蛇は鏡の中で鱗の夢をみる

「うーん……」
本丸の回廊を審神者は唸りながら歩いていた。
その足は審神者の自室へと迷いなく向かっているのだが、審神者の目は手元にある一枚の紙に注がれていた。
(懇親会、かぁ……)
それは朝方入ったばかりの、本部からの通達を印字したものだ。紙には『懇親会のご案内』と書かれており、審神者はその文字を見てはまた深く唸るのであった。
回廊を抜け、手元の通達を見ながら自室へと入ろうとした時だ。
「――君」
睨むようにして見ていた通達と審神者の顔の前に、黒く大きな影が視界を覆った。
突然現れた黒い影に審神者は足を止め、一歩、二歩と後退するも、審神者の頭と背中は広くかたいものへとぶつかる。そして少しだけよろけた審神者の肩を、視界を遮った黒い影が支えた。
「そのままでは壁にぶつかるぞ」
頭の上から声が降ってきた。
手元の紙をよけると、すぐそこには遣戸が迫っており、審神者はあわや壁にぶつかるところだった。声の持ち主は壁にぶつかりそうになる審神者を止めてくれたようだ。
審神者は頭上から聞こえてきた声の持ち主を見上げた。
見上げた先には、長身の美丈夫がこちらを見下ろしていた。
白に近い緑の髪に、右目を隠すように流れる前髪。その白緑から覗く目は梔子色で、落ち着いた色からは深い知性と品を感じさせる。切れ長の目は凛々しく、きつく結ばれた唇は雄々しい。黒を基調とした衣服で長身を包み、丈の短い上着に同色の黒袴は彼の足をおそろしく長く見せていた。
人に愛されたから美しいのか、人の愛を得るために美しいのか、おそらくどちらの意味を持つ美しい付喪の名は、源氏の重宝、膝丸だ。
「しっかり前を見ないと危ないぞ」
壁にぶつかりそうになった審神者を膝丸は険しい面持ちで見下ろしていた。
今にも小言が飛んできてしまいそうな膝丸の表情に審神者はすかさず口を開く。
「た、たまたまです……!」
「どうだか。この間は簀子の段差で躓きかけていたばかりだろう」
「あ、あれは、ちょっと眠くてふらついただけで……っ」
「俺が支えなかったら、そのまま庭へと転がり落ちていたかもしれんな」
「そ、そんなこと……っ」
ない、と強く言い切れないのが悔しい。
審神者としての事務処理をこなしつつ、早朝、深夜と時間を問わず出陣する部隊を欠かさず出迎えていたら、立ったまま眠れるほどの睡眠不足に陥り、ふらついた足で段差を踏み外した記憶はまだ新しい。支えてくれた時の膝丸の呆れた顔もしばらく忘れそうにない。
「うう……本当にたまたまなのに……」
膝丸の言葉に強く言い返せない審神者が俯くと、黒い手袋をはめた膝丸の指先が審神者の顎を後ろから持ち上げる。
「……冗談だ。そんなにむくれるな」
ふ、と膝丸が小さく笑った。
右目を覆う白緑の髪が笑みと共にふわりと揺れ、そこから見えた梔子色の目が柔らかい色を魅せた。
笑った膝丸があまりにも美しく、審神者はそんな膝丸にうっかり見惚れてしまいそうになる。いや、見惚れていた。ほう、と出てしまいそうになる溜息を、審神者は目と口をきゅっときつく結んで堪えた。
「……ええと、どうかしたの? 膝丸」
こほん、と話を区切るよう審神者は咳払いを一つ落とした。
何か用があってここまできたのであろう膝丸を見上げると、膝丸は「ああ」と思い出したかのように自身の左腕へと手を伸ばした。
「すまないが、支度を手伝って欲しい」
「あ……。うん、もちろん!」
上着の腕部分に触れた膝丸に、審神者は快く頷いた。
「紐は?」
「ここに」
膝丸は懐から白い紐を取り出した。紐、と言ってもそれは布幅の広いもので、飾り紐やリボンと言った方が正しいかもしれない。
先端が濃い翡翠色に染まったそれは、膝丸は左腕に、兄の髭切は上着の右腕にそれぞれ対で結んでいるものだ。
髭切の紐は先端が深梔子で、普段は髭切自身、または膝丸自身が結ぶそうだが、膝丸の左腕は審神者が毎度結んでいる。
膝丸が出陣する際、解きかけていた紐に審神者が気付き、そのまま結び直してからそれが習慣化したのだ。
凝った結び方を知らない審神者が結ぶと、どうもありきたりなリボン結びにしかならないのが小さな悩みの種でもあるのだが、結んだあと、膝丸が大事そうにその腕を撫でるので、何か願掛けのようなものなのかもしれないと審神者は喜んで引き受けていた。
「……その紙は?」
審神者が紐を受け取ろうとすると、手元の紙に気付いた膝丸が不思議そうに覗き込んできた。
「本部からのご案内。今朝届いたの」
そう言って紙を手渡せば、受け取った膝丸は表題を見るなり胡散臭そうに顔を顰めた。
「何だ……、この懇親会というのは」
「各地の審神者を集めてのお食事会みたい。審神者専用通達で来たの。これまでも小さい懇親会はちょこちょこ行われていたらしいんだけど、今度のは会場が本部で行われるくらい大きいんだって。……そもそも小さい規模の懇親会なんてやってたんだね」
どこでやっていたんだろう、と小首を傾げる審神者に「さあ」と膝丸が短く返す。
「それで、君はその懇親会とやらに参加するのか?」
「うーん。自由参加とはあったけど、参加にご協力くださいって書いてあったんだよね。ご協力くださいってことは、多分、行かなくちゃいけないんだろうけど」
「自由参加なのだろう? なら行かなくてはいいのではないか。だいたい、自由参加と記しつつ参加にご協力くださいなど、矛盾している」
「自由参加という名の強制参加という文化がこの国にはあってだね……。それに、こういう会は一回くらい顔を出さなきゃいけないだろうし」
