宅配業者の制服に身を包んだ男が、大きなダンボールをのせた台車をごろごろと転がしている。路地裏に停めていた黒いハイエースバンに荷物を載せようとした瞬間だった。スーツを着た男が、その男に話しかける。

「路上駐車は禁止ですが」
「ああ、すみません。すぐにどかします」
「いやどかせばいいっていう問題じゃないんですよ。免許証出して」
「みんなやってるじゃないですか。ほらあそこの車も」

 自分だけではない。他の車だって。そう指さして警察官の隙をついた男は手を振り上げた。恐らく個性で在ろう男の手の指の爪が伸び、警察官の肌に突き刺さろうとした瞬間だった。

「人を傷つけることに躊躇がない。お前、初犯じゃないな」
「グラントリノ!」
「……っがっ、」

 白髪の男は自分の背丈を優に超える男をあっさりと引き倒し、隣のスーツを着た男が倒れた男に手錠をかけた。白髪の男は台車に積まれたダンボールの中身を覗き込み、目を見開く。

「塚内!」
「どうしまし……って死体!?」
「いや脈はある」
「今すぐ救急車を」

 ダンボールに詰められていた女はぐったりと気を失っている。鞄や財布、スマートフォンなど素性が分かるものをなにひとつ持っていなさそうなことを確認しているスーツの男を横目に、白髪の男は脈があることに安堵した。

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「……う、」
「目を覚まされました!気分は!?」
「誰だ君は!」
「グラントリノ、そのテンションはちょっと今は厳しいと思います」

 頭を抑えながら警察病院のベッドで目を覚ました女は、傍らにいる二人の男を見て訝し気に目を細めた。

「あの……ここは……?わたし……」
「お名前は言えますか?」
「名字名前です……」
「ここは警察病院です。気分は?まもなく医者が来ますので」
「何だかまだ痺れているような気がします……」
「早速ですが状況を聞かせて頂きたいのですが……後日にします?休まれますか?」
「いえ、話せま……グラントリノ?」

 女は刑事と話しながら、傍らに座っている白髪の男を認めて間抜けな声を上げた。

「俺のことを知ってるとは君、素人じゃないな!?誰だ君は!」
「あっわたしはホークス事務所の……て名刺ないんだった」
「ホークス事務所!?」
「あっ事務です。事務の名字と申します。ヒーローの方でしたら顔と名前は存じ上げておりますので」

 グラントリノは名の知れたヒーローではない。実力と知名度は必ずしも比例するものではないのである。女の所属を聞いて無名の熟練ヒーローと塚内は納得した。

「状況を聞かせてもらえますか?」
「いやわたしも何が何だかわからなくて……。事務所で留守番をしていたのですが、宅配便が来たと思ったら急にあのびりっとする……」
「スタンガン?」
「たぶんそうだと思います。それを当てられて、そこから先の記憶はなくて……」
「そうですか。貴方を襲った男は我々が捕らえたので安心してください。……この男なのですが、見覚えは?」
「……いえ、お会いしたことはないと思います」
「そうですか」

 塚内の言葉に黙っていたヒーローは唇を開いた。

「塚内。彼女には知る権利がある」
「ですがまだ捜査途中で」
「それでも被害者だろう」
「……あの、どういう」

 混乱し始めた女を見つめて、ヒーローは呟いた。

「名字名前さん。名前を聞いてピンときた。君は――数年前のレジスタンス事件にかかわりがある」
「……!」
「今日君を襲った男は、当時の組織の幹部の親族だ。名を変え顔を変え、別の人間として生きていた」
「加害者の家族への風当たりは強いですからね。世間は何年経っても許さない」
「……その人が、どうして今更、わたしを」

 その言葉を聞いて刑事とヒーローは顔を見合わせた。

「ホークスから聞いていませんか?」
「え」
「最近話題になっている動画です。なにものかが動画をアップロードしている」

 刑事は女にタブレットを手渡した。タブレットからは抑揚をたっぷりつけた見知らぬ男の演説が聞こえる。

「あの男が知らんはずがない。君の耳には入れたくなかったんだろう。すまんな」
「……いえ」
「単なる注目をあびたい迷惑な愉快犯なのか、それとも模倣犯なのか、残党の仕業なのか。どちらにしろかつての事件では被害者を大勢出した組織です。組織関係者を洗い出し、監視していたところあなたが攫われた現場に居合わせたというわけです」
「……わたしを襲った方が、主犯なんでしょうか」
「メンバーについては黙秘を続けている。仲間を売らないと。ただ、君を襲った理由についてははっきり証言しているが――」
「教えてください」

