赤司

征十郎さんをはっきりと怖いと思うようになったのはいつからだろう。小さい頃から、それこそ、征十郎さんが幼稚園に入られる前から私は征十郎さんのお傍に居ました。幼い頃から利発な方で、何事にも怖じず、全てにおいて常に一番でいらした征十郎さん。誰に対しても分け隔てなく物腰も柔らかい。征十郎さんのお手伝いとして、または幼馴染として私は征十郎さんがとても誇らしい存在でした。その気持ちは今も変わりません。だけど、いつからだったか、征十郎さんは変わられた。いや、代わった。


「…名前、逃げないで。」


懇願とも捉えられる言葉なのに、その声音はやけに嬉しそうに、また熱を帯びていた。


「……っ、あ、や、やぁ…っ」


逃げてない。むしろ追い掛けてきては掴まえたのは貴方なのに、どうしてそんな言葉を言うのか。
剥きだしの切っ先を入口に宛がわれ、既にたっぷりと時間をかけて解されたそこは何かが触れるだけでびくりと反応してしまう。征十郎さんのそれがまさに入ろうとして、思わず腰が跳ねてしまっただけなのに、征十郎さんは私の腰をしっかりと掴んで、とびきり甘い瞳を私に向けた。


「もう逃がさない。絶対に。」

「―っ、ひぁっ…、ぁあっ」


ずくりと自分の中に征十郎さんが入り、確かにお腹の中に彼の存在を打ち付けられる。逃げることなんてできないとばかりに、釘を打ち込まれた気がした。隙間なく彼が奥まで腰を進め、最奥まで貫かれると体の底からの圧迫感に息が浅くなる。すると、征十郎さんが泣きだしそうなくらい優しいお顔で私の頬から首筋を撫でる。指先で、呼吸の誘導をされているみたいだ。その指先にならって呼吸を繰り返すと、少しだけお腹の力が緩まる。けれど、その指先でさえ私の喉はひくりと鳴って言葉にならぬ声をあげてしまう。はしたない。征十郎さんにこんなはしたない声聞かせたくない、そう手をあてるも、征十郎さんはその手をどかし、あやすように私の頭を撫で、上から抱き締めてくださる。


「大丈夫、僕しか居ないよ。」

「せい、じゅうろ…さ…」

「うん。」


気遣う声と手と腕に、涙が出てしまう。征十郎さんは確かに、代わられた。けれど、いやだ、どうして。この人は征十郎さんじゃないのに、確かに征十郎さんだとわかってしまう。優しい声、指先、体温、空気。征十郎さんじゃないのに、征十郎さんだと思わずにはいられない。


「名前は僕がずっと守る。約束だから。」

「も、もう、そんなこと仰らないで、ください…、そ、それ、わ、すれて…ひあっ、あっ」


征十郎さんがまだ小学生にもあがられてない頃の約束なんて、どうか忘れて欲しい。忘れて欲しいから私は東京から京都まで逃げたのに。征十郎さんは私が言い切る前に腰を更に奥へと打ちこんだ。もう全て入ったと思っていたのにまだ打ちこまれた分だけあったのかと思っては喘いだ。


「忘れない。僕がこんなにも名前を愛しているのに、どうして名前が忘れてなんてひどいことを言うんだ。」


笑ってはいるけど、目が笑っていない。
それだ。その危うさが怖くて、だから忘れて欲しいのに。
幼い頃、母を亡くしてただひたすら泣いていた私に、一つ年下の征十郎さんは「名前のことはおれがまもる。だからなかないで。」と仰ってくれた。幼くもお優しい征十郎さんの小さな手に私は縋ってしまった。縋ってはいけなかったのに。私はただの、赤司家に仕える家政婦でしかないのに。


「約束する。僕が必ず名前を幸せにするから。」

「やっ、ぁっ、せいじゅ、ろっ、さ、…ぁんっ」


震える手を、あの時のように取られて口付けられた。睫毛を伏せ、触れるだけの手の甲のキスにまるで誓いをたてられているようで引っ込めたくなった。けれども引っ込める前に、もう読まれていたかのようにするりと指と指の間に征十郎さんの指が絡み、敷布に縫い付けられる。始まった抽挿に拒否の言葉が掻き消される。多分、わざとだ。


