「……は」

 ウイングヒーローホークスは決してヒーローとして世間に見せられない凶悪な顔をして事務所の扉の前に立ち尽くしていた。壊された監視カメラ。姿を消した事務員。彼にとってはたっぷり三秒静止したところで、後ろに控えるサイドキックに指示を飛ばした。

「すみません。警察に連絡してください。俺はちょっと出ます」
「は?急にどうし……えー!カメラ壊れとる!名前ちゃんは!?スマホもある!」
「パソコンもつけっぱなしで鍵も開けっ放し!?さ、さらわれ……警察!」

 異常事態を察したサイドキック達はプロらしく迅速に警察へ連絡した。赤い羽根を持つヒーローらしからぬ悪魔のような形相をしたヒーローは、必死で空から最愛の恋人を探しながら最悪の事態を考える。心当たりは、ある。ここ最近、インターネットの動画サイトですでに壊滅した反社会的組織レジスタンスの動画がバズっているのである。模倣犯なのか愉快犯なのか残党なのか。どれにしろ今のところ何か事件が起こっているわけではなかった。しかし部下であり恋人である女の耳には入れたくなかったので、パトロールを強化したり彼女が一人で出歩かないように取り計らったりしたのである、が。

 ――いやだけど、レジスタンス関係だと決めつけるのは早計か。普通に可愛いから攫われたっていうのもあり得るし、別の犯罪に巻き込まれた可能性もある。怨恨……も可能性は低いがなくもないだろう。そう考えながら男は顔なじみの警部に連絡を入れる。すると。

「うーん、事件性の可能性が低いですね」
「カメラが壊されてるんですが」
「捜索願は受理しますが、ただの上司となると本来ならば受理も難しいんですよ。家族や恋人ならともかく」
「いやあの俺の話聞いてます?」
「ホークス!2丁目でひったくりが!」
「いまいきます」

 恋人が消えても犯罪者は空気を読んでくれない。キレながらも救けないという選択肢は有り得ない男は、舌打ちしながら空を舞った。

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「ルームサービスにたい焼きあるんですか!?」
「あつあつでうまいぞ!たい焼きは好きか!?」
「普段はあまり食べないです」

 捜査資料をぱらぱらと捲りながら女はたい焼きにわくわくしているヒーローを見つめて微笑んだ。おじいちゃんみたい。可愛い。口には決して出せない感想である。

「わたしがこれを見てもいいんですか?」
「本当はダメだな!だから場所をここに移した」
「え」
「君がどういう経緯で救われた男のもとで働いているのか、俺にはよくわからん。だけどその割には君は君を攫った組織のことを知らんようだ」
「……」
「そして、知りたいと思っている。違うか?」
「……おっしゃる通りです」
「よくわからない犯罪組織だと思っていたら、昨日の動画を見て“理念”を持ち行動していた組織であると知り、戸惑っている。理念なんてものは後付けだろう。やってることは人殺し。拉致。マネーローンダリング。立派な犯罪だ」
「……」
「勿論君は被害者だ。知りたくないならそれでいい。だけれど君の上司のもとにいたら、きっと一生知ることはできないだろう。だから知る権利を与えようって言ってんだ」
「……わたしが傷つくと思って、あの人はたぶん何も教えてくれないと思います」
「そこが傲慢で腹が立つな。何も知らせずに守った気でいる。傍に置くなら対等であるべきだ」

 女はお茶を淹れたあとにルームサービスでたい焼きを頼んだ。当時の捜査資料と現在の捜査資料は膨大な量であるが個性を遣えば大した問題ではない。そこまで考え、女は口を開いた。

「わたしを攫った敵のパソコンやスマートフォンは調べたんですか?」
「ああ。今はサイバー犯罪対策課が解析しているらしいが複雑でもう少し時間がかかるらしい」
「……あの」
「何て?」

 女はどきどきしながら呟いた。

「ヒーローの方にこんなことを言うのも大変恐縮なのですが」
「うん?」
「わたしの個性、お役に立てるかもしれないです」

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「続いては、次のニュースです。反社会的思想を仄めかす動画をアップロードしていたグループが検挙されました。アップロードだけではなく拉致未遂や還付金詐欺などの証拠が出ており、警察が取り調べを続けています。主犯格の23歳の男は「ヒーローが妬ましかった」と供述しており――」

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「た、ただいま戻りました……」
「名前ちゃん!」
「おかえり!無事で良かった!」
「誰だ君たちは!」
「グラントリノさんだ!」
「実物渋い!かっけぇ!サインください!」
「あのホークスさんは」
「そわそわして待っとったけど3丁目でひったくりが出たって言って飛んでったばい」
「タイミングわるかー」

 女は恐る恐る事務所のドアを開けた。拉致未遂をされてから一週間ほど経っている。サイドキックは暖かく迎えてくれたが、問題は不在にしている上司である。結局、連絡はしなかった。グラントリノの協力がありハッキングに成功し、犯罪組織のグループのメンバーを突き止めて事件解決したところで漸く連絡を入れたのである。それも警察関係者経由でいれたので、絶対に怒っているに違いない。

