12



「神田様、コーヒーに砂糖とミルクは?」

「いや、いらない。」

「ブラック派なのね。ふふっ、見たまんま。」


こ洒落た喫茶店でナマエと神田は昼食をとっていた。店主は神田を見て、姫の客人ということでコーヒーとデザートを無料でサービスしてくれた。その気前の良さに神田はなんだか居心地が悪そうに座っていたが目の前でコーヒーのおかわりを頼むナマエを見てやっとコーヒーに手を伸ばしたのだった。それにしても、と神田はナマエの回りにある紙袋を見つめる。結構大きめな紙袋には取れたての野菜や果物がごろごろと入っている。買ったのではない、全て貰い物だ。街に入るとナマエは会う人々に声をかけられ何かしら貰っていて、その内紙袋を二つを抱えていたのだ。(もちろん紙袋は神田が持ったのだが)

好かれている、
いや、愛されている、と感じる。

この姫は国民からも、動物にも、まるでこの国に生まれて姫になるために存在するかのような。荷物を持ってあげている時、「滅多にこない国外のお客様に皆歓迎してるのよ」と言っていたが…、これは間違いなく姫の人徳と言っていいだろう。と、また誰かから果物をもらっているナマエを見た。少女が形のよいエスメラルダマンゴーをナマエに手渡している。少女とナマエは一言二言会話した後、手を振って別れた。


「神田様はマンゴーお好き?」

「…甘いものは、」


と神田はデザートに出されたケーキをナマエに差し出す。ナマエはくすり、と笑ってマンゴーを紙袋に入れた。


「本当見たまんまね、甘いものが苦手なんて。でも、うちの国の果物はびっくりする程美味しいんだから。」


後でマナ国の人にでも送ってあげるといいわ、と言ったナマエに神田は(それはすごく…ありがたい。)と銀髪の少年の喜ぶ顔を頭に浮かべた。しかしこのいっぱいになった紙袋の食べ物だって、あの銀髪にかかればほんの10分で食べ終わるだろうな、と思った。そしてそんな王子を信じられない、とばかりにラビはげんなりと見つめるに違いない。と思ったところで神田はコーヒーを置いた。そういえば、ラビは大丈夫だろうか。別に彼に心配しているのではない。彼に与えられる仕事を心配しているのだ。自分がいない間、自分の師団の仕事は全てラビがやってくれることになっているが…。
自分の仕事は王子から直接もらうのが大半を占めるから大概は変な…いや、変わった任務が多い。それは不貞輩を討伐から孤児院の雨漏り直しまで。今じゃ当たり前にこなすが、初めて任務をもらった時は疑問ばかりだった。かれこれ王子に仕えてから4年経つが、今でも王子から貰う任務や王子の考えはさっぱりだ。


(いや、初めて王子に会った時から、アイツの行動はサッパリだ…。)


砂糖もミルクも入れていないブラックコーヒーを神田は見つめた。真っ黒なそれは自分の髪よりも真っ暗で、ずっと見ているとそこに落とされるような感覚になる。

黒く、暗く、何もない、


あぁ、こんな色どこかで…、


どこかで、

























それは真っ暗な空だった。
あまりにも暗すぎて、空が今にも堕ちてきそうだ。


(…雨が、止まない。)


雨、雨、雨、雨が降りしきる寒い夜。


街灯なんて、この貧困街にはない。光りなんてない。明日なんてないから。むしろ明日ってなんだ。明日ってなんだったか。あす…?アス?あした?アシタ?

つい最近孤児になった俺には、もう明日が何なのかわからなかった。



「…孤児……、」


両親、親戚、保護者のいない子供のこと。


その時の俺はまさにその定義にはまっていた。


「…ち、ち、うえ…、」


両親は殺された。親戚も。

俺を引き取ってくれる大人もいなかった。大人は俺が邪魔だった。…違う、俺の名前が邪魔だった。だから両親は殺された。


「は、は…うえ…、」


頼る人も、人に頼る精神も持っていなかった俺はただ、父からもらった剣を片手に路頭に蹲っていた。頬に伝う雨も、濡れて滴を落とす前髪も、重くなった服も、どうでもよかった。泣いては、ない。両親を殺されたのに涙を流さないのはおかしいだろうか。しかし出ないもの出ないのだ。だけど苦しかった。降りしきる雨で呼吸がしづらい。

寒い。苦しい。寒い。寒い。暗い。


「……………………、」


ふと、雨が止んだ。


違う、傘だ。
目の前に足が。この薄暗い路地裏には不釣り合いな綺麗な衣装を纏った、女みたいな、顔をした、少年。灰色の髪、いや、銀色の髪だ。華美な衣装が濡れるのを気にせず俺に傘をさして見下ろしている。後ろから赤髪の隻眼、俺と同い年ぐらいの男が銀髪の少年に傘をさしてあげている。アイツは見たことがある。確か、第一王子の懐刀…、隻眼のラビ。なら、俺に傘をさしているこの銀髪は…、


「神田公爵家の一人息子、神田ユウですね。」


銀髪の女みたいな少年は言った。
声変わりもまだ終えていない中性的な声は久しぶりに聞いた柔らかな声音だった。冷たく降り続ける雨が優しく聞こえてきた。だけど冷たさは変わらない。


