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アクマ独特の、鼻をつんとさせる毒を含んだ金属が燃えた煙に神田は袖で口と鼻を被い眉を寄せた。そしてゆらり揺れた煙に目を細める。


(あれは…。)


先程破壊したアクマから立ち上がる煙の向こうに人の影が見える。少し肌寒い風が煙を吹き払い、人影が遠くだが、はっきりと見えた。遠目でもわかる二メートル近くの体にカーキ色のコートをそのまま肌に着せ、開けられた前からはその体に見合い過ぎた胸筋と腹筋が見える。月明かりしかないこの場所にその大男の目がギラギラと光り神田は六幻を構えた。


(…アクマ、か…?)

「神田、」


しかし大男はこちらをじっと見ているだけで何も仕掛けては来なかった。しばらくの間、神田はじっと六幻に手を掛けていたが、後ろから声を掛けられ六幻の柄から手を離す。


「あちらが仕掛けて来ないのなら、ここは先に進むよ。」

「しかし、」


何時でも何処でも絵が描けるようにスケッチブックを小脇に挟んだティエドールが言った。元帥の言葉に神田はもう一度六幻を掴むがティエドールは首を振った。


「無駄な戦いは避けられるなら避けた方がいい。私達の目的はここで命を削ることではないよ。」


神田は元帥の言葉に目を伏せて小さく頷いた。先を歩き出したティエドールとマリを背に、神田は大男を一瞥してから踵を返した。ギラギラとした視線が背中に刺さるように注がれたが、男は最後まで攻撃を仕掛けて来なかった。アクマなのだろうか、人間なのだろうか。取り合えず絶対に味方ではないあの大男は何者なのか、次の目的地の宿屋に到着しても誰も口にしなかった。



***



宿屋で土埃まみれの外套を脱ぐとその下には今までの戦闘でボロボロになった団服があった。マリはそこまでではないが、戦闘スタイルが前衛な神田はどこも破れ草臥れていた。


「ユーくん、縫ってあげようか。」

「結構です。」


袖も肘も裾も膝もボロボロの神田を見てティエドールは針と糸をどこからか取り出し、片手にチューリップのワッペンを持っているのを見て神田は冷たく返した。自分の団服に可愛らしいチューリップを咲かすなんて考えたくもない。唇を尖らすティエドールを無視し、神田はベッドに投げたトランクを持ってシャワールームへと入った。

汗と砂をシャワーでざっと洗い流し、十字架が書かれた教団のトランクを開ければそこにはデザインが変わった新しい自分の団服があった。目の前に広げれば今までの団服とは違う滑らかな感触に柔軟性に優れた布質、とても動きやすそうだ。ベルトには六幻が挿せるように加工してあり、足が隠れる程度の腰マントも入ってある。袖を通してみるとその着心地の良さに少し驚いた。柔らかく、とても軽い。しかも丈夫そうだ。
マントを着けてベルトを締めるとトランクに新しい髪紐が入っているのに気が付いた。それを手に取れば、誰がやったのか書いてあるわけでもないのに神田にはすぐナマエが入れたものだとわかった。もしかすると教団の誰かが入れたかもしれないが、残念ながらあの教団には予備の髪紐を入れてくれるという気遣いはない。そう考えるとやはりこれを入れたのはナマエだ。いつも髪紐を駄目にする自分をわかって入れてくれたのを想像するだけで口元が緩くなる。神田はそれをなんとか抑えてシャワールームを出た。


「新しい団服かい?」


出るとすぐにティエドールが食い付いた。今までにはなかった滑らかな団服にさわさわと触れてくる手を今すぐ払いたいと思いながらも元帥と弟子という関係にぐっと堪える。


「着心地はどうだ?」

「悪くない。」


マリの言葉に短く返して六幻を腰に挿す。特に決まった構えは無いがこれはこれで抜刀しやすく、すぐに戦闘体勢に入れそうだ。


「何かあったのか?」

「あ?」


突然、マリに言われたことに神田は首を傾げた。マリはそんな神田に優しげに微笑んだ。


「なんだか、嬉しそうだ。」


盲目のマリは目が見えない代わりに耳やその場の空気や雰囲気を察することに長けている。そんなマリに「嬉しそうだ」なんて言われてすぐに思ったことはポケットに仕舞った予備の髪紐で、神田は顔は隠しても隠しきれていない自分の何かに小さく肩を落とす。


「別に、なんでもない。」

「そうか。てっきりナマエ関係かと。」

「………………。」


近頃、マリにこの手でなんとなくからかわれているような気がして堪らない。いや、きっと本人はからかっているつもりは無いのだろうが、神田にはからかい以外の何物でもなかった。なぜならこの手の話題になると必ずティエドールが眼鏡を光らせるのだ。


「ユーくん、」

「なんですか…。」

「家に着いたらちゃんと紹介し…」

「しねぇつってんだろ…!!」


いつもこの調子だ。任地では元帥として、師として、指示等を仰いでくれるのに宿が決まり一息吐くといつもこうだ。ナマエが話題に出ると絡みづらい性格が更に絡みづらくなるから厄介だ。ナマエの存在は知っているというのに「子供の口から直接聞くことに意義がある」と言い出すから本当に面倒だ。この人は親だの子だのユーくんだの言ってくるから神田には面倒で堪らなかった。この間なんて、ふと話題に戦死したデイシャの思い出話をマリとすれば小一時間ずっと泣いていたのだ。弟子に対する愛は喜ぶべきものだが、行き過ぎは辛い。デイシャの魂というのがあるとすれば、きっとそんな元帥に苦笑しているに違いない。


「……………、」

「神田?」

「ユーくん?」


ふと、デイシャの話を思い出して神田はティエドールへの苛つきを静めた。


(デイシャが死んで…、)


デイシャはナマエ達と別れて、その後、命を落とした。ゴーレムの故障で通信状況が悪く、デイシャに何があったのかわからないまま、死なせてしまった。『あの時』なんて仮説の話をするのは好きじゃない。しかし、あの時損傷のないゴーレムがあったとしたら、何か変わっていたのかもしれない。そう考えると、


「…ナマエが心配か?」

「マリ…、」

「あの雪の日以来会ってないからな。」

「別に、そういうわけじゃ…」

「デイシャの事、責めていなければいいな。」

「…………………。」


そう。

そうなのだ。
変に自分を責めたがる彼女はデイシャに「新しいゴーレムを用意する」と言っていた。しかしナマエが手配してくれた新しいゴーレムはデイシャが死んだ翌日に来た。それに関して「もっと自分が早く用意すればデイシャは死ななかった」とかなんとか(絶対)思っているに違いない彼女が心配、だ。体もまだ本調子じゃなかったし、この間コムイから食事をとっていなかった事を聞いたばかりだ。


「アイツもエクソシストだ。それぐらい…、」


それぐらい、自分で処理できていないだろう。きっと溜め込んでいる。溜め込む場所が深くて大きいから、人には言わないし溜まる一方で、吐き出させてやりたいのに、自分の知らない所でボロボロになって笑うだけだ。抱き締めてやりたいのに(抱き締めたいのに)、側にいてやれない(側にいたい)。

だから、


(…だから、)


この戦場に、


(お前が来い、ナマエ。)




俺は、ここにいる。



(早く抱きしめたい。)




−50終−


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