決定打に欠く


「あ…また……。」


先月使ったものをそのまま使い回して金額だけ変えてくれればいものの、どうしてか科目をいじってくれる。
隣部署の神田さんは、どこか抜けている気がする。
私の耳に届くのは、彼がまだ新しい取引先と契約したとか、彼の改善案が通ったとか、また部署一美人の女の子を振ったとか、彼がデキるそんな話ばかり。でも、実際はというと、毎月のようにあげてくる経費フローの科目違いだったり、資料のハンコ無しだったり、記入漏れだったり、なんだか少し抜けている。他の部分はまったくミスはなく、変な凡ミスをする。噂で聞くだけなら、こんなミスしなさそうな人なのに。


「隣部署行きますけど、何か持って行くものありますか?」

「あ、じゃぁこれ神田さんに渡してもらっていい?」

「わかりました。」


先日神田さんが提出してくれた資料の原本。社判が必要だったからうちの部署で一旦預かったものだ。…この資料にはミスはない。なにこれ。もしかして私がこなす仕事だけミスしてるの?…舐められてんのか…?いやまさかね。噂で聞くあの人がそんな面倒なミスするわけがない。
受け取った資料と、私が担当した判子無しの資料を持ち、隣部署へと顔を出す。ちょうどお昼時もあり、その部署には神田さん本人しかいらっしゃらなかった。良かった、神田さんお昼まだだったんだ。


「神田さーん。」


カウンターに顔を出せば、かたかたと鳴るキーボードの音が止まり、パソコンの画面からゆっくりと切れ長の涼しい目が私を見付ける。その位置から動きそうもないのを察し、私はカウンターを横切り、神田さんの元へと歩いた。


「これ、先日の資料原本です。社判押しときました。」

「…ああ、どうも。」

「それと、こっちは神田さんの判子抜けてます。」

「…あぁ…、」

「あと経費のやつ。切手の科目は消耗備品じゃなくて、通信費です。」

「そうなんですか。」

「そうなんです。あ、こっちで直しときました。」


すみません、と小さく言った神田さん。
必要最低限なことしか喋られない神田さん。こんな人がどうやって営業やってるのか全然想像つかないけれど、でも実績はある。つまりは無駄なことはせず、必要最低限のところで最大限デキるってことだ。そんな人がどうして科目間違えたり、自分の判子押し忘れたりするんだろう。他の人からそんな凡ミス全然聞いたことないのに。(そんな人がこんな凡ミスするなんてちょっと恥ずかしいだろうから誰にも言ったことないけど)

ふと、彼と目が合う。
渡した資料から顔を上げると、彼が私の顔をじっと見ていたので、なんでしょうか?と小さく微笑めば、ぱっと目をそらされる。………なんじゃい、ちくしょう。


「いつもお手を煩わせてすみません。」

「いえ、とんでもないです!仕事ですから。」


そう思っているのなら提出する前に確認して欲しいものだ。でも、デキる男神田さんがそんな小さなミスをしてそのミスを握っている自分はなんだか気分がいい。皆が思ってる神田さん実はこんなミスしてるんだよーっていうネタを持っている自分に内心びくびくしてるんじゃないかと思ってる神田さんを妄想するのが楽しい。我ながら腐った性格だ。


「お昼、いかれないんですか?」


誰もいない部署を見渡して神田さんに振り返る。
神田さんはまた私を見ていた。


「そろそろ行きます。もう少しで区切りいいので。」

「次の会議資料ですか?頑張ってくださいね。」


にっこり笑えば、神田さんはまた私をじっと見詰めた。
…たまに、こういう事がある。例に限らず何度か、隣部署まで行かなければ直せない資料を抱えて神田さんの元へ行き愛想程度に笑っていると、その顔をじっと見詰める神田さんがそこにいる。目が合えば、何もなかったかのようにぱっとそらされて、またつまらなさそうにキーボードを叩くんだ。………なんじゃい、ちくしょう。
でも、今日の今、神田さんは私をじっと見詰めて放さなかった。
あ、あれー?どうしたのかな。とこちらも負けじと口角をあげたまま首を傾げていると、薄い唇がゆっくりと動いた。


「いつになったら、気付いてくれますか。」

「…何をですか?」

「俺がわざわざ手回してして貴女がここに来るように仕向けていること。」

「…あの、なんのことです…」

「全部言わなきゃわかりませんか。」


ん…。
あれ、なんだこれ、私怒られてる…?のとは、ちょっと違うような、あれでも、怒られているような……?


「俺があんなミスするわけがないだろ。いつもへらへら笑いやがって…。」

「え、あ、あの、すみません、私なんだかすごい気に障るようなことしちゃって…」


まずい、なんだかよくわからないけれど、でもすごい怒られている。と思って浮かべていた笑顔を引っ込めると、神田さんはぎゅっと眉根を寄せてまたパソコンをかたかた叩いた。たんっ、と力強くエンターキーが押される。びくっと肩を揺らせば、神田さんはゆっくりと立ちあがり、目の前の私を威圧的に見下ろした。


「…誰にでも同じいい顔向けられるより、そっちのびくびくしてる方がまだいいな。」

「………えーっと…。あの、私すごいドS発言を聞いているような気がするんですけど。」

「お昼は。」

「え?」

「お昼、食べましたか。」

「い、いえ、私はまだ。あの、これ渡したら、行くつもりだったので。」

「なら、行きましょう。外で食べに行きましょう。」


えーと、私は怒られていたのでは?いやお昼という名目の説教タイム?え、うそ、説教はオンタイムでお願い致します。というか、私あなたに叱られるとかハンカチ無しじゃ堪えられないんですけど。


「怒られるとか思ってますか。」

「違うんですか…?」

「………」


ぐぐっと険しくなる顔に、違うの!?そんな顔しといて叱らないの!?いや叱られたくも怒られたくもないけど!!


「抜けてるのもいい加減にしろよ…」


ぼそり、と呟かれた言葉にいやいや抜けてるの貴方だからね!判子とか科目とか!こっちがいい加減にしていただきたい!思わずムッとなって睨めば神田さんはいつもへらへら笑ってる私がそんな顔をしたのが意外だったのか、目を丸くさせたあと、へぇ、と楽しそうに笑った。
う、わ、なんだその顔。いかにもどう転んでもそちらが優位にしかならない状況を楽しんでる笑みは、営業の、顔なのか…!!


「アンタは少し、自惚れた方がいい。」

「は…?」


机の資料の上に神田さんが手をついたのを見てまた顔を上げると、すぐそこに神田さんの顔があった。びっくりして後ずさる前に神田さんに手首を取られる。何をされるわけでもなく、優しく手首を掴まれた。(手、大きい。)それ以上、私が距離をあけないように。


「お昼、行きますよね。」

「え、えっと…」

「決まり。先、外で待ってますから。」

「えっ、ちょっと!」

「来ないと判子押しませんから。」


なんて言い残して神田さんは颯爽と部署を出ていった。足が長いから歩くの早い。
…いや、そうじゃなくて。
な、なんだったの、今…。
掴まれていた手首を胸にあてて、私は首を傾げる。


「…判子押しませんからって…、その資料仕上がらないと困るの神田さんじゃないですか。」


やっぱり、彼はどこか抜けている。



決定打に欠く


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