08
「えー、今年も残りわずかとなりました。今日の忘年会で英気を養い、来年いいスタートを切りましょう!乾杯!」
乾杯!
部長の挨拶にグラスが集まり、乾杯の声と共にグラスががちんとなった。あとは疎らにグラスが鳴って、いっせいに飲み始める。
挨拶にあった通り、本年も残り僅か、本日は忘年会だ。挨拶の一口を飲んだ後、私は瓶を片手に会社の偉い人順にビールをつぎに行く。下っ端と女の仕事じゃ。
と言ってもウチは中小企業なのでそういう肩っ苦しいのはあまりない。なので一応下っ端である神田くんは下座にぽちーんと座って飲んでいる。こら、そこは立って上司に酒をつぐところだよ!媚売るとこだよ!と思ったけど神田くんに媚というものは無関係だなと思った。それでよく神田くんが営業職やっていけるよねー、とも思うけどそんなのはわかりきったこと、彼は成績がいい。そんな無愛想な顔しといてよく営業が務まるよなー、と最初の頃は皆言ってたんだけど、逆にそんなところが社長とか専務とか、そこら辺の年配のおじさんに好かれているようだ。それを聞いて、年配の人に可愛がられる神田くんを頭の中で想像したんだけど、ああなるほどなーって思った。
「来年もまた、よろしくお願いします。」
「いやいやこちらこそ、来年も頼むよ!ミョウジちゃん!」
お酒と挨拶を一通り済ませ、私はやっと自分の席に戻ることができた。酒をついだり、空いたグラスを避けたり、次の注文取ったり、上司の話を聞いたり、次の男はできたのとか言われたり(大きなお世話じゃっ)、別にそういうの辛くはないけどこっちはついでるだけでお酒は乾杯の時の一口だしお通しも食べてないわ!お腹すいたよ!見えないところでふうと息をついて、自分の席に戻った。
会社の近くにある居酒屋の座敷を借りた本日の忘年会は大いに盛り上がっていた。そりゃそうだろう。会社の金で飲める日だし。温くなったビールとお通しを交互に飲み食いし、やっと落ち着いた。
さて、次は何飲もうかなーとビールを飲み干すと、
「お帰りさない」
確か向い斜めに座っていたはずの人の声が上から聞こえて、その人こと神田くんが私の隣に座った。
「ちょいちょい新人くん。キミもご挨拶に行ってきなさい。」
「後で行きます。」
こらー、それはあまり得策ではないぞー。上司が正気を保っている内に挨拶した方が絡まれなくていいぞー。
「ミョウジさん、何も食べてないですよね、何か頼みますか?」
「あ、うん。メニューある?」
「はい。」
私がお腹をすかせていたのを見越していたのか、神田くんはすぐ私の前にメニューを開いてくれた。一応宴会メニューもあるけど、せっかく会社の金で飲める席だもの。できる贅沢はしなくちゃね。
「串焼きはさっき頼んでたもんねー。卵焼き食べたいかも。」
「オムソバとかありますよ。」
「あー、オムソバも捨てがたい!」
「納豆オムレツは?」
「なにそれ美味しそう……って、神田くん。」
「はい。」
私にメニューを広げたまま神田くんは何か?みたいな顔してるけど、あのね、と私は彼の肩を押した。
「近い!」
「チッ」
し、舌打ちした…!
今この子私に舌打ちした…!!
ちぃっ!って!ちぃっ、って!!
「やだ、現代のキレる子だ…。」
「あ、オムソバと納豆オムレツ。」
かしこまりましたー、と向こうでお姉さんの元気な声が聞こえた。…どっちも注文してるし。ついでに私もジンジャーハイボール!レモンいれてください!と頼んどいた。
「ミョウジちゃーん!飲んでるー?」
「あ、はーい飲んでまーす!」
さっきまで仕事について熱く語っててこちらなど見向きもしなかった上座の人達に唐突に絡まれるも私はにっこり笑って返した。あーあー、もうこりゃ完全にできあがっちゃってますね。神田くん、挨拶行きそびれたな…。むしろそれが狙いか…?と神田くんをちらり見るけど彼はいたって涼しそうだった。
「神田ぁー!ちゃんと先輩にお注ぎするんだぞー!」
「してますよ。」
「んだとぉー?もー、クールだなぁー!」
がははは、と大きな笑い声が響く。耳が少し痛いけど、これは慣れるしかないよね。
「だいたいミョウジちゃんの隣に座っちゃってー!もうそこで付き合えばー?」
「えっ?ミョウジちゃん彼氏は?」
「もうとっくに別れてますよーだっ、この前言ったじゃないですかー。」
「あれそうだったー?」
上座の人達の矛先が何故かこちらに向けられ、ああもうめんどいなと思いつつも苦笑い。このノリも、慣れるしかないものだ。
「なんでなんで、なんで別れちゃったの。」
「他に好きな人ができたって言われてフラれちゃいました。」
「なにー?俺らのミョウジちゃんになんてやつだ!連れてこおい!」