聞いたことがなかったが、今まで懇親会を何処かでやっていたのなら審神者はそれまでの懇親会に出ていなかったことになる。となると、今後の審神者同士の付き合いを考えれば、此度の会はなるべく参加しておいた方が無難だ。
通達の最後には『審神者同士の有意義な意見交換、親睦を図るまたとない機会ですので、皆様、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます』と書かれており、その一文は審神者の言った通り、自由参加という名の強制参加を匂わせている。
最後の一文に目を通した膝丸は紙を審神者に返し、くだらないとばかりに鼻を鳴らした。
「懇親会など、昼に集まり庭を眺めながら広廂で行えばいいだろう。もちろん男女、東の対と西の対に別れ、君には几帳の内側にいてもらう」
「へ、平安スタイル……」
そのまま歌でも詠みそうなそれは懇親会とは少し違うのではないだろうか、と審神者は口端を引き攣らせた。
すると、そんな審神者の反応が気に食わなかったのか、膝丸は背を向けたままの審神者の首に指先を滑らせる。するりと触れてきた指先が擽ったく、審神者は思わず身を捩るようにして膝丸を見上げた。
「君がそのおかしな会に参加しなければならない理由がわからない」
「お、おかしな会だなんて……」
ただの懇親会だ、と審神者が返すと、膝丸は途端に表情を消し、審神者へと顔を寄せた。審神者の見上げた顔に、膝丸の影が落ちる。
「――君は『審神者』だ。俺達の『主』だ。君が真に懇親を深めるのは俺達刀剣男士であり、よそのものではない。……違うか?」
声を落とした膝丸の髪が審神者の顔にかかり、その毛先が唇に触れる。審神者はそのむず痒さに顔を避けようとしたが、膝丸の手が審神者の顔を包み込んでおり、逃げることは叶わなかった。
「ご、ご飯を食べて、他本丸の審神者さんとお話して終わるだけだよ……」
「そう思っているのは君だけだとしたら? この会の開催時刻は夜だ。何か良からぬ考えを持つものがいるかもしれない。そうでなくとも、そのような会に参加し、酒に酔った輩に絡まれ、そのまま何処かへ拐かされてしまったらどうする」
「か、かどわ……? ……い、いやっ!?」
拐かすとは……? と審神者は言いかけたが、微かに苛立ちを滲ませた膝丸の顔にその意味を察し、首を振った。
「な、ない……! それは絶対に無いと思う!」
「何故だ」
何処かへ拐かされる、つまり『お持ち帰り』されてしまうのではないかとの心配をされ、審神者はいくらなんでも杞憂だ、と勢いよく否定した。自分が懇親会でそのような事になるなど想像がつかない。むしろ何故そんな考えに至るのだ、と驚いてしまう。
「誰も私なんて相手にしないよ……! かっ、かどわかすだなんて、お化けとか妖怪じゃないんだし、人目だってあるし、そんな事には絶対にならな……ひ、ぁっ!」
どんな心配をしているのだ、と戸惑い半分、驚き半分で返した声が裏返る。
胃がひっくり返りそうな浮遊感に目を見開くと、何やら随分と床との距離が遠い。
ぐらりと揺れた視界に思わず手あたり次第何かを掴もうとすれば、審神者の手は膝丸の上着を握っており、握ったところが膝丸の背中だと気付く。
抱き上げられている、いや担がれている。……米俵のように。
これが噂のお米様抱っこか、と思う余裕もなく、審神者は膝丸に米俵よろしく自室へと運ばれてしまう。
「ひ、膝丸……!?」
いきなりどうしたのだと膝丸の名を呼ぶも、膝丸は口をかたく結び、ずんずんと審神者の部屋へと進む。奥には審神者の寝室を構えているものの、手前のこの部屋は執務を執り行うだけの部屋で、事務作業を行う机と身だしなみを整える鏡台くらいしか物は置かれていない。
簡素な審神者の部屋に到着すると、膝丸は後ろ手で戸をぴしゃりと閉め、座布団代わりに使用している茵の上へと審神者の体を下ろした。すぐに審神者の両脇に膝丸が手をつき、距離を縮めてくる。
「簡単に拐かされたな」
「え……」
「そんな事には絶対にならないと君は言ったが、今こうして俺に運び込まれた状況をどう説明する。君にその気が無くとも、相手がその気になれば君はこうも簡単に連れ去られてしまうのだぞ。もしそうなった場合、君はどうやって切り抜けるつもりだ」
距離の近さと静かな迫力に審神者が顎を引くも、膝丸は構わず顔を寄せてきた。逃げ場のない視線の先に審神者はこくりと喉を鳴らす。
「も、もし……」
「もし……?」
絞り出すようにして審神者は声を出した。震えそうになる喉を叱咤する。
怒られているわけではない。膝丸は心配して言ってくれているのだと、そうわかっていても、寸分の狂いもなく整った顔にすごまれると気持ちが負けてしまいそうになる。怯みそうになる自身を励まし、審神者は膝丸を見詰め返した。
「もし、そうなったら……、膝丸を呼ぶわ」
その言葉に、膝丸の目が静かに見開かれた。
「た、助けに、きてくれる、でしょう……?」
当然のように口にしつつも、恐る恐る見上げてしまうのは仕方がない。膝丸の反応を窺うようにすれば、目の前の膝丸は何か苦いものでも口に含んだかのように顔を顰めていた。
「卑怯な手を……」
「だめ……? 膝丸を呼んじゃ、駄目なの……?」
まさか膝丸に助けを求めることは駄目だったのだろうか、と心細そうな顔を見せた審神者に膝丸はますます顔を険しくさせた。
「そう言われて俺が断ると思うか?」
擦り付けるようにして額が押し当てられ、審神者は思わず目を瞑った。
「……っ」
「叱るに叱れなくなった。君の無防備をどう懲らしめてやろうかと考えていたが、全部吹き飛んでしまった」
聞こえてきたのは深い溜息だったが、唇に触れたその息はどこか優しい。
