茹でエビのパニーノ
今日のお昼は何にしようかなとお兄さんに手渡されたメニューを広げると、メニューの一覧に見慣れない単語が並んでいて、つい口にしてしまった。
「パニーノ?」
「そ。……あぁ、パニーニの方がわかりやすい?」
パニーニ…。お兄さんに言い直された言葉を繰り返すけれど、聞いたことがない。どんなものかも想像できなくて首を傾げていると、カウンターキッチンからお兄さんが両肘をついて楽しそうに微笑んでいた。ただでさえ綺麗な顔しているのに、笑うなんて卑怯だ。いや、何が卑怯なのかわからないけど、なんとなく卑怯だよね。それにお兄さん笑うと童顔がさらに幼くみえるから、か、可愛いんだもの。可愛い、ってにやけてしまいそうな口元をメニューで隠して「どんなお料理なんですか」と聞いた。
「わかりやすく説明すればホットサンドかな。焼いたパンにレタスとかハムとかチーズ挟むの。」
「へぇ…。」
「美味しいぜ。」
「それは……。」
お兄さんが作るものなのだから不味いわけがないだろう。なんてお兄さんに全面の信頼を置いてる私だったりする。ホットサンドかぁ、最近サンドイッチ食べてないし、いいかもしれない。食べたい、パン。そう考えながらメニューを閉じてお兄さんに返す。
「じゃぁ、それで。」
「エビとサーモンがあるけど。」
「どっちがおすすめですか?」
「サーモン!…と言いたいとこだけど、サーモンはタマネギ強いからエビにしとく?俺の個人的なおすすめもエビ。」
この後も仕事だろ?とニクい気遣いをみせるお兄さんに苦笑してエビのパニーノを注文した。こういう気をまわしてくれるお兄さんがいるから、この店は何度も来たくなるような居心地の良さがあるのだろう。しかも、ちょっと人には教えたくないような隠れ家的な雰囲気も、お兄さんのおかげだと思う。店内は一階席とカウンター、二階席がほんの少しあるだけでそこまで広くないのだけど、天井が高いから窮屈感はまったくない。大きなシーリングファンがくるくると回り、観葉植物が何個か飾ってあるだけの店内はすごく落ち着く。お客さんもそんなに多くなくて、お店的には嬉しくないのだろうけど、こちらとしては騒がしくなくていい。日当たりもよくて、寒い日は窓際の席を選ぶとお日様がぽかぽかとしてお昼のひとときを楽しむことができる。ついこの前まではこっそり隠れるようにして座ってはお兄さんを盗み見ていたのだけど、カウンターに座って間近でお兄さんの綺麗な顔を見るも良く思えてきた。黒髪だと思っていた髪は日に当たると微かに紫を魅せる。お兄さんの瞳と同じ色だ。瞳は綺麗なアメジストで日の光が入ると宝石みたいにきらきら光る。夜は照明を落として営業しているらしいので、いつか暗い照明で光るお兄さんの目も覗いてみたい。
「はい、お待たせ。」
「ありがとうございます。」
落ち着いた店内と綺麗なお兄さんを見て仕事で荒んだ心を休めていると、噂のパニーノくんが私の前に出された。お皿の上には焼き目がしっかりとついた白いパンにホワイトソースが絡まりくったりとしたキャベツが顔を覗かせている。中には茹でて綺麗に色付いたエビと瑞々しいトマト。
「美味しそうっ!」
「そりゃ良かった。口に合えばいいんだケド。」
何を仰いますか!貴方が私に出してくれた料理で口に合わなかったことがありますか!なんて言うまでもなく、お兄さんのゆったりとした笑みにそれが「早くたべてみな」の意味だと気付く。お兄さんの何か含んだようなその笑みは、お兄さんが私に『美味しい!と言わせる自信がある笑み』だ。しっかりと焼いた温かいパンを両手で掴み、口元に持っていく。いただきます、とお兄さんに言ってからいざパニーノ実食!と口を開きかけたけど…。
「あ、あの…。」
「……ん?」
「えっと…、あんまり見られると…恥ずかしいのですけど。」
アメジストの瞳がまるで私の一挙一動見逃さないとばかりに注がれている。でもそれは注視というよりも温かく見守るお母さんのような柔らかさで、でもそれがまた逆に恥ずかしくて。とりあえず、男の人を前に大口を開いて頬張る姿なんてあまり見せられたもんじゃない。お兄さんならなおさら!
「なんだよ。美味しそうに食べるアンタの顔を見るっていう俺の楽しみを奪うワケ?」
「そ、そんな楽しみ持たないでください!」
「お客様の美味しい笑顔が料理人のやる気にツナガルナー。」
「棒読み…!」
お兄さんに見られてたらせっかくの美味しそうなパニーノにまったく手をつけられない気がする。あっち向いててください!と言ってもお兄さんは「あーあー聞こえねーなー」と頬張る私を見る気まんまんで。ううっ、せっかくの温かいパニーノが冷えちゃう…!お昼休みも無制限なわけでもなく、私は「くぅ…!」と唇を噛み締めて覚悟を決めた。
「わ、笑わないでくださいよ?」
「笑わねーって。」
ほら早く食べろって。とお兄さんに促されて、私はおそるおそる(?)ぱくりと口を開いてパニーノにかぶり付いた。
「どう?」
「……………………。」
肘をついた手に顎を乗せたお兄さんがわくわくした声でたずねる。私は口の中のパニーノの味をしっかりと確かめるように味わいながら咀嚼し、ごくりと飲み込んだ。最後に水を一口飲み込み、震える声で感想を告げる。
「……悔しいくらいに美味しい…!」
カリッ、フワッとしたパンに味の染みたキャベツ、ぷりっぷりのエビに爽やかなトマト…!ソースや茹でエビの甘味、酸味のあるトマト、色んな食感と味が口に広がるんだけどカリカリのパンがうまくまとめてくれている。あまりの美味しさにお兄さんの目も気にせず二口、三口と頬張る。
「美味しいです…!」
「まぁな。アンタの好きそうな味にしてみたからな。」
「……ふ?」
「いーや。なんでも?」
もぐもぐと食べながら聞き取れなかったお兄さんの言葉を聞き返すけど、お兄さんはなんでもないと私に笑いかけた。柔らかなアメジストの瞳にふんわりと微笑まれながら、感激の美味しさが落ち着いた私はふう、と一息ついた。
「まんまと思惑にはまった気分ですが、とても美味しいです。」
「そうこなくっちゃな。愛情込めて作ったかいがありマシタ。」
「いつもありがとうございます。」
なんて二人でくすくす笑いあう。私はこの至福の一時間のために会社に来ている気分です。むしろそうな気がします。パニーノさんを両手にしみじみ思っていると、お兄さんがおもむろにこちらへ手を伸ばしてきた。
「な、なんです…?」
「…逃げるなよ。口にソースついてるって。」
思わず少しのけ反るとお兄さんが苦笑した。
また…!また…!!そういうことサラッとやる!こっちがどんな気でそれをやられているか知りもしないで!
「自分でとります…!」
「パニーノ持ってるだろ。」
「置きます!」
「そう言わず。それを拭うのも俺の楽しみだって。」
「どんな楽しみですか…!」
「んーっとだなぁ。」
そう言ってお兄さんは伸ばしてきた腕をぐっと伸ばし、あ、しまった、この人すごく足長いんだった、とどこか遠くのことのように思いながら、親指で唇をふにゅりと撫でられた。いや、拭われた。
「アンタの可愛い顔を見る楽しみ。」
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