花弁の行方
それは、うららかな昼下がりに落とされたまさかの詠唱以下省略どころではない詠唱フルカット『インディグネイション』だった。
「ナマエと神田は本当に恋人同士なんです?」
ハルルの樹を見たことがないというナマエに(見たことがないのは当たり前だが)ちょうど次の目的地がハルルを経由することもあり、昼から宿を取ってハルルでゆっくりしていたユーリ一行にエステルがポツリと呟いた。その言葉にまだまだ幼いカロルは顔を真っ赤にしたり、それにリタがお決まりの「…馬鹿っぽい」を吐いたり、ジュディスが「あらあら」とのんびり微笑んだ。
当のナマエと神田はというと…、宿にユーリ達を残してハルルの樹の下まで行っている。その状況が良かったのか悪かったのか、ユーリはピクリと眉を動かしただけでいつもと変わらずだった。…のを、隣でレイヴンが苦笑いをしていた。きっと勘のいいものならこの部屋の温度が少し下がったのを感じ取ったはずだ。
「えぇ!?神田とナマエって、そ、そそ、そういう関係だったの!?」
「カロルは知らなかったんです?」
「あんなん見てればわかるでしょーに。これだからお子ちゃまは…。」
「だ、だって、いつも二人喧嘩してるから…!さっきだって、ハルル観に行くって外出るまで揉めてたし…」
今日は何の言い合いをしていただろうか。確か、こっちには蕎麦がないとかあるとか、割とどうでもいい内容を激しく言い争っていた気がする。というか、二人はいつも喧嘩をしているイメージしかないカロルには、エステルの『恋人同士』というのがいまいち二人に結び付かない。まっさかぁ…と引き笑いで返したカロルにジュディスが微笑む。
「世の中には喧嘩ップルっていう言葉があるのよ、カロル。」
「喧嘩ップル!?それってカップルなの!?仲良いの!?」
「あら、貴方も似たようなものじゃない?ナン、だっけ?」
「わ、わ、わぁああああ!!!!」
「ったく、うるさい!」
「あだっ!」
ぼこっとリタの拳がカロルの頭真上に落ちた。
いつもならここでエステルがリタを止める(と言っても殴られた後だが)のだが、今日のエステルからその声は上がらない。どうやら真剣に神田とナマエについて考えているようで、カロルは(確かに二人の関係に驚いたが)そこまで考え込むまでの事だろうか、と眉を寄せる。
「何か気になるの?エステル?」
「いえ…気になるというよりも…、恋人ってもっと、こう、何かあってもいいと思うんです!」
小さな拳を振りそう訴えるエステルに、隣のリタが「本の読み過ぎよ」と小さく突っ込んでいたが、当のエステルは聞こえていないようだ。事実、今のエステルの脳内は恋愛小説で読んだあれこれが繰り広げられているのだが、実際の恋人同士を間近で見てもそんな事一つも起こりもしない事に不満があるようだ。それは小説の読み過ぎと片付けてよいやら、キャスティングが悪いと言っていいのか。
「どうだか。」
ゴツリ、とユーリのブーツが鳴った。
立ち上がったユーリに、ユーリの膝に顎を乗せていたラピードが不満そうに鼻を鳴らした。
「アンタらが思ってるより、アイツらは恋人だよ。」
「ユーリ…?」
「外行ってくる。」
「アラ、ならおっさんも一緒行こーか?」
「野郎と外歩いて何が楽しいんだよ。」
「アラン、冷たいんだから。」
ドアノブに手をかけたユーリが「悪いな」と小さく呟いた言葉は、レイヴンには「ありがとな」に聞こえた。そんなユーリに苦笑しながら、レイヴンは外を出たユーリを窓で見送った。
エステルは相変わらず神田とナマエについてカロルとリタに話し掛けているが、リタはともかくカロルもあまり興味はないようだ。ジュディスはというと、相変わらず何を考えているかわからない笑みを浮かべてそれを眺めていた。
「こればっかりは、いくつになっても難しいわねぇ。」
一人呟いたレイヴンの言葉に、ラピードが「わふ…」と弱く鳴いてレイヴンの足に顎を乗せた。
ハルルの樹から帰ってきたナマエの髪に花弁がついていたから、取ってやろうと指先を伸ばせば、もう別の指先がそれを取っていた。ナマエはそれに恥ずかしそうに微笑み、それを押し花にするのだと言った。
(俺じゃなくて、アイツに。)
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