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失礼ながらもその場で手紙を読ませてもらって神田は今更ながら自分が何のためにこの国に来たのかを思い出した。そう、自分は。手紙から顔を上げれば困ったように笑ってる、この姫に、自分は縁談を申し込みに来たのだ。


「マナに帰るの?」

「…はい。『帰ってこい』とだけ…。」

「…そう。」


忘れていた。彼女という人物に引き込まれ、彼女がどんな人間なのか知りたくて、何をその目に映しているのか、知りたくて。自分が『縁談を申し込みに来た立場』というのを、すっかり忘れていた。手紙に書かれたその一言に、たった今、自分の肩書きを思い出した気分になった。


「みんな寂しがるわ。」

「……………」


そう呟いて再び馬を歩かせたナマエに、掛ける言葉が見付からなかった。
その背中は何を思っているのだろう。姫は、自分がマナに戻ると聞いて、どんな気持ちを持ったのだろう。



††††††



神田がマナに帰る準備はすぐに終わった。
荷物はいつも最低限で済ませているし、移動手段も馬だ。大きいトランクがあるわけでも汽車のチケットを手配する必要もない。自分が出ようと思えばいつでも出られる。神田に用意された部屋だって特にあれこれ使っていたわけでもないから片付けもいらない。マナに戻る前に必要なのは、世話になった人への挨拶くらいだろうか。

しかし…挨拶を済ませてマナに帰る?それだけなのだろうか?結局王子の『姫を落とす』もとい『縁談を成立』させる命は果たしていない。しかし手紙には一言『帰ってこい』とだけ。姫を落としたこと前提で帰ってこいと言っているのならそれはまだ帰れない。

しかし縁談よりも重要任務が入ってきた、とか、城で何かあった、とかならば話は別だ。それとも、姫と縁談を進める必要が無くなった…とか。手紙には一言帰ってこいとしか無かった。こういう訳だから、という理由らしい理由もなく、ただ戻れと。王子の帰ってこいとは、一体どういう意味で何があったのか…。


「神田様?入ってもいい?」

「あ、ああ。」


窓の外は十分暗くこんな時間に女性を部屋に入れるべきではないとは思うのだが、そこら辺の感覚もだいぶ鈍ってきているなと神田は返事をした後に思った。扉は返事の後すぐ開けられ、夜着であるワンピースを着たナマエが入ってきた。ナマエはまとめられた神田の荷物を目に入れ、神田の元へと上げた足をゆっくりと戻した。


「…帰る準備は終わったの?」

「ああ。明日の朝に発つ。」

「そんなに急に?」

「『帰ってこい』って書いてあったからな。」

「…何もお構いができてないわ。」

「そんなに気を使わなくていい。」


急に訪ねて来たのはこっちだし、急に来たわりにはそれなりの待遇を受けさせてもらった。ナマエは立派に客人を持成せていた(色々やらされたりはしたが)と神田は微かに目を細めた。


「トリシャも、ティモシーも残念がってたわ。」

「そうか。」

「うん。」

「………」

―姫は、姫は俺が帰って…


何を言おうとしていたのか。でも確かにそんなような言葉を口に出してしまいそうになっていた。
再会したナマエは神田に『自分惚れさせることができたら縁談を受けてもいい』と言っていた。そんな彼女になんて女だと思った反面、一国の姫としての一面を見た。そしてナマエと言葉を交わし、触れ、同じものを見て、感じて。神田はここに滞在して彼女をもっと知りたいと思った。牛の出産に立ち会うわ、学校に通っていたわ、泥棒を助けるわ、一国の姫として考えられないような事をする彼女だが、誰よりも国と民を愛する心優しい姫だった。
ナマエはどうなのであろうか。自分がエスメラルダにいた間、自分をどのように見て、どのように感じたか。ナマエは自分をどう思っているのであろうか。


「手紙を書くわ。」

「…ああ。」

「返事、ちょうだいね。」

「…なるべく。」

「絶対よ?」

「……頑張る。」


神田の返事にやっとナマエが笑った。しかしそれはたったのニ、三秒程。


「明日早いのよね、ごめんなさい。こんな遅くに。」

「いや、あまり眠くなかったからちょうどいい。」

「そう、良かった…。じゃぁ…、おやすみなさい、神田様。」

「ああ。」


静かに閉じられた扉に、神田は少しの間を置いてゆっくりと息を吐いた。体内にある酸素を全て出すように、ゆっくりと、深く。しかし吐き出したはずなのに胸はずしんと鉛をつけたように重たかった。

あれがここにいる最後の夜の会話だと思うととても虚しい。けれども、それが答えなのだろう。ナマエが、神田に応える答え。

何も無かった。
そう、何も無かったのだ、自分とナマエには。

この縁談は王子が持ってきた話であって、決して自分が望んだものではない。後ろ盾のない自分にそれを作ろうとして持ちかけられた話。元々断ろうとしていた話だ。姫も自分も。

何も無かった。そう、始めに戻るだけだ。また王子に仕えて、王子の駒になる。最初に戻るだけだ。戻るだけ。


それなのに、


どうしてか息苦しいほどに胸が重い。



貴女と私の


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