大きく声を上げた人が勢いよくグラスを高くあげた。するとそのグラスに入ってた飲み物が零れ、その人のワイシャツを濡らして皆が「あーあー」と言いながらも笑っている。私のハイボールを持ってきてくれたお姉さんにおしぼりを頼んだ時には、上座の人達は再び仕事の話に戻っていた(酔っぱらいの話題転換は早いのだ)。
「あーあれじゃもう神田くん挨拶は行けないね。」
「行く気ないですからね。」
「うん、だと思った。」
上座に向き直った姿勢から座り直し、卓上に残る料理を小皿に乗せ、適当につまんだ。
ふー、やっとご飯食べれる。そうぱくぱくとお料理を口に運んでいると、隣の神田くんが喉を潤すようにグラスを仰いだ。
「ミョウジさん」
「はいはーい?」
うるさい笑い声に神田くんの声がかき消されないのは、きっと彼がとても澄んでる声をしているからだ。いい声だよね、神田くん。
「その元彼氏、今も好きになった女と付き合ってるんですか。」
目線を合わせず言われた言葉に、私は苦笑した。
「なんかね、別れたらしいよ。」
彼は、その子と付き合いたいから私に別れを告げた。元々私と付き合ってる時も浮気のような二股のような付き合いをしていたらしく、私にもうそういう感情はなく、彼女を大切にしたいということで別れることになった。
のに、彼はその彼女と別れたらしい。いつだったっけ?あまりにも馬鹿らしくてなって覚えてないや。
「別れようって言われた時ね、12月23日だったの。私料理とかプレゼントとかめっちゃ気を使ったのにさー。」
馬鹿だよねー。あっち別れる気まんまんでプレゼントも用意してくれてないのに、すっごい手料理用意したり前から欲しいって言ってた時計買ってあげたりさ。っていうか、そんな男とどうして付き合ってたんだろうね。私の人生の中で結構上位な汚点だよアイツは。
なんて神田くんに笑ってみせたら、神田くんは不快そうに眉を寄せた。あ、引かれた。馬鹿なやつって思われたかも。
「あ、ごめん。せっかくの飲みなのに気分悪くしちゃったね。ナシ。今のナシね。」
うーん、上司の話聞きすぎて気疲れしちゃったのかな。酒が思ったより回ってるかも。
ふーっ、と今日何度目か分からない溜息をつくと、膝に置いていた手が、ぎゅっと大きな手に包まれた。
一瞬言葉をなくした私は、その手を握った張本人を見詰めるも、その人は机に肘を付き、そっぽを向いている。上座に座ってる奴らからしたら、今、彼が私の手を握ってるなんて気付きもしないだろう。
「あ、あの神田くん…」
手…、とも、離して…?とも言えずにいると、神田くんの大きな手(お酒のせいか、温かい)は離さないとばかりに力強くなった。
「ミョウジさん、だからあの時渋ったんですか。」
「あの時……あ、そー…なるかな。」
神田くんの言うあの時とは、きっとクリスマス誘われたことを断った時だ。クリスマスというと、最初に出てくる思い出がそれなのであまりいい感じはないよね。ミランダは別だけど。
「ミョウジさんって、」
「ん?」
「いつもぼけっとしてるから、その男も甘く見てたんじゃないすか。」
「…ちょっと。」
どういう意味よ、と手が繋がってるのも忘れて神田くんの方へ向いたら、涼しい、夜みたいな瞳と目が合った。
「おまけに隙だらけで見てたら危なっかしいというか、放って置けないというか。心配する。」
黒、というより、濃い青が混じった。
「目が、勝手にミョウジさん追っかけてるんですよ。」
ミッドナイトブルー。
「だから、早く俺のものにしたい。」
その瞳に、体が一秒か二秒動かなくなって、呼吸も多分してなかったと思う。
上座の笑い声にハッと目が覚めたように瞬きをして、目を逸らした。頬と耳が一気に熱を帯びた気がして頭がフワフワした。まずい、飲みすぎ?いつもより飲んでないはずだけど。雰囲気にやられてるのかも。
「…ごめん、私ちょっとトイレね。」
赤く染まり始めた顔を隠すよう俯き、できるだけ何もなかったかのような明るい声で席を立つ。しかし放してくれると思った手はまだ繋がったままで、前につんのめるようになってしまった。
「神田くん、あの…」
「駄目。」
このまま立ち上がったらあちらに私達が手を繋いでることが見えてしまうかもしれない(ていうか何で手握られちゃってるのよ私…)。そんな私の焦りさえも見越されていた。神田くんの手は立ちかけの私を引き戻そうとしていた。
「俺から逃げられるとか、思わないでください。」
言われた台詞に、私は大人しく座り直すしかなかった。こいつ、私が本当にトイレだったらどうするつもだったんだ、なんて思ったけど、それも彼にはわかりきったことだったかもしれない。
やばい。
逃げ場が見付けられない。
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