引掻



「鈴をつけて正解だな。」


ご主人様の声が聞こえて私は影に身を潜めた。だけど潜めても鈴がちりん、と鳴ってしまって私はここにいるとご主人様に伝えてしまう。ベッドと床の僅かな隙間に身を潜ませていると、そこからご主人様の手が伸びてきた。その腕には、赤い線が何本か。


「ナマエ、出てこい。俺が…悪かった」


私に触れようと伸びてくる、腕に私は、涙を溢した。




話は数分前にさかのぼる。
私の手はソファに座るご主人様によって何故だかむぎゅむぎゅむぎゅむぎゅと揉まれていて、あの、ご主人様、私の手、なんでしょうか。


「…柔らかい手だな。肉球の遺伝子でも入ってんのか。」


手のひらの、指の付け根のちょっと下らへんをむにむにむにむに親指で揉まれてて、私は、なんだか気持ちいい。尻尾が大きく、ゆっくり、動く。最初は手を引っ張られたのだ。ご主人様に「座れ」と言われ、思わずフローリングに座るとご主人様が「だからこっち…」と私の手を取ったのが始まりだった。その手が思ったより柔らかく、ご主人様のお気に召したようで、ご主人様は私の手をむにむにむにむにずっと触っている。


「むしろ手の中に肉球が詰まってんのかもな。」


肉球が?私の手の中に?詰まってるのですか?つ、つまり、私の手、どっか切ったら肉球がぽろって出てくるのかな。そ、それは……、なんか、やだ。
ご主人様の指はむにむにと私の手の平を揉むと、今度は指先に移動してきた。指を一本一本確かめるように触って、指の腹を撫でる。ご主人様の大きな手が、綺麗な指が、私に触れてて、なんだか、不思議な気分。胸が、どきどきしてるの。


「押せば爪も出てくるし、不思議なもんだな。」


な?と私に返事を求められて、私はぴくん、と耳を尻尾を立たせた。あっ、だ、だってご主人様の指、ずっと見てて、なんだか、見惚れてて、あの、意識が急に戻されたというか、あの、その、ご主人様……どうして、そんなに楽しそうなのですか。ご主人様は私を見て、小さく笑ってた。なんだか、頬が熱い。ご主人様に笑われて、頬が熱いです。ご主人様はそんな私の頬をするりと触れて、首筋を撫でます。その指使いが気持ちよくて、つい喉が鳴る。(変なの、喋れないのに、喉はごろごろ鳴る。)


「ナマエ、」


そして近付いてくるご主人様の顔に、あ、あれが、くる、と目を瞑った。あの、とろとろに溶けちゃいそうな、あの行為。
柔らかい、ご主人様の唇が私の唇に触れる。ご主人様の唇と私の唇が触れ合うと全身の毛という毛(毛、と言っても私はあまり獣人の血は色濃くなく、耳と尻尾ぐらいしか獣毛がないのだけど。)が逆立って、すぐにふにゃりと力を無くす。下唇を噛むように、でも柔らかくあむあむされて頭がふわふわしちゃう。全身が蕩けてしまいそう。それから何度も優しく唇を吸われて、もう床に溶けてしまいそうだった。
いけないと、駄目だとわかっていても、何か触れていないと自分が自分でいられないような気がして、私の頬を包むご主人様の手に、腕に、触れた。するとご主人様のその行為が急に激しくなった気がした。だって、触れた瞬間に唇をはくりと食べられて、唇を舐められた。その感触に体がぞくぞくして唇を薄く開けてしまうと、するり、と何かが口の中に入ってきた。あ、んう、んっ、あ、こ、これは、ご主人様の、舌…?舌が入ってきたの?入ってきたご主人様の舌をどうすればいいのか私にはわからない。あ、愛玩獣人は、こんなこと、してるのかな。あ、んぅ、ん、こ、これはどうすればいいのかな。どうすればご主人様は喜んでくれるの?と必死にご主人様の舌を手探り(あれ?舌探り?)で追った。
体のぞくぞくが止まらなくて、ご主人様の腕をきゅ、と握ると、ご主人様の腕がするりと頬から落ちた。ん、んっ、顎、首筋、あぅ、リボン、鈴を鳴らして、ご主人様の手は私の首元をするする落ちる。
そして、服の上の、私の胸を、きゅ、と揉まれて私の尻尾はびんっと大きく張った。


