「アダムとイヴの物語をご存知でしょうか。彼らは旧約聖書に記されている“最初の人間”です。神はまずアダムという男を創り、アダムの肋骨からイヴという女を創った。所説ありますが、これが我々人類の祖であると示されています。それから時代はどんどんと移り変わり、我々人間もどんどんと進化していきました。生きるためには環境に適応する必要がある。今では人口の八割が特異体質である“個性”を有する時代に移り変わりましたね。俗にいう超人社会です」
「誰もが個性を持っている。だが実際には、個性は許された人間しか使えない。そう。ヒーローです。ヒーロー免許を持っていないと個性を使えない。非常時でさえも。不平等だと思いませんか?誰にも公平に与えられた、神からの授かりものであるはずなのに。神でもないただの人間に、許されなければ個性を使えない。自分のものなのに。自分だけのものなのに。ヒーローだけが個性を独占している。可笑しな世の中だと思いませんか?」
「ヒーローは正義の味方だから?治安を守るためには仕方ない?秩序を守れず個性を使う人間は罰せられるべきだ?“正義”とは酷く曖昧な言葉ですよね。主観的で漠然としている。ヒーローにとっての正義が、許されるものにとっての正義が、許されざるものにとっての正義と同義になりえるのでしょうか?」
「“小指”の話をご存知でしょうか。かつて、足の小指に関節があるかないかで、個性の有無が分かるという研究結果が出ています。この説は超常黎明期に大変話題に上りました」
「個性を持つ人間には関節がない。つまり。神は旧時代の個性を持たぬ人間から足の小指の関節を奪い、“個性”を有する新たな人間を創造した。かつてアダムの肋骨からイヴを創ったのと同じように。我々は神によって等しく個性を与えられている。二割の無個性の話は今は割愛します。誰もに平等に与えられたものを使うことは当然の権利です。どうしてヒーローだけがそれを独占しているのか?ヒーローの掲げる正義は、本当の意味での正義なのか?」
「我々レジスタンスの理念を理解いただけましたでしょうか?少しでもご賛同いただけると幸いです」

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「わたし先出ますね!」
「んー」

 洗面所で髭を剃っている恋人に声を掛けて鞄を手に取ると、恋人はわたしの装いを見て目を丸くしたあと呟いた。

「何か今日可愛いね?」
「え?」
「あっ違ういつも可愛いけど。何かあるっけ今日」

 上司は頭の中で予定を確認しているらしい。わたしの服装がいつもより気合が入っていると言いたいのだろう。わたしは呟く。

「今日、仕事の後に食事の予定があるんです」
「え。誰?俺知らないんだけど」

 台詞だけ聞くと独占欲の強いモラハラ彼氏のようであるが、わたしには友達もいないしわたしの属するコミュニティは全てこの人が関わっている。というか職場。同業者。取引先。以上。SNS上でやり取りをする顔も本名も知らない相手はいるけれど、会おうと言われても会えない。ヒーロー事務所に勤めている以上、素性のわからない相手と気軽に会うわけにはいかない。純粋な疑問に答えるべくわたしは呟いた。

「サポートアイテム制作会社の担当の方に誘われて。ほらあの喉の」
「あーあれかァ、あのアイテムは良かった。かなり助かった」

 発声を補助するアイテムを見繕ったときに、かなりお世話になった方である。あの時は敵連合という凶悪な犯罪組織が世の中を混乱させていた時期であったのにも関わらず迅速な対応をして頂いたのだ。ヒーローの印象がかなり悪くまさに“夜明け前は最も暗い”時期であったのにも関わらず。誘われたら断れない。

