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「ですが、私共の船は昨夜の戦闘でひどくやられてしまいました。今すぐとはとても…」


そう話すのは、船を貸し出してくれた教団サポーターのアニタだ。妓楼の女主人とは思えぬ小ざっぱりした格好に戦闘の痕を残しているが凛とした声と顔は汚れていても美しかった。


「修理にはとてもかかります。」


もう海には出れないだろう船を見上げるアニタにならってウォンも船を見上げた。しかし焼けてしまった船と帆を見詰めるアニタとは違い、ウォンはそこから動く一人の影を見詰めていた。リナリーとラビに状況を説明する前に船内と見て回りたいと言った『彼女』はもう用は済んだのか、風に煽られる髪を抑えながら、ちょうど船から顔を出したところだった。


「心配無用。本部から新しいエクソシストがこちらに来ております。彼女がいれば出航できるでしょう。」


ウォンはちょうど良いとばかりに皆に船の上を見るよう促せ、船の上の彼女を見上げた。
朝陽に当たって光る黒服は今まで見たこともない素材の団服だ。黒のブーツに体の線がわかりやすいライダースーツのような型。すらりと伸びた足に女性らしい腰付きと胸。肩には丸い盤のようなものが掛かっている。風で靡くクセのある黒髪を押さえて見えた瞳には何処か強い意思が見えた。


「彼女…ミランダ・ロットーなら。」


ミランダという名前にリナリーが少しだけ顔を上げ、こちらを見上げる皆に少し驚いたのか船上のミランダがこちらと目を合わせると一瞬だけ肩を揺らした。ウォンは船上のミランダをこちらにと呼び付けた。船から降りてきたミランダは近くで見ると案外弱々しい目をしていた。ラビは新しいエクソシストを不躾にもじろじろと見ていたが気付いていないのか横を普通に通り過ぎた。その姿で確信する。まったくもって戦闘向きとは思えない女だ。


「さぁ、船を。」

「は、はい。」


発せられた声も何だが自信がないような弱い声だった。


「…みなさん、少し下がっていてください。」


そう言って一体何をするんだとこちらを見てくる皆を下がらせ、ミランダは船を見上げた。とても大きいその姿に思わず唾を飲み込む。


(落ちついて)


内心、バクバクと鳴り続ける心臓にミランダは深く深く深呼吸をした。そう、「落ち着いて。深呼吸をしましょう」。いつか聞いたナマエの声が脳内に響く。そして耳を澄ます。イノセンスの鼓動を聞いて、それに呼吸を合わせる。ゆっくり、目を開けて。あの置時計から造られた、彼女の対アクマ武器――


『刻盤−タイムレコード−』


イノセンス発動。


「対象空間(ターゲット)を包囲」


瞬間、ミランダの肩にかかるレコード盤のようなものが手元まで降り、光を放った。ミランダがそれを向けた船は光と光を紡いだ線に覆われ、壊れた船全体を包む。そしてミランダが「確定」と声を上げ、光は色濃く輝きを増した。


「これより、私の発動停止まで秩序を亡失(ロスト)し、時間回復(リカバリー)します。」


リカバリー、とミランダが声を上げると、船は焼けた帆を白く強く張り、破損した外傷全てを無くし、完全に出航する前の姿を見せた。昨日の戦闘など無かったことのように全てが元通りになっている。黒塗りの塗装もマストも帆も、全てだ。
ミランダは対象空間の頭上に、発動している証拠である刻盤が具現化されているのを見上げ、ミランダは確認するように手甲のイノセンスを見る。コチ、と小さな音をたてて動き出した刻盤の針にきちんと発動できたことに安堵した。ほっとして肩を落とせば何をする気だとこちらを見ていた面々が目を見開き口を大きく開けていた。その表情の並びは正直、怖い。


「あ…あの…あれ?」


しかも反応も何もなく、ただただあんぐりとした表情をミランダに向ける皆にミランダはハッと息を呑んだ。


(何?も、もしかして船直しちゃいけなかった…?)


ウォンからは「さぁ、船を」しか聞かされていない。誰も船を直せなんて言っていない中、自分はそうだと勘違いしてしまったのではないのだろうか。つまり自分は随分と見当違いなことをやらかして皆をこんな表情にしてしまったのか。


(新入りのくせにでしゃばって引かれてるんだわ!!)


蘇るやり過ぎて全て空回りしていた頃の記憶が走馬灯のように走りミランダは居た堪れなくなり、とっぷりと広がる海へと引き攣る悲鳴と共に飛び込んだ。


「ごめんなさいごめんなさい〜〜〜っっ!!」


しかし飛び込んだのも束の間。数秒もしない内にミランダは溺れ、ブックマンに蹴飛ばされ同じく海に落ちたラビに救出されたのはそこから5分もしない話である。



***



「コムイ達から?」


船が出航の合図を鳴らし、男達の掛け声と共に海を裂くように動き出したのを感じながらラビはミランダから受け取った真新しいそれに袖を通した。海に飛び込んだミランダを助けたラビの団服はぐっしょりと濡れてしまった。ミランダの撥水生地のものならともかくラビのは戦闘でボロボロになったせいもあり、引き上げと同時に再び着れるか怪しいものとなってしまった。そこでミランダがそうだったと両手を叩いたのだ。