どうしてくれる、と押し付けられる額に審神者は亀のように首を引っ込めたが、至近距離の目からはもう、先程の険しさは無くなっていた。
「た、助けにきてくれないの……?」
「馬鹿なことを……。助けるに決まっている。君を他のものに触れさせやしない」
「じゃあ、膝丸、呼んでもいい……?」
「当たり前だ。君が一番に助けを求めるものは他の誰でもない、この膝丸ただ一振りだ。他を呼ぶことは許さない」
そう強く口にする膝丸に、審神者はぎこちなく視線を外した。膝丸以外を呼ぶことを良しとしないその言葉はまるで強い独占欲をぶつけられているようで気恥ずかしい。……まるでと言わずそうなのだが。
「君が頼るのも、君に触れるのも俺だけだ。……そうだろう?」
返答を求めた膝丸だが、返す言葉は一つしかないような気がした。
そう返答に困って俯けば、審神者の手に膝丸の手が重なる。間を縫うようにして膝丸の指が審神者の指と指に入り込む。逃げてもいないのにじりじりと追い詰められているようだと、その手を見下ろす審神者を膝丸の声が引き戻す。
「返事は」
「は、はい……」
ほぼ膝丸に圧されるようにして頷いてしまい、審神者は喉の奥がきゅうと弱々しく鳴った気がした。そんな審神者に膝丸は「うむ」と頷き、うまく言えた褒美だとばかりの口付けをしてきた。
「ん……」
そっと押し付けられた唇は何度か重なり、審神者の唇に甘い感触を残した。
「では、懇親会は不参加だな。俺が不参加の返事を出しておこう」
「い、いやいや、何を勝手に……」
「なんだ、まだ出るつもりなのか」
話を戻した膝丸がもう決まった事のように言った。しかし、今の流れでどうしてそうなったのか。参加も不参加もまだ膝丸に返答したつもりはない、と審神者は膝丸を見るも、膝丸の方はもう終わった話とばかりに肩を竦めていた。
「俺がこんなにも頼み込んでいるというのに、君は意地悪だな」
誰が、いつ、頼み込んだというのだ。少なくとも審神者には米俵のように担がれた記憶しかない。
「だいたい、君も行くかどうか悩んでいるように見えたが? 行きたくないのなら無理に行かなくてもいいだろう、自由参加なのだから」
「それはそうなのだけど、別に行きたくなくて悩んでいたんじゃなくて……」
確かに、壁にぶつかってしまいそうになるほど通達を見てはいたが、悩んでいたのは参加の可否ではない。
審神者は手元の紙を見直し、何だか腑に落ちない顔で呟く。
「懇親会の通知、なんで審神者専用通達で流したんだろうって……」
懇親会の案内など、別に誰もが見られる全体通達で流しても構わなかったのだが、何故審神者しか見られないよう設定されている専用通達で送られてきたのか。
改めて内容を見直しても、特に重要な事が書かれているわけではない。ゆえに近侍である膝丸も確認できるよう、審神者が今朝通達を印字したのだ。
「審神者専用通達で流すって事だから、やっぱり何かしらの意図があるんじゃないかな」
実は懇親会と称しつつも、そこで新しい指令が言い渡されたり、何か重要な情報を言い渡されたりするのではないか。そう審神者が考えるも、その考えごと膝丸が紙を奪ってしまう。
「ただの懇親会であろう。君が気にする事ではない」
「そう、なのかなあ」
「そうだ。どう見てもただの懇親会であろう」
膝丸も案内の内容を見直しては、考えすぎだと用紙を懐へと仕舞ってしまう。
「あっ、紙……」
まるで取り上げるようにされた紙に審神者は短く声をあげ、悩んでいるというのにまったく取り合ってくれない膝丸に不満げな顔を向けた。
もう少し一緒に悩んでくれてもいいではないか。そんな表情を向けられた膝丸は仕方ないとばかりに肩を落とし、審神者へと手を伸ばした。
「はっきり言わねばわからないか? 君が懇親会で他のものと親しげに話すところを俺は見たくも想像したくもない」
膝丸の手がむくれた顔の頤を捉える。視線を合わせるように上へと軽く持ち上げられ、審神者と膝丸の視線が重なった。合わさった先にはこちらをじっと見詰める梔子色の双眸があり、鏡のように光り輝くその目に審神者はいじけていた事を忘れ、目を奪われてしまう。
「忘れてもらっては困る。俺は刀剣男士である前に、刀であり、付喪でもある」
梔子色に浮かぶ黒真珠がすうと細くなっていくのを審神者は見た。
膝丸の黒い瞳が、松の葉のように細く、針のように鋭く尖っていく。
鏡のように輝く目に黒針の瞳が浮かび上がる。それは標的を見付けた獣のように
鋭く、今にも襲い掛かられそうな恐れを感じるというのに、その危うさゆえの美しさについ魅入ってしまう。
「君の心が他所にあると知れば、ひとの体を得た今、俺は何をするかわからんぞ」
畏怖さえ感じる膝丸の目には、その目に釘付けになった審神者の姿が映っていた。
膝丸の目を見ているのか、それともその目に映る自分を見ているのか、審神者は自分でも判断がつかず、目だけではなく心と思考も飲み込まれそうになった。
「綺麗……」
 思わず思っていた事が口を衝き、審神者は瞬きも忘れてそれを見詰めていた。
「――君」
「………………」
「……君、聞いているか」
「あっ、はい……!」
「………………」
膝丸の声に審神者は弾かれたように目を瞬いた。
瞬きを繰り返す審神者の前には、眉間に深く皺を刻む膝丸がいた。
……聞いていなかっただろう、とでも聞こえてきそうな膝丸の顔に審神者はまずい、と顔をそらすも、それは事実なのでそろりと膝丸を見上げる。
しかし見上げた先、膝丸の目には先程の黒針が見当たらず、また違う意味で審神者は目を瞬いた。
「あ、あれ……」
膝丸の瞳はいつの間にか鋭い黒針から元の丸い形へと戻っていた。
