苦節四年、片思いしていた職場の上司とお付き合いすることになってから半年足らず。 「名前ちゃん、ごめん」 約半年前にわたしを幸せの絶頂へと導いたその人は、わたしと目も合わせてくれずに、わたしを地獄の底へと突き落とす。 「君のことは部下としか見れない。別れてほしい」 ; 「聞いてよ聞いてよツクヤミくん!!!」 「何故俺が……そして俺の名はツクヨミで」 「わたしは友達が!いないから!」 「はあ……」 「どう思う!?向こうから告白してきたのに!半年足らずで“部下としか見れない”って!舐めてるよね!?」 「部下としか見れない………相手はホークスですか?」 「エッ」 「名前さんの上司ってホークスしかいないのでは」 「え、えーっと部下としてじゃなくて恋愛対象として見れないって言われて」 「………」 「ごめん遅くに電話して!また話を聞いてね!おやすみ!」 「…………何だったんだ………」 気が動転している。まさか職場に職場体験やインターンで訪れてくれた学生に恋愛相談をしてしまうとは。ツクヨミくんは今頃顎に手を当てて神妙な顔をしながら「気が触れている……」と呟いているに違いない。辛い。辛すぎる。 誰かに話したくて聞いてほしくてたまらなかったが、そんなことを気軽に相談できる友達もいないし……。ということでツクヨミくんに電話をしてしまった。しかしわたしがうっかりと口を滑らせたことにより、わたしを振ったのは上司であるホークスさんであるということがばれてしまった。上手く誤魔化せただろうか。そうであってほしい。ちなみにツクヨミくんの本名は常闇くんであるので、わたしはツクヤミくんと呼んでいるのだが彼はいい顔をしない。何で。可愛いのに。 「あり得ない………絶対に我々は円満だと思っていたのに………」 お付き合いをする前から、この人はわたしに気があるんじゃないかと思わせるような素振りを散々見せられていたのだ。わたしが給湯室に一人でいたら近づいてきたりだとか、帰りに送ってくれたりだとか、食事に誘われたりだとか、挙げたらキリがない。「あ、この人わたしのこと好きなんだ」と決定打になった事件もあった。それなのに。それなのに部下としか見れない。嘘だろ。 「………上司……給湯室……二人きり……」 呟いたワードを検索ボックスに入力する。 「やっぱり!!!やたら人気のないところで二人っきりになりたがるのは脈ありのサイン!知恵袋もそう言ってるのに!」 インターネットを用い悩みの答えを導き出そうと検索すると、わたしの考えを肯定するような結果となった。どのウェブサイトも「脈ありのサイン」だとか「職場恋愛」だとか恋愛に結び付けている。そりゃあそうだろう。わたしの思い上がりではなかった。 「………なんで……ホークスさん………」 そもそも部下としか見れないなら手を繋いだりキスをしたりするのか。身体の関係はなかったものの……そこまで考えて、わたしは一つの仮説にたどり着く。 「………速すぎる男が……手を出してこなかったから……?」 ホークスさんは“速すぎる男”と言われている。彼は無駄を嫌うし、何事も要領よくバシバシとこなしていくタイプである。その彼に……?手を出されなかったから……? 「速すぎる男……ホークス……」 上司の名前と異名を入力すると、ものすごく下世話な匿名掲示板が現れた。 「………ホークスは手を出すのも速そうだし、夜も速そう………早漏………下世話すぎる……」 ヒーロー事務所の事務をやっているので、多少は過激なフォロワーやアンチへの耐性はついているが、思ったより下世話な内容がその掲示板では議論されていた。これを議論している年齢層はどれくらいなのだろう……。そう思いながらため息を吐き、窓を閉じる。 「はあ………」 今日の帰りに突然別れを告げられ、そのまま何も言えずに別れた。明日も勿論仕事である。気まずいかな。どうしよう。そもそもわたしは何も言っていないのだが、別れたという解釈でいいのだろうか。