無理も道理も最期の最期まで(3/4)

「今日はお忙しい中、ありがとうございました。」


先方に深々と頭を下げて今日の大将の仕事は終わった。お忙しい中来たのは大将の方だと俺は思うがな。取引先の打ち合わせは遅くまで続き、時刻はもう8時を過ぎている。先方が大将をメシに誘っていたが、打ち合わせ中にまた校正かかったのですぐに取り掛かりたいと大将は断っていた。まだまだ仕事をする気らしい。
相変わらず、お忙しい人だ。体壊さなきゃいいんだが。


「今日も夕飯はコンビニか?たまには体も労わってやらんとな、大将。」

「んー、がつんとラーメン食べたいなぁ。」

「聞いちゃいねぇな。」

「酒も飲みたい。」

「おーい。」


駅の線路下、立ち並ぶ一見狭くて汚そうだが、なんとも味のある店を一人吟味していく大将の後ろ姿をくすくす笑いながらついていく。


「帰ったらまた仕事するんだろう?酒はまた今度でもいいんじゃないか。」

「お酒飲むとあと寝るだけになっちゃうもんなー。」

「そうしたら後辛いのは大将だぜ?」

「うーん。でも飲みたい。」


うんうんと唸りながら大将の後ろを歩くのは、以前そうしていた時を思い出させて俺は自然と笑っていた。次の出陣について俺の意見が聞きたいと呼び出しては大将の部屋に着くまで話し合ってたり、こうして大将が歩きながらうんうん考えて俺がその案に答えていく。まぁ、話の内容は次の出陣から次の宴会ではどんな催しものをしようかと多種多様だったが、こうして大将のお傍に居れることは、俺の最大の誉れだった。


「っと、…大将?」


今日の店を何処にしようか歩いていた大将が突然足を止めた。ぶつかっても実体が無いのでぶつかりはしないが、寸でのところで俺も止まれば、大将はカツカツと先を歩いて道端に座った。というよりも、道端で小さな机を置いた何とも怪しげな一角に足を止めた。
机の端に小さな行燈を置いたそこには団子みたいなデカい耳飾りをしたばあさんが座っていて、机には『運命鑑定』『恋愛結婚』『仕事財運』なんて書かれた白い敷物が敷かれていた。見るからに怪しいが、大将はこのばあさんに何の用があるんだろうか。


「いらっしゃい。結婚?恋愛?」

「ううん、そういうのじゃないんですケド…、」


ばあさんは随分とまた無愛想なうえに口早に喋ったが、大将はひどく言い辛そうに、神妙な顔で口を開いた。


「私、ここ最近の…、一ヶ月くらいの記憶が無いんですよ。」

「……へぇ…。」

「でも別に健康とかは大丈夫なんです。問題は仕事で…、」

「仕事運?」

「あっ、いや、そういうわけでもなくて、仕事だけでもないというか…。うーんと、何を言えばよいやら。」


瓶底のような分厚い眼鏡をかけたばあさんは大将の言葉に目をぎらりと光らせた。何かを言いあぐねている大将は俯いててばあさんの目つきに気付かなかったが、見ていた俺は実体が無くとも背筋がぞっとした。


「全体的に!なんだか調子がいいんですよね!!怖いくらいに!」

「ふぅん、いいことじゃないの。」

「そ、そうなんですけど、なんか、順調すぎて…。お金もあるし、仕事もスムーズだし、人間関係もいいし、あ、恋人はまだなんですけどね、」

「そう、はい、手、出して。」

「あ、はい。」


ばあさんの分厚い手が大将の手を取る。手相、を見るのか虫眼鏡を取り出し、「ふんふん」とばあさんは頷いていた。それを大将はそわそわと見ていて、落ち着きのない大将ってちょっと可愛いな、なんて思いながら俺もばあさんの言葉を待った。


「わりと根詰めて仕事するの、好きでしょう?」

「あ、はい…!」

「あと、一つのことに集中すると周りが見えない。食事はしっかり取れてる?その内体壊すわよ、アンタ。」

「ううっ!」

「ばあさん、良くわかってるじゃねぇか。」


そう、そうだんだよウチの大将は。なんて思わず身を乗り出してしまった。あちらさんは俺っちのことなんて見えてないとわかってても、ばあさんの言うことはあってるからつい相槌を打ってしまう。大将の仕様が無い愚痴なんて、前は初期刀の蜂須賀の旦那くらいしかできなかったが。


「休みの時くらい休んだ方がいいね。仕事してるでしょ。」

「してる。俺がどんなに言ってもしてる。」

「だ、だって、早めに終わらせれば後がラクだし…、」

「もういい歳なんだから大人しくしてなさいよ。若い時みたいに体はもたないわよ。」

「そうだ大将、あんまり無理すんなってことだ。」

「いい歳…はい…。」


それからばあさんは虫眼鏡を置いて、ふう、と一息をついた。


「まあでも、問題ないでしょう。順調なんでしょ。」

「あ、はい。」

「でしょうね。貴女守られてるもの。」

「っ座敷童…!?」

「ではないわね。」

「み、見えるんですか…!」

「見えないけど、なんとなくわかるわよ。貴女は守られてる。」


そう言ったばあさんは、初めて大将に笑顔を見せた。といってもだいぶ顔の肉が重たそうで口角が少し上がったくらいだが。大将はばあさんにそう言われて、思わず身を乗り出していた体をゆっくりと元に戻した。