先程まで膝丸の目には黒針が浮かんでいたはずなのに、今はそんな面影もない。
「どうした?」
まるで見間違いかのような一瞬の出来事だった。もしかすると本当に見間違いだったかもしれない。鋭くも美しいあの瞳をまだ見ていたかったような気がした審神者だが、不思議そうにしている膝丸に慌てて首を振った。
「う、ううん、何でもない。えっと、あの……、ごめんなさい、なんだっけ……?」
忘れそうにない膝丸の瞳を何とか頭の隅に押し込み、審神者は最早何の話をしていたかも思い出せずに聞き直した。
「………………」
しかし、小首を傾げた審神者を前に膝丸が黙り込んでしまう。
「えっと……? ……膝丸?」
返事さえもない膝丸に審神者がその名を呼ぶも、膝丸はただ審神者を静かに見下ろすだけで何も返してくれない。
「膝、丸……?」
どうしたのだろうと再度名を呼べば、膝丸が審神者の頬へと手を伸ばした。そっと伸ばされた指先は、審神者の頬を指の背でゆっくりと撫でてきた。
「……そう簡単には流されてくれないか」
「え……?」
するりと触れてくる手が少しだけ耳を掠め、審神者は膝丸の言葉を聞き逃してしまう。何処かつまらなさそうに呟やかれた言葉は審神者へと呟かれたものではないのか、膝丸は今一度言い直してはくれなかった。
「あ、あの……」
「……こうも通じないと、あとは無理矢理にでもするしかないのだが……」
「ひ、膝丸? ……ん、んぅ」
何やら不穏な言葉が聞こえたのだが、と審神者が聞き返すも、審神者の声を遮るようにして膝丸が口を塞いできた。
「ん……っ、待って、膝丸……っ」
審神者へとのし掛かるようにして膝丸は口付けてきた。肩を押し返そうとした審神者の手首は捕らえられ、審神者の体は簡単に押し倒されてしまう。膝丸に上から乗られてしまったら、体格差も体重差も負けてしまう審神者には抵抗の余地がない。
「……このように簡単に押し倒されるようでは、懇親会など到底行かせられんな」
「こっ、懇親会を何かいかがわしい会と勘違いしてない……?」
「今も昔も、酒が出る席は乱れが生じるものだ。君みたいにぼんやりしているとあっという間に食われるぞ」
「ぼんやりって、そんなっ…………ま、まってまって、膝丸!」
確かに酒は出るだろうが、だからといってそのようなことには絶対にならないと思うのだが、と考える審神者の首筋へ膝丸が顔を埋めようとする。そのまま衣服へと手をかけんばかりの膝丸に審神者は慌てて肩を押し返した。
「ひ、膝丸、午後から出陣だよね、髭切と……」
「ああ、兄者と共に出陣できること、感謝している」
ではこの手は何だろう、と胸に置かれた手の持ち主を見上げる。
「出陣だよね?」
もう一度訊ねる。
「出陣までまだ時間はある。安心しろ、最後まではしない」
最後も何もこれから何が始まろうというのだ。審神者は胸に置かれた手を引き剥がそうとしたが、逆にその手は取られ、膝丸の唇へと引き寄せられてしまう。
手を掴んだ膝丸は、審神者の指先と手のひら、細い手首へと唇を押し当てていく。
「言葉を尽くしても理解してくれない相手には、体に教え込ませるのが一番だと俺は思うのだが」
「ひえっ……」
先程聞こえた不穏な言葉は聞き間違いでもなんでもなかったようだ。睨まれるようにして見詰められた目に審神者は情けない悲鳴を上げた。
兄弟である髭切が穏やかでのほほんとした性格ゆえ、側に居る膝丸がそれを支える苦労人のようなしっかりした性格だと思われがちだが、蓋を開けてみれば髭切も膝丸も根本的に自由人だというのは変わらない。よくいえば大らか、悪くいえば我がま……いや、やめておこう。とにかく膝丸は髭切よりも頑固で融通が利かない節がある。この場合、膝丸は無理矢理にでも事を運ぼうとするだろう。……ここでいう『事』はそういう意味での『事』ではなかったが、今の状況では同じ『事』として片付けられてしまうのは致し方無い。
「俺を前にして他の事を考えるな」
握っている手と同時に膝丸の眉根がぎゅっときつくなる。
「えっ、あ、いや、待って、膝丸……っ、駄目、だって」
頭の中を見透かされたようで狼狽えた審神者だが、腕に吸い付いてくる唇に一瞬で目の前の膝丸に意識が引き戻されてしまう。
他の事も何も、思っていたのは膝丸の事だというのに、目の前の膝丸はそれさえも許してくれないらしい。
温かい唇の感触から逃れようと腕を引くも、先程から腕をしっかり掴まれたままびくりともしない。むしろ「動くな」とばかりに膝丸に睨まれ、審神者は怯んでしまう。
「抵抗されると噛み付きたくなる」
「うっ……ぁ……」
膝丸の言葉は脅しでもなんでもなく、審神者の腕には牙があてられている。そしてその牙は柔らかく食い込む感触を楽しむかのような甘噛みを繰り返していた。僅かに牙の先が埋まる感覚は仔犬がじゃれているような弱さではあるのだが、どう見ても噛み付いてきているのは獰猛なそれゆえ、まったく心が休まらない。
「んっ……だ、だめ……噛んじゃ」
膝丸の甘噛みは上へとのぼっていき、衣服を捲くり上げては皮膚の薄い箇所へと唇を寄せてくる。
「も、もう駄目、終わりっ……! 午後から出陣なのに、こ、こんなことをして、出陣先で……、髭切の前でバテても知らないよっ」
「なに。君を可愛がることなど疲れではない。むしろ気力が満ちるというものだ。しかしそれよりも……、俺をバテさせるほど君が相手をしてくれるのか」
「……っ!」
つう、と首筋から胸元を撫でられ、審神者は自分の失言に気付く。そういう意味で言ったわけではないが、そう返されても仕方のない言い方をしてしまったことに「いや」とも「違う」とも返せなくて口をはくはくとさせた。
