セントラルの与えられた部屋で沢山のモニターに囲まれながら女はケータリングの焼鳥を頬張っていた。焼きたてというわけにはいかないのでオーブントースターで温め直したのだが、とても美味しい。作業の片手間に頬張るのならタレよりも塩の方が食べやすいかと思い塩味を選んだのだが、タレの方も食べてみたいと思いながらウエットティッシュで手を拭いた後にお茶を飲む。同じく離れたテーブルで焼鳥片手に資料を読みふけっている上司に呟いた。

「お茶のお代わりいります?」
「俺が淹れるよ。名前ちゃん疲れてるでしょ」
「いやいやわたしが」
「俺が」

 お互いに一歩も引かない様子に二人は同時に笑った。男は呟く。

「少し休憩しない?」
「そうですね。というかホークスさんはお休みになられた方が」
「さっき仮眠したから平気」

 湯を注ぐとティーポットの中の茶葉がゆらゆらと踊る。少し蒸らそうと蓋をするとそれをじっと見ていた男が口を開いた。

「このお茶美味いね」
「最強の美肌茶らしいです。抗酸化作用を持つらしい」
「へー。いいじゃん」

 男は湯呑に口をつけたあと、呟いた。

「ららぽーとのゴンチャで飲んだお茶、美味かったよね」
「阿里山ウーロン?美味しいですよね。ただのタピオカチェーン店だと侮っていた」
「タピオカも美味いよね。最後めちゃくちゃ底に残るけど」
「ホークスさん飲むのすごく速いから。タピオカも噛んでないでしょ。ぜったい丸呑みしてる」
「いやあれ丸呑みするの結構ハードでしょ。詰まるわ」
「おじいちゃん」
「介護はよろしく」

 とりとめのない話をしたところで、湯呑へと淹れたてのお茶を注ぐ。ふわりと花のような香りがその場を包む。

「俺の最近の悩み聞いてくれる?」
「どうぞ」
「ただの雑談もなんだかしんみりした雰囲気になって死亡フラグが立つこと」
「あー」
「納得するとこじゃなか」

 半笑いで同意をした女に、男はじとっと湿度のある視線を向ける。

「決戦が近いから仕方ないですよ。皆さんの士気も高まっていますし」
「ただ想い出話しただけでなんかちょっとしんみりしない?」
「フラグは折るもの」
「名前ちゃんが言うと説得力があるなあ」

 男は焼鳥を頬張り、ついでに聞こうと思っていたことはこの機会に全部聞こうと唇を開いた。

「もしも俺がヒーローじゃなかったらさァ」
「えっなんですか藪から棒に」
「君を救ったヒーローじゃなかったら、こうなってたと思う?」

 串をプラスチックの容器の上に置き、男はウエットティッシュで手を拭いたあとに横に座る女の手を握った。女は目を瞬かせる。

「どうかな」
「そこは“ホークスさんがヒーローじゃなくても関係ないよ”って言うところでしょ」
「そう言ってほしいんだろうなって思った」
「言ってよ。小悪魔か」
「悪魔はあなたでしょ」

 女は羽根のついた悪魔を見てけらけらと笑った。

「わたしは脛に傷を持つ人間だし。あなたがヒーローじゃなかったら関わることも一生なかったかも」
「俺だってそうだけど」
「だけど出会ったらたぶん一緒だと思う」

 女は呟く。

「会って話したら好きになっちゃうと思う。たぶん。ヒーローじゃなくても。羽根がなくても」
「……は」

 女は不揃いな背中の翼に手を添える。その手は震えていた。

「雨の日に傘を持たずに家を出たあなたを迎えに行ったり、寒い日に手を繋いで歩いたり。眠れない夜に身を寄せ合ったり、朝までお酒を飲みながら映画を見たり」

「二人でソファに座ってビルボードチャートを見て、エンデヴァーが、オールマイトがって推しのいいところをプレゼンし合って、クリスマスはイルミネーションを見て、誕生日は特別なディナーをして、大晦日はふたりで紅白とゆく年くる年を見て近所の神社に初詣に行くの」

「地に足をつけた平凡な生活だけど、たぶんきっとずっと幸せ。だから、ホークスさんがヒーローじゃなくても関係ないよ」

 赤い羽根の悪魔は、女の言葉に目を見開く。女は続ける。悪魔の士気を下げぬように。

「そもそも仮定の時点で無理がある。“俺がヒーローじゃなかったら”って。どうしても結果的には正しいことをしたい人でしょ」
「俺は正しいことだけをしてきたわけじゃないよ」
「過程だけ切り取って見ればそうかもしれないけど。過程なんて意味を持たないんでしょ?」
「うん。結果を出すかどうかだと思ってる」
「合理的な男感出してきた」

 女は背中を撫でていた手を、背中を押すように力を込めた。言いたいことをすべて飲み込んで、悪魔の望む言葉を唇にのせる。

「そもそもホークスさんが救けてくれなかったら、わたしはいまここにいないと思うし」
「それはそうかも」
「救けてくれてありがとう」
「どういたしまして」

 抱き寄せられた胸の中で、女は目を瞑る。“悪魔は地下から来るんじゃない。空からやって来る”数年前のアメコミ映画で耳にした台詞を心の中で反芻する。どこまでも自己犠牲的な、赤い羽根の悪魔。何てことはない顔をして笑うくせに、きっと心の中は揺れているのだろう。蝋がなくなりかけているキャンドルみたいに。試すようなことを嘯いて、望む言葉をどうにかして引き出す、悪魔めいた魅力を持つ男。手を握られてしまえば、きっともうどこにも行けない。

「あしたのあさ」
「うん?」
「超大事に取っておいたエルパライソ農園の豆でコーヒーを淹れます」
「エルパライソ農園」
「美味しいから楽しみにしててね」
「起きるの楽しみだな」

 ――関係ない。あなたがなにものでも。良い豆で淹れたコーヒーを口にして、ふっと口角が上がる。美味しいと同じタイミングで呟いて、笑いあって、肩を並べて一緒に飲む。それだけでいい。それだけで、いいのだ。マグを掴むあなたの指がぼろぼろでも、羽根が灼け落ちていたとしても。それだけでいい。あなたが自分のことで幸福だと感じられる瞬間があるのなら、それだけでいい。

(221002/Batman v Superman: Dawn of Justiceより引用)