オオカミ青年とカラス
納品へと出掛けたナマエを見送ってナマエの香りが残る寝室のベッドに勝手に身を沈めたまでは良かった。帰ってくるのは夕方っつってたな、そろそろか…?夕飯でも作って待っててやろうか、愛情たっぷりコロッケとか、なんてちゃっかり枕に顔を埋めるのだが、外から知らない気配がこちらに近付いてくるものだから自然と自分の気配を気付かれない程度に薄くしていく。
(…誰だ…、ナマエじゃないな…。)
変だ。この辺りの魔物は俺が粗方片付けたし自分のテリトリーだというマーキングもしておいた。それなのに関わらずずかずかとこちらへと近付いてくる。いや、ずかずかという表現は確かじゃねぇな、音は限りなく静かだ。明らか、ただもんじゃない。それがナマエの小屋へと近付いてくる。つまり、俺のナマエに用がある。
「ナマエちゃーん。」
がちゃり、と小屋の扉が開いた音がここまで聞こえてきた。それと一緒に男の声だ。随分軽々しくナマエの名を呼んだ。まるで人をおちょくる様な、鼻にかかった声。
「あれ留守なの?」
「ナマエはいねぇよ。」
気配がきょろきょろと小屋内を見渡したのを感じて寝室のドアを足で開けて俺の存在を教えてやった。気配の正体は菖蒲色の外套を羽織った………、
「カラス…?」
「あら…、おたくどなた?」
煙った髪の色のカラスと俺の声が重なった。間違いなく俺より年上のカラスは俺を見つけるなりじろじろと下から上へと見てきて、「はは〜ん」と意味ありげな笑みを浮かべて薄っすらと鬚が伸びてる顎に手をやった。
「おたく、もしかしてナマエちゃんのコレ?」
「だったら何だよ。」
「え、マジ?青年、マジでナマエちゃんのコレなの?」
小指をピンとたてて言うカラスは、…どうやらナマエに害する奴ではないっぽい。だがカラスっていう時点で怪しいのは拭えない。危険なヤツではないが、安心できるヤツでもない…ってところか?一応、ナマエの知り合いってカテゴリーでいいのか…。っていうか魔女にカラスっておいナマエ。
「おっさん何者。ナマエに何の用。」
「お、おっさん言ったわね…。ま…、いや、おっさんか…。おっさんはナマエちゃんの知り合い。頼まれ物を届けにってトコだけど…今日は納品日とか?」
「さーな。」
おっさんは『おっさん』に顔を引き攣らせたが、自覚はあるのかがっくりと肩を下しつつも懐から布袋を出した。それを机の上に置いてまるで自分ん家のように椅子を引いて腰掛ける。鈍い音をたてた拳程の布袋の中は金貨とかだろうか。そんな匂いがする。
「それにしても、ナマエちゃんに狼の知り合いがいたなんて初耳だわ。」
「その言葉そっくりそのまま返すよ。」
「ま、最近ここにはご無沙汰だったしね。よろしく、狼青年。」
「………」
まるで以前はよく通い詰めていたような口振りに髪に隠れたこめかみ辺りが引き攣る。胡散臭い。見た目といい声といい存在といい、すべてが胡散臭くてどこから怪しんでいいのかわからなくなる。
「まま、そんな警戒しないでちょーだい。ナマエちゃんには色々助けてもらってるから悪いことはしないよ。」
「どうだか。」
「昔から言うでしょ、カラスは魔女の下僕だって。」
「昔から嘘を言うのもカラスだな。」
「もー、酷いっ。ちゃんとお使いしてきたのに。」
カラスはお使いの品物であろう布袋の口を持って机の上でごつごつと鳴らした。ナマエのことだ…、ちゃんと相互関係があってコイツと付き合っているんだろうが、もう少し相手は選んで欲しい。ナマエ自身自分を魔女だと自嘲しているが、ナマエは普通の人間の女だ。狼である自分のことは棚にあげといて何だが、狼よりカラスの方が、なぁ、ナマエ。
「あら、レイヴン。来てたの。」
「ナマエちゃん!!」
「おかえりー」
「ただいま、ローウェル。貴方ずっとここにいたの?」
カーカー鳴いてるおっさんの後ろの扉が開く。開けたのはやっとというか待ってましたというか、俺らが話し続けていた内容の本人で、本人は至って普通に俺らに接していた。いつも出掛ける際に着ている外套をコートハンガーにかけてその上に斜め掛けの鞄も一緒に掛ける。
「久し振り、レイヴン。今日は何用かしら。」
「頼まれていたものが出来たから持ってきたのと、腰痛に効くお薬ちょーだい。」
「腰痛めたの?」
「違う違う、俺様じゃなくて、ご主人様が。」
カラスはナマエにレイヴンと呼ばれていて、『レイヴン』という名前にそのまんまじゃねぇか…と目を細めたが俺もナマエにそのまんまだと言われた記憶がある。ナマエはレイヴンの言葉にくすりと小さく笑って近くの戸棚を開け言われた薬を探しだした。
「そのご主人様はどちらのご主人様かしら。」
「俺の片思いの方。」
「そう、ならとびきり良いのをあげるわ。」
戸棚の中から二種類の薬を取り出し、これは飲み薬でこっちは貼り薬だなんだとおっさんに話すナマエを俺はきっとすごい警戒心剥き出しで睨んでいたのだろう、途中で目が合ったおっさにウインクされた。…おっさんにウインクされても何も嬉しくないっつーの。くそ、何なんだあのおっさん。まー…、実に喰えないカラスだ。喰えないっつーのはもちろん性格的な意味でだ。食糧的な意味でも、喰いたくはないな。
「で、これね、頼まれたもの。」
「ありがとう。薬と一緒にお礼言っといて。」
「了解、了解。じゃ、おっさんは若い二人のお邪魔のようなのでささっと退散するわ。」
「何言ってるのよ、そんな関係に見える?」
「あ、何やっぱりそうなの?」
薬と先程の布袋を交換するようにして、おっさんは椅子から腰を上げた。そしてさり気無くザックリナマエにフラレた俺をにやにやと一瞥して、うるせーよ、と睨めばわざとらしく肩を竦めて外に出ようとするのだが。
「あ、そうそう、忘れるところだった。」
思い出したかのように扉の前で立ち止まり、戸を開けならナマエに振り返った。
「例の野郎、まだナマエちゃんのこと探してるみたいよ。」
「…例の野郎…?」
「………………。」
「じゃ、おっさんはこれで。せーねんっ、ナマエちゃんのことちゃんと守ってあげるのよー。」
そう言って胡散臭いカラスことレイヴンは森の中へと、文字通り姿を消した。消えた後姿を見送りながらも、レイヴンの言っていた『例の野郎』についてナマエを見下ろす。ナマエを探してる…?どういうことだ、というのは隣で浅く溜息を吐いたナマエの様子でなんとなくわかる。あまり、いい話じゃなさそうだな。
「ナマエ…。」
「その話は…また、今度でいいかしら。私、お腹空いちゃった。」
苦笑を浮かべたナマエに思わず掛ける言葉を無くす。おいおい、そんな顔初めて見たぞ。ナマエにそんな顔を浮かべさせる奴に少しの不安と、苛立ち。そしてほんの少しの安堵感。
今度と言うからには、いつか話してくれるのだろう。
その言葉にナマエとの距離が縮まったように感じられたが、今の表情にまだまだ遠い距離を感じた。
オオカミ青年とカラス
[*prev] [next#]