「『最新の団服です』って。みんなもうボロボロだろうから渡すように頼まれたの。」


なるほど、ミランダが着ていたのは新しくなった団服の一着だったのか。今更彼女のデザインが見たことないものだったのに納得がいった。ラビの新しい団服も以前のものよりぴったりと体に合うもので、鉄槌を振り回す戦い方のラビとしてはなかなかのものだった。強く黒を発色する艶のある生地は着てみるとわかる、とても軽くて動きやすい素材だ。六分丈袖のジャケットはどれだけ槌を振り回しても衣に取られることはないだろう。足に槌を入れられるよう小型ボルダーも付いている。


「軽くて動きやすいさっ」

「でもとても丈夫なんですって。」


船室の中、新しい団服の伸縮を確かめるようラビがその場を軽く飛び、同じく着心地がいいのか満足そうに頷くクロウリーに微笑みながら、ミランダはそれを渡してくれた面々を思い出した。肉体的にも精神面的にもぼろぼろになった科学班が『少しでもキミ達を守ってくれるように』と想いを込めて作ってくれた新しい団服。ミランダが出発する前にはナマエがこの団服に皆の無事を祈っていた姿があったのを彼女は知っている。そうだ、ナマエの顔を思い出してミランダはまだ新しい団服を渡していないリナリーを思い出した。彼女とはロード以来久々に会うこととなるのだが、彼女の瞳に光は無かった。


「リナリーちゃん…」


アレンの事で心ここに在らず、というよりも意識がないように見える。なるべく明るく彼女の名前を呼んでみるも、返事はもちろん無い。リナリーの傍にはティムキャンピーが寄り添うように飛んでいる。


「心の整理がつかんのだろう。リナ嬢は昨夜アレンの側を離れたことを悔いておる。」


出航する前にだいたいの話は聞いていた。もっと自分が早くここに到着、合流できていれば少しでも戦闘の力になれたかもしれない。ミランダ自身にも悔しさはあったが、リナリーの場合はその倍以上悔しさと一緒に何かの感情に追い込まれているように見えた。


「自分を責めているんだ。」


そう、悔しさと共に彼女は自分自身を責めている。ブックマンがそう静かに告げた瞬間、大きな音が船室に響いた。すぐに船室の窓ガラスが割れた音だとわかったのは、カシャンと続けてガラスが床に落ちたからである。


「いい加減にしろよ…」


耐え切れないとばかりに震わした声を出したのは、右手の拳でガラスを割ったラビだった。


「仕方ないことだったんさ…っ、オレらは昨日必死に戦った…!」


ガラスが割れた音でも皆からすれば十分な音だったが、声を荒げたラビにもリナリーは表情一つも動かさなかった。整った顔立ちのせいで、まるでゼンマイが切れて動かなくなった人形のように見えてしまう。そんなリナリーの様子に更にラビの苛立ちは募るばかりで上がる声はどんどんと鋭くなっていく。


「どうしても助けられなかったんだよ…っ」


その瞳が微かに潤んで見えるのは、気のせいなのだろうか。


「戦争なんさしょうがねェだろ!!諦めて立てよ!!!」


船室がびりびりと痺れる程のラビの怒声は悲痛の響きを持っていた。その言葉にリナリーの柳眉が微かに動き、まるで筆で撫ぜたような涙が一筋、その瞳から静かに流れた。まるで自分の声なんて聞こえてないようなリナリーから流れ出た一筋に昂った感情が一気に静まる。
しかもそれを見ていた他の仲間がまるで「泣かした…。」とばかりにこちらを見てくるのでラビはうっと言葉に詰まった。


「スマンな、リナ嬢。ほれ、きつくお仕置しとくから。」

「ぐげがぎごげぶぶっっ!!!」


すぐにブックマンによる制裁が下され、ぎりぎりと絞められるラビだがその姿はまだリナリーの瞳に映ってはいない。リナリーは未だ虚空を見詰めており、涙が流れた分、先程よりも痛々しく見える。少しだけ伏せられた瞳の奥は何を映しているのだろうか。助けられなかったアレン以外の何かにも捉われているように見える。


「私には、」


ブックマンは場の空気を入れ替えるよう、少しだけ声を張るように背筋を伸ばした。


「『時の破壊者』と予言を受けたあの小僧が死んだとはどうも信じられん。」


『時の破壊者』とは、アレンがヘブラスカから予言を受けた時の言葉である。何処か意味深げだと兄が話していたのが脳内で思い出され、リナリーはふと顔を上げた。クロス部隊に入れてもらったのはその予言を受けたアレンに興味があるからだとブックマンが続けた。


「時の破壊者の『時』とは、ある人物を指しているのではないかと。」


『時』、『千年』


「アレン・ウォーカーは千年伯爵を破壊する者ではないだろうか。」


ならばこんな所で死ぬハズは無い、と言うブックマンは、まるで歌でも詠っているようだった。


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