すると、膝丸がクッと喉で笑った。
「まったく! 君は可愛いな」
堪えきれずといったように笑った膝丸に審神者は顔を赤くして唸る。するとそんな審神者に膝丸の目が柔らかく細められ、唸った口を塞ぐ。
「ん、ん……」
「君が可愛いからつい苛めたくなる。許せ」
機嫌を取るような啄む口付けを繰り返され、審神者は自身の唇が拗ねた心とは反対にじんわりと熱を帯びていくのを感じた。
何度も吸い付いてくる唇に段々と口先から痺れを覚え始めると、膝丸の舌が審神者の唇と唇の合間をなぞる。そこを開こうとする舌に審神者はなけなしの反抗心で口をきつく閉じるが、膝丸が強請るように上唇を甘噛みし始めた。
「いい子だからここを開けなさい」
「あ、ぅ」
あむ、あむと唇を唇で食まれる。ここを開けたら全て膝丸の好きにされてしまいそうで審神者は何とか食い止めようとするも、宥めるように柔らかく食まれると、本人の意志を無視して唇が勝手に開いてしまうのであった。
「そう、いい子だ」
膝丸は唇を重ねながらも、開いた僅かな隙間から舌を侵入させて、審神者の小さな舌に絡み付いた。
「んんぅ……んっ……あぅ」
奥で怯えていた審神者の舌が侵入を許した舌に追い掛けられ、逃げ出そうとすれば掴まえられ、深く絡んでいく。絡んだ舌先で表面を撫でられると審神者の全身がぞわりと粟立つ。
「ん、は……あ……」
舌が攣りそうだ、というところで膝丸の唇が離れた。審神者は上がった息を整えつつ、目の前の膝丸の顔をぼんやりと見上げた。
「そのまま蕩けてしまいそうだな」
膝丸が嬉しそうに目を細めては審神者の目元を撫でた。膝丸の親指が目の下をゆっくりとなぞり、与えられる気持ち良さに審神者はうっとりと目を閉じた。
すると、審神者に触れる指がぴくりと震え、どうしたのかと審神者が見上げると、先程まで嬉しそうな顔をしていたはずの膝丸が苦々しい表情を浮かべていた。
「愛らしいのも度が過ぎるといっそ憎たらしいな……」
だから君をここから出したくないのだ、などと膝丸は愚痴のように零し、自身の手袋を脱いで放り投げた。
「ひざまる……? ……んっ」
一体何を怒られているのか、審神者が考えるよりも先に膝丸の唇が降ってきた。
降ってきた唇は突然降り出した夕立のように急だったが、触れ合った唇は溶けてしまいそうな程、優しく、熱く、気持ちが良かった。
「本当に溶けてしまいそうだな」
その口付けを受けていると、膝丸も同じ気持ちだったのか、それとも蕩けきった審神者の表情を指したのか、そう口にした。
「あ……っ」
それから膝丸の手が審神者の肩口を撫でるようにして襟元を緩め始めた。審神者が本当に溶けていないか確認するよう触れてくる手に、審神者は小さく震えた。
「良かった。まだ溶けていないな」
からかうようにして言った膝丸の手が審神者の服の中に入っては肩を撫でる。襟を崩し、出てきた丸い肩に膝丸が唇を落とした。
崩した襟から膝丸の手は大胆に審神者の衣服を剥いでいき、胸を覆う下着へと手をかける。膝丸の指が下着をそっと引き下ろすと、その中から白くまろやかな膨らみが震え出た。まるで触ってもらうのを心待ちにしていたかのように顔を出した胸に審神者は深く恥じた。
「や、恥ずかしい……」
審神者は口元に小さな拳をあてて恥じ入った。そんな審神者に膝丸は身を屈め、押し当てた拳に唇を落とす。拳と唇が触れたところから、ちゅ、と甘えた音がし、言葉にはされていないものの、膝丸から可愛いと言われた気がして頬に熱が集まる。
「……先程、君は自分など相手にされないと口にしていたな」
「え……?」
指から唇を離した膝丸が審神者の手を掴む。手を取られたと思えば審神者の体が引き上げられるように起こされ、膝丸に背を預けるような姿勢を取らされた。
「安心しろ。君は可愛いし、とても綺麗だ」
「……んっ」
膝丸の前髪が頬に触れたと思えば、耳のすぐそばで低い声が響いた。
膝丸の前髪か、声か。逃げるように顔を背けると審神者の頤を膝丸の指が捉える。
「ほら、かわいい」
どこか自慢気に口にされたそれに、一体何の話だと膝丸の方を見ようとすると、膝丸が正面を向いているのに審神者は気付く。その視線につられて同じ方向を見てみると、そこには部屋の隅に置かれた鏡台があった。
小物を入れる引き出しと、よく磨かれた大きな鏡がついたその鏡台を審神者は愛用していた。寝起きの身だしなみや、出掛けの際の化粧、衣服の確認は全てこの鏡の前で行っている。
「あっ……、やぁっ」
しかしその鏡には今、衣服を乱した審神者とそれを抱く膝丸の姿が映っていた。
二人の姿をありのままに映す鏡に審神者は赤面し、また顔をそらそうとしたが、膝丸の指がそれを許してくれるわけもなく、審神者はかたく目を瞑ることしかできなかった。
「目を閉じるな」
膝丸の唇が審神者を叱った。耳殻をそっと噛まれ、耳朶を優しく食べられる。伸ばされた舌先が小さな耳の形をなぞり、中へと忍び込まれる。
「ふぁ……っ、あっ、やぁ……っ」
くちゅ、という水音と共に膝丸の舌先が審神者の耳の中を舐め、あらぬところを舐められる感覚と脳に直接響くいやらしい音に審神者は全身の力が奪われていった。
「んっ……」
膝丸の舌が動くたびに脳に音が響き、嫌でも舌の動きを追ってしまう。目を閉じるとそれは更に顕著になり、審神者は薄っすらと目を開ける。すると、鏡越しの膝丸と目が合った。
「……そうだ、よく見なさい」
いや、目が合ったというよりも、膝丸の方は待ち構えていたかのように審神者を眺めていた。ずっと見られていたのかと思うと恥ずかしさに身を縮めたくなるも、体を丸めるようにした審神者の胸を、膝丸が優しく握り込む。
