有明の月――I've crid for...


 俺はもしかせずとも同級より精神面が早熟で、同級等程噂話には正直興味がなかった。
 早熟にもなろうという物だ。
 俺の母親と父親は二人ずつ居る。
 端的に言えば同性愛者の偽装婚、故の二重家族。真に愛し合っているのは実母と義母、実父と義父、血の繋がっている姉二人は近親恋愛をしているし、もう一人の姉も義姉に夢中だ。
 俺の家庭が歪な事は物心付いた頃にはぼんやりと判っていて、そんな家に反発をして、非行に走ってみたり、倒錯的音楽や見境ない淫行に没頭して現実逃避を図った事もあった。
 しかしそれも中学の間、ほんの二年程の話、紆余曲折はあったものの今となってはもう、それが本当に一番の形だと思っている。
 愛し合っている者が幸せそうに家庭内に居て、自分にも家族にも分け隔てない愛をもって接してくれる、というのは、子供にとっても本来ならば快適な環境なのではないかとすら感じた。
 中三の終わりくらいには何となく開き直り始めていて、だから「鶴見は老けている」「ホモ」等と級友や音楽仲間から笑われても然程気にならなかった。
 血統なのか、ただの性的嗜好なのか、俺も結局は同性愛者だ。
 隠す必要も感じない。それでトラブルの起きるような相手ならば却って付き合う見切りが出来て都合が良い。
 高校に入ってからも俺は自分の性的嗜好を隠す事はなく、近所の女子高との遊びに誘われても「女は範疇外」と拒否していた。
 全寮制男子高の特性なのだろうか、上級生には同性愛者も居ると真しやかな目撃談も耳に聞いてはいたが、同級生のその手の話は殆ど余り耳に入って来なかった。
 俺自身格別友人が多い訳でもないから、何処かで止まっているのだろう。
 調べに行く程の野次馬根性も無ければ、一人が寂しい等と思う程の可愛げもなく、今でも愛して止まないベースを弾く日以外は広い構内の目立たない場所で、近くて遠い喧騒を聞きながら中毒になった煙草を咥えていたり、時にはバンド用の詞を書いたりしていた。
 俺はどうにも詞を書くセンスがなくて、それこそ倒錯的陳腐な散文になりがちだ。
 けれども英訳して英詞の歌にしてしまえば即座に元の詞を理解する奴も居ないと思う。
 俺を含めたボーカル担当は皆ネイティブな発音が不可能で、勢いに任せてただ言葉のような物を音楽に乗せる。
 表現方法がそれなのだから、俺達の作る音楽そのものも倒錯的陳腐な物に過ぎないのだ。
 構内の最奥、旧大学講堂より西へ寄ると部活委員会等の課外活動に利用する五号館の裏に隠れる形でぽつんと東屋があった。
 最近のお気に入りは此処だ。
 何せ気紛れな秋雨前線と不安定な大気の影響で天気は移り気。夏の名残は未だあれど確実に日は一日一日と短くなっていた。
「……Due you had aid to come soon」
 もう日が暮れて行くのだと紅く燃える壁の向こうを思い、吐き出す煙に思い起こした名文を乗せて呟いてみる。
「I've been waiting for you……in the……long September Autumn night is……?」
 出だしは恐らく間違ってはいなかった。けれどどうにもあの余韻は出て来ない。
「The moon……of dawn……have……not、waiting for……?」
「Finally have gone out?」
 誰かに先を越され、今まで気付かなかった己の背後、びくりと肩が跳ねた。
 慎重に振り返ると黒い影が足元を伝い、その細長い頭部を踏み潰されている。
 夕焼けに輪郭が淡く燃え立ち更に背後の足元から、黒くやはり細長い影が這っていた。
「The other?」
 俺の影を縫い止めたそれの手にしていた煙草は、俺と同じ銘柄のようで小さな星が散りばめられている。
 星の小箱から慣れた手付きで一本を引き抜いて咥えるが、途端腰や尻を忙しなく叩き始めた。
「The other?」
 微かにくぐもった声音で再度尋ねられる。
「Can you understand my」
「判ってる」
 幾らネイティブな発音でもそのくらいは聞き取れた。