「俺から断っておくよ」
「え?」
「名前ちゃん断りにくいでしょ。仕事とプライベートは分けた方がいいし」

 恋人は今日の天気でも告げるかのように呟く。わたしは唇を開く。

「いや行きますよ!お世話になったし!」
「だからいいって。俺から言っとくから」
「なんで!?」
「だってあの担当、名前ちゃんに気があるでしょ」
「そんなこと、」
「ないってなんで言い切れるの。根拠は?」
「じゃああったとしても!きちんとお付き合いしてる人がいるっていうから」
「いやァ俺がいるのに自分に気がある他の男と飲みに行くのはダメでしょ。逆の立場だったらどう思う?」
「……やだけど仕方ないなって思う」
「はは。俺は絶対嫌だし仕方ないとも思えないね」

 恋人はコスチュームを身に着けながらにこにこ笑ってわたしを論破した。なにひとつ言い返せない。わたしは悔し紛れに呟く。

「わたしだってあなたの為に何かしたいのに」
「俺の横でにこにこ笑ってくれればいいよ。それが一番」

 みしりと、矜持が揺らされた気がした。お前には何もできないと、言われたような気がしたのである。

「折角可愛い恰好してるし今日どっか食べに行く?イレギュラーなかったら」
「いいです」
「え」
「もういい。先出ます」

 最高に感じの悪い態度を取ってしまった。
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 社会人として公私混同は絶対に避けねばならないと思っているので、職場ではつとめて普通に振る舞った。しかし上司は普通に振る舞ってくれない。めちゃくちゃご機嫌取りをしてくるというか、職場で「朝のこと怒ってます」と言えないわたしに付け込みめちゃくちゃ呼びつけてくるのである。それに内心苛立ちながらも「俳優。わたしは俳優。アカデミー賞」と唱えながら仕事をこなしていると、「敵が暴れている」というエマージェンシーが入った。お見送りをしたあと、一人きりになった事務所であまり捗らなかった事務をこなしていると、来客を告げるベルが鳴った。

「はい」
「宅配便です」
「どうぞ」

 宅配便。何だろう。フォロワーからの差し入れだろうか。食べ物だとちょっとなあ。そう考えながら事務所のドアを開き、台車に大きなダンボールをのせている配達員の方を出迎える。

「ここで大丈夫です」
「いえ、重たいので中までお持ちしますよ」
「あ、じゃあこちらに……っ、」

 首筋に何かが当てられ、身体に電流が迸る。目の前が真っ暗になった。
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「アダムとイヴの物語をご存知でしょうか。彼らは旧約聖書に記されている“最初の人間”です。神はまずアダムという男を創り、アダムの肋骨からイヴという女を創った。所説ありますが、これが我々人類の祖であると示されています。それから時代はどんどんと移り変わり、我々人間もどんどんと進化していきました。生きるためには環境に適応する必要がある。今では人口の八割が特異体質である“個性”を有する時代に移り変わりましたね。俗にいう超人社会です」

 白髪の小柄な男はタブレットの画面をじっと睨んでいる。傍らのスーツの男が唇を開く。

「“レジスタンス”は数年前にホークスが一網打尽にした組織です。残党も残らず」
「一人残らず、というのならどうして今更この動画が世間を騒がせている?そもそも、どうして今になって」

 動画の再生回数は非常に多い。共感と同義だと捉えるには些か乱暴であるが、注目度をはかるには再生回数は参考になるだろう。一度世間に出た動画が完全に消されることはない。削除されて投稿されての繰り返しだった。

「これは当時の映像です。当時レジスタンスのメンバーだった人間が何らかの意図を持ち動画をアップロードした。いまサイバー犯罪対策課が必死に調査をしていますが、海外を経由していることもあり……」
「ただの目立ちたがりの愉快犯にしては手が込んでるな」
「単独犯ではないでしょう。こちらが当時の逮捕者の親族と――被害者のリストです。動画では尤もらしく“正義”を語っていますが実際には何人もの罪なき人を殺している。役所のデータに不正にアクセスし、利用できる個性の持ち主を拉致したりもしている」
「知ってるよ」

 被害者のリストを見て、白髪の小柄な男――グラントリノは目を細める。一つの名前をなぞり、小さく息を吐いた。もう二度と取り返せない何かに、失われてしまった大切なものに、思いを馳せるかのように。

(221016)