08





爽やかな朝日が神田の白い頬にさした。

眠気と眩しさに神田はうっすらと目を開けていつもと違うベッドに首を小さく傾げたが、外から鳥(おそらく鶏)の声が聞こえてここがエスメラルダ国の屋敷だということを思い出した。肩に掛かる髪を掻き上げて欠伸をかみ殺し、神田は窓を開けた。柔らかな朝日と草の香りと共に彼女の声が聞こえる。


「ふふ、お前はいい子だね。」


窓のすぐ下、優しい顔で馬にブラッシングをしているナマエを見つけた。(ってあれは俺の馬…。)神田の馬は気持ちよさそうにナマエからのブラッシングを受けていて城では暴れ馬で有名な自分の馬に溜め息をつく。城の厩務員に見せてやりたい。


「ん?どうした?」


まるで借りてきた猫(いや馬だけど)以上に馬はすんすんと鼻を鳴らしてナマエに甘える。


「あっ…ちょ、ぁははっ」


甘える。


「も、…くすぐった…いっ」


甘える。


「ふっ、ははっ」


(甘 え す ぎ だ ろ !!)(っていうかなんだその人畜無害な瞳!!)


あの馬のあんな穏やかな眼を見たのは初めてだ。神田は窓枠がミシリと音を立てるまで力を入れた。馬はそんな神田の苛々とした気配に気付いたのか先程の瞳を仕舞い、いつも通りの目をこちらに向け、ナマエも馬につられるように神田へと目を向けた。ぱっちりとした瞳がこちらを見上げる。


「っ…、」


まだ朝早いであろう時間でもナマエの瞳ははっきりと開いていて少し驚いた表情をした神田を見ると、花をまき散らしたかのようにふわりと笑った。


「おはよう、神田様。」

「お、はよう、ございます、ナマエ様。」


きっと寝起きだからうまく声が出ないのだ。なんて自分に言い訳をして神田は乱れた衣服(と言ってもメイドから渡された借り物の寝衣だが)を慌てて整えた。


「ゆっくり寝れたかしら。着替えたら朝食を一緒にとりましょう。」


トリシャに着替えを持って行かせるわ、そう言ってナマエは馬の綱を引いて(多分)厩へと行った。いつもと変わらない(と言っても数日の付き合いだが)ナマエに神田は悔しいような恥ずかしいような複雑な感情を抱いた。(思い返せばなぜ自分はあんなに早まったのか自身の首を絞めたくなるのに。)きっと王子に話せば「よくやりましたね。あなたにしては上出来です。」と言うだろうが自分からしたら早まった自殺にしか思えない。ラビが頭の中でニヤニヤしててうざい。


「あれでも姫様は恥ずかしがってますよ。」


恥ずかしがっている?どこがだ。
昨日、自分が縁談を申し込んだことなんて絶対忘れてる違いな……


「………………、」

「おはようございます。神田様。」


着替えをお持ちしました。と現れたのはメイド長のパトリシア。先程ナマエが言っていたトリシャだ。トリシャは着替えをベッドの上に置くと部屋の窓という窓のカーテンを開け、部屋を朝日いっぱいにした。


「縁談のお話をしてくださったのでしょう?」


慣れた手つきでカーテンを縛ってトリシャはにこやかに言う。そう。そうなのだ。自分は昨日、ナマエ姫に縁談の申し込みをした。(その前にやんわりと断られたにも関わらず。)気が付いたら口が縁談を申し込んでいたのだ。あれは自分の意思じゃない。きっと俺の"口の意思"だ。きっとどこかで勝手に俺の口が意思を持ち始めたのだ。それしか考えられない。それが違うのならばきっとあの王子のせいだ。あの王子のことだ。絶対に俺の体に薬か何かを盛ったのだ。(前から手癖が悪い奴だとは思っていたが、ついに薬までにも手を出したか。)あの王子が何を考えてるのかさっぱりだが絶対俺の後見以外にも何か考えているに違いない。


「何を今更。王家の結婚には政略は付き物ですよ。」


それはそうだが、俺はあの王子の手の裏を味方にも見せないところが気に食わな…


「…………………………、」

「早く着替えてくださいな、姫様がお待ちですし、お部屋の掃除もできませんから。」

「……あ、あぁ…。」


やはり苦手だ。この女。と神田は思いっきり顔を顰めればトリシャはにっこりと返してきた。姫が変わり者ならば仕えているメイドも変わり者だ。(いや、変わり者というレベルではなさそうだが。)神田は着ていた寝衣をばさりと脱いで出された着替えに腕を通した。しっかりとアイロンされたワイシャツだった。



††††††



「観光って言ってたけど、この国のどこを観光するつもりなの?」


やはり恥ずかしがっている様子というか昨日自分が縁談を申し込んだことすら忘れているようなナマエが言った。今日は天気がいいから朝食は外で食べましょう、とナマエに言われてテラスで朝食をとることになったが案外悪くはない。よく手入れされた花壇と植木に囲まれ、すべてエスメラルダ産の食材で作られた朝食はマナ国の朝食よりも豪華かもしれない。


「この国に観光する場所なんて…この屋敷ぐらいしかないと思うんだけど。」


この城は屋敷で公認らしい。神田は(確かに…)と屋敷を見つめて改めて王子の無理矢理さに溜め息をつきたくなった。その時、朝食の置かれたガーデンテーブルを挟んで座る正面のナマエがクスクスと笑った。


「ふふっ、冗談よ。観光なわけがないわよね。この国で観光客が来るのはお祭りの時ぐらいだもの。」

「祭り?」

「えぇ。隣国と毎年お祭りをやっているの。結構大きなお祭りで…、今は全然その時期じゃないのだけどね。」


お祭りの前は人が一杯になるのよ、とナマエは楽しそうに笑った。隣国と合同のお祭りか。はて、隣の国は何の国だったか。(こういうのが王子に馬鹿と言われるのだろう。)


「ねぇ。」


自分の頭の中で自分の小さな地図を開いてエスメラルダの隣を思いだしていると朝食を一通り食べ終えたナマエがティーカップを片手に小首を傾けた。


「朝食を食べたら散歩にでも行かない?」

「…散歩?」

「えぇ。今日はバイトもないから一日神田様に付き合うわ。」


小首を傾けたナマエに不覚にも心臓を高鳴らせ神田は頷いた。若干力んだ神田の頷きにナマエはまたクスクスと笑って紅茶を一口飲んだ。


「わかってるわよ。」

「……は…?」


白い喉が上下がするのを見送ると、ナマエの瞳が少しの間伏せられ、心臓が跳ねるほど真っ直ぐに、涼しげな瞳で見つめられた。


「あなたが何を思って私に縁談を申し込んだのも、王子がなぜこんな弱小国に縁談を申し込ませたかのも。」


吸い込まれる。と思うほどの聡明そうな瞳。

不敵とも言えるような微笑。

エスメラルダの象徴である、エメラルドのピアス。


「いいわよ。縁談を受けても。」


目に見えない、王家の血による、威厳。気迫。覇気。


「でも、」




一瞬で悟ることができた。





「私を惚れさせることができたらね。」









この人は、一国の姫だ。




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