「…もう、公爵じゃねぇ。」


自分でも驚くほど掠れた声だった。それはそうだ。かれこれ何日も飲まず食わず…いや、雨を口に含んだな。俺には店の物を盗む気力も腐った根性も持ち合わせてなかった。盗みなら、飢え死にした方がマシだ。


「神田公爵の葬儀後、だいぶ貴方を探しました。」

「……ハッ、第一…王子、様直々に、ご苦労なこった。」

「僕がわかるんですか…?」

「後ろに控えてる…懐、刀を見たことがある。」


パサパサに乾いた喉でうまく喋れない。それでも王子は気にした様子もなく、「あぁ、」と言って隻眼のラビを一瞥した後、それならば話は早い、と俺に細い、白魚のような手を差し出した。なんだ、と俺はその手のひらを見つめた。それと同時に、目が焼けるように熱くなった。後ろで赤髪が携帯用の灯りをつけたのだ。眩しい、光りが、黒に、白が、眩しかった。


「僕はマナ国第一王子、アレン・ウォーカーです。王に代々仕える神田公爵家一人息子の貴方を迎えに来ました。」

「…なんの、真似だ…。」

「神田、貴方のその剣で、僕を守ってくれませんか?」



僕はこの国を、変えたいんです。

あなたの全てを奪ったこの国を、変えたいんです。



確かに王子はそう言って、何日もろくに食べていない俺の体を引き上げた。よろけた俺の体は女みたいに華奢な王子の腕に支えられ、後ろから厚手の外套を赤髪にかけられた。





雨が、止んだ気がした。





††††††




「神田様?」


さらり、と絹糸のような髪を揺らして首を傾げたナマエに神田は我に帰った。コーヒーを片手に、随分昔の記憶が掘り出されたようだ。


「どうかした?…疲れた?」


と心配そうにこちらを見るナマエに神田は慌てて首を振る。


「…いや、なんでもない。」


ただ、昔を思い出していただけ、あまり、よくない思い出だが。しかし自分はあの出会いが無ければここにいなかったし、あの王子に会わなければこうして彼女と昼食を取ることもなかった。相変わらず何を考えて自分と彼女に縁談の話を(勝手に)持ち込んだかはわからないが、この時間は確かに、王子が作ったものだ。


「本当に疲れてない?無理してない?」


大きな瞳をぱちぱちと瞬かせ、顔を覗いてくるナマエに神田は頬を染めた。(…ち、近い…。)「本当になんでもない、大丈夫だ。」と言ってもナマエは「本当に!?嘘じゃない!?」と顔を近付けて来て、「ほ、本当だ…!本当に大丈夫ですから…!!」と言えばやっとナマエは席に腰を下ろした。


「…そう。ふふ、良かった。」

「…?」


嬉しそうに胸を撫で下ろしたナマエに神田は眉を寄せ、そんな神田にナマエは微笑んで席を立つ。神田は大きな紙袋を一つ二つ抱えようとしたナマエの手を止めて、紙袋を軽々と持ち上げた。ナマエは「ありがとう、」とまた微笑んで、店の奥にいる店主に「ご馳走様」と言ってから店を出て、神田も後ろについて行く。


「疲れていないなら、もう少し、私に付き合ってくれる?」


そう馬の手綱を持って歩くナマエの後姿に神田は首を傾げる。まさか…、本当に午後は乗馬でもやろうとでも言うのだろうか、そう呆れと不安に満ちた目でナマエの後に付いて行くこと数十分くらい。二人は街の開けたところに着いた。そしてそこには…、


「……!」


神田の目の前には草原の上に大きなテーブルと、真っ白なテーブルクロスの上に置かれているたくさんの料理が。これは…、と口を開くよりも先に、どこからか街の人達がわらわらとやってきて、いつの間にか持っていた紙袋も持ってかれて、代わりにシャンパングラスを持たされて、さぁ乾杯しようか、そんな流れになっていた。


「マナ国みたいに盛大なパーティはできないけど…、」


そうグラスを持つナマエの近くには先程ナマエに野菜やら果物を渡していた街の人達で、もっと言えば学校の子供達もいて、まさか、今日はこれのために散歩やら昼寝やらしていたのだろうか。


「ようこそエスメラルダへ。エスメラルダの国民を代表して、心から歓迎するわ、神田様。」


かちん、と手元のグラスとナマエのグラスが重なって可愛らしい音を立てた。すると周りにいた街の人達一斉グラスを上げて「ようこそ!」「いらっしゃい!」などと声が飛び交った。微かに、じんわり、しかし確かに神田の胸を温かくするものがあった。それはあの日あの時王子に引っ張られた感覚にどこか似ていたが、どこか違う感覚。厚手の外套を後ろからかけられたわけじゃない。でも確かに、体の内側が温かくなっていくのがわかる。


グラスの水が空の青さを映した。

空を仰げばどこまでも澄み渡る青い空。


青い、空。


別に初めて見たわけじゃないのに、初めて青空を見た気がした。


(…あぁ、空が……、)






あんなにも高い。





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