「グラントリノさん!こちらへ!こちらへぜひ座ってください!たい焼きお好きですよね!買ってあります!あとサインありがとうございます!」
「俺お茶淹れてくるね!」
「あっわたしが」
「名前ちゃんは座ってて!」

 サイドキック二人が熟練ヒーローをもてなそうと給湯室に消えた瞬間だった。窓の開く音と、風の音がその場に響く。ショートカットして窓から登場した赤い羽根の悪魔は、凶悪な瞳を隠さずに地面に降り立った。

「た、ただいまもどりまし、わっ」

 めっちゃキレてる。こわい。かお、こわい。殴られたらどうしよう。いやけどグラントリノさんいるし流石に手は出ないよね、めちゃくちゃ論破されそうな気はするけど……そうビビり倒している女のもとへ真直ぐ向かった赤い羽根の悪魔は、ぐっと女の身体を抱き寄せた。

「……心配した」
「ご、ごめんなさい」
「怪我は。怖い思いは?」
「してないです」
「生きた心地がせんかった」
「ご、ごめんなさい」
「うん」

 痛いくらいに抱きしめられたけれど、痛いと言える雰囲気ではなかった。全然離してくれない、と女は救けを求めるように熟練ヒーローを見つめる。空気を読みヒーローは「ゴホン!」と大きな声で呟いた。マジで咳払いではなくて呟きだった。

「名前、おまえの淹れた茶が一番美味いから淹れてくれ!」
「あ、はい!わかりました!」
「誰だ君は!」
「ホークスです。どうも。彼女がお世話になりました」

 暗に席を外せと言われ、空気が読める社会人は席を外した。二人きりになったところで、赤い羽根の悪魔は熟練ヒーローを睨みつけた。

「あなたが噛んでいたとは思いもよりませんでしたよ。だけど俺の部下を隠さなくてもいいじゃないですか。彼女に個性まで使わせて」
「先に隠したのはおまえだろう」
「“先に隠した”?」

 熟練ヒーローはため息を吐き、続ける。

「あの子は知らんが、俺はあの子の母親と面識がある。“自分に何かあったら頼む”と頼まれていた」
「……」
「数年前のレジスタンス事件の時にあの子の名前を見て、九州へ向かった時にはもうおまえが敵の尻尾を掴んでいた。その後、あの子を探せど何の情報も出てこない。上手く隠したもんだ」
「まあ、それはちょっと強引に進めた自覚はあります」
「それからずっとおまえはあの子の意志を無視して事件の一切合切を隠し続けた。今回の件もそうだ。何も明かしちゃァいない」
「知らなくていいことでしょう」
「それはあの子が決めることだろ?傲慢すぎやしないか」

 傲慢な自覚がある男は目を細める。

「今回の拉致直後、酷く精神的に弱っていた。このまま戻すのはよくないと思い、知りたいことは全て与えた。彼女は自分の意志で個性を使い、全てを知ったうえで納得し、過去を清算することを選んだ。まァ違法だが、責任は全部俺が持つ。叱らないでやってくれ」
「……俺は彼女には怒れませんよ」

 男は言い返す言葉もなく項垂れ、長い長いため息を吐いたあとに、小さく小さく呟いた。

「……無事に帰ってきてよかった」
「何て!?」
「ひとりごとでーす気にしないでくださーい」

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 和やかな雰囲気でたい焼きととっておきの玉露のお茶を飲み、事務所を後にする白髪の小柄な男は女に手を振る。女は呟く。

「また九州に来られることがあったら絶対連絡してくださいね!」
「たぶんないな!遠いから!」
「えー!じゃあわたしが今度は会いに行きます!あ!お手紙書きます!」
「……お手紙」
「はい!あっけど字が下手かも……。ペン習字習おうかな。通信教育で」
「……」