 ヒーローは迷いのない女の目を見つめる。迷うようなそぶりを見せた後、呟いた。

「“ホークスに恨みがある”そうだ。自分と同じ犯罪者を身内に持つ人間のはずなのに、清廉潔白なふりをしてヒーロー活動を続けている。ホークスが父親を逮捕したせいで自分の人生は滅茶苦茶になったのに、と。完全なる逆恨みだ。一番弱そうな人間を攫って人質にしようとしたらしい」
「……わたしが組織にいた人間だから攫ったんじゃなくて?」
「君の出自は秘匿扱いになっている。俺たちですら今の今まで知らなかった」
「彼は公安とも繋がりが深い。我々でもレジスタンス事件の被害者がヒーロー事務所に勤めていると知らなかったんです。素人にわかるわけがない」

 被害者のリストに女の名前が載っているが、氏名だけで探すのは難しい。その被害者リストですら手に入れるのに困難を極めたのだ。意図はわからないが、あの食えない男は完全に目の前の女の出自を追えないように細工している。そう思い熟練ヒーローは内心舌を打った。

「……とにかくホークスに連絡しましょう。部下がいなくなってきっと心配しているはずで」
「や。やめてください。たぶん心配すると思うので、わたしが直接自分で話します」
「しかしこれから事情聴取や検査を受けて頂くので、すぐに帰れませんよ。それに敵がホークスを狙っている以上、貴方にも監視がつくかと」
「監視!?」
「塚内、ヒーロー事務所に勤めているとはいえ堅気だろ。囮のような真似は俺は反対だ」
「いや自分はそんなつもりは」
「塚内警部、少し宜しいでしょうか」

 扉がノックされ、警部と呼ばれた男は席を立つ。熟練ヒーローは呟いた。

「俺は君の上司のことをよく知らんが、耳聡い男なんだろう。こちらから連絡を入れた方がいい気がするが」
「……」

 女は呟く。

「あのひと、優しくはないんですけどいい人なんですよね」
「……」

 あのひと、という言葉に熟練ヒーローは男と女の関係に勘付いた。

「敵だとしても善性を見出したら絆されたり、更生を促したりする人なんです。同情だってするし、非情になりきれない。やる気ないようなふりしてやる気あるし。要領良い癖に、自分が損をしてもいい、自分が汚れてもいいって思ってたりもする」
「……」
「身内に悪人がいたとしても、彼の善性は損なわれない。だから敵連合の火傷の男が、彼の過去を暴露したり印象操作をしたのも頷けます。清廉潔白で高潔な人間が汚れていることを示して、世間を混乱させたかったんでしょう。……話が逸れましたね」

 女はどこまでも平らな声で呟く。

「そんないいひとが、普通は、わたしみたいな人間を、選ばないじゃないですか。どうしたって過去は消せないから。わたしの脛の傷は一生消えない。わたしは生きるために犯罪に加担しました。わたしにも正しく善性があれば、彼のようにいい人だったら、きっと拒んでいたと思うのに」
「それは君の所為じゃない。悪いのは敵だ。君は被害者だ」
「今回、わたしはわたしの所為で攫われたんだと思いました。また同じように個性を使いたいのかなって。だからあなたに理由を聞きました。だけど」

 女の声が、滲んでいく。潤んでいく。

「自分の所為だって知ったら、たぶんあの人は傷つくと思う。いいひとだから。だから言わないでほしい。わたしが弱いから攫われたんです。わたしの所為なの」

 その言葉と表情を見て、熟練ヒーローは息をのんだ。唇を開いた瞬間にノックの音が響き、扉が開かれる。話しを終えて戻ってきた男に、熟練ヒーローは呟いた。

「彼女は俺が預かる。君、事務員なら事務仕事は得意か?」
「は、はい。え、えーっとグラントリノさんは普段はたしか……関東圏でお仕事を?」
「よく知っとるな!ただこのヤマが片付くまではこっちにいる」
「なるほどじゃあ一応上司に連絡を」
「入れんでいい」
「え!?さっきまでは連絡を入れた方がって」
「そんなこといったか!?」
「えっつい先ほどのことなのに」

 もう一度ノックの音が響き、医師が問診をするからと警部とヒーローを病室から追い出した。追い出された警部はじっとヒーローを見る。

「珍しいですね。特定の人間に肩入れするの」
「そうか?」
「わざわざあなたが九州まで出向いて捜査協力を申し出たのは彼女が理由ですか?」
「さあな」

(221016)