お夜食(3/3)
***
「おはよう」
翌朝。
まだ当番の人数が揃ってもいない早い時間に膝丸は厨の暖簾をくぐった。
そこには当番である歌仙兼定が一人先に朝餉の準備をしており、膝丸の姿を見るなり「おや」と感心したように眉をあげた。
「昨夜は戻りが遅かったんだろう。今朝はもっとゆっくりかと思ったよ」
まだ厨番も出揃っていないのに、と付け足した歌仙に膝丸は小さく頷く。
「いや、他のものはともかく、主の近侍たるもの、あれしきの事で寝坊はできん」
「……そう、この本丸の近侍殿は勤勉でありがたいことだ」
そう微笑んだ歌仙は朝餉の準備の手を止めることなく、作業を続ける。膝丸はそれの邪魔にならぬよう歌仙の近くへと歩み寄り、小さく咳払いをした。
「ん、歌仙兼定」
「なんだい?」
「昨夜は、夜食をどうもありがとう。弁当を仲間にわけてしまい腹が空いていたので、とても助かった」
それにとても美味しかった、と膝丸が心から礼を口にすると、歌仙はそんな膝丸にぱちぱちと瞬きを繰り返した。
まるで何を言っているのだろう、と言わんばかりの反応に膝丸は怪訝そうに眉を寄せる。
「もしや、あの夜食は君ではないのか……? いや、書置きの手から君だと思ったのだが……」
あの綺麗な手跡は間違いなく歌仙のものだと思ったのだが、と膝丸が首を傾げると、歌仙はすぐに苦笑を浮かべた。
「ああ、いや、確かにあの書置きは僕のもので間違いないのだけど……。ううん、そうだな……」
思い悩むように口にしつつも、何やら楽しそうな歌仙に膝丸はますます首を傾げたが、そんな膝丸に歌仙は「そうだ!」と大仰な仕草で人差し指を突き立てた。
「これから僕は独り言をいうよ」
「……?」
「あの子に秘密にしてと言われていたんだけど、それでは君もあの子も可哀想だからね」
歌仙から出てきたあの子とは、と考えるも、彼が親しげにその呼称を使用する人物は極めて限られている。
「昨夜、あの子がここを貸してくれと言ってきてね」
膝丸の脳内に何人かが思い浮かぶが、真っ先に思い浮かんだのは……。
「お腹を空かせているだろうからって、夜食を頑張って作っていたよ。ええっと、親子丼、だったかな」
そう含みを持たせつつ目を細めた歌仙に、膝丸はゆっくりと自分の口が開いていくのを感じた。
「あ…………」
膝丸の脳裏には、こっそりと覗くようにして現れた『あの子』の姿が過ぎった。
それから親子丼を頬張る膝丸を嬉しそうに見詰める目、美味しいと告げると幸せそうに微笑んだ顔、甲斐甲斐しく世話をやいてくれた背中、親子丼と自分どちらが美味しいかと聞いてきた唇。
全てが膝丸の脳内で目まぐるしく駆け巡り、膝丸は口をはくはくとさせた後、声を張った。
「あ……朝のあいさつをしてくるっ……!!」
「はよー……腹減っ……うわっ!」
ちょうど顔を出した愛染国俊が、普段の落ち着きはどこへやら慌ただしく厨を飛び出した膝丸と鉢合うが、謝罪もそこそこに膝丸は「すまない!」とだけ告げて廊下を駆けて行った。
「源氏の重宝たるものがあのように足音をたてて……」
その姿に歌仙はやれやれと肩を落としつつも、優しげな笑みを浮かべていた。
そんな歌仙の顔と、走り去っていった膝丸の背中を見比べながら、愛染は早起きしてしまった原因の腹を撫でながら厨へと入る。
「びっくりしたぁ……なに、膝丸どうしたの」
「いいや、主へと朝の挨拶をしてくるんだと」
「ふぅん、挨拶ね…………。あのテンションで?」
「さぁ?」
いや高すぎないか? と愛染は再度膝丸が消えた方向へと顔を向けるも、もう足音も聞こえないほど去っていった廊下は朝の静けさを取り戻していた。
「……まったく、朝の挨拶で済むのやら」
そう歌仙が再び朝食の支度へと取り掛かろうとすると、その歌仙の言葉に愛染が不思議そうに目を丸くした。
「……? 朝の挨拶以外に何するんだ?」
「………………愛染、ここに来て卵焼きの味見をしてくれないか」
「おおっ! するする!」
膝丸と鉢合わせたのが愛染で良かった、と歌仙は心から安堵した。
それから、膝丸とあの子の分の朝食を別に取っておかないと、と厨に入る朝日を眩しそうに眺めては優しく目を細めた。
本丸の朝が始まる。