「っ!」


その時にはもう遅く、ご主人様の腕と唇は私からパッと離れた。離れて、ご主人様の顔が歪んだ。

あ、

あ、

あ、

ご主人様は、私に触れていた腕を、触れる。そこには、赤い線が数本、色濃く引かれていた。
そして私の指先に残る微かな感触。ご主人様の腕を、

引っ掻いてしまった、余韻。





「ナマエ、出てこい。」


指が、ご主人様の指が私に触れようとする。ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。私、ご主人様、引っ掻いた。びっくりして、ご主人様を、ご主人様を、引っ掻いてしまった。やだ。どうしよう。ご主人様絶対怒ってる。怒ってる。お仕置き、お仕置き、される、の?いたい?痛いの?ちがう、ごめんなさい、痛いのご主人様だ。私がご主人様を引っ掻いたのだから、痛いのはご主人様だ。


「ナマエ…。いい加減出てきてくれ。」


ごめんなさい、ごめんなさい。
そうベッド下で身を縮めていると、ご主人様から溜め息が漏れた。
ごめんなさい、ごめんなさい。
謝らなくちゃいけないのに、私、喋れない、から。


「…ナマエ、出てこないとこの間みたいにハムにするぞ」


がんっ!!


ご主人様の言葉にベッド下から大きな音が響いた。響かせたのは、もちろん、私で。

〜〜〜い、た、い……。
頭が、ベッドに、ハムに、頭が、痛い。


「…くっ、」


い、痛い〜〜〜っと頭を抱えると、ベッドの向こうからご主人様が肩を揺らしてるのが見えた。


「…ふっ、」


ご主人様、笑って、る…?


「っ…、お前、余程嫌だったんだな…ふ、」


ご主人…様…?


「ナマエ、出てこい。頭みてやるから。」


怒って、ない…?
怒って、ない、の…?
恐る、恐る、頭を、ベッド下から、出した。

すると、優しい顔をした、ご主人様がいた。


「大丈夫か?」


大丈夫か…、なんて、こっちの、こっちの、


「……っお前…、」


ぽろ、

ぽろぽろ、

涙が、出た。


ごめ…なさい、ごめんなさい、
ごめんなさい、ご主人様ごめんなさい。
痛くして、ごめんなさい。
ごめんなさい、ごめんなさい。
引っ掻いて、ごめんなさい。
ワザとじゃ、ないです。

ぽろぽろ、ぽろぽろ、

涙が止まらない。

ごめんなさい、伝えたいのに、言えなくてごめんなさい。痛くしてごめんなさい。ごめんなさい。

ごめんなさいを、伝えたくて、ご主人様の腕を取った。引っ掻いてしまったご主人様の腕は赤くて、血が滲んでいた。ごめんなさい、ごめんなさい。痛くしてごめんなさい。出ない声でそう喘いで、ご主人様の腕に頬を擦り寄せた。ごめんなさい、ごめんなさい。
するとご主人様が片方の腕を上げて、あっ、た、叩かれるっ。と目をぎゅっと瞑って体に力が入った。だけどその手は私を叩かなかった。むしろ、優しく、撫でられた。


「こぶ、できたかもな。」


そう言われて、瞑った目を開けた。

涙が落ちる。


ああ、

なんて、

優しいご主人様、なんだろう。


本当にごめんなさい。引っ掻いてごめんなさい。痛くして、ごめんなさい。

ぺろ

ぺろぺろ

擦り寄せた腕を、傷付けた腕を、私は舐めた。治れ。はやく、治れ。私が付けてしまった、馬鹿な傷よ。治れ。

ぺろぺろ ぺろぺろ ぺろぺろ

ごめんなさいと、
はやく治っての、
気持ちをこめて、いっぱい舐めた。


「……軽い生殺し、だ。」


ご主人様が、溜め息混じりに言った。





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