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「咎落ちになったら助からない。」


受話器越しから妹リナリーの喉がひゅっと鳴ったのが聞こえた。久し振りに聞く妹の声は期待と不安で声が震えていた。何に期待されているのか、それは痛い程わかるがその期待に応えられない事にひどく胸が痛んだ。しかし、今の自分にそんな感傷に浸っている暇などない。


「命が尽きるまで破壊行為をし続けるか、外部から…例えばアクマに殺されるかするまでは止められない。」


司令室のデスクに寄り掛かり、椅子に座るわけでもなくただ淡々とコムイは続けた。


「咎落ちになった人間を生きて助け出すことは不可能だ。」

『うそよ…っ』


悲痛な声を上げたリナリーに、司令室に集まった科学班の何人かが辛そうに目を伏せた。動揺している、とコムイはリナリーの声音に受話器を持つ手を人知れず強めた。そしてわざと低く冷たく「うそじゃない」と返した。誰よりも仲間意識の強いリナリーにこの事実は酷だったかもしれない。しかしこれは事実。曲げる事のできない結果と失敗。そして、もう一人の妹が辿ったかもしれない、真実。


「落ち着いてよく聞くんだリナリー。」


声を、呼吸を震わすリナリーにコムイが落ち着けとばかりに冷たく言い放つ。それを聞きながら、司令室に集まった数名の科学班の中からジョニーが「リーバー班長、」とひそり尋ねた。


「スーマンが『咎落ち』って…?」


彼には初めて聞く言葉だった。
肩越しに聞かれたリーバーは一度ジョニーを見た後、ゆっくりと目を伏せ、次に目を開けた時はジョニーから視線を逸らした。


「イノセンスの暴走現象のことだ。暴走したら人体はイノセンスにとり込まれ、約24時間で破壊される。」


後ろを振り向かなくとも、今ジョニーがどんな表情をしているのかわかった。彼もまた、リナリーと同じ気持ちを持つ人間だった。それに、今咎落ちについて話されている人物とジョニーが一緒にいるのを、何度か見たことがある。


「『咎落ち』は教団でも一部の人間しか知らない密事だ。」

「班長、不適合ってことはやっぱりスーマンは…」

「スーマンは…どうなるんスか!?」


リーバーの言葉に他の科学班の一人が被せたが、すぐにジョニーが声を上げた。ジョニーは眉を下げ笑っていたが、今にも泣いてしまいそうなのは誰が見てもわかった。


「オレ…っ!スーマンとチェスで何回か勝負したことあるんス。ホラ、オレとあいつって部屋近いじゃないスか。今んとこ38勝7敗でオレが勝ってて…、あいつ、オレに負けんのが悔しいみたいで、食堂とかで会ってもオ、オレのこと無視しちゃったりして」


早口で捲くし立てるジョニーの声は震えていて、誰かが彼を諌め宥めるように名前を呟いたが、ジョニーは話すのを止めなかった。


「任務から戻ってきてもすぐオレに勝負挑んできたりして…」


眼鏡の奥から流れ出した涙と一緒にジョニーは鼻をすすり、その事を思い出すように笑った。


「でもオレ、本当は知ってるんだ。あいつ…淋しかったんだ。」


流れる涙はジョニーの頬を伝って、デフォルメされた髑髏が大きく描かれたTシャツにシミを作って落ちた。まるで、髑髏が泣いているようだ。


「スーマンはどうなるんスか…」

「…だから」


改めて聞かなくとも、ジョニーだってわかっていた。わかっていたがしかし、聞かずにはいられなかった。それがわかっていたからか、リーバーは苛立ったように奥歯を噛み締め、悔しげに言った。


「死ぬんだ」

「咎落ちが終われば、スーマンのイノセンスは正常化して元に戻る。」


感傷に浸っている暇などない。リーバーの言葉が言い終わってすぐにコムイとリナリーの遣り取りが再び始まった。先程からコムイの声のトーンは変わらない。低く、冷たく、淡々と。でもそれが、今のジョニーには調度良かったかもしれない。リーバーが悔しげに言った言葉が、胸を抉る。


「アクマに奪われる前にイノセンスを回収するんだ。」


リナリーの、重い沈黙が司令室に響いた。


『それは…どういう意味?兄さん』


笑っているようにも聞こえた。でもその笑いは、いつもリナリーが浮かべている笑顔ではない。受話器の向こうで、唇を震わすリナリーがコムイには想像できた。


『スーマンを見殺しにしろって言うの!!?』


沈黙。
それは残酷な返事だった。


「イノセンスを回収しなさい。これは教団の命令だ。」


兄さんと呼ばれたことを否定するように、室長のコムイはエクソシストのリナリーに告げた。今までこんな声をリナリーに向けたことがあっただろうか。こんな、命令に従わない兵を叱責するような声を。


「もしスーマンのイノセンスが『ハート』だったらどうなる。そんなこともわからないのか?」


***


「…………。」


突き放すような声を出す兄コムイを、ナマエはただただ黙って見詰めていた。司令室入口の、ちょうど彼らからは死角の位置に彼女は立っていた。長い睫毛がついた瞼が二回程上下した後、そのナマエの後ろから静かに男が呟いた。


「…『ハート』って?」

「イノセンスの核なる存在。イノセンスの根源とも、無に帰す存在でもあるの。」

「それって…、」

「そう。それが手に入れば、この戦争は終わる。」


ここにいる二人にしか聞こえない程度の声にも関わらず、ナマエの声はカッシュにはっきりと聞こえた。真っすぐ先を見据えたナマエの瞳は色んな感情が混ざりつつも、強く見えた。しかしそれが、儚くも見えてカッシュは顔を顰めた。
ふわり、と。今までナマエの頭で羽を休ませていた白いゴーレムが静かに羽ばたいた。ナマエはそれを指に止めたと思えば、ゴーレムに小さく唇を落とし睫毛を落とす。そしてもう一度睫毛を上げ、黒い瞳に強い光が入った。


「カッシュ、中国に行くよ。」

「中国…。」

「アレンを助けに行く。」


司令室にリナリーの啜り泣くような声が聞こえた気がしたが、ナマエはそこから音も立てずに踵を返した。足元まで隠れる黒いコートの下には、短い黒のプリーツスカート。その上には言わずとも、銀色のクロスが輝いているのだろう。カッシュはまだその後姿に足音を殺してついていくのに精一杯で、ナマエはそんなカッシュに不安気な瞳を向けて振り返った。


「カッシュ、さっきの言葉、嘘じゃない…?」

「…はい?」

「私と一緒に、来てくれますか…?」


ー伸ばされた手はとても小さく、細かった。
この手に自分は命を救われた。それならば、今度はその小さな手を支え守る存在になろう。彼女を、本来支え守る彼の元へと連れて行くまで。この命は、彼女に捧げる。


「ナマエ様。そういう時は、ついてこいって言うんですよ。」


『皆の元に、行きたい。』と言った彼女のために。



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