目目連(サンプル)

意識が失われそうになる寸前に見えるのは、無数の『目』だ。
寝てはいけないと頭で思っているのに、体がまったく言うことを聞いてくれない。
心と体が別物のようだ。
先程、眠気覚ましにコーヒーをいれて戻ったというのに、腰を下ろして書きかけの報告書に取りかかろうとしたらこれだ。
 うとうととした眠気が審神者を襲い、目を開けていようとしても目蓋は重たく、気付けば一文字も進んでいない報告書を前に船を漕いでいる。
 痛みを与えれば少しは覚めるかと、腕の肉を引っ張ったり、小さく爪をたてたり、眠気が消えるツボとやらを強く押してみたが、全然眠気が引くことはない。
 振り切っても振り切っても、それは審神者を解放してくれない。
寝たくない、眠くなりたくないと、こんなにも意識がはっきりしているのに、体
がまったく言うことを聞いてくれない。

「……大将?」
 いつの間にか閉じてしまっていた目蓋の向こう側から自分を呼ぶ声がし、審神者はハッと目を開いた。
 今までは見えない眠気という糸に操られていたかのように、四肢の自由がきかなかったが、声をかけられるとその糸はプツリと切れて突然自由を許してくれた。
「あ、薬研……」
 報告書を広げた机の上でうとうととしていた審神者に声をかけたのは、艶やかな黒髪に少し煙った藤色の瞳の少年。薄い唇に線の細い輪郭、ほっそりとした体格は少年のものなのだが、審神者を見詰める表情は随分と落ち着きを払っていて、その大人びた雰囲気が彼を儚く魅せていた。
 美少年という言葉が服を着て歩いていると言っても過言ではないと思わせるその人物の名は『薬研藤四郎』。この審神者の近侍であり、懐刀であった。
「大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
「ううん、ごめんなさい、……その、少し居眠り」
 心配そうに覗き込んでくる藤色の瞳から逃れるようにして審神者は目を伏せる。報告書を目の前に広げておいて居眠りをするなんて、宿題が終わっていないのを見つかってしまったかのような気分だ。
恥ずかしそうに顔をそらした審神者に、薬研はそっと目を細めた。
「なぁに、居眠りくらいで俺っちは叱らないさ」
「うう……、でも、遠征に行ってもらっといてお出迎えもせずに寝てるだなんて、ごめんなさい……」
 つい先日、薬研には遠征行きを命じていた。
新地への遠征だったので、薬研を含め一軍のメンバーを交えた遠征隊を編成し、出発してもらっていた。
戻ってきたら必ず出迎えと労いの言葉をかけようと思っていたのに、その遠征隊隊長の薬研がここに居るということは、つまりそういうことだ。
 申し訳なさと情けなさに審神者が肩を落としたのを見た薬研は小さく苦笑し、審神者の頭に手を置いた。
「それなら大将、今からでも迎えてくれないか?」
 審神者の小さな頭をよしよしと撫でる薬研に審神者はそっと相好を崩す。
「……おかえりなさい、薬研。遠征お疲れ様でした」
「ああ、今戻った」
 撫でられた頭が優しく引き寄せられ、薬研の額と審神者の額がコツリと触れ合う。
すぐ近くで交わる目と目に審神者が照れる間もなく、審神者の唇に薬研の薄い唇が重なった。触れた場所がじんわりと熱を帯びる。
体の一部がほんの僅かに触れ合っただけだというのに、どうしてこんなにも満ち足りた気分になるのだろう。
「……本当に体調が悪いとかじゃないんだな?」
「う、うん! すこぶる元気だよ!」
「それなら寝不足か? 昨日は? 何時に寝たんだ?」
「十時前にはお布団に入ってました!」
「起きたのは?」
「六時手前であります!」
「ふむ、十分な睡眠時間を確保しているな。食事は?」
「今日も燭台切さんと歌仙さんのご飯が美味しくて食べ過ぎたくらいです!」
「そりゃ良かった」
 うん、問題ないな。と頷いた薬研に審神者も大きく頷いた。
「それじゃ、忙しいところ申し訳ないが、遠征の実績を確認してもらっていいか?」
「もちろん! 隊の皆にも挨拶したいし、行こう!」
「あぁ」