「だから、ねぇ、もう逃げるなよ。名前。」


怖い。征十郎さんはある日突然変わられた。いや、代わった。私の大好きな優しい征十郎さんじゃなくなった。けれど、でも、ねぇ。ならこの人は誰なの。私を泣きそうな顔で見下ろして、でも酷く残酷で、優しい方。幼い頃の、鼻で笑い飛ばしてしまいそうな可愛い約束を追い掛けて来てくださったこの方は、征十郎さんであって征十郎さんじゃない。
私の大好きな征十郎さんは、何処へ行ってしまったの。


「愛してるよ、名前。」


今更僕から逃げようなんて―






僕に居て欲しいと願ったのは名前の方なのに、名前は突然僕の前から姿を消した。いや、その予兆はあった。名前が中学生になって進路やこれからの事を考え始めてからだ。今の今まで僕のことを征十郎さんとは呼んでいたが、それは名前の親と周りから言われて呼んでいたことで、それに意味はなかった。だが、だんだんと名前は僕のことを本当の意味で征十郎さんと呼び始めた。名前は確かに僕を呼んでいるのに、名前がどんどん僕から離れていくような気がした。本質的に理解し始めたのだ。『赤司征十郎』という男がどんな立場にいる男なのかを。
名前の家は古くから赤司に仕えてくれている家だ。男は武士として、女は女中として赤司を支え、共にあった。今でもその名残はあって、名前の父は僕の父の秘書をしているし、母親はもう亡くなられたが、母親も家政婦として赤司に仕えていた。名前も幼い頃は僕の遊び相手として家によく来ていたが、歳を重ね、名前が大人びていくたびに、名前は赤司の家政婦として仕事を一つ一つ覚えていった。中学生になると、学校を終わらした名前が赤司の屋敷で家事をしているのが当たり前で、いつも僕を出迎えてくれた。嬉しかった。小学生の頃は家に帰っても父親は居ないし、お手伝いさんは居たけれど彼女らは仕事をするだけ。名前は僕が帰ってくると「おかえりさない」と笑い掛けて「学校は楽しかった?」と聞いてくれる。彼女が好きだった。少しおっちょこちょいだけど、誰よりも人の気持ちに敏感で、優しくて、温かくて、包んでくれる。幼い頃、母親を亡くして塞ぎ込んでいた名前に「守る」と言った言葉は嘘じゃない。物心ついた時から一緒で、寂しいと言いたくても言えない時も、痛いと言いたくても言えない時も、名前はいつも一緒にいてくれた。だから、今度は僕がそばに居る番だ。そう誓ったのに、名前は僕の前から姿を消した。
そう、『僕』の前から。


「あっ…」


情事を終えた名前の白い肢体に、自分の欲が飛び散っていた。ティッシュでそれを拭えば、名前がぴくりと甘い声をもらした。果てた後のとろんとした瞳がはっと見開かれ、僕の手を掴む。


「い、いい、いいです、せ、征十郎さんが、そんなこと、しないで、ください…!」


行為をしている時とは違う赤い顔を僕に見せた名前は飛び起き、僕の手を押さえながら手探りでシーツを探して自分の胸を隠した。…別に今更隠さなくても。綺麗だから、もっと見せてくれても構わないのに。


「そんな事って?」

「っ、……じ、自分の、体くらい、じ、自分で拭き、ます。征十郎さんが、する事じゃ、ないです…。」


名前から聞くその言葉は嫌いだ。
名前が僕と一線を引いているようで。いや、実際引いている。僕にとってそれは微々たるもの、もしくはいらないものだと思っているのに名前はそれを強く太く引く。赤司の息子である僕と、その家の家政婦である自分に。名前が中学生にあがって、色々面倒なことを考え始めてからだ。
こんな事をした後でも、そういう事を言うのか。溜息が出る。でも、そんな名前を好きになったのもある。


「僕がしたいと言っても、駄目かい?」

「だ、だめです…!そんなことさせません…っ!」

「そうか、だったら……」


起き上がった名前を再び敷布の上へと寝かせ、その上に覆い被さる。
僕から逃げるようにして京都へ行った名前。こうして追い掛けて掴まえるように僕も京都へ来たけれど、半年近く僕から離れた罪は重い。むしろ、僕から逃げたことは死ぬまで償ってもらう。僕から名前を取り上げようなんて、逃げようなんて、そんなの、名前でもこの僕でも許さない。


「駄目と言える余裕がなくなるまで、するしかないね。」


再度教え込むしかない。
きみは僕のものだと。逆らうことも逃げることも、絶対にさせない。
死ぬまで僕の傍にいてもらう。




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