「神様、かしらね…。それも特別心の優しい神様。」

「かみ、さま…?」

「ばあさん、俺が見え…」

「詳しくはわからないけど、多分、今順調なのはその神様が貴女を守ってくれてるからよ。」


本当に見えてないのかよ…、と不安になるくらいの的中率に俺が怖くなるくらいだ。まぁでも、俺が大将へ言いたかったことをこのばあさんが代弁してくれたから、大将の無茶もこれで少しはおさまるかと肩をすくめる。やれやれと言った感じで大将を見ると、大将は広げていた小さな手をぎゅっと握っていた。それからばあさんに言うでもなく、俺っちに言うでもなく、自分にも言うでもなく、ぽつりと呟いた。


「その神様に、もう大丈夫だよって、伝えたいなあ。」

「せっかく守ってもらってるのに?」

「…うん。なんとなく、なんですけど…。多分、その神様私に憑いてちゃいけない気がする。」

「…大将…?」

「なんとなく、なんですけどね。…なんとなく。」


最後に、困ったように笑った大将のその顔には、見覚えがあった。
ああ、あの時の顔だ。俺との、俺達との縁を切ると言った時の大将もそんな顔をしていた。ありがとう、大好きだよ、また何処かで会えるといいね、と。大将は俺に、また何処かで会いたい、と言ってくれた。
忘れていたように大将の言葉が今蘇って、俺は立ち尽くした。そうだ、あの時大将は俺に、また何処かで会いたいと言ってくれた。けど、俺には帰る器がないからと言って、未練がましく現世の大将に憑いてきてしまった。心配だったのだ。大将は放って置くと無茶ばかりするから、自分の体も顧みずに俺達の心配ばかりして、仕事も一人で全部こなそうとして、メシも大して食わないし、徹夜だって平気でするし、だから俺は。


「私のことはいいから、神様は神様の仕事をしなさいって感じかな。」

「あらあら、神様に向かって。」

「だって私に憑いてたくらいだから、それくらい言われるの予想してそう。」


そう笑った大将に、俺はそっと目を閉じた。
違う、大将が心配なんじゃない。心配なのは、俺自身だ。兄弟のように器があるわけじゃない。戻れる場所も残っていない。そんな俺が転生を望んだって何処に飛ばされるかわかったもんじゃない。今までの記憶も、大将の元にいた記憶も、本丸の皆と過ごした日々も、大将に抱いたこの気持ちも、全て消えてしまうのが、怖かった。
消えてしまったら何も残らない。一度消えてしまった身だからこそ、それを知っている。全てが無くなるということがどういうことか、俺にはわかるから、だから。


「薬研と、また何処かで会いたいなぁ。」


はっと顔をあげたそこには、困ったように笑う大将がいた。そうだ。本丸の桜の木の下で俺は大将と縁を切られて、もう主従じゃなくなったから好きにしていいんだよと言われ、俺は器が無いから消えるしかないんだと答えたら大将がそう言ったのだ。散っていく桜がもう最期だと言わんばかりに咲き誇っていて綺麗だと思えたのに胸が痛かった。けれど大将には最後まで笑っていて欲しくて、俺は随分と不格好な笑みを浮かべていたと思う。


「大将、俺は…」

「転生しないの?いまつるちゃんとか、転生して会いにきますねーとか言ってくれたんだけど。」

「転生しちまったら、何も残らないからなぁ。」

「え?そうなの?」

「普通、そうだろう。」

「あら、私の自慢の近侍がやけに弱気ね。」

「でも事実だ。」

「さぁ?やってみなきゃわからないじゃない。案外ワンチャンあるかもよ?」

「大将らしい。」

「今の薬研は随分薬研らしくないわ。無理も道理も最期の最期まで、柄まで通してみせてよ。」


私、待ってるから。
そう言って、大将は現世へと戻った。そして、俺のことを忘れた。ほら言った通りだ。消えたらもう何も残らなかっただろう?そうやって俺まで転生を望んだら、俺の大将への記憶も無くなってしまう。消えてしまうんだ。そんなもの無かったことになるんだ。だったらせめて、俺だけはそのままでありたいと願うのは我儘なのか?


「………でも、」


望んでみなきゃ、最期の最期までわからない。俺がこのままでいいと望んだら、これはきっと一生だ。
でもその一生は、ずっと大将と目も合わなければ会話もできない。気軽に触れることさえもできない。
でも転生を望んだとしても大将にまた会えるかもわからないし、そもそも大将の記憶も大将への想いだって消えてなくなる。
何も残らない。けれど大将、俺だって。


「俺だって、もう一度、アンタに会いたい。」

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