優しい心に恋のメッセージを。




怪我をした小鳥を両手に涙を一杯浮かべた瞳で見上げられて、不埒な考えが自分の頭に過った。ああ、今、彼女が縋れるのは自分だけなのだ、自分がこの涙を無視すると彼女は頼るものが居なくなり、また涙を流す、自分という頼れる存在が居なくなって。まるで壊れものを扱うような手付きに、その両手の中にいる小鳥に嫉妬したのは、誰にも言えない、言えやしない。







「フ、フレン様、あの、こ、これを…っ」


震えてはいけないと思いつつも震えてしまうのは仕方がない。そういう『癖』なのだ、これは。かたかたと震えてしまう肩を何とか気持ちで踏ん張ってはいるものの腕は真っ直ぐとは伸びてくれない。むしろその前に、彼の前にこうして向き合えている自分を誰か褒めて欲しいくらいだ。


「これは…?」

「せ、先日、は、ハンカチを汚してしまったので、か、代わりとは言えませんが…」


差し出したハンカチに首を傾げたフレンにナマエははっとなって俯く。
―違う、そうじゃない。言いたかったのはこの言葉じゃない。部屋を出る前にあれだけ練習したにも関わらず何度も繰り返した言葉が出て来ない。しかし呼び止めといて沈黙を作るのは失礼だ。しかも、目の前のこの御方はとても、お忙しい方だ。


「確か、私の記憶間違いでなければあのハンカチはナマエ様の…。」

「あっ、いや、あの、あの…」


そう、そうだ。何がハンカチを汚してしまった代わりだ。怪我した小鳥を包んだのは自分のハンカチだ。その自分のハンカチをフレン様にお返ししてどうする。だから違うのだ、自分が言いたい言葉は。この言葉じゃない。早く、早く、言え。言わなくちゃ。フレン様が不思議そうなお顔をされている。おまけにお忙しい方なのだからあまり引き止めてはいけない。早く、早く。


「あのっ、わ、私…っ」

「ナマエ様。」


甲冑が動く鈍い音がして、それを装着してるだけで重いはずなのに優しい両の手が私の肩に触れた。驚きで肩を震わせた私にフレン様がまるで親しい方を抱き締めるような、それぐらいの距離で私の耳に囁かれた。


「大丈夫、落ち着いて。」

「…っ」

「ゆっくり深呼吸してください。焦らなくていいから。」


耳に直接入ってくるようなフレン様の御声と御言葉に思わず「ひっ」と息を飲み込んでしまったが、フレン様はそのまま「そう、ゆっくり吐き出してください。」と仰った。最初の一息は思いっきり飲み込んで一気に吐き出してしまったが、二度目はそれよりも普通に呼吸ができて、三度目はフレン様の御言葉通りに深呼吸というものが出来た。最後は呼吸も心もだいぶ落ち着けることができて、ほう、と息を吐き出せばフレン様の手が肩から離れた。置かれていた温かい手に少しの名残惜しさを感じつつも、にっこりと微笑んで下さったフレン様の笑顔が眩しく、目を細めてから慌てて俯いた。


「あの、すみません…。」

「いいえ。それで、もう大丈夫ですか?」


その言葉が暗に「もう行っていいですか?」と言われているのではない事はわかっている。何度もそれを繰り返して、その度にフレン様に寂しい御顔をさせてしまったのだ。私はちゃんと学んでいる。そして、彼はちゃんとわかってくれているのだ。自分が上手く言葉を伝えられないことを。本当に、お優しい方だ。私はフレン様に頷き、もう一度胸に手をあて深呼吸をしてから先程のハンカチをフレン様の前に差し出した。


「先日、小鳥を助けてくださって…ありがとうございます。御礼に、受け取って頂けませんか…?」


一度もつっかえずに言えたこと、フレン様の目を見て最後まで言えたことに内心心臓がはち切れんばかりに鳴っているが、努めてきちんと言えたと思う。微かに震える両手で差し出したのは白レースのハンカチで、決して男物とは言えなかったが男性への御礼の仕方なんて知らない私にはこれくらいしか出来なかった。受け取ってくれるかとても心配で縫っている時も落ち着かなかったけれど、そんな事まっさら気にされてないぐらいフレン様のお手は温かかった。


「正確には、あの小鳥を助けられたのはナマエ様ですが…、ありがたく頂戴します。」

「…っあ、あり、ありがとうございます…」


ハンカチを出している手ごと両手に包まれたことになのか、それとも少し身を屈めて目の前で微笑んでくださったフレン様になのかわからないが、張り詰めていた何かが更に追い打ちをかけるようにドッと攻め込まれた気がした。フレン様は、あの小鳥を助けたのは自分だと仰ったけれど、あの時フレン様が小鳥に添え木をしてくださなければ自分は怪我した小鳥の対処も出来なかった。助けられたのはフレン様です。そう伝えたくても、そう簡単に言葉となってくれない。練習した言葉で精一杯なのだ、私は。それでも、フレン様は私の言葉を、焦らなくていいと言ってくださる。


「これは…、えっと…?」


ハンカチを受け取ってすぐ、刺繍に気が付いたのかフレン様はその刺繍を指さし私に尋ねた。直立した緑の葉が数本、そして上品なドレスを召しているかのような花弁はダッチアイリスだった。紫色が多いアイリスだが、花弁の奥中心が黄色、そして回りを青に近い紫色のダッチアイリスを選んだのはその鮮やかな黄色がフレンを思い出させたからだ。


「アイリスです。」

「アイリス…これが。」

「…ご存知、ですか?」

「あ、いえ、名前だけです。」


苦笑したフレン様に、小さく安堵する。知っていたら知っていたで渡してしまったハンカチをやっぱり返してもらうところだった。…と言ってもそんな事できやしないのだけれども。アイリスの名前の続きを促すのようなフレン様の目に心臓を先程とは違う調子で鳴らした。


「花言葉は、『優しい心』…です。」

「はは、それはなんだか…、頂くのを躊躇ってしまいそうです。」


私の言葉にフレン様はいつものように、花言葉のような優しい笑みを浮かべた。良かった、ちゃんと渡せた、と私が小さくほっと息をついた時だった。少しだけフレン様の笑みに影が過った気がした。



優しい心に恋のメッセージを。






「優しい心、なんて…。」


頂いたアイリスを指先で撫でた。撫でると思い出したかのようにアイリスが香った気がして、フレンは人知れず、そのアイリスに自分の小鳥を想い浮かべて口付けた。


(優しい心など、貴女を想うと同時に何処かへ消えてしまった。)


なんて、無垢で残酷な方だ。


(でもそんな貴女がいとおしい。)


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