 机から立ち上がった審神者の手を薬研が取った。するりと手の甲を撫でるように審神者の手を握った薬研を見れば、「皆のところに着くまで」と握った手に口付けをされた。
 ぽっと赤くなる頬を抑えながら、審神者と薬研は戻ってきた遠征隊が待つ部屋へと向かった。
(はぁ、ドキドキした……)
 とくとくと鳴り続ける胸に手を当てながら、審神者は少しだけ前を歩く薬研の顔を盗み見る。
濡れたような黒髪に透けるような白い肌。長い睫毛と宝石のような紫色の瞳を持つこの美しい付喪と心を通わせるようになってどれくらい経っただろう。
 審神者として大した功績を残しているわけでもなければ、顕現の難しい刀剣がたくさん居るわけでもない。そんな自分にこうして優しく寄り添ってくれる彼が居なければ、今自分はここに居ないだろう、と審神者は一人目を細めた。
(ただでさえいつも助けられているから、下手な心配はかけないようにしなくちゃ)
 審神者はそう視線を落とした。
 先程の薬研の問い掛けに、審神者は少しだけ嘘をついた。
 薬研に体調不良でもなんでもない、と返したが、少しだけ誰にも言っていない懸念があった。それは。
(寝ても寝ても寝足りない。昨夜もあんなに寝たのに、午前中からずっと眠たい。ここのところ毎日だ)
 眠くない時がない、というくらいに眠い。下手すれば一日ずっとうつらうつらとしているくらいだ。
皆と居るときはさほど眠気は襲ってこないのだが、部屋で一人作業をしたり報告書を書いていると途端に眠くなる。
最初は寝不足や疲れかと思って早寝を心掛けていたが、どんなに寝ても常に眠たい状況は変わらなかった。
(皆の前ではしゃきっとしなきゃ)
 そう気を引き締めて薬研の後を着いていく審神者だが、正直今日も今日とて眠い。眠くなりたくないと強く思っているのに体が言うことを聞いてくれないのだ。
脳内では常に警鐘をガンガンと鳴らしているつもりなのに、あらがえない眠気に今も目蓋が閉じかけようとしていた。
「大将」
 ふと、薬研に呼ばれて審神者は顔をあげた。
しまった、また落ちかけていた、と眠たそうな目を何度か瞬きするが、前を向く薬研には気付かれなかったようだ。
 ほっとしつつ薬研を見詰めていると、怪訝そうな表情を浮かべて薬研がこちらに向き直った。
「さっきも何か引っ掛かったんだが、やっぱり何かおかしい」
「え?」
 まさかもう勘づかれてしまったのか、と審神者の背中がひやりとする。
「大将の部屋の周りだけ、変な気がする」
 しかしひやりする心とは裏腹に、また審神者に強い眠気が襲ってくる。目蓋を開け続けることが難しく、すうと閉じていく。
(おかしい、薬研が側にいるのに、眠く……)
 この眠気は一人で居るからなるものだと思っていた。
そう、お弁当を食べ終えた後の数学や物理の授業を受けている時のような、何もしていないから眠くなるものだと。
(駄目、眠くなっちゃ……、薬研が、まだ話してる……)
「大将、俺が居ない間何かあった……大将?」
 強い眠気が審神者の体を支配する。
まだ部屋を出て数歩程度しか歩いていないし、皆が待っている部屋にも着いていない。薬研だって自分に話し掛けているというのに、ひたすら眠い。起きなきゃ、寝ては駄目、と意識だけははっきりとしているのに、体がどんどん眠っていく。
「大将、……大将!」
「ごめ……、やげん……」
 薬研の焦った声を聞きながら、審神者は自分の体が崩れていくのを感じた。
見えない糸がふつふつと自分に絡み付いては四肢を奪っていく。
(あ、また……)
 遠くなる意識と共に、審神者の視界に無数の目が映り込む。
ばちばちと瞬く無数の目が、まるで碁盤の目のように均一に並んで審神者を見る。
(……気持ち悪い)
 そしてその無数の目に見詰められながら、審神者は意識を手放した。
***

「あやかし……?」
「ああ、もくもくれん、という名前らしい」
 初期刀の加州清光と薬研の声が聞こえる。
 審神者は眠りと目覚めの狭間をふわふわと漂いながらも薄らと目を開けた。
視界に入ってきたのは自分の部屋の天井だった。どうやら自分は布団の上で寝かされているようで、聞こえてきた声は閉じた戸の向こうからのようだ。
