近侍のはて(3/5)

「――山姥切長義」

広間にて寛いでいる山姥切長義へ膝丸は声を掛けた。
山姥切長義は新しい刀剣男士を歓迎する仲間に囲まれ、和やかに談笑していたらしく、呼びかけられた声にも穏やかな顔で返事をした。

「なにかな、近侍殿」
「主が呼んでいる」
「そう、なら行かないとね」
「それと、次の近侍は君だそうだ」
「………………」

立ち上がった途中で膝丸が次の近侍を山姥切長義へと告げた。
山姥切長義を囲っていた仲間達から口々に「珍しい」と声が上がり、山姥切長義も静かに目を瞠った。

「へぇ……」

確か、この本丸の近侍は膝丸になってから変更があまりされていないようだった。その近侍から次の近侍を告げられ、山姥切長義は肩を竦めてみせた。

「早速、奪ってしまったかな?」

何を、と言わず膝丸を見上げるも、膝丸はそれを無言で見下ろしては歩き去ってしまった。

(……安い挑発には乗らないか)

去っていく膝丸の背中を見詰め、山姥切長義はふむ、と細い顎に指をあてる。この本丸の膝丸は少し気難しそうではあるが、変な挑発には心を乱さないようだ。
これ以上、審神者に関して下手に探るのは得策ではないな、と思いつつも、出陣から戻った時のあの柔らかな表情が忘れられない。
あのように表情が変わるのはこの本丸の膝丸だけなのだろうか、それとも膝丸とはあのようにころころと表情を変える刀なのだろうか。そもそも、恋人に向ける表情など皆あのような感じなのだろうか。
尽きぬ興味を並べつつ、山姥切長義は審神者の部屋へと向かうため広間を抜ける。そして広間を少し歩いた渡殿で、反対側から一振の刀が歩いてくるのに気付く。その姿に、山姥切長義は「ああ」と小さく声を上げた。

「やあ、髭切……だったかな」

膝丸とよく似た顔立ちの男の名は、髭切だ。膝丸と共に打たれた、膝丸の兄。
兄ならばあの膝丸のことをよく知っているかもしれない。期待を込め、山姥切長義は髭切へと声を掛けたが、髭切は膝丸と同色の目を伏せてはその横を通り過ぎた。

「……あまり、あの子をからかわないで」

すれ違いざまに短く告げられた言葉に山姥切長義は目を瞬くも、すぐに振り返って首を傾げる。

「あまり響いていなかったようだけど、心配かい?」

からかうも何も、相手にすらされていないようだったが、やはり兄としては心配なのだろうか。反応という反応がないので、今ではけしかけた事を後悔しているくらいなのだが、はたから見たら要注意人物と見なされてしまったか。
もうそんなつもりは無いという意味を込めて苦笑すれば、髭切も膝丸からすげなくされた事を知っているのか、半ば溜息交じりにこう返した。

「僕が心配しているのは主だよ」
「……?」

言った意味を確認する間もなく、髭切はその場を去った。
言いたいことを言うだけ言って去る姿は兄弟だな、と感心しつつ、山姥切長義は再度審神者の部屋へと向かった。
それにしても、心配しているのは弟の膝丸ではなく、審神者の方とは一体どういうことなのだろうか。

(膝丸へ話しかけることによって審神者がヤキモチを妬く、とか……?)

しかし、あのように褒め言葉さえ苦笑を浮かべる審神者にヤキモチという言葉が結びつかない。いや、謙虚にしているからこそ、その内側に激しい感情があるのだろうか。大人しそうな顔をして燃えるような嫉妬の炎が……、と想像したところですぐに打ち捨てる。似合わなすぎる。
とにかく、別に二人の仲を引き裂きたいわけでも、膝丸の反感を買いたいわけでもないゆえ、次からは接し方を変えようと考えつつ角を曲がり、山姥切長義は審神者の私室へと向かった。

「………………?」

そして、審神者の私室の戸が見えたところで、奥がにわかにざわついているのに気付く。

「……なんだ、この気は…………」

ざわついているのは人の声や風の音ではない。ここを纏う空気。肌を切るようなピリピリとした空気に自然と足が止まり、辺りを見渡した。
しかしこの先にあるのは審神者の部屋だけだ。審神者のまわりで一体何が起きようとしている、と瑠璃色の目を凝らした時だった。
叩きつけるような音が審神者の部屋から聞こえ、すぐに審神者の部屋の戸が庭へと吹き飛んだ。

「……っ! 主!」

高欄を飛び越え、吹き飛んだ戸と共に山姥切長義は駆け出した。

「君! 無事かっ!」

周囲に異常を知らせるよう、できうる限りの大声を上げ、審神者の部屋へと走る。
しかし山姥切長義の二度目の掛け声が届くか届かないかのところで悲鳴に近い声が返ってきた。

