咎落1





咎落1




教団設立者の血を受け継ぐ、ドイツ人魔術師の子孫であるバク・チャンは優秀な成績でこのアジア支部にやってきた。線の細い顔立ちで、金糸に近い髪を前髪だけ少し長く伸ばし、その頭には同色の房がついた帽子をかぶっていて、その立ち姿、雰囲気、目つきからは育ちの良さが見て取れた。しかし彼の表情はいまいちはっきりしていない。なぜかというと、それは彼の目の前に立つ、この少女が原因かもしれない。まだ10にも満たないであろう少女の名前はナマエ・リー。少女はバクに目を合わせるわけでもなく、ずっと下を俯いたまま顔を上げようとしない。


「………………………。」

「………………………。」


…別にその態度が気に食わないわけではない。ではなぜバクの顔が曇っているのか、それはその少女の名前にあった。ナマエ・リー。そう、少女のファミリーネームがバクの気に食わない人物ナンバーワンである奴と一緒だったからである。それもそのはず。その少女は紛う方無き、その気に食わない奴の妹であった。そう、本来ならバクが座るはずだった黒の教団室長の椅子を見事奪い取ったコムイ・リーの妹。彼がいなければ今頃自分は支部に飛ばされることもなく、本部にいて、本部の仕事をしていただろう。しかしそれがコムイに奪われた今、自分に任された仕事は目の前にいる少女の世話だった。


(なぜこの僕がコムイの妹なんぞの世話を…!)


本部からの指令状を見る限り押し付けられた感が否めない。報告書にはこうだった。『シンクロ率の低いエクソシストを本部にて様子見させたは良かったが本人に再起の兆しは見えない。』簡単に言えば本部に見放されたエクソシスト。シンクロ率上昇を見込んで保留してたはいいが再起不能。あとはよろしく。まぁ、こんな死んだ目をしていれば、とバクは少女を見下ろした。まったく、どうしたらこんな少女が死ぬ間際の犬のような目をしているのだ。未だどちらとも口を開かず、バクは手元の資料をめくり、要所要所だけを掻い摘んで見た。この少女の報告書である。ここに来るまでは室長になれなかった悔しさのために少女に対する資料を一枚も見ていなかったのだ。機密書類と言われて渡された書類を一枚、また一枚とめくっていく。


「…………………っ、」


その内、要所要所を見るつもりだった資料は、いつの間にか一行一行、見るようになっていた。バクは粗方要点を掴むと、目の前の少女を改めて見下ろした。


「お前…、」


骨と皮、なんてよく言ったものだ。10に満たないであろうなんて、それはバクの主観であった。資料を見れば彼女は、今日が誕生日で、10歳を迎えている。小さな体に痩せこけた頬。10歳には、見えなかった。


『シンクロ率0の人間にイノセンスを取り込ませる実験』。


目の前にいる少女は、そんな実験をされた、たった一人の成功者だった。




本来なら柔らかいであろう子供の髪質がまるで干からびた枯れ枝のようだった。その髪から見て少女の健康状態が見て取れる。聞けば食事をすすめても食べないそうだ。しかもやっと食べたと思えば吐き出す。これはシンクロ率上昇云々の話ではない。まずはエクソシスト自体の体調を整えるべきだ、とバクは立ち上がり、アジア支部修練場でぐったりと座り込む少女に言った。


「今日から訓練はしなくていい。自分の体調を整えることに専念しろ。」

「…どうして…?訓練、しないと、シンクロ率、上がらない…。」


かさかさの唇に砂漠を水無しで数日歩いたような声。とてもじゃないが子供の声には聞こえなかった。


「お前が死んだら元も子もないだろう。」


その言葉を初めて聞いたのか、意味がわからなかったのか、少女は暗い生気のない黒い瞳をバクに向けて、首を傾けた。(あまりにも細い首なものだから、そのまま頭が落ちるかと思った。)
まずはぼろぼろの身なりを整えた。細くて小さな体にずり落ちていた服を新調して、靴も用意した。体も洗い、髪も清潔にしてやった。極度の栄養失調に髪が抜けたが、それも今後を良くしていけば生える。吐血を繰り返す少女のために薬湯を作らせ、それが飲めるようになれば粥、軽い食事、栄養化の高い物、となるべく食べる物を増やした。部屋も端の暗く寒い部屋ではなく、暖炉のついた陽の入る部屋に、布団だってよく寝れるように温かいもの、毛布だって用意した。
しかしそれでも少女の体調はよくならない。血も吐くし、痩せたままだし、目だって一度もそこに光を映していない。


(…他に何が必要だ?やはりコミュニケーションか?)


