オオカミ青年と三度目の正直


主人が謎のおっさんに連れ去れたキュモール邸は騒然とし、俺らはその騒ぎを利用して窓からこっそりと逃げた、もちろんナマエを抱えて。(あとあと、おっさんがわざと使用人に見付かり俺らを『逃がしてくれた』ということに気付いた)(いやでもあのタイミングはない、うん、ない)


「ナマエ、大丈夫か?」

「大丈夫、本当にたいしたことないわ。」


キュモール邸を出て、取りあえず村の母親と弟のところまで戻ろうと思ったが、その前にナマエが「止まって」と俺を止まらせた。綺麗な川が流れる原っぱみたいな開けたところに着くと、ナマエは横抱きに抱えていた俺の腕から降りてその場に蹲るようにしてぷちっと草をちぎった。一体何をするのかと思えば、ちぎった草を近くの川で洗い、指で擦るようにして潰し、痛めた頭に塗っていた。相変わらず俺にはただの草にしか見えないが、ナマエには一つ一つ効果の違う薬に見えるらしい。


「ローウェルも何処か切ったところとかある?」

「俺はないよ。」

「そう。なら手を出して。」

「?………あ…」


ナマエから手を伸ばされ、つられたように自分も手を出せば、自分の掌に紅い痕が何個がついていた。それは明らかに自分の爪が食い込んだあとで……、うわ、全然気付かなかった。というか、多分握りしめてたことも自覚なかったと思う。…きっとキュモールとのやりとりの時に握りしめてたんだろうな、そう自分の掌をぼけっと眺めていると、その掌が小さな白い手に包まれる。


「気付かなかったの?」

「…全っ然。」

「あきれた。こんな紅くして、思いっきり握ってたんじゃない。」


と言われても気付かなかったものは気付かなかったわけで。ナマエはまた草をすり潰してそれを俺の掌に塗った。草(この場合、薬草って言った方がいいのか?)を塗り付けられ青臭い匂いがするが、白い小さな手が俺の手を包んで傷跡をなぞる感触は気分が良かった。俺の傷跡を見詰め、伏している睫毛を見下ろすのも悪くない。むしろすごくいいな。


「なに?」

「あ、いや…」


睫毛が上を向き、ナマエの瞳が俺に向けられた。
俺はただこの距離とナマエの動作を見詰めていたかっただけでナマエをじっと見詰めていたことに特に意味はない。だから何か?と聞かれると返答に困る。…アンタを見ていたかったから、とは何となく言い難くて目を逸らしながら適当な言葉を探す。探すけど、なかなかぱっとは浮かんでこなくて口をもごつかせていると、本日何度目かわからない言葉が変な間を埋めるように口から出てきた。


「本当に、なにもされてないんだな…?」

「それ何度目?」


くすっとナマエが肩を揺らした。屋敷を出た後、実はこの台詞を何度もナマエに言って何度も確認した。俺がナマエを見つけた時、ナマエの衣服は肌蹴ていたから、もう(想像もしたくないけど)何かされていたかと思うと気が気じゃなかった。


「アレクには何もされてないわ。まぁ、外傷は負ったけど、今回も、あの日も何もされてない。」


ナマエは俺の気持ちをくんでくれてるのか、何度も聞き直す俺に何度もちゃんと答えてくれた。…ちょっと呆れられてはいるけど(でもそれだけ心配したのだからこれくらい許して欲しい)。


「…あの日って?」

「ああ、言ってなかったわね。アレクが私を探し出すきっかけとなった日よ。」


…きっかけの日。
ナマエがひっそりと、森の奥深くの小屋に住むようになった、本当の理由…。


「逃げたのよ、初夜から。」


薬草を塗った手を川の水ですすぎ、ナマエはハンカチを取り出し俺の手に巻き付けた。こんな傷、狼なんだからすぐ治ると言ってもナマエは掌にそれを縛った。


「逃げたって…そんなことで…?」

「彼は私達と違ってやんごとなき生まれの子よ。貴族の男が嫁に初夜を逃げられるなんて前代未聞。おまけに私、真っ裸のアレクサンダーにビリバリハをまいたから、それを見付けた使用人もびっくりしたでしょうね。」


思い出話か何かのように楽しそうに話すナマエに俺は少し安堵しつつも、ナマエの言ったことを想像してほんっっっの少しだけ(ほんっと少しだけ)キュモールに同情した(っていうかそういう話を微笑みながらってどうなんだよ。せめて、こう、皮肉っぽい顔とか)。
…キュモール、お前まじで嫁選び失敗してるぜ。と思うのは目の前のナマエが魔女しかいいようがない良い顔で笑っているからだ。


「初夜を逃げられて、しかも真っ裸で泡ふいてる次期当主を見て使用人はなんて思ったでしょうね。おまけに初夜を逃げられたなんて誰にも言えないから村にあたることもできないし。」


ほんと、したたかなお嬢さん…いや魔女さんだこと。レイヴンに対して散々敵に回したくないと思ったが、ナマエに対してもそう思う。むしろレイヴンよりも強くそう思って(コイツの場合何飛んでくるかわからないしな)、なんか、腹から擽るような笑いが込み上げてきた。


「は、はは…っ」

「なぁに?」

「いや、俺の魔女さんは本当期待を裏切らないなって。」

「…ガッカリした?」

「いんや、惚れ直した。」

「なによ、それ…」


挑発的に見上げられる瞳に誘われ、魔女の白い頬を撫でると魔女の瞳は驚いたように丸くなったあと、とろりと柔らかくなった。(…いやいや、何よそれはこっちのセリフだ。何だ、その目。)


「…ナマエが無事で良かったよ。」


そう言うとナマエは俺を仰いだ後、恥ずかしそうに目を伏せ、俯くかと思えばするりと俺の手に頬を擦り寄せた。(…っ!)そ、れに、俺の息が止まりそうになったのは秘密にしておく(落ち着け俺、落ち着け、素数を数えて落ち着くんだ俺)。


「…ナマエ?(なんっだ、この魔女…!か、わいいの次元超えてんぞ!)」

「ローウェル、助けてくれて、あの…ありがとう…。」


貴方が来てくれて…、と続けた言葉は最後まで続かなかった。しかしその先は狼の俺でもわかる。なんだ、なんなんだこの魔女は。今の俺は、内心ナマエの一挙一動、一言一句にぴくぴくと反応して尻尾をふさふさと振ってしまいそうになるのだが、それは気合でなんとか押し付けて、表ではなんでもないように繕う。


「さっきからいやに素直だな。」

「悪い…?」

「いや、悪くない。しかも、素直じゃないのは俺も同じだしな。」


お互い様っつーことで。と付け足せばナマエが苦笑し、俺もつられて笑った。
そして頬を包んだ手をずらし、親指でナマエの唇を撫でた。ふに、と柔らかい唇に目が釘付けになる。小さな歯の奥に赤い舌が覗き、目の前のとんでもないご馳走に息が止まる。最後の最後で了承を得るようにナマエを見詰めれば、ナマエは頬を染めて睫毛を震わした。可愛いな、ほんと。


「ナマエ…」


自然と彼女の名前が口から零れ、肩を抱き引き寄せた。唇にナマエの呼吸が触れ、身を捩りたくなる甘い擽ったさを我慢し、今度こそ、ナマエの唇を。


「あっ!姉ちゃん!姉ちゃーんっ!!!」


………もう何も言うまい。



オオカミ青年と三度目の正直

 


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