わからない。わたしの乏しい経験と狭いコミュニティではわからない。だけれど。 「………」 やっぱり部下としか見れないなんて、そんなふわっとした理由では納得がいかない。いくらわたしが「何でも言うことを聞き絶対に上司を裏切らない死ぬほど忠実な部下」だからと言って、納得のいく説明も頂けずに関係を断ち切られるのは筋が通っていないだろう。わたしは明日の決戦に備え、何かの時に使おうと思っていた口コミ1位のシートマスクを取り出してぺたぺたと顔に張り付けた。 ; 「……あの二人って喧嘩した?」 「やっぱりそう思います?普段は「名前ちゃんお茶淹れて」とか言ってお茶を淹れに行かせるくせに自分も給湯室ついていきますもんね」 「その後きゃっきゃって楽しそうに二人で出てくるのに……」 「今日は自分でコーヒーを……」 サイドキックの皆様の視線が痛い。あとその声聞こえてるからな!!と思いながら、わたしはパソコンに向き合い上司の取材日を纏めている。いつもはお茶を淹れてと声を掛けられるのに、今日は掛けられなかった。確かにホークスさんの性格上、飲みたいときに自分で淹れた方が速いくらいにも思ってそうである。今まではわたしに頼んでくれていたのに……と思いながら画面を閉じる。 「名前ちゃん、今日お出かけ?」 「え?」 「普段と雰囲気が違うような」 「あ、気付きました!?嬉しい!」 普段から仕事の時は周りに舐められないように身なりに気を遣っているが、今日は特に気合を入れた。気合の夜会巻きである。口紅の色も普段より濃くした。ディオールのウルトラルージュ様様である。まさか彼氏との別れ話に挑むために気合を入れているとは言えるはずもない。わたしは曖昧に笑い、呟く。 「あ、そういえば先日助けた方からお礼にお菓子貰ったんです!ホークスさん配ってもいいですか?」 「いいよ」 「一人二個ずつでーす」 一番偉い立場であるホークスさんから順に配っていくと、ホークスさんは机の上に置かれたお菓子を見たあと、まじまじとわたしの顔を見つめた。もしかして口紅の色が濃すぎただろうか。それともお昼に食べた焼きそばの青のりが歯についているのだろうか。心の中ではめちゃくちゃ動揺したが、それを悟られないようにわたしは微笑む。 「名前ちゃんここのお菓子好きでしょ、あげる」 「え」 昨日わたしを地獄に突き落とした上司は、目を細めて呟く。こ、これは「今までお前と付き合っていた半年間はなかったことにするから、これからも良き上司と部下でいような」と意訳すればいいのだろうか。そう言った意味での優しさなのだろうか。舐めやがって……優しくすればいいと思いやがって……!そう心の中で歯ぎしりしながら、わたしは微笑みお礼を告げた。 ; 「納得がいきません」 「昨日のこと?」 「はい。ちゃんとわかるように説明してください」 「………言ったでしょ。やっぱり部下としか見れないんだって」 終業後、二人きりとなった事務所でわたしはタイムカードを切った後に上司に詰め寄る。上司はやれやれと溜息を吐いている。何がやれやれだ……!ノルウェイの森かよ……!と「やれやれ」という単語をよく用いる文豪の代表作を心の中であげてリスペクトをしながら、わたしは詰め寄る。 「エビデンスを示してください」 「エビデンスて」 ホークスさんは苦笑する。これは答えを教えてくれない時の顔である。わたしは呟く。 「わたしに、友達がいないから?」 「いやそれは関係なくない?」 「コミュニティが極端に狭いから?ネットで得た偏った知識しか持ってないから?」 「自覚あるなら何でもネットに頼るのやめた方がいいよ」 「だって誰も正解なんて教えてくれないじゃないですか!ホークスさんだって!」 「名前ちゃん落ち着いて。まあまあルービックキューブでも」 「………」 ルービックキューブを手渡される。余談であるがわたしの個性はルービックキューブや知恵の輪を秒で解けることである。要はパズルが死ぬほど得意なのだ。 