「ごめん……、気付かなかった」
「いや、気付かなくて当然だ。元々そこまで妖気の強いものじゃなかったみたいだしな。石切丸の旦那がすぐに祓ってくれた」
「もくもくれん、だっけ?」
「ああ、本来は人を驚かす程度の低級妖怪なんだが……」
「そんな妖怪がここに入ってきていた事に気付けなかったなんて……。俺らが寝ている棟と主が寝ている棟が離れているから妖気に気付けなかったのかな。何か対策を立てないとまた似たようなことが起こるかもしれない」
「ああ、近い内に話そう」
「明日にでも」
「助かる。取り敢えず今夜は……」
「わかってるよ。遠征の実績は俺が確認しとく。主のこと、よろしくね」
「ああ」
 足音が一つ、遠ざかっていく。おそらく加州のものだろう。
 二人の会話をぼんやりと聞いていたら少しずつ意識がはっきりとしてきた。
離れていく加州の足音を聞きながら、審神者はゆっくりと体を起こした。
 頭はまだぼんやりとしているが、体はどこかすっきりしている。肩が軽い。
「大将? 起きたのか?」
 布団から起き上がった音で気付いたのか、薬研が戸越しに声をかけてくれた。
「うん、どうぞ」
「失礼する。……悪い、起こしたか?」
「ううん、気にしないで」
 先程の会話で起こしてしまったかと薬研が申し訳なさそうな顔で入ってきたが、審神者はそれに首を振った。
「むしろ私の方こそごめんなさい。急に意識を飛ばして……」
「意識を飛ばした記憶があるのか?」
「少しだけ。そんなにはっきりしたものじゃないのだけど」
 凄まじい眠気とは逆に意識の方はわりとしっかりとしていた。眠くなっていく感覚が怖いと思う程には意識はあった。
 しかしまさかそんなところを薬研に見られてしまうなんて。
恥ずかしさと呆れが審神者を襲う。布団の端をぎゅっと力強く握りしめた審神者だが、そんな審神者の元に薬研は近寄り、片膝をついた。
「大将、すまない。聞こえていたかもしれないが、あやかしが大将の部屋に居たんだ」
「ああ、さっき言ってた……えっ、私の部屋?」
 先程、加州とのやりとりであやかしがどうのこうのとは聞こえていたが、まさか自分の部屋の話だったとは、と目を丸くした審神者に薬研が顔を近付けた。
「大将、ここ最近、実は調子が悪かったんじゃないか?」
「……え?」
「大将の部屋に居たあやかしなんだが、元は人を驚かす程度の低級妖怪のはずが、大将の霊力を側で浴びて随分巨大化してたんだ」
 大将の霊力を自分から喰いに行く程度には。と薬研は付け足した。言われて審神者は少し考えるようにし、口元に指をあて薬研を見つめ返した。
「違うかもしれないけど……、実は、ここ最近ずっと眠たくて。寝ても寝ても寝足りないくらいだったの」
 言いづらくはあったが、心当たりのある不調を伝えると薬研はそれだとばかりに眉を寄せた。
「いや、違わない。ずっと眠たかったのは大将の霊力がそのあやかしに食われ続けて枯渇しかけていたからだ。……他は? 何か気になること」
「ええと、意識が飛びそうになる直前、目が、たくさんの目が見えた」
「大将……」
 深い溜め息が薬研の唇から溢れた。何か怒らせてしまっただろうかと恐る恐る薬研の顔を覗き込もうとしたら額を指で弾かれた。
「……っ」
「おかしいって自覚症状あるじゃねぇか。最初に体調が悪くないかって聞いたときになんで言わなかった」
「ご、ごめんなさい……。その、大したことじゃないと思って……」
「大将が見たそのたくさんの目は今言ったあやかしの姿だ。人の目で見える程のあやかしはそれなりの霊力を持っている証拠だ。大将の場合、まさに霊力を喰われるところを自分で見てたってことだ」
「ひ、ひえ……」
 自分が見えていたものが実はとんでもなく恐ろしいものだったという事に気付かされ、審神者は今更ながらも小さな悲鳴をあげた。
 そんな審神者に薬研はまた一つ溜め息をついては、審神者の頭を抱き寄せ、その額を自分の襟口に埋めさせた。
「さっき大将に口付けた時、随分霊力が薄いなと思ったんだ。……早く気付けて良かった」