 男の目がゆっくりと、まばゆいものを見るかのように見開かれる。数秒見開かれた後、ふっと優しげに細められた。

「元気でな!転職する時は相談に乗るぞ!」
「あっはい!お願いします!」
「いやいやいやいや待って待って冗談でもやめて」
「グラントリノさんもお元気で!」

 熟練ヒーローはひらひらと手を振る。やっぱり隣の男はいけ好かねえなと思いながら。

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 拝啓 グラントリノ様。初めて手紙を送りますので、何か失礼なことがあったらすみません。先日は救けていただきありがとうございました。お約束通り手紙を送ります。グラントリノさんが紹介してくださった職場はみなさん良い人で、こんなわたしにもよくしてくださいます。あの日、あなたが声を掛けてくださらなかったら、きっとわたしは今でもあの街で両親に怯えながら暮らしていたと思います。「家族は血のつながりがあるから切れなくて苦しい」と共感してくださって、とても救われました。甲府と違い九州は暖かいです。そちらはどうですか?寒くなってきたのでご自愛なさってください。
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 拝啓 グラントリノ様。今日はご報告したいことがありお手紙を送ります。なんと、なんと、結婚することになりました!相手は取引先の方で、とっても優しくていい人です。本当にいい人で、普通は、わたしみたいなワケアリというか、脛に傷を持った人間と結婚したくないと思うのに、その人はこんなわたしにも、本当に優しくしてくれます。わたしがいいと言ってくれます。生まれてきてよかった、幸せだなあと心から思いました。新婚旅行は甲府へ行こうと思っています。お忙しいと思いますが、会えたらとても嬉しく思います。
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 拝啓 グラントリノ様。先日はお忙しい中、時間を取ってくださりありがとうございました!すごく楽しい新婚旅行になりました。一生の思い出です。主人もグラントリノさんのファンになったようで、頂いたサインは家宝にすると額縁に飾ってあります。実は今回のお手紙もご報告したいことがあります。なんと、なんと、こどもがうまれるのです!とても嬉しい反面、わたしのような人間がこどもを育てられるのか、不安でいっぱいです。うまれてくる子は、わたしの個性を受け継がないといいなあと思います。便利な個性は悪用される可能性が高いから。些細な個性を有して、普通の幸せな人生を歩んでほしいなあと思います。なんて、生まれてくる子がどんな子でも絶対に可愛いんですけどね。絶対に守ってみせます。わたしがしたような辛い思いはさせない。落ち着いたらぜひ会いに行きたいです。暫くは難しいかもしれませんが……。
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 拝啓 グラントリノ様。先日はお忙しい中、会いに来てくださりありがとうございました!名前もずっとご機嫌で、あの時の写真を見せるとにこにこ笑います。あなたのファンっていうところは、わたしによく似ていて嬉しく思います。そして早くも個性が発現しました。普通は四歳ごろまでに発現するようなので、名前は少し早いみたいです。知恵の輪を握らせたら、瞬く間に解いたのです。ルービックキューブも。お気づきかと思いますが、しっかりわたしの個性を受け継いでいるみたいです。もしかしたら、わたしよりも強い個性かもしれない。そう考えると不安もありますが、主人と二人で絶対にこの子を守ろうねと言っています。だけれどもし、もしも、わたしたち二人の手に負えないようなことが起きてしまったら。万が一にもその時が来てしまったら、グラントリノさんに救けを求めてしまうかもしれません。その時はよろしくお願いします。なんて、わたしも恩人に対して図々しくなったものですね!それでは寒暖差の激しい季節になってまいりましたので、お体ご自愛ください。離れていても、ずっとずっとあなたはわたしの恩人です。大好き。わたしのヒーロー。あの時からずっと、救い続けてくださってありがとうございます。
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 思いつめた顔で、制服を着た少女が橋の上に立っている。たい焼きを片手にパトロールしていたヒーローは、いつもの調子で声を掛ける。

「誰だ君は!?」

 ゆっくりと振り向いたその少女の瞳には、色が映っていない。

「たい焼きは好きか!?あつあつでうまいぞ!」

 公園のベンチに横並びで座り、たい焼きを頬張る。暖かい食べ物は冷たい心を融かしていく。少女はぽつぽつと呟く。誰にも言えないことだった。

「わたしの個性は分析なんです。父と母は、わたしの個性を使って悪いことをしてお金を稼いでいるんです」

 そう呟いた女子の言葉を聞き、無名のヒーローは相槌を打つ。

「何度も逃げようとしました。家出も何度も。だけど、家族だから。切っても切れない。泣いて戻ってきてと言われたら、強く叱られたら、何も言えない。どれだけ悪いことをしても、親だから。家族だから」

「あなた、ヒーローですよね。お願いです。このことは言わないで。わたしが悪いんです。こんな個性を持って生まれてきた、わたしの所為なの」

 思いつめて泣いている少女を前に、熟練ヒーローは目を細める。――聞く限り、彼女の言う“悪いこと”は軽犯罪だ。両親を捕まえたとしても数年で出てくるだろう。それに“娘が勝手にやった”と白を切られれば傷つくのは目の前の少女だろう。立証が大変難しい案件だ。

「君の所為じゃない。君は被害者だ」
「……」
「家族は血縁がある。簡単には切れない。だから苦しい」

 少女の身体が震える。どれだけの時間が経ったろうか、嗚咽がちいさくなったタイミングで熟練ヒーローは呟いた。

「たい焼きもう一つ食べるか!?」
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 白髪の男が、廃れたビルの一室で新聞紙を手に立ち尽くしている。テーブルの上に置かれたたい焼きはきっともう冷めているだろう。つけっぱなしのテレビからは、ここのところずっと世間を騒がせている反社会的組織のニュースが流れている。「両親二人が殺害され、娘である名字名前さんが行方不明になっており――」そこまで耳にしたところで、白髪の小柄な男は手に持っていた訃報をぐしゃりと握りつぶした。

(221016)