ヒトリノ夜(3)


 ギリシャ神話では英雄の命を奪った大蠍が星になったとされているが、『銀河鉄道の夜』では蠍が燃えて死んで皆の幸せの為に夜空を照らしているという。
 俺の天体部の在籍は頭数でしかなく、宇宙に興味がある訳ではないが、改めて考えれば蠍座の話は『銀河鉄道の夜』の方が好きだった。だから勘違いをしていたのだと思う。
 一度は詞に起こしてみたい題材だけれど彼が本を読んでいて、時折ライブにも顔を見せる手前、どうにも気恥ずかしくて出来ずにいた。
 彼の手が殆ど規則的に頁を捲るのを、真後ろから眺めて声を掛けるか迷う。
 今朝彼が遅刻をしたせいで挨拶はしていない。基本的に挨拶は来た方からしていたように思うが、彼の授業中に入って来たせいでタイミングを逸していた。
 俺が声を掛けずにいれば今日にも途絶えてしまう関係に思えてくる。
 切れた方が今の俺にとっては面倒がない筈なのに俺はそれを望んでいなかった。
 かといって即座に声を掛けられる程無神経にもなり切れない。
「那須」
 先に彼に声を掛けたのは俺の西隣に部屋のある藤原秀俊だった。
 風紀委員で科学部部長をしているやたら甘い雰囲気の男だ。
 俺は滅多にあれが嫌いだとかは思わない方だと思うのだが、藤原はその滅多に思わない感情を抱かせる奴だった。
 何がそんなに俺の気に障るのかは曖昧だが、恐らく『科学部部長』の肩書きのせいだろう。
 科学部はそれまで無意味に重複散在していた化学部、物理学部、理科部、地学部の理科系部が相互食い合い部員減を解消しようとして昨年度合併をした新設部だ。
 俺が去年九月末、那須が部長を務める天体部に入部届けを出した時、天体部は規定部員数の五名をぎりぎりのところで保っていて、先輩が抜ける分翌年度の同好会降格が濃厚と言われていた。
 俺が入部した事で今年度の五名に達して現存しているのだが、その天体部に合併をひたすら持ち掛け続けているのが昨年度の新体制科学部副部長で今年度の部長、藤原だった。
「何」
 那須は藤原に見向きもせずに本を閉じたようだった。
「そう邪険にするなよ。文化祭前にうちと合併した方が絶対天体部の為だって」
 藤原の甘く鼻に掛かる声がどうにも苛つく。
「その話は何度も断ってる。天体部は小回り利いた方が良いし今年度の部費ならとっくに使い切った」
「文化祭はどうするんだ。小回りって言ったってもう先輩も居ない。誰も活動してないんだろ」
 それは間違いだが、那須は趣味の天体観測を広言していない。
 昨年の文化祭は俺含めた四人と一人の先輩は一切の手伝いをしておらず、彼が単独でいつの間にか小展示を作り上げていた。
 ただ、それは地味極まりないもので、部員が張り付く訳でもなく展示ブースが開かれているのみというお粗末さだったが、模造紙に纏められた写真や観測データを撮影している顧問の中河原真人先生の姿は覚えているし、俺も片付けだけ手伝ってそれなりの出来だったのは判った。
 少なくとも科学部の模擬店や科学部地学派展示よりは硬派なものだったと思う。
「去年の使い回しが出来るから文化祭も問題ない」
 彼は溜息混じり、うざったそうにに応答する。
「あんな地味な展示じゃ来年度は降格だろ。残される後輩部員の事も考えたらどうだ」
 天体部の後輩は大概兼部をしているし、同好会に降格すれば皆籍を抜くだろう事は想像に容易かった。
 同好会だと部に比べ予算が激減する。要は遊び金に使いたい部費を山分け出来ない故の自然消滅だ。
 天体部が消えて困る後輩は居ないだろう。居るとすれば少しでも部費を増やしたい科学部だった。 
「うちは今年度、俺達地学派の意見で天体望遠鏡、良いの仕入れたぞ。展示なら乗っかっても損はない」
「要らねぇよ。去年の展示が残ってるって言ってるだろ」
 去年の展示は確か後夜祭で那須自身が燃やしていたと思うのだが。
