06




どうやら自分が借りて返そうと思っていたシャツは何処かに行ってしまったらしい。
何処か、と言ってしまうと語弊があるかもしれない。何処か、というより、メイド達が早々に片付けてしまったらしい。少女は「どうしよう」と神田を見上げたが、神田は「気にしなくていい」と優しく頭を撫でてくれたから、きっといいのだろう。少女は、引き締まった表情の向こうにある神田の優しさに小さく胸を高鳴らせていた。


「晩餐の準備が整いました。」


シャツの行方を広い城の中でぱたぱたと探していた少女に声を掛けたのはアレンだった。愛らしいワンピース姿で駆け回る少女を神田はひょいと掴まえて晩餐が並べられた広い机の向こうに座らせた。そして広げられた人間界の食べ物に少女は目を輝かせた。どれも見たことのないものばかりだ。二本の角を生やした茶色く焼きあがったもの(鶏の丸焼き)、香ばしい香りの薄い円盤に赤い実を乗せたもの(トマトのキッシュ)、血の色をした飲み物(ワイン)、甘い香りを放つ大きな海葡萄(葡萄)。目にするもの全てが興味をそそられた。この中に仲間の死骸があるかもしれない、と小さく思ったが美味しそうな香りに食欲が勝ってしまう。

テーブル向こうに座る神田が銀色の短い棒を使って食べていた。少女は自分の手元にも同じようなものが置かれているのに気付き、それが食べる時に用いるものだと理解できた。先が綺麗に光る棒と切っ先が三本に分かれている棒。どれをどう使うのだろうと眺めていると目の前に緑色の何かが出された。


「お待たせ。」


なんてラビに満面の笑みで出されたのは…。


「海藻盛り合わせ!特別にジェリーに作らせたさ!」


盛りっと目の前に出されたのはよく見る、というより風景の一部のような海藻海藻海藻で少女は口を引き攣らせたがラビに続きアレン、あまつさえ神田までが「我慢せずにたくさん食べろよ」なんて言うものだから少女は引き攣ったまま笑みを返した。


(た、食べられるは食べられるけど…)


海藻をすごく美味しそうに食べたこの時間は、少女の人生の中で色濃く刻まれた。


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若干苦しいと感じなくもなかった晩餐が終わり、少女は神田に「帰ります」と告げた。神田はそれに「あぁ…、そう、だよな」と何となく歯切れ悪く受け答えし、少女は何だかそれが嬉しく感じた(何故かはよくわからないが)。


『ううん…』

「そんな気を負うもんでもないだろ」


神田に手を引かれて夜の海へと向かった。すぐに泳ぐから、と少女はワンピースを脱いで返そうと思ったが神田がまた「脱ぐな…!!」と抑え、取り合えずワンピースは着たまま足を海水に浸からせること数分。少女の足は元の鱗が付いた美しい尾びれに戻って、いなかった。


(おかしいな、海水に浸からせれば戻るって思ったんだけど…。)


海水の浸かり方がぬるいのかもしれない。そう少女は神田の手を解いて思いっきり海へと身を沈めた。


「おいっ」


ざぶん、と頭まで入った海は今まで感じたことのない苦しさで少女を襲った。


(息が、できな、い)


おまけに海がこんなにも冷たいと感じたのは初めてだ。肌を突き刺すような冷たさに初めて寒いと感じる。息ができないのはイノセンスを舐めた時に感じた。だけど寒いなんて、海が冷たいだなんて。まるで海に嫌われたようだ。海と共に生き、海と共にあった自分を、拒絶するような寒さ。


「馬鹿…っ!」


海に恐怖を感じそうになった時、神田に思いっきり引き上げられて少女は噎せた。鼻の変な所に海水が入って鼻奥が痛い。ツンとしているし、耳もキィンと鳴っている。激しく噎せる少女を神田は抱き寄せ背中を擦る。


「お前思いっきり溺れてたぞ。」

『おぼれ…、私が…?』

「無理するな。」


取り合えず少女を抱いて砂浜にゆっくりと下した。少女は自分が溺れた事にショックを受けているようで神田は居た堪れない気持ちで一杯になった。肌に張り付いた髪を分けてやり、夜の海で急激に冷えていく体に自分の上着を掛けてやった。


(…私、もしかして…もどれ…、)

「…大丈夫だ。」


少女の中で一瞬過った考えに、神田の声が重なった。


「戻れる。」


甘い、優しいテノールに少女はゆっくりと神田を見上げた。真っ暗な闇夜に光る漆黒の髪に黒真珠のように綺麗な切れ長の瞳。薄い唇。そこからは少女の寒さを包むような優しさがあり、声だけでなく、少女は神田に抱き締められていた。広い胸板は逞しくも優しく温かい。少女はその温かさに身を寄せるようにして胸に顔を埋め、神田はそれを優しく抱きとめた。

甘いテノールが優しい。
温かい体が気持ちいい。
彼という存在が、心地いい。

何故だか、彼の傍にいれば不安が吹き飛んでいくようだった。








でも、人魚に戻ったら彼にもう会えないんだ。そう思うと溺れたみたいに苦しくなった。


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