「できました」 「えらいえらい」 「馬鹿にしてる!!」 「してないよ」 頭をよしよしと撫でられる手を払うと、ホークスさんは意外そうな顔をした。わたしに拒まれるとは思ってもいなかったらしい。おめでたすぎる男である。 「………わたしはあなたの為ならなんだってできます」 「………うん」 「あなたを絶対に裏切らないし、あなた以上に優先できることなんてない」 「知ってるよ」 ホークスさんは、わたしを見つめている。わたしは呟く。 「わたしがこの先別の人を好きになって結婚したとしても、あなたに何かあったらあなたを優先するんですよ!」 「……」 「だったらあなたを好きなまま、あなたの隣にいた方がいいじゃないですか!合理的!」 「抹消ヒーローみたいなこと言うなァ」 「あの時の言葉は、嘘だったんですか、」 自分とは一生縁がないと思っていた衣装を身にまとって、嬉しくて泣いているわたしを見て彼が呟いたあの言葉は、嘘だったのだろうか。そう詰め寄ってしまった。男の人は別れ際に必死になられると冷めると昨日ネットで見た。だから重たい言葉で縋り付かないようにと思っていたのに。わたしは唇を噛みしめる。忘れられない発色が12時間続くと謳われたこのルージュは、まだわたしを彩ってくれているだろうか。 「………困らせてごめんなさい。重たいことを言ってごめんなさい。もう大丈夫です」 「………」 「わたし、これからもあなたの最高の部下でいます。だからもう大丈夫です。お付き合いする前に戻るから、だから大丈夫です」 ホークスさんは何も言わない。普段はぺらぺらとよくしゃべるくせに、こういうときは何も言ってくれないらしい。また一つ上司の新たな一面を発見できた。そのことに小さな喜びを感じながら、わたしは続ける。 「行きましょうか。遅くなっちゃうし。今日は送ってくれなくても大丈夫です。一人で帰れますから」 立ち上がり、事務所の鍵を取り出す。彼に背を向けた瞬間、ぐっと肩を引かれた。 「俺さあ、大丈夫じゃない子が“大丈夫”って言うの、ぐっとくるんだよね」 「………はい?」 「名前ちゃんのストイックなところもそそる。俺にそこまで恩義を感じる必要はまるでないと思ってるんだけど」 「え」 背中に熱を感じる。どうやら、抱きしめられているらしい。 「色々考えた結果、俺にしては時間かけて結論出したつもりなんだけど」 「………え、えーっと」 「撤回させて。やっぱり、女の子としか見れない」 「え」 「仕事中も可愛いなって思うし、給湯室とか狭いところで二人っきりになりたいとも思う。まあ俺はあんまり仕事に私情持ち込むのは好きじゃないけど」 「………いつも給湯室についてくるじゃないですか」 「アレは休憩中だから」 「………」 「名前ちゃん」 お腹に回った腕を離されて、腕を引かれる。視線が重なる。彼の親指が、わたしの下唇に触れた。 「ずっと好きだった」 「!」 「距離を置いた方がって思ったけど、君に対してだけはそこまで自己犠牲的にもなれない」 「………え?」 「こっちの話」 ホークスさんは微笑み、呟いた。 「朝から思ってたんだけど、ちょっと唇赤すぎない?」 「可愛くないですか!?ナタリーが同じ色塗ってて」 「ナタリーって誰」 「ハリウッド女優の」 「へえ。名前ちゃんはいつもの色の方がいいよ」 「えー……濃い色の方が舐められないかなって……」 「腹減ってる?ご飯行こうか。焼鳥食いたい」 「あ、いいですね焼鳥。せせり」 「レバー」 「ぽんじり」 昨日わたしを地獄の底へと突き落とした上司は、個性を羽ばたかせて笑う。 「帰りは送ってくよ。夜間飛行。どう」 「いいんですか!?飛びたい!」 「昨日酷いこと言ったからお詫びに」 「もう忘れました!」 「名前ちゃんは馬鹿だなあ」 「ひどい!」 「俺みたいな男に人生捧げるって公言してる時点で馬鹿だよ」 「じゃあ、馬鹿でいいです」 「…………そういうとこが」 (180930) |