 それは首をことりと傾ける。
 そして表情も変えずに俺を真っ直ぐ踏み抜いて歩み寄り勝手に俺の腰回りを叩き出すが、ふと片眉を上げたかと思うと三日月型に双眸を細め、遠慮もなしに俺の左の胸ポケットに手を突っ込んで来た。
 生地越しに心拍まで射抜かれたようで、それの口角は釣り上がっていた。
「And?」
 俺の左胸に仕舞っていた火の素を指先が摘み抜けていく。
「……And……」
 つい釣られて復唱して、失敗したと思った。
 これは俺の悪癖だ。要らない言葉を増やして日本語の余韻を完全に消失させる。
 けれど、英語ならば、とも思ってしまう。
 誰にも伝わらない、伝える意志もない、意味不明の倒錯的陳腐な表現ならば。
「……And……」
 息を吸い込もうとすれば引き攣れ、吐き出すのも苦しい。
 指に挟む煙草のちりちりと焼けていく音さえ聴こえてきそうだった。
「And……I've crid、for……」
 それは俺の左胸から取り出した火を咥える穂先に移し、きらびやかな真紅を点滅させた。
 やや釣り上がった眦、目を伏せている。前髪が目許に掛かるせいか、昏く、鋭利な印象の風貌だ。
 身長差、目測で二十センチに近いだろうか。俺より遥かに背の小さな影は俺のそれにほぼすっぽりと収まり、完全に俺を乗っ取っているらしかった。
 数秒の間をたっぷり置いてからそれは口を開いた。
「……You can't speak English well, but you have a sense of humor of yourself that I say……」
 何を言っているのか、最初だけは聞き取れたが何分にも早い。その上、煙草を咥えているせいで聞き取り難い抑揚の少ない声質が更にその度合いを増している。
 それの指は未だ俺の火の素を指先で遊ばせていて、実に楽しそうに目を細めた。
「頭、可笑しい」
 端的に放たれた日本語と同時に、顔面を紫煙に強襲されて思わず顔を背け、背けてから「ああ、俺は動けたのに」等と訳の判らない誤認を今更感知する。
「……お、前」
 出来れば言われたくない言葉だ、下手に根っこ深く自覚がある分だけ。
「『貴方が直ぐに来ると言ったせいで、私は貴方を待ち続けている。長い九月の秋の夜に。待ってもいない夜明けの月がいよいよ上がって来てしまい、私は、求め泣き続けている』……お前さ、恥ずかしくねぇの?」
 今度紡がれた台詞にはもう羞恥心しか沸き起こらない。
 表面の平生を取り繕うのに精一杯で止める事さえ出来なかった。
「文法以前、『 長月』と『有明の月』の時点でもう色々お察しだがよ、古今集の『今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな』が原文だろ?」
 古今集にある素性法師の和歌、やはり知っていた――例え冒頭から聴いていたとしても此処まで見抜いてくるとは、それはもう明らかに同級と同じような頭の構造とは言い難かった。
 素性法師は藤原公任の選ぶ三十六歌仙の一人として数えられる有名な歌人であり、俺の英訳していた和歌は小倉百人一首の一歌にもなっているのだが、英訳を原文の和歌にまで直結出来る脳の持ち主は少なくとも俺の回りの人間には居ない。
「『かな』をそこまでやるって俺には出来ねぇわ。前からお前作らしい英詞には随分笑わせて貰ってたが選ぶもんも選ぶもん、というか要はそう訳すのね。普段の英詞、元の詞書いてんの、誰?」
 密やかに、いつの間にか追い詰められている。苦しいけれど未だ言い逃れは。
「……俺じゃ」
「『ねぇ、バンド仲間だ』とか答えたらお前作だな。こんな恥ずかしいレベルの英語で更に意訳する奴に自作詞の英訳託す奴、そう居ねぇだろ。居るの?」
 細長い影はぐにゃりと歪んでまた笑みの形を作った。
 違う、笑ったのは俺の影であって、それではない。
「元、が、英詞で」
「お前作で?」
 ――否、やはり。
 その毒はいつの間にか俺の内側にじわじわと侵食していた。
 切っ掛けさえ判らない。
 俺の何がこの毒虫を刺激したのか。
 入学当初から何となく耳に届いてはいた。
 酷く厭味で陰険な奴が居る、と。
