ノーダウト(3/3)


翌朝。……ではなく、昼前。
そろそろチェックアウトの時間であったが、審神者は部屋の鏡の前で唸っていた。
ほっそりとした首に両手を添え「うーっ」と唸る審神者は何やらそのまま首を絞めてしまいそうで、心配になった膝丸がその手を取った。
「何をしている」
後ろから審神者の手を取れば、鏡に映った審神者はきっと眦を上げた。
「何をしているんでしょうね!」
胸に手をあててみなさい! と鏡の膝丸を睨む審神者の首元には、痛々しい痕がたくさん付いていた。白い肌にぽつぽつと、衣服では隠し切れない場所にたくさん散っているそれは昨夜膝丸がつけたキスマークだ。
「もう……。これじゃあ、外を歩けないよ……」
「なんだ、まだ足がふらつくか」
「足はもう平気です……!」
今朝は昨夜のせいで審神者の足腰がまったく使い物にならなかった。しかし、朝食を部屋で取り、着替えや荷物の整理など、膝丸にかいがいしく世話をしてもらったおかげでやっと今しがた普段通り歩けるようになった。……いや、昨夜の膝丸の行いを考えればそれくらいやってもらって当然ではあるが。
しかし、今審神者が頭を悩ませているのはそれではない。首元に散りばめられたキスマークだ。何とか歩けるようになった足で身嗜みを整えようと鏡の前へと行けば、とてもじゃないが誤魔化しきれない鬱血痕の数に小さな悲鳴を上げてはどうしようかと混乱し、唸ったのがつい先程のこと。
「どうしよう……」
「……これでも巻いておけ」
そう言って膝丸は自分の首元に巻いていた黒い薄布を外し、審神者の首へと巻き付ける。
「えっ……、でもこれ髭切とお揃いの……」
「いい、本丸に戻るまで巻いておけ」
スカーフ代わりにはなるだろうと何度か巻けば、審神者の首が薄布によって隠れるが、全ての痕が隠し切れるわけではない。しかし無いよりはあった方がいい……。審神者は巻かれた薄布をおずおずと口元に持っていっては拗ねた声で礼を言った。
「……ありがとう」
自分のものを審神者へと身に着けさせるのは見ていて気分がいい。膝丸はむくれた頬を後ろから口付けようとしたが、礼の後すぐに審神者が言葉を続けた。
「……あとフロントからストッキング買ってきて。黒いやつ」
「……わかった」
低く鋭く続けられた言葉に、ここは大人しく従った方がいいと察した膝丸は身を離す。審神者の白い足には首元同様、膝丸がつけた紅い痕がたくさん残っていた。今朝それに気付いた審神者にたっぷりと叱られた膝丸は審神者から財布を受け取り、渋々と部屋を出る。
昨夜、部屋へ入った後にかけた結界をさり気なく解き、フロントでストッキングを買うべく膝丸はエレベーターホールへと向かった。
下の階へと降りるエレベーターを待っていると、やがて一機のエレベーターが到着を告げる。
「あ……っ」
「おっ」
到着したエレベーターの扉が左右に開くと、昨夜審神者へと近付いた男審神者達が乗っていた。
「………………」
しばしの沈黙のあと、膝丸がそれに乗ろうとすると、審神者へ酒をすすめていた男審神者が慌ててエレベーターの閉めるボタンを押した。それを見た同僚の男審神者がその手を慌てて止める。
「あ、おいっ」
「むりむりむり! 同乗はしんどいですっ」
「お前な……」
「次のエレベーターをお待ちください!」
昨夜膝丸に睨まれたのが余程堪えているのか、到着したエレベーターの扉が男審神者により閉められていく。静かに閉じていく扉を膝丸はじっと見詰め、その中にいる男審神者へと……、昨夜審神者へと声を掛けていない方の男審神者を見据えた。
「――本部へ」
そして扉が閉まる寸前、膝丸は静かに、しかしはっきりと声を発した。
「本部へ伝えろ。おかしな会で俺とあれを呼びつけるな、と」
梔子色の目に浮かぶ黒真珠を僅かに細めて言えば、エレベーターの中で男審神者が目を見張り、閉じていく扉と共に薄っすらと笑った。乗り損ねたエレベーターの中で「え、なに?」ともう片方の男審神者の声が聞こえたが、その声はぴったりと閉じた扉の中へ消えていった。
向けられた笑みは了承の意味か、それとも別の意味か。残された膝丸は小さく息をつき、再度ボタンを押しては次のエレベーターを待った。
(今頃心配になって取り上げようとでも思ったか……)
エレベーターを待つ梔子色の目は虚空を見詰めるように虚ろであったが、ふと、首元へと手を添えた途端に穏やかな色へと変える。巻いてあるはずの薄布が無いことを、それが審神者の元にあることを思い出せば、膝丸の目はすぐに優しさを取り戻した。
(……だが、もう遅い)
審神者の細い首に巻いた薄布が自分の手元へと戻ってくるとき、それは審神者の温もりを纏っているのだろうか。審神者の肌の温かさを思い出しては、膝丸はゆっくりと目を閉じた。
(今更危険だとわかって返せと言われても、あれはもう返さんぞ)
付喪に人の体と心を与えはじめたのはお前達ではないか。
そう薄暗い笑みを浮かべては、誰もいないエレベーターへと膝丸は乗り込んだ。

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