(few years ago)
「お誕生日もうすぐなんですね!?」
「うん、年末近いからね」

 ファンからのお手紙を整理していると、「もうすぐ誕生日ですね!おめでとう!」という文面が目についた。働くようになってから初めて迎える年末は酷くあわただしい。年末に向けて基本的には治安は悪くなっていくそうなので、年末年始はイベント多いけどほとんど休みが取れないよと月初にはっきりと言われた。正直クリスマスや大晦日などのイベントがあっても家族もいなく友達もいないわたしには関係のないことなので、休みが取れなくても全く問題がないので特に気にしていなかった、けれど。

「えっえっお誕生日当日お休みしてください!」
「いや無理でしょ。忙しいし。てゆーか別に俺、誕生日とかそういうのこだわる方じゃないんだよね」

 今日はクリスマスイブである。間も無くクリスマスを迎える時間に、わたしと上司は必死でパソコンに向き合いキーボードを叩いている。治安が悪くなれば犯罪も増える。となると仕事も増える。ひたすら報告書を作っているけれど、事件の数が多すぎてシンプルに裁ききれない。今は目の前の上司も事務仕事に勤しんでいるが、先ほどまではずっと外出して人救けに勤しんでいた。ずっとパソコンに向き合っているわたしよりも、ずっとずっと疲れているだろうなあと思う。

「コンビニケーキ舐めてたけど美味しいね」
「チキンも美味しかったです、ありがとうございます」
「いやタダで貰ったし」

 コンビニ強盗を捕まえたお礼にとオーナーさんのご厚意で頂いたクリスマスケーキとチキンのセットはとても美味しかった。クリスマスが近づくにつれて街はイルミネーションできらきら輝いて、テレビをつけるとうきうきするようなCMがたくさん流れる。予定なんてないし仕事だろうけれどクリスマスってやっぱりいいなあと思っていたので、ケーキとチキンとスーパーで買ってきてくれたらしいエンデヴァーの写真が貼られたシャンメリーを楽しむことができてとっても嬉しかった。ゆっくり食べている時間はなかったので、ケーキは切り分けずに直接シェアしたしシャンメリーもマグカップで飲んだけれど。

「じゃあお誕生日当日はやれる仕事があったらわたしが代わるので早く上がってください。デートとか」
「えっそれ本気で言ってる?俺マジで仕事しかしてないのに彼女いると思われてるの」
「え」
「俺にとっては普通の日だよ。しかもいま、超繁忙期だし。気にしないで」
「……えええ」
「最近帰りも遅くなっちゃってごめんね。繁忙期過ぎたらまとめて休み取ってくれればいいから」
「あっそれは全然気にしてないので!予定もないし!」
「名前ちゃんは誕生日休み取っていいからね」
「いやそれも別に!友達いないんで!」

 最初は失敗ばかりしていた仕事も、大分慣れてきたように思う。働き始めたばかりの頃は本当に何もわからなくて、国に出す書類をミスしてしまって正しく審査がされずに上司に迷惑をかけてしまうという大きなミスをしてしまったこともある。そのたびに「確認しなかった俺が悪いよ」と優しくフォローされて自分の不甲斐なさに給湯室で号泣したこともある。救けてくれた恩人であるこの人に、恩を返したいのに。役に立ちたいのに。余計な仕事ばかり増やしている。わたしが落ち込むたびに優しく声を掛けてくれたり、気を使ってご飯に誘ってくれたりするのすら申し訳なかった。だけれど仕事の借りは仕事で返すしかないので、ひたすらビジネスマナーを覚えて同じミスをしないように徹底して気を付けた結果、今はそれなりに彼の役に立てている、と、思う。

「あっじゃあ大晦日は年越しそば食べます?たぶん帰れないと思いますしカップそば買っておきますね」
「年越しそばも別に食べる文化ないな」
「えっそば嫌いですか?」
「いや別に」
「じゃあ買っておきます」

