アサリのリゾット



お昼のこの時間は至福の時だ。仕事のことを忘れ、仕事を離れ、会社の人間に顔を合わせず、一時間ゆっくり空腹を満たすこのお昼休憩。出勤前から今日は何を食べようかななんて考えちゃうくらい、私にとっては至福の時。


「いらっしゃい。」

「こんにちわ。」


今日は寒くもなく暑くもなく、過ごしやすい天気でお店のドアは開きっぱなしだった。入るとすぐにいつものお兄さんがカウンターで迎えてくれた。綺麗な黒髪と、紫水晶の瞳の素敵なお兄さん。


「久しぶり。どこ行ってたんだ?」

「お久しぶりです。ちょっと、趣向を変えて色んなお店行ってました。」

「いい店あった?」

「ふふ、結局ここに帰ってきました。」


そう言うとお兄さんはカウンターから出てきて、すぐそこの席の椅子を引いてくれた。「おかえり」なんて言葉を掛けられて「ただいま」と返しながら席に着いた。
そう、ここ最近のランチタイムはこのお店で過ごしていなかった。飽きが来ない程ここは美味しいんだけど、毎日毎日ここばかりっていうのも少し勿体無い気がして違うお店に行ってたりした。ラーメン、カレー、お蕎麦、丼もの、コンビニ。色々行ってみたけど何か足りなくて…。で、結局一通り周ってここに帰ってきました。


「今日のオススメはアサリのリゾットな。寒くなってきたから。」

「あ、美味しそうですね。」


アサリのリゾットかぁ。いいかもしれない。今日は確かにお肉っていうより魚介って気分かも。一応メニューを渡されるのだけどお兄さんのオススメメニューについつい意識がそちらだけにいってしまう。だって美味しそうなんだもん。


「んー、リゾットで。」

「かしこまりました。」


とりあえず悩んでるフリをしてみせるけど頼むのはやはりリゾットで。お兄さんもそんな私に笑って応えてくれた。


「あ、そうだ。」

「?」


メニューを脇に抱えたお兄さんが戻ろうとした足を止めた。なんだろう?と見上げてるとお兄さんは黒のロングエプロンのポケットから小さなカードを取り出した。はい、と渡されて受け取るとそこにはあらかじめ一個押されてるスタンプカード。


「スタンプカード?始めたんですか?」

「そ。忘れない内に。」

「ふふ、でもこういうのってお会計の時に渡すんじゃないんですか?」

「…既に何人か渡し忘れてんだよ。」


拗ねたように口先を尖らすお兄さんが幼く見えて可愛かった。そんなお兄さんをくすくす笑えば、お兄さんはもっと拗ねる…かと思えば、カウンターに肘を乗せて紫水晶の瞳で私を見つめた。

…う…。綺麗。そして近い。

紫の瞳は、綺麗なお兄さんが近くにいて少しどきっとしてる私を映す程に、純度が高い。そんな瞳に掴まってしまえば言葉なんて詰まって、息さえも出てくることが難しくなる。


「誰かさんが浮気なんてしなければこんなモン作らねーよ。」

「………は…?」


スタンプカードを持つ指に、長く、綺麗な指先が触れた。


「スタンプカード。10個たまったら一回ランチタダな。だから、」


まるで、『触れたい』とでも言うかのような撫で方。


「他んとこフラフラしないで、俺んトコだけに来るコト。」


そう言って笑った薄い唇は、もう幼くは見えなかった。



アサリのリゾット


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