにキスをひとつ。
 ジャンをベッドに運ぶべく姫抱っこをしながら、今日くらいは良い夢が見れればいい、と心の中で小さく願ったのだった。




END

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