鶏肉と野菜のさっぱりトマトソース



この通りをまっすぐ。三つ目の角を右に曲がって進んで左。ちょっと歩いたところにそこはある。私のお気に入りのお店。失礼だけどお店の名前は覚えてない(だって英語?フラ語?よくわかんない単語)。でも場所と味はしっかり覚えている。12時のランチには必ず行きたくなる、美味しいお店。


「いらっしゃい。」

「…こんにちわ。」


ドアベルがお洒落な音をたてれば、白エプロンの男性店員さん(シェフとでも呼べばいいのかしら)が迎えてくれた。後ろでひとつにくくった長い黒髪と綺麗なアメジストの瞳が印象的な甘いマスクの青年だ。いつも料理している姿をカウンターキッチンから少し離れた席で座って眺めていた。だって、彼とてもハンサムなんだもん。彼をどうこうしようという気はないけど、女なら綺麗なものをつい眺めたくなるものでしょ?カウンターキッチンから迎えてくれた彼に私は小さく会釈をして暗黙の了解みたいな何かでいつもの席に座ろうとする。だけどあれれ、今日はサラリーマン風の先客がそこに座っていた。いつもより午前が長引いてしまったからだろう。昼休み前にこれやっといてあれやっといてと言われ、なんとなく昼前には終わるだろうと思っていたけどお電話なりおFAXなりなんなりあってこんな時間になってしまった。ああじゃあ今日はどこに座ろう。そう足を止めると、肩先をとんとんと叩かれた。


「カウンター、座ってて。」


振り返るとそこにはあの黒髪の店員さんがいて、腕には本日のランチプレートが乗ってた(今日はトマトソースの鶏さんか…美味しそう)。店員のお兄さんはプレートを乗っけて客席へと向かう。お待たせしましたとお決まりの台詞を言ってテーブルに置いてる姿をぼんやりと眺めながらも、はっ、カ、カウンターって言われてたんだ、といつもの席とは正反対なカウンター席に座る。いつもの席は少し隠れるような位置にある。別に見られて悪いことをしているわけでもないんだけど、角席とか皆から見えない位置に座ってしまうのは何となく居心地がいいからだ。私の場合、彼をちょっと盗み見たいという楽しみもあるからだけど。


「悪いな、いつもの席空いてなくて。」

「あっ、いいえ。そんなお気になさらず…。」


座ってカバンを椅子に掛けていると黒髪のお兄さんが戻ってきた。お兄さんは私に冷たいおしぼりと水をすぐにくれ、砕けた言葉遣いにちょっと戸惑いつつもいつも来てるんだし別に問題ないかとグラスに口をつける。私より年下なのはわかる。背はうんと高いけど(エプロン下の足はとても長い)顔が幼いから…、いやどうだろう、もしかすると結構童顔だったりして、私の年上なのかな。


「今日は何にしますか。」


やけに声に含みを持たせた話し方をするのはこの人の特徴だ。たった何でもない一言でも、ついこの人の顔を見上げてしまう。私はテーブルの端に置かれてる小さなランチメニュー表を手にA〜Cのランチメニューを見比べる。Aがさっき持ってたトマトソースのやつだ。Bは明太子クリーム、Cは季節野菜。うーんどれも美味しそう。


「今日のオススメはAな。少し酸味のある味付けにしてるから暑い今日とか丁度いいんじゃないか?」

「あ、…えーと、じゃぁ、Aで…。」

「りょーかい。」


カウンターキッチンからお兄さんが両肘をついてその上に顔を乗せていて、近い距離に思わずどきっとしてしまった。さらさらの髪に長い睫毛、吸い込まれそうな紫の瞳。彼女とか、いるんだろうな。もしかすると引く手数多過ぎて彼女という彼女いなかったりして。ああでもいつも優しそうな雰囲気だから前者であって欲しい!きっとふわふわで守ってあげたくなるような可愛い彼女がいらっしゃるはずだ!