「……きちゃ、だめ……っ!」

声と共に何処からか風が吹きつけ、また違う戸が吹き飛ぶ。その勢いに思わず腕を顔の前で覆い、その隙間から審神者の部屋を見る。すると、細く、短い刃のような風が続けざまに吹きつけ、山姥切長義の足元を切った。

「……っ!」

向かってくる鋭い音に反射的に足を引くと、引いた足元には鎌で抉ったような傷が床板についていた。

「なんだ、これは……っ」

簀子を抉る傷を見下ろしては、審神者の声が聞こえた部屋へと目を向ける。戸が吹き飛び、開け放たれた部屋からは軋む音と共にあの鎌風が吹き、その中心には自身を抱き締めるようにして蹲る審神者の姿があった。

「どうした!」
「主!?」

唖然とその光景を眺める山姥切長義の後ろから、ようやく本丸の皆が駆けつけてきた。皆はすぐに蹲る審神者に気付き、口々にその名を呼ぶ。今にも駆け寄らんばかりの皆の声に審神者は先と同じ言葉を繰り返した。

「だめ……、来ないで……、きちゃ、だめ……っ」

額を床に擦り付けるようにして蹲る審神者から風が吹き付ける。審神者の部屋から本や書類が飛び、筆などの小物があちこちに散らばる。戸、壁、高欄にも次々と抉るような傷がつき、床板が捲れ上がった。

(どうなっている……。審神者に一体……)

それが審神者から出ているものだと気付くには時間はいらなかった。審神者の近寄るなという必死の声に、審神者を中心に吹く謎の鎌風、そしてその中心にいる審神者が苦しげにしつつも無傷なこと。

「……まさか、霊力の暴走か……!?」

考えられる答えを口にすると、それに返事をするように山姥切長義のすぐ横の壁がどっと鈍い音を立て抉られた。弓でも掠ったかのような切り口に目だけをそちらに向け、あと少し動いていたら間違いなく切れていた頬に汗が滑る。

(審神者に何が起こったんだ……! 先まであんなに穏やかな顔をしていたではないか! 霊力が不安定になるような情緒の乱れも感じさせなかったあの審神者へ、この短時間で何があった……!?)

そう立ち竦む山姥切長義の肩を、誰かが引いて掴んだ。山姥切長義の横に立ったのは黒い衣服を着た、薄緑の髪の男。

「……膝丸……っ」

押し退けるようにして現れたのは膝丸で、膝丸は「来ないで」とか細く泣く審神者を見据えては、真っすぐと審神者へと歩み寄った。

「待て、近寄ると……!」

迷いなく進む膝丸の背を止めようとするも、その腕は鎌風によって遮られる。鋭い風の音に寸でのところで腕を引いた山姥切長義であったが、膝丸の方は避け切れなかったようだ。腕の衣服が裂ける。
……いや、あれはわざと避けなかった。証拠に、膝丸は風など無いかのように突き進んでは腕、足、胴を切り刻まれている。
痛みを感じないのか、と疑いもしたが、近寄るのを拒む風が膝丸の血を運んでは床と壁を汚す。

「……いや、やめて……来ないで……」

膝丸の近寄る足音に審神者は床に突っ伏したまま首を振っていた。床に頭を擦り付けるようにする審神者に、初めて膝丸の眉が寄せられる。

「君、やめろ。額が擦れる」
「……っ、ひざ、まる、だめ、こないで……っ」
「落ち着け」
「や、やだやだ……、こない、で……っ、お願い……っ!」

悲痛な審神者の声が響く。
風の勢いが一段と増し、膝丸の頬を、首を斬り付ける。

「止まって……、どうして、やだ……っ、止まらないよ……っ」

膝丸に言っているのか、自分に言っているのか。恐らくそれどころではない審神者が自身の体に指を突き立てる。
床に審神者の汗と涙が落ちる一方、風によって裂かれた膝丸の血が飛び散る。体を抱き、ぶるぶると震える審神者の肩へと膝丸の手が触れた。

「……っ」
「もう大丈夫だ」
「ひざ……まる……?」

溢れ出る力を抑え込めないまま、審神者が顔を上げた。膝丸の穏やかな声につられたように審神者は顔を上げたが、そこには体中に切り傷をつけ、血を滲ませる膝丸がいた。

「あ……いや……っ」

見るからに顔を引き攣らせた審神者が震える手で顔を覆う。そして覆った顔に爪を突き立て、皮膚を破る。突き立てた場所から血が滲み、首を振る審神者の手を膝丸が慌てて引き剥がした。

