05



暇をもらった。クビではない。本当である。確かに先日、我が主から「暇を与えます」とヒヤリとした言葉をもらったが暇は暇でも長期休暇の事だった。まったく紛らわしい。神田は一つ溜め息をついてからどこまでも広がる草原に足を踏み入れ先日の事を思い出した。


『神田、この縁談を破談するなんて絶対に許しません。これは命令です。拒否権はなしです。』


拒否権なんて王子の目にかけられた時からすでに無いに近い。今更だ。にっこりと王子が笑って神田はその笑みに背筋を冷やした。王子のこの笑みの七割は何かの企みでできている。…あとの三割は王子の娯楽だ。


『神田、二週間の長期休暇を与えます。』

『二週間っ!?』


驚いた声を上げたのは控えていたラビだった。


『待つさ王子!師団長が二週間の休みをとるなんて…!その間第八師団はどうするんさ!』

『みんな休みでいいんじゃないんですか。』

『みんな休み…!?』


一師団まるまる休みということか。信じられないとばかりにラビと神田は目を丸くし、アレンはそんな二人にクスリと笑って銀灰色の冷たい瞳を神田に向けた。


『第八師団が二週間休みをとっても何も支障はありません。そうでしょう?』

『…っ』

『王子…!』


それは師団長の神田に対する侮辱のようなものだった。軍人は務めてその力を認められる。しかし今の言葉は務めてもその力は認められない。むしろそこまでの仕事を与えていないという事。


『事実でしょう?神田、第八師団に仕事が回ってくるのは何故かわかっていますか?』


アレンの靴先が跪いている神田の視界に入って、高級生地の衣擦れの音がすると、女の指のような細くて美しい指が神田の顎を持ち上げ、自然と目の前の王子と目があった。


『僕があなたに仕事を回してあげてるんです。忘れてましたか?』


銀色の髪に銀色の瞳。まるで作り物のように整いすぎている顔が逆におそろしかった。


『悔しかったら早く上に上がってくることですね。そのためにも、この縁談は成功させなさい。』


だからと言ってこの話と二週間の休暇、何の関係があると言うのだ。そう王子を見つめても、王子は「これはあなたのためでもあるんですよ。」と随分(汚い)大人びた顔で笑うだけだった。


夕方の鍛錬を終わらし部屋に戻った後すぐに王子からの勅命状が神田に届いた。その内容にあの時王子に感じた恐怖はなんだったのだろうと肩を落とした。そしてその二週間の長期休暇の意味が書かれた勅命状に神田は大きく溜め息をつくのであった。




神田へ

二週間の休みを与えます。
あなたの師団はラビが見てくれるそうです。よかったですね。それと二週間も休みがあるのでどこか旅行にでも行ってきたらどうですか?僕的にエスメラルダ国なんてどうでしょうか。あなたのバカ馬も連れて行っていいですよ。

では、楽しい休暇を。


PS.お土産はエスメラルダ牛のミルクプリンとふわふわ卵のシフォンケーキ、エスメラルダマンゴーとエスメラルダ牛の霜降り、あとエスメラルダ豚と、ご当地ティムキャンピーは最低買ってきてください。あとはあなたの私に対する忠誠心とお土産センスで買ってきてください。僕的に食べ物が嬉しいです。


アレン



そんな勅命状をもらって数日後の今日。神田は愛馬を連れて豊饒と優しさの国、エスメラルダに来ていた。見渡す限りの草原に、雄々しく聳え立つ山々。清々しい青い空に流れる雲。まるで一枚の絵の中に自分が入ったのではないかと思うほどの美しい景色に入国してすぐは感嘆の息を洩らした。(まぁ、それから一時間ぐらいたっぷり歩いてやっと街に着いたので今の神田にそんな感動は忘れ去られた。)

エスメラルダ国の城下はマナ国にある田舎の街並みをもっと清潔にした感じの街だった。まるで草原だった土地を掘り起こして街を立てたように道は気持ち程度に舗装されていて高い建物なんてものは当然なかった。奥に大きな屋敷が建っているがあれがなければ「村」の部類だろう。失礼だが…とても城下町だなんて言えなかった。
神田は入国して渡された観光パンフレットを片手に城へと続く道を歩いていたが…。おかしい。
神田は足を止めてパンフレットの地図を広げた。間違いではない。この場所にエスメラルダ城があるのだが…。先程の、貴族の別荘のような大きな屋敷はあるのだが城が見つからない。……もしかして、いや…まさか…。神田はできれば自分の思った事は間違っていて欲しいとそこを歩く女性に声をかけた。


「すまない、エスメラルダ城を探してるんだが…。」

「エスメラルダ城かい?ならそのお屋敷がエスメラルダ城だよ。」

「……………………………。」


今、女性は間違いなく城をお屋敷と言った…。そうか、一応城ではないと認識されているのか。いや、それもそれでマズいだろう。と思いつつ神田は女性に礼を言って屋敷……、城の敷地に足を踏み入れた。