「……んんっ」
体を小さくさせると同時に寄せられた胸を膝丸の手がやんわりと包む。鏡には膝丸の手により柔らかく形を変える自分の胸がしっかりと映っており、見ても居たたまれない思いをするだけだとわかっていても審神者はそこから目が離せなかった。
自分の胸に膝丸の指が埋もれるくらいに食い込み、その手に合わせて自然と息が上がっていくのを審神者は感じた。
「ああ、ここは少し溶けているな」
餅をこねるかのように胸を揉む膝丸が審神者へと囁く。恥ずかしい事を言われているというのに、審神者を苛める楽しそうな膝丸の声に胸の奥がきつく締め付けられる。恥ずかしいのに、苛められて喜んでいる自分がどこかにいる。
「んっ……」
膝丸の指が審神者の胸の先を捉える。親指と人差し指で摘まむようにされると、ぷくりと立ち上がったそこが一層尖っていくような気がした。
鏡に映るはしたない自分の体は見るに堪えなくて、審神者は自分の肩に顔を押し付けるようにして伏せる。
「こら、顔を隠すな」
すると膝丸の指が捉えた胸の先をきゅっと強く摘まんだ。
「やぁんっ……!」
痛くはない。けれど、痺れるような快感が審神者に走る。少しだけ痛いような、でも気持ちが良いような。素直に口にするには憚られる恥ずかしい感情が審神者をちくちくと苛めてくる。
「君の体は君の口よりうんと素直だ」
「んっ……」
「しかし、素直じゃない君も俺は気に入っている。懐柔して、言う事をきかせたくなる」
怖い事を言われているはずなのに、膝丸の声で鼓膜を震わされると全てが気持ち良くなってしまう。恥ずかしがる審神者の頬に膝丸の声が、吐息が、擽るように触れる。恥ずかしがらなくていいとばかりに膝丸は耳やこめかみに口付けてきたが、思い切り逆効果だ、と審神者は両目を強く瞑った。
「君は、可愛い。かわいいな」
「ひ、膝丸、も、もう……」
ひたすら可愛いと口にされ、恥ずかしがっていいのか、喜んでいいのかわからなくなった審神者がもうやめてくれと首を振る。
「……ん、触って欲しいか?」
「ち、違っ……」
可愛いと言うのを止めてくれと言ったはずだが、膝丸には通じなかったようだ。膝丸の手が審神者の裾を割って足と足の間をそっと撫でた。
「ひぅ……っ」
鏡越しでそれを見ていると、膝丸の手がそこに辿り着くまでやけに長く感じてしまい、膝丸の指が下着に触れた途端、待ちくたびれたように中からとろりとしたものが零れ出たのを審神者は感じた。
「ああ、たくさん潤んでいるな」
膝丸の指が濡れだした部分を撫で、審神者は羞恥に首を横に振った。
「ち、違うの……っ」
「何が違う。ここから君の香りが強くする」
 膝丸の指が審神者の弱いところをとんとんと叩く。
「あっ……」
下着一枚隔てているというのに体がひくんと震えてしまった。直接触れられたわけでもないのに反応してしまう体に審神者は情けなくなってしまう。これでは下着を脱がされてしまった後はどうなってしまうのだろうか。
膝丸の手により下着を剥ぎ取られ、膝丸の骨張った指先が自身の弱い場所を苛めるのを想像し、審神者は熱い息を吐き出した。
「どんどん濡れてくる」
「んっ……、ち、違う、違うの……っ」
なんて恥ずかしい想像をしているのだ、と自分自身で興奮を高めてしまった審神者は何度も首を振る。膝丸はそんな審神者を薄く笑っては耳に唇を寄せる。
「君、鏡を見てみろ」
膝丸に唆されるように囁かれ、審神者は喉を引き攣らせた。膝丸の言われた通りに鏡を見てしまったら、きっと何かが駄目になってしまう気がするというのに、審神者の目はそろりそろりと鏡へと向いてしまう。
審神者の目が鏡に向けられたのと同時に、膝丸の指が審神者の小さな顎を軽く持ち上げてみせた。
「……己の顔をよく見てみろ。何が違う」
「あ……」
鏡に映った自分の顔に、審神者は言葉を失った。肌が、薄紅色に染まっている。上気した自分の顔は本当に自分の顔なのかと疑いたくなるくらいに艶めいており、着崩された衣服から覗く肌は男を誘うような色を放っている。鏡の中の審神者は随分と物欲しそうに目を潤ませており、こんな顔で違うと言われても何が違うのだと自分でも思ってしまう。
「これでも違うと口にするか」
あざ笑うかのような膝丸の声に、ひどい辱めを受けているようだと審神者は唇を噛む。しかしそれに興奮してしまっている自分がいるのも事実で、審神者は泣き縋るようにして膝丸の頬へと擦り寄った。
「ひ、膝丸……」
頬を寄せると、膝丸の方からも擦り寄ってきてくれて、触れる肌が気持ち良いと審神者は目を閉じた。
「ち、違くないの……。だから、もっと触って……」
審神者の方から膝丸の耳元へ唇を寄せると、膝丸が吐息交じりに呟く。
「ああ、可愛いな……。まったく、勘弁してくれないか」
「ん、んん……」
口付けと同時に下着をするりと脱がされ、片足に下着を残したまま、膝丸の指がつぷりと審神者の中に押し込まれる。
「んぅー……っ」
濡れそぼったそこは膝丸の指を難なく受け入れ、後ろから抱き締められるようにして突き入れられた指に、審神者は溜め込んだ息を吐き出した。そんなつもりはないというのに、行う行動全てがいやらしく見えてしまう気がする。いや、鏡の自分は実際いやらしく見えているので気がするも何もない。
「中がひくついている。これは流石に鏡では見えないか」
「やぁっ……」
膝丸の指が審神者に見せ付けるかのようにゆっくりと動き出したが、鏡で見えずとも、審神者が膝丸の指を締め付けてしまっているのは自分でも気付いている。
恥ずかしい。はしたない。
