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ナマエが新しいエクソシスト、ミランダを連れて教団に帰ってきたのは深夜だった。しかし深夜だからと言って教団が静まる、という事はなかった。むしろ以前より忙しさが激しくなっている。それほど戦況が激しくなっているという事なのであろう。ナマエはミランダに門番の身体検査を受けさせ本部に入城した。(ちなみにレントゲン検査を受けた時のミランダのびびりっぷりは科学班の皆に「あの時」で通じるほどの出来事だったらしく、「あの時のミランダはすごかった」「強烈だった」「目が覚めた」と後に語られた。)入団一日目はとりあえず長旅の疲れを癒やすためミランダに部屋を与えてすぐに就寝した。二日目にリーバー班長とナマエでミランダの簡単な入団手続きを済ませ、三日目にはコムイが無事帰ってきたのでミランダを正式にエクソシストとして迎え入れた。無事帰ってきた兄の笑顔にナマエはその白い団服に顔を埋めて抱き付いた。優しく抱き返してくれたコムイだが腕を回された瞬間、ナマエは自分の幼い行動に驚くのだった。最近の自分はひどく情緒不安定だ。
コムイはリーバー班長から受け取った資料をめくってソファに座るミランダを一瞥した。
「ミランダ・ロットー
ドイツ人。1月1日生まれの25歳O型。職業経験は豊富、しかし1ヶ月続いたことがない。
100回以上の失業経歴を持つ。イノセンスは時計。効果はまだ未知数。」
確認をとるような視線にミランダはやはりどこかおどおどした様子で頷き、コーヒーを持ってきたナマエはそんなミランダの様子にまた心に霧がかかった。ナマエは小さく溜め息を出すがその心の霧は吐き出されることはない。
「ありがとう、ナマエちゃん。」
コーヒーを受け取ったミランダは微笑み、ナマエもぎこちなくそれを返した。
「あ、い、いいえ。」
変だ。
ナマエはコーヒーを出してすぐに部屋を出た。
ミランダを見るとどうしてもやもやするのだろう。昨日一昨日とミランダと一緒に過ごし、おっとりとした性格の優しい女性だとわかっているのに、どこか彼女の何かを否定的に感じている自分がいる。どうして?わからない。なぜ?わからない。
(苛々する…。どうして。)
ナマエはやり場のないこの気持ちに泣きそうな顔になるがすぐに唇を噛んで堪え、走り出した。走って走って、途中リーバーがナマエを呼び止めたが聞こえないフリをして走った。目的地は特になかったのだが走り着いたところはヘブラスカへと繋がるエレベーター前だった。ナマエは息を整え、弱々しく息を吐いてそれに乗って下降した。
「ナマエ…?」
急に訪れたナマエにヘブラスカは少し驚いた声を出したが、そんな声でも彼女の声は優しくどこか落ち着かせてくれる。
「ど、どうした…?」
ナマエはふるふると首を振った。
「ナマエ…。」
「ヘブラスカ、」
ナマエの声がヘブラスカの間に響き渡ったのだが今にも泣き出しそうな随分弱い声だった。
「ミランダの…、シンクロ率はどうだった…?」
「ミランダ、のか?」
聞いてどうするのだ、と言おうとしたがナマエの表情を見てヘブラスカは何となく察した。
小さな体で、自分のせいではない罪を背負われた、16歳の儚い少女は小さく震えていた。
「…ナマエ、」
ヘブラスカは触手に近い白い手をナマエに伸ばし、ナマエはその手に触れた。
「不安に、なることは…な、ない。」
「…不安、…?」
「ね、嫉む必要も、ない。」
「…嫉む…?」
私が?何に?と見上げたまだまだ幼い少女にヘブラスカは静かに笑った。
「お前も…一人のエ、エクソシスト、だ。」
「…知ってるよ…。」
と言ったナマエだがヘブラスカとは視線を合わせなかった。ナマエはヘブラスカの手を大事そうに包み、小さく微笑む。その微笑みがあまりにも儚すぎて、ヘブラスカはそれが痛々しく見えた。
「ヘブラスカの手、あったかいね。」
「…ナマエ。」
それを頬に滑らせたナマエをヘブラスカは抱き締めた。たくさんの手をナマエに伸ばしてその小さな体を綿で包むように、優しく。
「…!」
しかし抱き上げた瞬間、ナマエとそのイノセンスが奏でる不協和音にヘブラスカが気付かないわけがなかった。
「ナマエ…、お前…。」
ヘブラスカの声にナマエは耳を塞ぐようにヘブラスカの体に顔を埋めた。
「ボ、ボロボロでは…ないか…。」
そう、外傷など一つもないナマエに言った。
「どうしたのだ、これは…」
「私が知りたい。」
ナマエの返事はすぐに返ってきた。
「コムイとリナ、リーは…知って、いるのか?」
「知らないし、言ってない。」
「神田、は?」
神田、という言葉にナマエは弾かれたように顔を上げ、半分叫ぶように声をあげた。
「駄目っ!!」
ナマエの言葉が余韻を持って辺りに響きわたる前にナマエは続けた。
「ユウには言わないでっ!!誰にも言わないで!絶対!!」
縋りつくような声にヘブラスカは驚いたが、すぐにナマエを落ち着かせようと背を撫でた。
「駄目!言わないで!!お願い…!!」
「お、落ち着け…。」
「…ヘブラスカ…、お願い…!!」
「ナマエ…。」
お願い…。もう一度、絞るように言われてヘブラスカは「あぁ。」と言うしかなかった。
ーしかし、不安定すぎる。
それがヘブラスカの感じた事だった。ナマエ本人もナマエのイノセンスもシンクロ率も不安定だ。まるで命綱も付けずに絶壁の谷に一人で綱渡りをしているようだ。いつ堕ちてもおかしくないほど、不安定。それがナマエの体に表れている。外傷ではない。彼女の中だ。ヘブラスカが見た彼女の中は酸化した釘のようにボロボロだった。
「ナマエ…、今、は、どこか苦しくないか…。」
「今は苦しくない。…だけど、2日に一度くらい大抵の機能が駄目になる。」
機能、と言う言い方にヘブラスカの胸が軋んだ。ナマエは泣きそうな声で、しかし決して泣かず、堪えきれないとばかりに言った。
「最近は…寝れなくなった…。前はそんな事なかったのに、この頃はいつもなの…。」
「………………、」
「聞こえなくなったり、話せなくなったり、何も感じなくなったり、日が経つたびにその間隔が狭くなっていくの。薬も呑んでるのに、効かない。」
ヘブラスカは唇を震わした。やはりあの実験は間違いだったのだ。あの実験で生き残ったナマエ、いや、生き残ってくれた子供はこんなにも苦しんでいる。
(自分がやったことなのに、何もしてやれないのか…。)
ヘブラスカの頭に幼いナマエがチラつく。柔らかい腕に革のベルトを食い込ませ縛り、嫌がるナマエに神の結晶をシンクロさせた。忘れはしない。目が痛くなるほどの光が彼女の鼓動と一緒に光っていたのだ。彼女は奇跡的に神に魅入られたはずなのに。なぜだ。なぜこんな体になっているのだ。
「私、どうなるんだろう。」
最後に呟かれた言葉は、
やけに他人事のようだった。
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