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「それじゃあね、ナマエ様。またお茶を飲みに遊びにいらしてね。」

「ありがとう、必ず行くわ。気を付けてね。」


そう言ってナマエは焼き立てのフランスパンを持った老婆を見送った。見えなくなるまで見送ればエプロンの紐を揺らしてナマエは神田に振り返り、老婆の買い物が終わるまで大人しく口を結んでいた神田に「ふっ…」と口元を押さえて肩を震わした。


「…ふふっ、…あははっ!」


急に腹を押さえて笑ったナマエに神田は眉を寄せて、ナマエはすぐに「待って、違うの」と笑いを堪えていた。神田には何が違うのかまったくわからなかったが、ナマエは笑ったことに気を悪くしないでと言いたかったようだ。


「ごめんなさっ、…あっ、で、でもっ、神田様がっ、買い物カゴ持ってるなんて…!ふふっ」


と言われて神田は片手に下げているカゴにしまった、と小さく肩を落とした。やはり軍服の軽装に買い物カゴは不恰好だったようで、ナマエは一通り笑いに笑って息を整えていた。

……笑ってやるのはきっとこちらの役目なのだろうな、と神田は眉を寄せながら思った。本来なら、姫がパン屋でアルバイトをしている姿をこちらが笑うか諌めるのが普通なのだろうが、如何せん自分は姫のように素直に笑うという感情を何処かに落としてしまっている。なぜかこちらが笑い者だ。


「ふふっ、…でも買い物カゴを持った神田様、素敵だわ。」


一頻り笑ったナマエは笑い涙を拭って神田に向き直った。笑いながら素敵だと言われても説得力に欠ける。神田は鼻で笑った。


「どこが…。」

「あら、素敵よ。」


鼻で笑った神田の嘲りをナマエは真っ直ぐと見つめた。

それは昨日、美しいと感じた彼女の瞳だった。混じりけのない、純粋な輝きを持った美しい瞳。


「………、」

「その買い物カゴ、トリシャにお使いを頼まれたのかしら。」


彼女の瞳に柄にもなく目を奪われて、神田は夢から醒めたような感覚でポケットに入れたメモを取り出した。ナマエはそれを受け取り、目を動かすと「あぁ、いつものね。」と慣れた様子でメモに書かれたパンを用意して紙袋に詰めた。


「今日は朝食を一緒にとれなくてごめんなさいね。」

「いや…。」


こちらこそ寝過ごしてさっき起きましたなど死んでも言えず、神田はただ首を振った。ふっくらと美味しそうに焼き上がったパンを入れた紙袋から長いフランスパンが出たものを神田は受け取り、代金を支払う。あとは屋敷まで無事戻ればお使い…いや、任務終了だ。


「神田様、このあと用事ある?」

「…特に。これをメイド長に渡したら素振りとか考えてた。」

「なら一緒に帰りましょ。私もう上がるから。店長ー!私上がってもいいですかー?」


そうナマエは言ってエプロンの紐を後ろ手でほどき、カウンター奥の部屋に向かって声をかければ奥から店主らしき主人が「いいよー。お疲れ様ー。」と顔を出し手を上げた。上がってもいいようだ。ナマエは主人に「お疲れ様です」と小さく頭を下げると神田の手を取って店を出た。


「神田様、お昼は?」

「これから適当に食う予定だ。」

「なら城下で何か買って食べましょ。お使いのお釣りがあるでしょ。」


とナマエはにっこり笑った。ナマエの笑顔と、白く小さな温かい手に取られて神田の胸は一瞬小さく高鳴る。彼女の行動にいちいち驚いていたら心臓がいくつあっても足らない。そう思っているのに、この心臓はこの国に来てからどこかおかしい。姫が自分に笑いかけるたびに、触れるたびに、

どこか温かくなれる。








ナマエに手を引かれ城下を歩くとそこには色んな店が建ち並んでいた。八百屋、果物屋を始め肉屋や土産屋までもある。店先で手を叩いて客を呼び込む主人、立ち寄る客、世間話をする主婦達。目の前を元気よく走り回る子供達を見送って神田は少し驚いた。勝手に失礼ながらこの国は田舎だと感じていたのに、この場所は人に溢れ、マナの城下に負けず劣らずの賑わいを見せている。


「…賑わってるな。」


そう呟くとナマエは嬉しそうに頷いた。


「えぇ。エスメラルダは土地はあるけど国土面積の殆んどが山や農場になってるから、民家や商店は小さくまとまってて皆ここに集中するの。だから皆、とっても仲良しよ。」


皆、楽しそうでしょ?とナマエは言った。まるで自分のことかのように話すナマエからはこの国を心から愛しているのが見て取れた。ナマエにとってこの国は、自分そのものなのだろうか。こんな、まだ子供とも言える少女が…、と隣に立つナマエを見下ろすとナマエは真っ直ぐと先を見ていた。


「……………。」

「…姫…?」


初めて見た表情の読み取れないナマエの瞳。一点を集中するかのように見つめるナマエの視線の先が気になり、神田もその視線の先を見た。人と人を分けて見えたその先は、瑞々しくごろごろと果物がたくさん並んだ果物屋だろうか。


(…子供、か?)


いや、その店先に立っている草臥れた外套を頭からすっぽりと被った小さな人だ。背丈を見ると子供だろうか。フードを被っているから顔が見えない。明らかにこの国の者じゃないという風体にナマエは何を見ているのだろうか。そうその外套の小人を見ていると、小人は店先に並んだ真っ赤に熟した林檎を手に取り、店主が他の客と話している背中の後ろで、それを袖にごろりと流し入れた!