と最近秘密裏に入手した『思春期の教育論』『コミュニケーション論』『パパであるために』といった数タイトルの本を片手にバクは廊下を歩いていた。最初は、ナマエはただの昇進材料にしか見えてなかった。彼女のシンクロ率を上げ、ちゃんとしたエクソシストとして本部に送り出せば本部も自分の実力を認め、本部に呼んでくれるかもしれない。そう考えていたはずなのに、今じゃそれ以前になんとしてでもナマエを子供らしく、健康に、あの瞳に光を、と思っている自分がいた。(情が生まれてしまった。)最初はあの忌々しいコムイの妹しか見れていなかったのに、今じゃこんな物を用意してしまっているし…、とバクがポケットに手を入れ、ふと本から顔を上げると、


「!」


廊下先から苦しげに咳き込む声が聞こえた。聞きなれた咳に慌ててそこに駆けつければそこは修練場で、その真ん中には赤い血を吐き出す少女と、少女のイノセンス。何を、と思う前にわかってしまった。

まさか、イノセンスとシンクロし続けていたのか…?(しなくていいと言ったのに!)


「お前…!体調が先だと言っただろう!シンクロ率を上げるのはずっと後だ!」


少女へ駆け付けて細い肩を掴んだ。
しかしその少女の目は虚ろで、


「戦えなきゃ、意味が、ない…。わたし、役立たずだから、シンクロしなくちゃいけない。」

「役、立た……、何を言って…」


何を、何が彼女をここまでさせているのかがわからなかった。わからなかったが、幼い彼女なりに、きっと何かがあるのだろうか。バクはその黒い瞳に耐え切れず、その小さな体を抱き締めた。抱き締めた瞬間、ナマエの体が微かに強張ったのがわかった。


「だから…、お前が死んだら意味がないだろう…!!」


抱き締めた少女の体は細くて小さくて髪もぱさぱさで、だけどこんなにも愛おしくて、何よりも儚かった。


「命を無駄にするな…この馬鹿…!」

「…っ、」


ぴくり、ナマエの体が揺れた。
ゆっくりと体を離せば、少女の瞳は疑念に満ちていて、掴まれた温かなバクの腕に戸惑っているように見えた。


「あ…、ぁ、」

「ナマエ…?」


どうした、と言えばほろりと零れた涙。それはナマエの痩せこけた頬を伝って、バクの服に落ちた。


「生きて、いいの…?まだ、うまくシンクロ、できてない…けど…、」


はらはらと落ちる涙はまるで止まない雨のように降った。10歳になった少女から出てきたとは思えない言葉に、バクの胸は締め付けられた。なんて、ことだ…。生きてていい、なんて、そんなこと、そんな、


「あ、当たり前だ…!シンクロしてようが、しまいが、お前は…、お前は…!」


ナマエにつられて、自分も泣いていた。いつの間にか。だって、自分よりも遥か下のこの少女が、この年で、自分の生きる価値を見つけ出そうとしていた。自分の居場所を、生きる場所を探していた。本部でもなく、室長の椅子でもなく、生きる場所を。


「お前は、生きてていい…!」


この時、俺は決めたのだ。

ナマエを、必ず、本部にいるエクソシストに劣らないエクソシストにしようと。どんな形であれ、シンクロ率の低さは否めないかもしれないが、他は負けないように。どこにでも居場所があると、認めてもらえるように。



***



鏡に向かって手櫛で髪を整えているナマエを俺は見下ろした。


「そうだ、ナマエ。」


鏡から振り向いたナマエはアーモンドの形をした目でバクを見上げて、こてんと首を倒した。


「なに?バクさん。」


ナマエの体に合った桃色の服はこの間新調したばかりの、ワンサイズ大きくなった修練用の服だった。淡い色がよく似合っている。バクはそんなナマエに、ポケットの中で少し溶けてしまったチョコレートを、少し照れ臭そうにしてあげたのだった。


「遅れたが、10歳の誕生日プレゼントだ。…お誕生日、おめでとう。」



−咎落1終−


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