「部が消えるんだぞ。部長として勿体無いと思わないのか、あんな地味な展示じゃまた閑古鳥で」
「今年の天体部は隠し弾があるんだよ」
 口を挟んでいる自分を自覚したのは立ち上がった直後だった。けれど苛立ちは変わらず引き返す気も起こらない。
「鶴見は軽音部本命だろ。お前が入部してなければ今年天体部はなかったのに」
 藤原は暗に俺が邪魔だと告げていた。
 入部した当時はその辺りの事情もどうでも良かったが、今となっては夜遊び組の三人とも上手くやっているし、那須ともそれなりに深い付き合いがある。その繋がりの元になっている天体部を廃部統合させようと企むのはどうしたって気に入らない。
「俺と那須が卒業しても天体部は残る。お前が地味だって言った展示で新入部員は入るって事だ」
「何を根拠に」
「隠し弾って言っただろ。なあ、那須」
 藤原の正面に立って幼馴染の綾小路王貴から「寒気がする程腹が立つ」と形容される爽やかな笑顔を作ってみた。
 那須は少し驚いた風に俺を横目で見遣ったがそれも数瞬間で、小さく息を吐いて「そう」と続けた。
「今年の天体部は客寄せパンダの生徒会長鶴見様が居るだけで注目度は上がる。その上で科学部には出来ない展示を考えてる。こちらの鶴見様がな」
 那須は平然と俺を隠れ蓑に使う気のようだが、それならそれで構わない。
 そもそも那須も俺も他の部員からも、未だ今年度の文化祭の話等出てもいないし、張り付いている限りでは那須も文化祭の準備をしている様子はなかった。
 口からでまかせも良い所だが、科学部に乗っ取られるより、去年と同じような硬派な展示を貫いた方が良いと個人的に思う。
 どの部もどのクラスも華々しく何とか模擬店だの何とか劇だのをやりたがるが、少なくとも俺は天体部の展示は嫌いではなかった。
「……そう。まあ、うちはいつでも天体部の統合は準備しているから廃部にするよりはうちにおいでってだけ。折角だし一緒に昼飯どう?」
 藤原は常の甘い声音を貫き穏やかな笑みで返すが、那須がはっきりと「不味い飯は食いたくない」と返答したせいで肩を竦めて撤退していった。
 どうやら廊下に風紀や科学部の取り巻きを待たせていたらしく談笑するような雰囲気で去る。
 取り巻きなんぞ良く抱えていられる物だと感心せざるを得ない。抜け駆けは駄目だとか意味が判らない取り決めを勝手にされてちやほやするだけの連中は邪魔なだけだ。
 そんな集団が出来掛けると蹴散らしているのだが、それでも懲りずに出来るのだから彼等は相当強靭な精神力があるのだろう。全く理解不能だが。
「……那須、飯行くぞ」
 流れで声は掛けられた。決まりは悪いが普段通りに飯を誘うと那須はやはり少し考える風をして、こと、と首を傾げる。しかしそれも数秒だった。
「鶴見のはったりには参った。何とか客寄せパンダしてくれよ」
 机横のフックからコンビニ袋を取って席を立つが動作は酷く億劫そうで、やはり昨日一昨日のダメージなのだろうと思うと胸が軋んだ。
 戯れる素振りで肩を抱き寄せたら「何だよ、暑苦しい」と文句を言われたのに払う事はなかったから、そのまま階上、いつもの一号館屋上を目指す。
 彼は最初いつもの俺の歩幅に合わせるようにコンパスを開いて歩いていたが、たたらを踏むようによろけてからは、俺のリード歩調に合わせゆっくりと階段を上がった。
 関東も梅雨入り宣言をした筈なのに空は曇天、煮え切らない湿気だけの空梅雨だ。
 五月より気温の落ちたせいで半袖を着ると薄ら寒く、外に出る時は適当にサマーカーディガン等を羽織って対応せざるを得ない。
 彼は真夏以外は何かしらの上着を常用しているようで、今日は濃紺のサマーカーディガンを着込んでいた。
 俺はそんな上品なカーディガンが似合わなくて、体育着のジャージを羽織っている。



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