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 気にしないでと言われてもお誕生日であるということを知ったからには気にしてしまう。わたしも“こうなる”前は誕生日は家族とケーキを食べてお祝いしてもらったし……と思いながらわたしはお土産とヒーロースーツを抱えて全力疾走していた。今日は雑誌の取材が入っているのであるが、その直前に事件が起きてヒーローコスチュームが破損してしまったらしい。取材があると言えどヒーローの本職は人救けであるため、取材現場には少し遅れると連絡を入れてわたしは事務所に置いてある予備のスーツを片手に現場に走っていた。上司の個性を駆使したとしても事務所に戻ってから現場に向かっていては間に合わない時間である。

「おつかれさまです!」
「名前ちゃん!ごめんね持ってきてもらって」
「大丈夫です!お怪我は!?」
「ないない。ちょっと裾がほつれちゃってさァ」

 撮影現場に到着し、へらへら笑っている元気そうな上司にスーツを手渡す。着替えに行く上司を見送り、その場にいたスタッフの方に頭を下げた。

「遅くなり申し訳ありませんでした!」
「いやいや事件があったなら仕方ないですよ」
「これよかったら皆様で召し上がってください!」
「えっ」

 万が一の時の為に日持ちのするお土産を事務所に常備しておいてよかった。そう考えながらお土産を手渡すと戸惑ったような顔をされた。えっも、もしかして、やりすぎた……?そう考えていると早着替えを終えた上司がスタジオに戻って来た。ほつれたというスーツを回収し、年末だけれどコスチューム会社に修繕の連絡がとれるかなと確認しようとしたときだった。

「ホークス、今日誕生日!?え、よかったら終わったらごはん行きません!?お祝いさせてください!」

 可愛らしい声が響く。ヘアメイクさんらしいその可愛らしい女性は、資料を片手にきらきらした目で上司を見つめている。上司はへらへらといつものように笑って呟いた。

「いや実は仕事が立て込んでて。これ終わったらすぐ事務所戻らないといけないんスよ」
「えー!だけどお誕生日なんですよ!?」
「年末はいつも忙しくてそれどころじゃないんですよね」

 へらへらとやんわり断っている上司と目が合う。こ、これは。アイコンタクトか。そう思いわたしは気を利かせて呟いた。

「わたしにできることはわたしがやっておくので、お食事行ってきてもらって大丈夫ですよ!」
「は」
「えー!いいんですか!?」
「はい!わたしからのプレゼントです!たまには羽根を伸ばしてきてください!」
「きみ上手いこと言うなあ」

 はっはっは、と現場は和やかな雰囲気に包まれた。わたしは呟く。

「それではわたしは戻りますので、取材頑張ってくださいね!」

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 よろよろとヒーローコスチュームとピックアップしたものたちを両手に抱えながら事務所へたどり着く。崩れてないかな。崩れてないといいな。そう考えながら冷凍庫に箱を入れ、ビニール袋をテーブルの上に置く。ほつれたというヒーローコスチュームを確認し、修繕の依頼をメールで送ったところで上司の机の上に溜まっている書類に目を通していく。

 デスクではなくローテーブルの上に置かれた、一人暮らしを始めた時に買った可愛い色のオーブントースターが視界の端にうつる。家から持ってきた意味、なかったな。……いや、折角重たい思いをして持ってきたから、あとで自分で使おうかな。そう考えながらパソコンを立ち上げる。

 わたしが彼の為にできることは限られている。少しでも役に立てたらいい。恩を返せたらいい。少しでも、生まれた日を楽しめたらいい。そう考えながらキーボードを叩く。日付が変わる前に帰りたいなと思った。

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 いやさァ、誕生日ってマジで何?真新しいコスチュームを身に着けキレながら事務所へと向かう。こんな忙しい時期に取材を頼む方も頼む方だ――と思いながら、断らなかった自分が悪いかと溜息を吐く。

 取材はつつがなく終わった。何枚か写真を撮り適当にウケのよさそうなことを言って早めに切り上げる。いつも通りだ。そう考えながらも思い出すのは彼女のことだった。

 ――何が悲しくて、一番大事にしていて一番可愛がってる女の子に、ほかの女を宛がわれないといけないのか。わたしからのプレゼント、て。気を遣う方向と相手が完全に間違っている。そう考えながらも彼女に対して怒る気にはなれない。