「あんまり見詰められると穴があくんだけど。」

「…え?」


ランチメニューの、パンが入ったバスケットを渡されて、お兄さんの照れ臭そうな顔に自分がお兄さんを見すぎていたことに気付いた。


「ご、ごめんなさいっ、あの、えーっと、い、いつも綺麗な顔だなーって…。」

「顔って、俺の事?」

「そ、そうそう。」


むしろ綺麗な彼を前に他の男なんて考えられないって。慌てて弁解するつもりもなく、そのまま思ったことを口にしたらお兄さんは口を結んだ。あ、どうしよう。余計なことを言ってしまっただろうか。綺麗な顔なんて、男性に対して言うものじゃなかったかしら。


「お世辞?」

「ち、違う、いつもあの席で見てたし!こ、こっそり!…あっ、」


言った後に後悔。私は何口走ってんだ?こっそり見てたとかストーカーじゃん!想像したら怖いし!ああもう違う、違うの。変な意味はなくて、お、女の子はね、綺麗なものがあったらつい目で追っちゃうものなんだよ!
私はとにかく先程の言葉を撤回しようとえーっと、うーっと唸っているとお兄さんの肩が揺れた。


「ははっ、あんたにこっそり見られてたなんてな。」

「うう、ご、ごめんなさい…」

「俺も見詰め返しとけば良かったな。」

「え?」

「あんたの顔。」


にっ、と口端が上がって随分意地悪そうな顔で笑うんだな、と思いつつ普段見たことのない表情と、いつもと違う私達の距離にちょっとだけときめいた。…笑うとさらに可愛い…。


「今日は仕事が長引いたのか?」

「そうなんです。キリのいいとこまでって思ったらちょっとかかっちゃって。」

「会社は?ここから近いのか?」

「歩いて5分もしないくらいです。」

「いつもご贔屓にドーモ。」

「ここ、美味しいしお気に入りなんです。」


お兄さんは嬉しそうだ。私も、嬉しい。ここの料理は本当に美味しくって。いつも一人だから美味しいねーって言い合える人もいなくていつも心の中で美味しい美味しいって呟きながら食べてる。やっぱり美味しかったものは作ってくれた人に美味しかったよと伝えたいものだ。勇気がなくていつもご馳走様でしたって言うだけなんだけど。汗をかいたグラスを指で撫でながら、お兄さんと少しだけ話をした。会社はどこら辺なのかとか、何してるのかとか、何が好物なのかとか。お兄さんは結構人懐っこい方なのかおもしろいくらいに私に質問をしてくる。いつも黙って隅っこの席に座ってるから、存在が謎だったんだろうなと心の中で苦笑。


「お待たせしました。鶏肉と野菜のさっぱりトマトソースです。」

「わぁ…美味しそう。」


カウンターからわざわざお兄さんが出てきてくれて、私の前に本日のランチプレート『鶏肉と野菜のさっぱりトマトソース』が置かれた。メインの鶏肉を鮮やかなトマトソースで色どり、色彩を落ち着かせるように緑のお野菜とクリーム色のマッシュポテトが端を飾る。先程のバスケットに入ったパンを横に置けば文句なしの見栄えだ。そして文句なしなのは見栄えだけじゃなく。


「いただきます。」

「はいどうぞ。」


フォークとナイフを赤いソースの鶏肉に滑らせ、一口、頬張る。口の中にパッと広がるトマトの酸味は爽やか、かつトマト独自の甘味も忘れない。弾力と柔らかさを兼ね備えた鶏肉はよくトマトの旨みと絡んでいる。口内から鼻に抜けるトマトの酸味が食欲を誘い、もう一口もう一口を私に促した。


「美味しい……」


今日は一人で食べているという緊張感がないからか、料理を口に含んだ瞬間その美味しさに顔がふにゃりと緩んでしまった。ああでも仕方が無い。いつもこうしてランチを楽しみたかったのだ。美味しいものを美味しいと言える相手がいる。作ってくれた人に直接美味しいを言える。至福の時だ。
次はマッシュポテトを口に運んだ。クリーミーな甘さはまるでデザートのようで、この段階で食べてしまうのはどこか惜しいくらい。そう、これまた美味しいと呟きながら食べていると、カウンターに立つお兄さんが再び笑った。


「良い顔で食べてくれんのな。」

「だって、すっごく美味しいです。いつも心の中ではこんな顔して食べてるんですよ。」


こう、幸せ〜っていう表情でね。と付け足せばお兄さんはさらに笑みを深くした。細まった紫水晶に、さっきまで可愛いと思わせたお兄さんの笑顔がふと艶を帯びた気がした。き、きれい…、な顔で笑うんだなぁ。


「またここに食べにくることあったらさ、今度からここで食べてくんない?」


ここ、と言われたのはこのカウンター席のことだろうか?…別に構いませんが、どうして?と首を傾げればお兄さんは続けてこう言った。


「美味しいランチ作って待ってるから、また俺にその顔見せて。」


ぱちん、と片目を瞑ったお兄さんに、フォークを落としそうになった。



鶏肉と野菜のさっぱりトマトソース


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