茂。小瑠璃。要先輩。
安居が夢うつつで呼ぶ名は大概その三人だった。
飯に沈静弛緩効果のある薬を盛ったのは、安居の睡眠の質を少しでも良くする為、最初から疚しい事を考えていた訳ではではない。
安居の眠りはそれなりに深かったようで、少し安堵しながら隣でぼんやりと寝顔を見詰めていたら安居は要さんの名を呼んだ。
それで怒る理由は無い。無い筈だった。
だけれど、安居が縋るような切迫した切ない声音で何度も何度も呼ぶものだから、その内に段々と面白く無くなってしまった。
要さんは貴士先生や卯浪と同じ側の人間だ。教官でこそなかったが、俺達の統制と処分の一役を担っていたのは安居も知っていた筈。
もしかすると――否、もしかせずとも、卯浪のような教官よりも、この7SEEDSプロジェクトの中枢に近い人物なのだと思う。
『特別な子供』というのはまやかしの言葉でしかなく、俺達は人権すら持たない、言わば道具でしかなかった。
利用価値のない道具は的確に処分され、使える部分は再利用、それで残る道具を更に研磨していく――そんな惨い、気の狂いそうな、狂って当然の地獄を味わって、それでも尚、安居は心の何処かで要さんを慕っている。
元より安居が要さんに良く懐いていたのは知っているし、要さんも安居を気に掛けている風ではあった。
要さんは安居を褒めたり叱ったりする時、良く俺を引き合いに出し、表面的には安居と同等に扱ってライバルのように仕立て上げてはいたが、安居に対する感情と、俺に対する感情、他の同胞に対する感情は何かが微妙に違うようだった。
温かく見守る風を装いながら同胞を眺めるその目は、実験動物を見ているかのように機械的で冷たかった。
俺を見る目は、安居の影を追う目。
安居を見る目は、期待――一番近い言葉で形容するならばそれが相応しいのかもしれない。けれど、その中には他者を見る目には無い、拒絶や侮蔑といった人間臭い負の感情も僅かに入り混じっていたように思う。
少なくとも、愛情よりは愛着、そんな表現が似合う。
要さんは安居を良く観察していた。それは安居を眺め続けていた俺だから気付けたのかもしれない。
そのくらい、要さんは慎重に慎重を重ねて安居を観察し、俺や同胞を上手く使い、安居の潜在能力を時に強引な手法で引き出そうとしていたようだった。
施設時代、卯浪を殴り安居は懲罰を受けた。それ以来、安居は変わった。変わってしまった。
何処か虚ろで、何かに怯え、絶望しているかのようだったが、そういう苦痛に類する何かを独り胸の内にしまい込み、元来の安居らしい素直で真っ直ぐで、時に甘えたがりで、他人への思いやりの深い、正義感や誠実さといった性質を自ら殺してしまったようだった。
それと引き換えに、自身を強く律し、合理的に、神経を研ぎ澄ませ、時に他人を疑い、非情な一面を見せるようになった。
あの施設内で生き残る為に、その変化は確かに必要だったのだろう。
恐らくは要さんが何かを仕組んだと思いながら、俺は少し、ほんの少しだけ安堵した。安居が生き残る為に良い変化をしたと。
けれど歪んでしまった安居の幾つかの歯車は、徐々に安居を壊していった。
ひたすらに見せ付けられ続けた呆気ない程簡単な同胞の死、遺体すら確認を許されなかった茂の喪失、その恐怖と絶望、後悔、自責の念は、安居の艶やかな黒髪の一部を、一晩の内にみすぼらしい白髪に変えた。
卯浪を最初に、躊躇さえせず撃ってしまった俺も、それに続いて卯浪に緩やかな死を与えた五人も、卯浪を救おうともせずただ泣いていた鷭も、きっと何かが壊れているのだとは思う。
けれど安居の崩壊は、生き残った七人の中でも特に顕著だった。
七人で未知の土地を見分していた折りも、夜になると安居は独り、茂の幻影を捜して徘徊した。
最初にそれに気付いたのは夜の番をしていた源五郎だった。
「茂は何処」――そう安居は尋ねたらしい。その時、源五郎は言葉を失い、虚ろな安居の腕を引いて寝床に連れ戻したという。
敢えて安居を外した六人でのミーティングの際、源五郎はその状況を苦渋滲ませながら打ち明けた。
源五郎自身、過去に残して来たものがあるせいで安居の心情に共感し、同情したのかもしれない。
朝になれば安居はいつもと変わらず淡々と指揮を執っていて、それできっと徘徊は無意識で、記憶には残っていないのだろうと結論をした。
医療クラスで突き抜けていた鷭は、安居の症状を伝え聞く限りではあるが恐らくはPTSDにより深刻な精神疾患を起こしているのではないかと口にした。
けれど、あの最終試験で精神的ダメージを負っていない者は誰一人居なかったし、皆一様に安居を救える何かを思い付く事はなかった。
結局の所、安居同様、皆それぞれ何かに救われたかったのだ。同時に救世主等存在しない事も判っていた。
自分を保つ事に精一杯で、そんな自分が他人をどうにか出来るとは到底思えなかった。
無論、俺も例外では無い。安居を救える等とは少しも思ってはいない。
だけれど、安居がこれ以上、壊れていくのは怖かった。
それはぼんやりとした恐怖だった。
安居を失う事はあってはならない。きっとそれは、この未来、今の為にならない。
――俺は状況を冷静に見ている。それで最善を判断した。
それなのに、それなのに、歯車は軋み続ける。
安居だけでなく、俺迄も、何かのパーツが抜け落ちてしまっているような気がする。
――何が足りない。
そんな事を考えている横で、要さんの名を呼ばれた。
その時、俺は、もしかするとまた、何かのパーツを落としてしまったのかもしれなかった。


■ ■ ■ ■ ■


安居はその時、確かに、本気で、俺を拒絶していた。安居の意識のない内、散々弄ばれていた身体が、俺を拒み切れなかっただけ。
泣きながら何度も何度も嫌がって、俺により射精させられるのに必死に抵抗した。
俺達、というと安居の男としての意志を無視してしまうが、ともかく俺は、お互いの欲求の発散出来ればそれで良かった。
別に安居でなくても良い。源五郎や鷭でも、妊娠しない手頃な人間ならば誰でも構わなかった。
危機的状況に陥れば男の身体は性欲が強くなって当たり前だ。これは理論的に証明されている身体の機能。
女役を押し付けている部分に多少の申し訳なさは感じるが、それでも安居は十分性感を得られているし、射精も出来る。
お互いにとり都合の良い身体、合理的な擬似セックスだと思う。
安居が激痛のみに見舞われているのなら話は別だが、安居自身、考え無しに女をレイプしようとするくらいには性欲を持て余している。その上、擬似セックスですっかり感じ切って俺より何度も射精するのだから、そこまで拒絶される謂れは無い。
この状況下、要さんに求められたら安居はどうするのだろうか。
恐らく、恐らく、安居は要さんを拒絶しない。
事実、安居は夢うつつで俺と要さんを誤認していたようで、意識は混濁していたものの、大人しく身を預けていた。
――要さんは良くて、俺は駄目。
それは可笑しい。可笑しいだろう。
何故あんな、俺達を壊した悪魔が良いのか理解出来なかった。
要さんを依り所にするだなんて許せなかった。
大体要さんはこの未来には居ない。居ないのだから忘れるべきだ。忘れられずとも恨む対象であって当たり前。



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