「止めろ……っ!」

今まで表情を変えなかった膝丸の顔が険しいものへと変わる。すると、膝丸の大きな声に驚いた審神者がびくりと震え、同時に膝丸のこめかみに鎌風が吹く。審神者の目の前で鮮血が散る。目に近いところへ吹いたからか、思わず顔を顰めた膝丸の表情に審神者は目を大きく見開いた。
つ……、と流れる血を審神者の目がしっかりと追っているのを見た膝丸は、その視界を塞ぐように審神者へと口付けた。

「……っ!」

刹那、審神者の纏う気が大きく揺れ、弾けるのを感じた。本丸全体を揺らすような風が吹き上がり、審神者と膝丸の様子を探っていた皆を吹き飛ばすような暴風が吹き荒れる。

「危ない……!」

山姥切長義が向けた言葉は自分の後ろにいる皆にもそうだが、その風の発生源へ口付けている膝丸にも向けていた。しかし膝丸は構いもせず、まるでそこだけ時間が止まっているかのような穏やかな口付けを交わしていた。

「膝丸……!」

ロマンチックな口付けをしている場合じゃない。そう二人へと手を伸ばした山姥切長義だが、その腕を誰かに引き掴まれる。
ぐいっと体が強く後ろへと引かれ、また兄弟揃って似たようなことを……! と山姥切長義は腕を掴んだ相手へと怒鳴った。

「離せ髭切!」

二人を助けなければ、と吠えた山姥切長義であったが、横目で髭切が睨む。

「駄目だよ。今ここで君が傷を作ると後が面倒」
「は、はぁ……!?」

そんな事言っている場合か! と怒声を上げかけた時だ。本丸に吹き荒れる鎌風の音が弱まる。

「……っ、風が…………」

肌を切るような風の勢いが治まっていく。次第に風は髪を撫でるようなものへと落ち着いていき、みるみる勢いを消失させていった。怒声さえ掻き消すような風の音も消え、風に舞った書類や小物達もゆっくりと地に落ちる。鎮まった暴風に誰もが息を吐いた。

「――兄者」

安堵の息を吐いたところで、膝丸の声が静かに響いた。

「俺の血で汚れる。これを頼む」

見ると、どこも血だらけ傷だらけの膝丸が、ぐったりと気を失った審神者を抱いたまま髭切へと声を掛けていた。

「お前……主が余計に取り乱すのをわかってて近付いたね?」

髭切は膝丸の呼びかけが掛かるか掛からないかのところで既に歩み寄っており、膝丸の腕から青白い顔の審神者を受け取った。

「さぁ……。主の辛そうな声を聞いたら体が勝手に動いていた」
「よく言うよ……」

受け渡す際に膝丸の手が審神者の頬を心配そうに撫でる。撫でられた審神者は小さく呻くも、目を覚ます様子はなかった。

「霊力を出し切って気を失っている。しばらく休ませて欲しい」

言われなくとも、とばかりに髭切が膝丸へと嘆息し、荒れた部屋を背にして審神者を抱え直した。

「……手入れ部屋って今は空いているかい? そこで主を休ませるよ」

皆に言い聞かすようにした髭切の声に誰かが「布団の準備してくる」と駆け出し、着替え、水、と狼狽えつつも一振りずつ動いていく。その中で薬師の薬研が膝丸へと駆け寄った。

「旦那、応急処置を……」
「いや、先に主を診てやってくれ。俺は着替えてからにする」
「……わかった。手入れ部屋にいる。必ず来てくれ」
「ああ」

顎に伝う血を汗か何かのように拭う膝丸へ、山姥切長義は何か異常なものを見るかのように見詰めた。いや、異常そのものだ。
あれが霊力の暴走だと仮定して、それを怯みもせず近寄る膝丸にもだが、そう行動する膝丸を見守る髭切に、血だらけの膝丸に治療を後回しにすることを許す周りも圧倒的におかしい。
何故誰も止めない……、と呆気に取られるも、あれだけ自分を顧みずに審神者へと突き進んだ後ろ姿を見せられ、あの時の彼を止められるかと問われると、正直止められる自信がない。
刀剣男士といえど痛みを感じないわけではない。それを踏まえてあれが自分にもできるかと詰め寄られると、すぐに頷けるかわからない。
それほどにまで、審神者と膝丸の繋がりが強いのか……。
そう膝丸を見詰めていると、その視線に気付いた膝丸が、ふっと小さく笑った。

「……近侍になり損ねたな」

梔子色の瞳を薄っすらと細め、横を通り過ぎた膝丸に山姥切長義はごくりと唾を飲み込んだ。

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