 取材を終えた後に食事に行こうとしつこく誘ってくる撮影スタッフを適当に交わして事務所へ戻ろうとしたときだった。一人の男性スタッフに声を掛けられたのは。

「あの事務の子?秘書さんかな?あの子若いのにしっかりしてるね」
「え?」
「いやこんなことヒーローに言うのもアレなんだけど、ヒーローに取材を依頼するとどうしても“取材に来てやった”っていう横柄な態度をとられることが多くて。まあこっちは君たちにとっては副業だろうし、本職は人救けだからわからなくもないんだけど。だけど俺たちからしたら連絡もなしに遅れられたりとか、しっかり対応してもらえないと困るんだよね、こっちも仕事だから」
「ああ、ハイ」
「あの子、依頼した時からずっと腰も低いし応対も丁寧だしレスポンスもはやい。お土産のセンスもいいし。さすがホークス、見る目あるね。あとめっちゃ可愛いし」

 彼女がヒーロー事務所の事務らしからぬ事務というのは、一般企業向けのビジネスマナーを参考にしているからだろう。“普通”がわからないと嘆く彼女は“普通”であろうとすべく日々研鑽を重ねている。この多様性の時代に普通にこだわるところは理解できないし、それに俺からすれば彼女は十分“普通”の女の子だ。

 普通の、平凡な、親からの愛情を受けてすくすくと育った女の子。クリスマスにはチキンとケーキを食べて、年末には年越しそばを食べて、誕生日が特別な日であると疑わない、普通の女の子。――日付を数えられるような生活をしていなかった俺とは違う。

 どうあがいても過去は変えられないし、俺は俺でヒーローに救われている人間なのでまァ別にどうだっていいんだけど。そう考えながらショートカットをして事務所の窓へとたどり着く。腹減ったな。コンビニで焼き鳥買えばよかったなァ。そう考えながら窓を開けると、ソファに横たわっている小さい身体が目に入った。

「……」

 寝ている。ぐっすりと。窓を開けていては寒いかと急いで窓を閉めると、ローテーブルの上に淡い色をしたオーブントースターとアルミホイルとビニール袋が置かれている。えっなにこれ家から持ってきたの?そう思いながら袋の中身を見る。ヨリトミの焼鳥がパックに詰められていた。

「……」

 すやすやと眠っているあどけない寝顔を見て、俺は口元を手で押さえた。誰にも見られていないことはわかっているけれど、だらしないゆるんだ顔をしているだろう。唇から溜息が零れ落ちる。何気なく自分のデスクを見ると、書類はほとんど片付いていた。もう一度溜息が零れ落ちる。――この子は。

「ん……!ね、寝てた!」

 人の気配を感じたからか飛び起きた彼女は、俺の姿を見て目を丸くした。

「え!?ホークスさんいる!?おかえりなさい!」
「ただいま」
「直帰してくださってもよかったのに……。てゆかいま何時!?寝すぎた!?……あれ」

 彼女は時計を見て目を丸くしたあと、俺を見て呟いた。

「えっごはん行ったのに早くないです?まさかファーストフード……?牛丼……?誕生日なのに……?」
「いや行ってない。仕事あるしと思って帰って来た」
「えー!めちゃくちゃ美人だったのに!」
「はは。ね、俺すげー腹減ってるんだけどこれ食ってもいい?」
「あ、はい!待って待っていま温めるので」

 彼女は立ち上がりいそいそと準備をする。俺は呟く。

「ヨリトミテイクアウトもやってんの?」
「あ、電話すれば包んでくれて」
「電話したの?」
「……お誕生日だから。だけど忙しいから、ゆっくり食べに行く時間はないだろうなって思って」
「俺があのスタッフの子と食べてきてたらどうするつもりだったの?」
「明日のお昼に食べてもらうか自分で食べようかなと思ってた」
「……焼鳥あるから待ってますって言ってよ」

