魔女とあの夜


魔女とあの夜


ここは、アレクサンダーと私の新居という場所でなかったら、とても住みやすい場所だった。村から離れた森近くの大きな(アレクサンダーが居なければ)静かな屋敷。村人からの密やかにしてるつもりだけど全然潜める気のない罵倒も届かない、日当たりもよくて、空気も美味しくて、何より必要以外のことを喋らない使用人がたくさんいるお屋敷。なるほど、馬鹿高い税金はここに費やされてたのね。そりゃこんな素敵なお屋敷、維持するにもお金がかかりますでしょうに。それに毎日こんな豪華な調度品に囲まれてたらもっともっとって欲しいものも増えるでしょうね。


「随分と探したよ、ナマエ。」


ねっとりとした声に名前を呼ばれ、私は背中にこっそり鳥肌をたたせながらも彼の嫌いであろう笑みを浮かべてみせた。目を薄くさせた、口元だけの笑み。ほぉら、アレクサンダーの口元がぴくってした。


「あら、探してくれたの?嬉しいわ。」

「もちろん、キミは僕の大事なお嫁さんだからね。」


あの日あの時この場所で、私とアレクサンダーはベッドの上に雪崩れ込んだ。詳しくはアレクサンダーが押し倒してきた、私の両手を紐で結んで。
そのベッドを隣に、私達は向かい合わせの二人掛けソファに一人ずつ座っていた。


「お嫁さん…?魔女の間違いじゃなくて?」

「キミがそれで呼んで欲しいのなら、そう呼んでアゲル。」

「どちらも止してほしいわね。」


あんたに名前を呼んでもらうのも花嫁だお嫁だと呼んでもらうのも、魔女と呼ばれるのも嫌。言ってしまえばこうして会話しているのも嫌、関わりたくもない。


「どうして私を探してくれたのかしら。放って置いてくれても構わなかったのよ?貴方に嫁入りしたこともあるし、『あの事』は誰にも言わないつもりだったのに。」


ぴくり、アレクサンダーの眉尻が引き攣り、笑みが消えた。だけど再び取り繕うように厭らしい口紅が塗られた唇が弧を描いた。


「大事な妻を放っておけるわけないだろう?キミは僕の子供を産んでもらわないといけないんだから。」

「貴方馬鹿ね。こんな私より、もっと大人しくて淑やかな貴族の子をもらえばよかったのに。」

「貴族の女はデブかブスだ。美しい僕の隣に立てる女なんてそうそういない。」

「あら、じゃぁ私は貴方の眼鏡にかなったのかしら?」

「勘違いするなよ、貴族のデブスよりまだマシだったんだよ。」


アレクサンダーがソファからゆっくりと立ちあがったのを、私は黙って見詰めた。一歩一歩詰められる距離に、体が強張る。当たり前だ、目の前に胸元が空いた趣味の悪い衣装を纏った男が近付いてくるのだから。同じ胸元が空いた衣装でもこんなにも印象が違うものなのね、とどこか頭の隅で思った。ローウェルがもしこのアレクサンダーの衣装を着たら……。


「……ふっ、」

「なんだい?」

「いいえ、何でも。ただ、あの時を思い出したわ。」


顎を持ち上げられ、頭に浮かべたものを打ち消すよう違う言葉を放った。
もういい。もういいの。あの小屋で過ごした、思ったより楽しいと思えた日々は今日ここで終わり。私はもう一度、今度こそこのアレクサンダー・フォン・キュモールの妻となる。
―笑っちゃうわ、やっと自分の気持ちに気付けたのに。


「あの夜の貴方のことを思い出したわ。」

「少しは黙ったらどうなんだい?これからキミと僕は愛し合うんだから。」

「思い出すわ、貴方の…っ」

「黙れよ、このアバズレ。」


アレクサンダーの親指が私の喉を押した。詰まる声、呼吸。ああいっそこのまま殺してくれていいのに。


「今度は逃がさない。僕にあんな惨めな思いをさせたお前を絶対に許さない。」


逃げれるわけがないわ。私の手は、あの夜以上にきつく縛られ、後ろに回されているのだから。あの時のように、あのベッドに私は放り投げられた。今日は、あの日のように逃げられそうもない。


(…いやだ……、いやよ……)


助けて―。


(……誰に…?)



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