 誰にでも、気分次第で毒を撒き散らして、また去るのも気分次第、意味も意図も判らないが、不吉な呪いのような奴だ、と。
 そんな毒虫のような奴と今年度から一緒のクラスになりはしたけれど、俺は全く関心がなかったし、それが俺に話し掛けて来たのも、もしかせずとも今日が初めてなのではないかと思う。
 こんな毒の吐かれ方は予想だにしていなかった。
 やはり俺はどうやらその神経性の毒針でもって、頭を一発やられ、左胸までやられていたらしい。
 致命傷も致命傷、急所を二箇所も貫かれては操られていて当然だった。
 ――倒錯的陳腐な茶番劇。
 冷静になろうと思えば幾らでも冷静になれたのだろう。そうなのだと思いたい。
 けれど、乗っているのは何故だろうか。
 この、毒に侵食されている、乗っ取られている、という言い訳で、俺の内側から裂かれ、割り開かれていくのが単純に気持ち良かったのかもしれなかった。
「元詞も英詞も俺だって言ったら?」
 ――馬鹿にするのか。
 馬鹿にして貰っても良い。
 身長の伸び過ぎたせいか、めっきり喧嘩を吹っ掛けて来る者も絶えて久しい。
 突っ掛かってくれるのならばそれはそれで面白く、そうなると呼吸は煙を吸い込むついで。
 金を燃やして作られる煙を肺腑に取り込んで溶かした。
 吸って落ち着く等ではなく、吸わないから落ち着かないのだ。
 俺の火の素を持つそれの左手を掬い上げて鼻先に近付けると、匂いは感知出来ず違いが俺との全く判らなかった。
 違いが判らないなら、やはりそれは俺だった。
 俺で良い。
 ――良いと思う。
「……ホモ。キモい」
 火の素を握られたまま手を払われた。
「良く言われる。慣れた」
「言われ慣れてたら詰まんねぇの?」
「詰まんねぇな」
 本当に俺の心の臓だけでも食らおうとしていたのか、ただ毒針を誇示したかったのか、毒虫は首を僅かに、こと、と、傾け、不思議そうに黒瞳を細め、ぼんやりとした俺の輪郭をそこに映す。
 思考なのか、焦らしているのか、数秒の沈黙が訪れた。
 先より余程毒は馴染んでいるのか苦しくない。
 それもこの程度ならばやはり俺ではないのかと思い直そうかとした矢先。
「ともだち、に、なりたい」
 毒虫は表情も脈絡もなく倒錯的陳腐な散文を告げた。
 動かない。
 漸く一度瞬きをした。
 瞳の奥に宿る影法師。
 ――そう来るとは。
「面白い」
 率直に感想を告げてみた。
「嫌だった?」
「ああ、嫌だな。気持ちが悪い」
 これも率直に即答した。
 自分自身の移し身のような錯覚を覚えさせる毒虫と友人になる等狂気の沙汰だ。
「じゃ、良い?」
 ――だからこそ、面白い。
「良い」
 問い掛けに俺ははっきりとした肯定で答えた。漸く安堵でもしたかのように毒虫が相好を崩す。
「じゃ、今からダチって事で宜しく」
 恐らく言葉もカスタマイズされるパーツでしかないのだろう。語調まで変わるのだから。
 何て優秀なコピー機能を持つ毒虫なのか。
「お前、那須、で、合ってるよな?」
 それの名前を確認すると「良く覚えてんな」等と驚いた風をしたけれど、噂事に興味のない俺ですら毒虫の名前くらいは知っていた。
「そこまで無知じゃねぇよ」
「完全な無関心野郎じゃなかったなんて中途半端、期待外れだ、鶴見」
 全体俺に何を期待していたのか、毒虫はわざとらしい溜息と共にまた紫煙を吹き付けようとしたから、二度目はないと顔を逸して躱してやる。
「……嫌だった?」
 今度は俺が毒虫のコピーでもしてみようかと遊んでみるが。
「不快」
 毒虫はそう簡単には俺の言葉遊びには乗ってくれないらしい。めげていても詰まらないから。
「なら、良いのか?」
「嫌に決まってんだろ、調子に乗んな馬鹿」
 やはりまた裏切られた。
 心地良い。とても心地良い毒だ。
 毒虫は恐らく本当の溜息を一つ、長く落とした。
 夕焼けの落ちていく速度を感じながら目を閉じる。
 燃え立つ影の右手が、俺の左胸に火の素を返す――気配。



END














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