門扉(流石に城門とは言えなかった)を抜けると、よく手入れされた庭があった。いや、菜園の方が正しいのかもしれない。美味そうなトマトとトウキビがある。


「おや、旅の御方かい?」


赤い宝石のようなトマトを見ているとトウキビとトウキビの間から初老の女性が出てきた。一昔前流行ったデザインのメイド服を着ている女性は神田を見るとにっこり笑った。地味なメイド服が彼女の優しい雰囲気を出していたが、笑顔からはまだまだ老いには負けない何かがあった。


「ナマエ姫にお会いしたい。謁見の申請をしたいのだが。」

「姫様にかい?」

「あぁ。どこに行けば申請できる。」


そう言った神田の脇を女性はするりと抜けた。そして神田の後ろにいる馬に手を伸ばした。危ない、と言おうとしたが大人しく撫でられている馬を見て神田は小さく腹が立った。


(…俺があいつを撫でるまで何日費やしたか…。)

「これはいい軍馬だ。賢そうだし、足の筋肉も綺麗だね。結構な距離も走れるだろう?」

「あ、ま、まぁ…。」


気持ちよさそうに撫でられている自分の馬を複雑な気持ちで見ていると女性が笑った。


「あっはっはっ、悪かったね。ヤキモチかい?」

「違う……。」

「はっはっはっ、冗談だよ。えーと、姫様と話したいんだっけかい?」

「あぁ。何日後ぐらいになる。」

「大丈夫だよ。もうすぐ会えるさ。バイトも終わってもう帰ってくるころだよ。」


バイトという言葉に神田は頭痛に近いものを感じた。バイトとはアルバイトのことだろうか。それとも何か新しい楽器の名称か習い事か。どちらにしろアルバイトじゃなければ何でもいい。


「三丁目のパン屋で働いてるんだよ。」

「…………………………。」


女性は馬を撫でながら楽しそうに笑ってこちらを見ていた。神田は眉を寄せて見つめ返すと女性はまた笑った。多分、この女性は苦手な部類だ。なんとなく、思った。


「あんたはナマエ様に縁談を申し込んでくれた人かい?」

「…!」


神田は返事をする代わりに驚いた。自分は何も、どこの誰かも名乗ってないというのに。女性は「やっぱり」と頬の皺を増やして笑って、「やっぱり」自分はこの女性は苦手だと思った。その時、屋敷の二階あたりの窓が開いて女性と同じメイド服を着た少女が顔を出した。


「メイド長ー。」


先程神田と話していた女性はメイド長と呼ばれ、その声に振り返った。自分が話していた相手がメイド長だったのに神田は少し驚きつつもメイド長は笑っていた顔を顰めて若いメイドへと大きな声で返した。


「なんだい、今お客さんが来てるんだ。後にしてくれるかい?」

「でもナマエ様からなんですー。」


ナマエという名前に神田とメイド長は顔を見合わせた。メイド長は「はて」と小さく声を出して窓にいるメイドに目を戻した。


「ナマエ様がどうかしたのかい?」

「アリサの所の牛がなかなか出てこないらしいから、助産してから帰るそうですー。」


メイド長とは違って声の張りが無い若いメイドは窓脇から体を乗り出して間延びしたような声を上げてそう言った。バイトの次は牛か、(しかも助産)と神田は目を遠くさせ、メイド長は「やれやれ」と肩を落とした。それから若いメイドに「わかったって伝えて」と言うとメイドは「もう電話切れてますー」と返すのだった。若いメイドが窓から引っ込むとメイド長は苦笑して神田に向き直った。


「悪かったね。もう少し待ってもらえますかい?」

「かまわない。」


そしたら馬はこちらであずかるよ、と手綱を引くメイド長も随分と馬に慣れているようだった。こちらの国の人は牧場大国だけあって馬の扱いは誰でもできるのだろうか。だとしたら姫が馬に乗れたことも、この馬が撫でられても大人しくしているのも頷ける。ふと、手綱を持ったメイド長がこちらに振り向いた。


「なんだったら、姫様のところに行ってみますか?」

「…助産にか?」

「うちの姫様に会いに来たんだろう?なら、もっとうちの姫様を知ってもらいたいからねぇ。」


と笑うメイド長の顔で、このエスメラルダ国の姫がどう思われているのかがわかった。メイド長の顔は、優しく、温かく、本当に大事な人を想っている表情だった。


「…案内してくれるか?」

「もちろんですよ。」


気持ちのよい風が吹いて神田の髪を揺らした。風が木々の葉を揺らして、久しぶりに風の音を聞いた気がした。こんな心地のよい風を感じたのは、いつが最後だっただろうか。







豊饒と優しさの国、



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