「!」


ナマエがその光景に目を見張り、外套の小人が勢いよく走り出したのを見た瞬間、小人は袖下の林檎を落として地面に勢いよく倒れた。


「神田様…!」


いや、神田がすぐにその手を取り押さえ、地面に押さえ付けたのだ。

その素晴らしく早い一連の動きに周りで楽しく買い物をしていた人々は何事かとそれを見た。きっと神田の働きを全部見たのはナマエだけだろう。しかし見たと言っても神田の早い動きにナマエの目は追い付かなかったのたが。神田に押さえつけられた小人の顔をナマエが覗き込もうとした時、小人からくぐもった声が聞こえてナマエは慌てて神田の元に駆け寄った。


「待って、神田様っ」


背中に足と体重を乗せ、林檎を盗った小さな手を押さえて動きを封じている神田の手にナマエは首を振った。


「姫、こいつ…」

「わかってるわ、でもちょっと待って。この子…、」


地面にごろりと転がった林檎を顎で指したが、ナマエは大丈夫と笑って小さな盗人の前に座って、大きめのフードを少しだけ持ち上げた。


「子供だわ。」

「さ、触んなっ!!」


ナマエの言う通り、フードを少し持ち上げれば子供特有のくりくりとした大きな、生意気そうな目が見えた。こちらに吠えた小さな口からは可愛らしい八重歯を見せ、フードから出ている髪の毛は短く切ってそのままなのだろうか、中途半端にツンツンと跳ねているが触ったら柔らかそうだ。声変わりはまだ少し遠そうだが、男の子のようだ。


「きみ、名前は?」

「っ誰が言うかよ!」


摘むようにして持ち上げたフードを触るなと言われナマエは手を離した。フードはぽすんと男の子の頭に落ちてまた顔を隠した。


「言わないと私が勝手に呼ぶよ?」

「な、なんてだよ…。」

「うーんそうねぇ。ぶかぶかのフード着てるから「ぶかぶかフード」ってのはどう?あ、それとも「ぶかフー」の方がいいかしら?あ、でも「ぶーちゃん」もいいかも…、」

「ティ、…ティモシー!」


楽しそうに少年に変な名前を言っていくナマエに耐え兼ねたのか、少年は声を上げて、ナマエはそれににっこりと笑った。


「ティモシー?」

「オレの名前…だよっ」

「ティモシーね。何よ、かっこいい名前があるじゃない。」


そう少年は、ティモシーは言われて照れ臭そうに口を引き垂れた。しかしそんなティモシーに今の状況を忘れるなとばかり神田が腕を強く絞めてティモシーの顔が痛そうに歪んだ。


「駄目、神田様。」

「しかし姫、」

「お願い。ティモシーと話をさせて。」


そう優しげに微笑まれた…。
辺りは何があったのだと人が集まり、姫の姿と取り押さえられた子供に不安げな視線が集まる。流石に気まずくなったのか、神田はティモシーに念を押すように一睨みしてから腕を緩め、ナマエとティモシーから少し下がった。ティモシーは逃げずに、地面に尻をつき、ナマエの前で足を広げて座った。姫の御前うんぬん人としてどうか考えさせられる生意気な態度に神田は眉を寄せる。

しかしそんな神田を余所にナマエはティモシーの外套についた土埃をその手で払うという寛大を通り越した行動。物を盗んだという自覚はあるようなティモシーはそんなナマエに居心地悪く口を尖らせていたがナマエは気にしていない様子だった。


「やだ、ティモシー…。額、擦っちゃってるわ。」

「は!?」

「血が…、ちょっと待って。」

「ッ!」


とナマエがバイトで使った三角巾を取り出した瞬間、ティモシーがひどく焦った顔を見せたのを神田は見た。ナマエは真っ白な三角巾をたたんで、フード下から垂れている砂混じりの血を拭おうとフードに手をかけた。その時だった、


「やめろっ!!」


バシンッ、と乾いた音がしてナマエの手が弾かれた瞬間にティモシーとナマエの間に銀色の閃光がギラリと光った。

乾いた音に間無くして聞こえたのは風の音で、


「ガキ、いい加減にしろ。」


全身に鉛を付けられたかのように感じる、低く、恐ろしい神田の声だった。ギラギラと光る神田の愛刀がティモシーの頬すれすれにあった。


「ガキのくせに盗みに、知らずとは言え姫の御前での無礼な態度、しかも姫の手を弾くとは…。マナだったら重罪…、」

「神田様、」


ティモシーの呼吸が「ひっ」と引きつった時、ナマエの声が静かに響いた。


「剣をおさめてください。」


先程の神田の声とは違う、また重みのある声音だった。威圧が含まれている。しかし神田はティモシーへの切っ先をおさめず、ナマエはいつの間にか背筋をぴんと伸ばし、改めて真っ直ぐ、神田を見上げた。


「おさめなさい。」


短くもはっきりと言い放ったナマエに神田は切っ先を揺らした。ナマエは三角巾で剣の切っ先を押さえてティモシーから下げた。するとティモシーは恐怖という緊張から箍が外れたように、大きな声で泣き出した。


「ぴ、ぴえぇえええぇぇええ!!」

「ごめんねティモシー…。びっくりしたよね。」


ナマエはそんなティモシーを優しく抱き締め頭を撫でた。ティモシーが泣き顔をナマエの肩に埋めるとナマエはティモシーをそのまま抱き上げて立ち上がった。

お世辞にも綺麗な格好とは言えないティモシーの外套の汚れなど気にせずナマエはティモシーを抱き上げ、神田に少し悲しそうな瞳を見せてから踵を返した。


「先に、屋敷に戻ります。」


神田はそんなナマエの後ろ姿を、立ち竦んだまま、見送った。





胸が痛む、彼女の、


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