そう思えば思う程、中に力が入って膝丸の指を苦しくしてしまう。
「少しきついな」
そう言って膝丸が突き入れる指を増やし、中を広げるように優しく入口を擦り上げた。ぎりぎりまで引き抜かれる指に審神者の全身がぞくぞくと震え出す。
「ふ、あ……っ!」
抜かれてしまうと思えば、ずくんっと勢いをつけて押し戻ってきた指に審神者の脳が揺れた。奥まで入った膝丸の指が審神者の腹部裏側を撫で上げ、審神者の内腿が細かく震える。
「気持ちいいか?」
「んっ、んぅっ……」
膝丸が耳元で小さく笑ったのが聞こえた。中で好き勝手動く指に翻弄され、審神者は膝丸の言葉にこくこくと頷く。心も体も膝丸に支配されているようで何も言えなかった。しかし黙って頷く審神者に違うだろうと膝丸の親指が審神者の花芯を捉えた。
「気持ちがいいのならきちんと口にしなさい」
「やぁっ……! やっ、やめ……っ」
くりくりと花芯を撫でられ、審神者は全身を強張らせる。膝丸の腕を挟み込むように両足を閉じてしまったが、膝丸の親指は構わず審神者を追い詰め、審神者はその強すぎる刺激に屈服してしまう。
「ひっ……んっ、き、気持ち、いいっ……です……っ」
「……いい子だ」
止めて欲しい一心に声を上げると、膝丸からご褒美の口付けが与えられる。
唇を優しく食まれたのと同時に親指が外れ、花芯への強烈な刺激はおさまった。しかし、指はまだ審神者の中を行き来しており、行き来する指が先程の強すぎる刺激を引き継いでは、審神者をじわじわと高みへと誘う。
「あ……あぁ……っ」
額からは玉のような汗が滲み、汗ばみ始めた審神者の体に膝丸は口付けていく。
それを鏡で見た審神者は、まるで膝丸に食べられているようだと感じた。肩口に顔を埋める膝丸はまるで審神者を食しているように見える。そうでなくとも、微かに肌に触れる牙の先が、今にも審神者へと埋まりたそうに掠る。膝丸が力を入れようならすぐに喰い破られそうなその牙に、審神者の心音は高鳴っていく。それは恐れか、興奮か。
「ん、んっ……!」
審神者を高みへと押し上げるように膝丸の指の動きが速くなり、審神者の口からは切なげな声が零れ出る。鏡に映る審神者は自分でも嫌になるほど、いや、自分だからこそ嫌になるくらい情けない顔をしており、審神者は鏡から顔をそらす。
「なんだ、まだ恥ずかしがっているのか」
「も、もういいっ、あ、鏡、いい、からぁ」
「よくない。何のために鏡に君を映している」
何のためだったのだろうか。最初は鏡に向かって「可愛い」と連呼されていたが、後半はただ辱めを受けているだけだったような気がする。審神者は小刻みに動かされる膝丸の手に自分の手を添える。
「いいっ……、ひ、膝丸さえ、思って、……あっ、くれればいい」
何度も中を擦られ、腹部が迫り来るような切なさに襲われる。
「膝丸が、私のこと、か、かわいいって、あっ、思って、くれるなら、それで、いい……っ。ほかは、んっ、い、いらないっ」
深く落ちていきそうな感覚に、審神者はもう自分でも何を言っているのかわからないと混乱しながら言葉を紡いだ。最早きちんと話せていたかも怪しい、と審神者が必死に喘いでいると、中の動きがゆっくりと失速していく。そして、膝丸が苦しげに唸る。
「思っている。……うんざりするほどにな」
「え……、あっ……っ」
これ以上は我慢できないとばかりに膝丸が呟き、審神者の体が鏡台の前へと押し出される。思わず鏡台の机部分に手をつけば、背後から金具やら衣擦れの音が荒々しく聞こえ、審神者は思わず鏡越しにそれを見てしまう。
丈の短い上着を脱ぎ捨て、煩わしそうに首元の釦を何個か外す膝丸が審神者の視線に気付く。瞬間、肉食獣に見付かった草食獣のような気分に陥った審神者だが、膝丸が審神者の腰に手を添えた時点で死期のようなものを悟る。
「今更逃げられると思うな」
白緑の髪から覗く梔子色の目がぎらりと審神者を射止める。下肢の留め具や袴を緩めた膝丸が、寛がせた前から興奮しきった肉棒をぶるりと取り出す。裾をたくし上げられ、腰を引き寄せられる。濡れた入口に怒張の先が触れると、刺されてしまうと感じた審神者は両目を瞑った。
「目をそらすな。誰に貫かれるか、きちんとその目に映せ」
「……っ」
ひやりとした膝丸の口調に審神者は顔を上げた。上げたと同時に、かたく鋭いものが審神者へと突き刺さる。
「――ひ、あ……っ」
狭い入口を押し広げて入ってくる熱はとてつもない圧迫感で審神者を襲い、息を、声を、奪ってしまう。
「あっ、あぁ……っ」
鏡台の机の上で知らず握った拳がふるふると震える。審神者が白い喉をのけ反らせ、いやに時間をかけて埋めてくる熱に打ち震えていると、その熱の持ち主が小さく息をつく。
「惜しいな……。君は後ろから突かれていたとき、そんな顔をしていたのか」
「あ、うぅ……っ」
膝丸が審神者の上へと覆い被さるようにして上半身を屈めた。すると、中のものがぐっと詰まり、審神者は耐え切れずに机の上に突っ伏してしまう。
「今まで見れていなかった分が惜しい。もっと見せろ」
「ひぅっ……あ、あっ」
しかし伏せた顔を持ち上げさせられ、鏡越しの膝丸の目に焼かれてしまうのではないかと思う程見詰められた。膝丸の腰を押し付けられ、審神者の腰を引き寄せられ、奥の奥まで膝丸のかたい切っ先が入り込み、もう最奥まで触れているというのに膝丸は審神者の中へと入りたがろうとしていた。
「うっ……、ひ、ひざまる……、だめ、そんな、奥、もう、入らな……っ」
「入る」
「ん、んーっ……! はっ、……やっ、は、はなし、てっ」