 最後の一言は審神者に言っているようで、薬研自身に言っているようだった。消え入りそうな声で呟かれた言葉に、審神者は薬研の首元に頬を寄せた。
「ごめん、心配かけたくなくて。居眠りがひどいなんて、恥ずかしかったし」
「それはそれで睡眠不足かもしれないだろ。心配させてくれ。黙られている方が心配する」
「……はい」
 薬研に抱き締められ、その腕の中で審神者はそっと目を伏せた。
 審神者の頭を撫でる手は優しく、また眠りに誘われそうだったが、この眠気に恐怖はない。薬研が側に居てくれているからか、それとも薬研が眠りに誘ってくれているからか。
 かと言ってまた話の途中で寝てしまっては心配に心配を重ねてしまうだろう、と審神者は顔をあげた。
「ええっと、なんだっけ。モクヨウビ?」
「もくもくれん、な」
「ああ、もくもくれん。その、それはまだこの部屋に居るの?」
「いいや、すでに石切丸の旦那に祓ってもらった」
「そっか」
「じきに大将の霊力も回復して、眠気も治まるだろ」
 眠気が治まると聞いて審神者はほっとした。あの怖い程の眠気の原因が取り除かれる。振りきろうとしても振りきれない眠気も恐ろしかったが、眠気の原因がわからなかったことも怖かった。それが無くなるのだと思うと少し心が軽くなる。
 眠気のおかげで報告書をすっかり溜め込んでしまったのだ。今からでも取り掛かれば提出期日にはまだ間に合うだろう。
「ただし、しばらく安静にしていればの話だがな」
「し、しばらく?」
「ああ、こんなに霊力が枯渇してるんだ。むしろよく日常生活を送ろうと思ったな」
「私、すこぶる元気だよ?」
「体調と霊力はイコールではない、とは言い切れないからな。今は平気でも、後々何かしらの症状が出るかもしれない。念のため安静にしといた方がいい」
「えぇぇ……。れ、霊力ってどれくらいで回復するものなの?」
「さぁ、個人差によると思うがな」
 せっかく溜め込んだ報告書を片付けられると思ったのだが、絶対安静とばかりに薬研が腕を組んでいるため、下手に言い返せない。
 薬研曰く、体調と霊力は畑が違うのだという。霊力という畑を持っていない人間は、それはそれで生きていけるのだが、審神者のように一度霊力を持ってしまえば、片方の畑だけ耕していればいいという訳じゃなくなるのだという。
「て、提出しなきゃいけない報告書が何件かあって……」
「報告書くらい俺がなんとかしてやる」
「や、薬研ニキィ……」
 ではなく。自分の体を回復させることは大事だ。しかしそれと同じく報告書の提出も審神者にとっては大事なことなのだ。
「霊力の回復って、安静しかないの? 休めばすぐ治るもの? お粥食べて一日寝ていれば復活する?」
「あー……」
 詰め寄るように聞く審神者を薬研は黙って見ていたが、本当に切羽詰まっているのだと言わんばかりの審神者の表情に仕方ないと頭を掻いた。そして、その手を叩くようにして膝に置く。
「ない、わけじゃない。応急処置」
「本当?」
「ああ。まぁ、本当に応急処置だけどな」
「それでもいい! とにかく報告書が……」
 言いかけた審神者の唇に、薬研の親指が触れる。
 ふと、自分に落ちてくる薬研の影に審神者は目を丸くした。
「薬研……?」
 少しだけ顎を持ち上げられ、唇が触れる。
 擽るような薬研の吐息が唇にかかった。
「……っ」
 ふう、と触れた薬研の吐息は温かく、唇が微かに濡れる。その僅かな吐息に体が唇からじゅわりと溶けてしまいそうになった。
「っ、な、なに? とつぜん……」
「ん、応急処置」
「え? こ、これが、んっ」
 この行為の何処が応急処置なのかと疑う審神者の唇に、再度薬研の唇が重なる。頭を撫でるようにして引き寄せられ、薬研の唇が優しく押し付けられた。
息を吹き込むようにして、薬研が審神者の口内に吐息を送る。薬研の温かい吐息に触れると、自分がアイスにでもなったかのようだ、と審神者は感じた。触れられたところから体がとろりと溶けていく。
「ふ……」
「もう少し」


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