 口元を押さえて零れ落ちた言葉は、情けなくその場に響いた。手を洗いに行った彼女はその言葉が聞こえなかったらしい。聞こえなくてよかった、そう思いながらソファにもたれてふーっと息をついていると、急に電気が消えた。

「?」

 停電?電球切れた?いやだけどこれLEDだしな。そう考えていると、火のついたロウソクが刺されたケーキを持って誰もが歌えるお誕生日の歌を歌いながらこちらへ歩いてくる俺の大事な女の子が目に映る。

「は」
「ハッピーバースデーホークスさん!」

 誕生日の歌を途中で打ち切り、彼女は俺の面前にホールケーキを置く。そしてそのまま俺の正面に座り、スマートフォンを構えた。

「はい!写真撮るからろうそくふーってして!」
「え」
「はやく!これアイスケーキだから!溶けちゃう!」

 せかされながら俺の年齢の数字のキャンドルの火を吹き消す。頼りない灯りが消え、真っ暗になった部屋の電気は彼女によりすぐに点された。

「おめでとー!」
「えっ……あ、ありがとう……」
「何かさっきから反応微妙なんですけどわたしスベってます?」
「いやスベってるっていうか……動揺してる」
「はいこっち向いて。写真撮りまーす」
「いやなんで?」

 なんでといいながらもレンズを向けられると可笑しくなり笑みが零れた。俺、すげー変な顔してるだろうなと思いながらも彼女は満足そうにその写真を見て笑っている。

「よし!焼鳥食べましょう!温めます!」
「これレバー多め?」
「うん。お好きですよね?」
「……好き。ちなみになんでアイスケーキ?」
「普通のだと日持ち今日までかなって。お仕事入ったり予定入ったらダメになっちゃうから」
「……」
「アイスケーキ食べたことあります?」
「ない」
「わたしも初めて食べます。焼鳥食べてる間に溶けちゃうかな。冷凍庫入れてきます。……あっそういえばクリスマスの時のエンデヴァーシャンメリーまだあった気がする!冷蔵庫から持ってきますね!」
「……うん」

 日付を数えられるような生活を、カレンダーを捲るような生活を、夢に見ることもない生活を送って来た。日付も名前も何もかもただの記号で、ただの数字で、何の意味も持たない。寒くなると治安が悪くなり、業務に忙殺される程度だ。おめでとうという他人からの祝いの言葉には多少心を動かされるけれど、多少だ。いつものようにへらへら笑ってお礼を言う。今年もそうあるはずだったのに。

 緩む口元がおさえられない。おさえられないので、先ほどからずっと掌を口にあてている。この子の献身には一切の打算がない。俺の為に、と、恩着せがましく言うこともない。俺が気付かなければ、俺が今日事務所に立ち寄らなければ、きっと彼女は自分から俺に何かを言うことはないだろう。あなたの為に準備したのにということも。ケーキや焼鳥が無駄になったということも。何も言わずに「昨日は楽しめました?」というに違いない。俺の仕事を肩代わりして。

「名前ちゃん」
「はい?」

 エンデヴァーシャンメリーとマグカップを持ってきた彼女は首を傾げる。俺は呟く。

「何でお祝いしてくれたの?」
「え。何で……?お祝いしたかったから……?」

 オーブントースターが音を立てる。焼きたてにはかなわないだろうが、ヨリトミの焼鳥は冷めても美味い。リベイクだとしても十分美味いだろう。

「名前ちゃん」
「はい?」
「ありがとう」
「どういたしまして。いただきますしましょ」

 俺の大事な女の子は、なんてことはないという表情で笑う。俺は手が出そうになるのを堪えながら、情けない声で呟く。

「もう一回、おめでとうって言って」
「お誕生日おめでとうございます、ホークスさん」

 日付も名前もただの記号で、ただの数字だ。何の意味も持たない。それなのに――どうして。どうして、彼女の前では、全てに意味があるような気がしてしまうのか。俺は口元を押さえている手をいったんはずし、両手を揃えていただきますをした。

(221030/普通の男)