ただでさえ膝丸の熱が苦しいというのに、膝丸の腕が審神者の体に巻き付くように絡んでくる。まるで蛇のようにきつく締め付けてくる太い腕に審神者が身を捩るようにして逃げ出そうとすれば、その腕は尚の事審神者をきつく締め上げた。
「……離さない」
膝丸が奥におさまっても休む間はなく、というより、おさまっても更におさまろうとする膝丸に審神者は息を落ち着かせる暇がない。それでも膝丸は急に動き出しては抽挿を始め、審神者を追い詰める。
「あっ、ひざまる、まって……っ」
「待たない」
反抗心を剥き出しにして審神者を激しく揺さぶる膝丸は、執拗に審神者の弱いところを責め立て、追い詰めていく。杭を打ち込むかのように奥をがんがんと突かれ、審神者は揺さぶられる視界の中、自分の限界を口にした。
「ああっ、や……っ、もうだめ……っ! い、いっちゃう……っ」
未だきつく抱き締められている息苦しさも相俟って、審神者の体は急速に昇りつめようとしていた。膝丸の熱にこのまま串刺しにされてしまうのではないかと審神者は思った。
「――駄目だ」
しかし、膝丸が審神者への突き上げを突然止めてしまう。
「あっ……! やぁ、どうしてっ……」
揺れた視界の余韻を残しつつ、あと少しだった審神者が膝丸を見るも、膝丸は審神者の体を抱き締めながら声を落とした。
「……行かせない」
「な、んで……っ」
「勝手に行かせないと言っている」
大きな波がすぐそこまで迫っていたというのに、突然止んだ波に審神者の限界は行き場を失くす。もう波は来ないのかと思えば、駆け上がった熱は冷まさせないとばかりに膝丸がゆるゆると中を掻き混ぜる。
「気をやりたいのなら、行かないと言え」
浅瀬を打つ波のように膝丸が審神者を揺さぶる。
「んっ……」
「あのおかしな会に行かないと、ここで」
「おかし、な……」
おかしな会とは一体何のことだろうか、と審神者は散々揺さぶられた頭の中で思い出す。確か、こうなる前に膝丸と何か話をしていた気がする、と思い返すも、答えが出る前に膝丸が強く突き上げてきた。
「あぁっ……!」
絶妙な頃合いで穿たれ、取り戻そうとした記憶が一気に霧散してしまう。
「いきたいだろう?」
「んっ……、ん、ん、いき、たい……っ」
「ならば、いかないと言え」
いきたいのに、いかないと口にするのだろうか。
膝丸が何か矛盾しているようなことを言っている気がするが、耳元で囁かれた低い声に審神者の正常な思考は奪われていく。
「いきたいのだろう」
「あっ、い、いきたいっ」
「違う、いかない、だ」
「やぁんっ……! あ、い、いかない?」
「そうだ、いかない、だ」
覚えたての言葉を教え込むように膝丸が審神者の体を揺する。ごりっと中を擦られると何度も穿たれた強烈な快感を思い出し、行くのか行かないのかと問う膝丸のそれに審神者はもう訳が分からなくなってしまう。
耳に寄せられる膝丸の唇が、声が、吐息が、快感となって審神者の理性を飛ばしていく。
「ん……い、いかな――……あっ」
そして、散々焦らされた審神者の体はいかないと口にしかけたと同時に軽く達してしまった。きつく窄められた中に膝丸は小さく舌打ちをした。
「……焦らし過ぎたか」
膝丸が教え込んだ体は些細な刺激でさえ快感として拾ってしまうようだ。
丹念に教えたことが裏目に出てしまった。
「上手くいかないな」
「あ、ぁ、待って……、い、今はっ……」
膝丸は審神者の腰を支え、また突き上げを再開させる。
すっかり力の入らなくなった足腰に審神者は鏡台へしがみ付くだけで精一杯で、達したばかりの最奥を許してしまう。
「ひ、ぁ……っ、待っ……、い、いってる、から……っ」
審神者はあっという間に元いた快楽の高みまで引き上げられる。強制的に連れていかれる、下りることの許されない高みなど最早苦痛に近い。
「あっ、ああっ、い、い……っ」
「は……、行かせてたまるか……」
「んん、んぁっ、あぁ……っ!」
激しく繰り返される抽挿に審神者の背が仰け反る。しなる体を膝丸が抱き締め、審神者の肩口に顔を埋める。審神者は膝丸の熱い息を肩で感じた。膝丸の吐息は火傷してしまうのではないかと思うほど熱く、審神者は堪らずそこから肩を逃がそうとした。
瞬間、審神者の柔らかい皮膚がぶつりと破られた音がした。
「あ、やぁあっ……!!」
「……くっ」
痛みか、快感か。
どちらか判断のつかない熱が審神者の中で勢いよく弾けた。
ぎゅうっと収縮した審神者の中に膝丸の熱がどっと流し込まれ、押し込むように最奥をぐりぐりと抉られた。
「あっ……あぅ」
膝丸が審神者の肩でふー、ふー、と息を繰り返す。
その荒い息を聞きながら、審神者は情事後の疲れでぐったりと蹲った。どっと押し寄せる疲労に審神者は既に意識を手放しかけていた。
「……少し休むといい」
膝丸が蹲った審神者の体をそっと抱き起こし、その腕の中で寝かせてくれた。
聞こえた膝丸の声は先程までの冷たい声音ではなく、いつもの優しい声に戻っており、審神者はほっと力を抜く。薄くなっていく意識の中、ふにゃりと笑えば、膝丸の手が審神者の頭を優しく撫でてくれた。
「出陣前にはちゃんと起こそう。だから少し休みなさい」
そうだ。午後は出陣があるのだ。膝丸達を見送らねば、と審神者は思い出す。しかし膝丸の手の心地よさに促され、審神者の意識はどんどんと遠のき、すうと眠りについてしまう。
眠りにつく直前、膝丸の唇がそっと重なった気がした。
「君は可哀想だ。こんな俺に好かれて」
口付けの後に聞こえた膝丸の声は、何処か寂しそうに聞こえた。


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