「ホークス事務所の名字と申します」 どうして出版社で働かれている方々はこんなにも垢抜けているのだろう。そう思いながら受付でアポイントを取っていると告げると、応接室に通された。応接室ですら洒落ている。きょろきょろと辺りを見渡していると、笑い声が聞こえた。 「そんなに物珍しいですか?名前さんは面白いな」 「こんにちは!お世話になります」 「こちらこそ。どうぞお座りください」 まさかの名前呼びをスルーしたところで、わたしは持参した手土産を差し出す。 「先日は失礼な態度を取り申し訳ありませんでした。つまらないものですが…」 「いいのに。そもそも個人的に連絡して欲しかったな」 先に事務所に掛けてきたのはそちらではないか。そう思いながらわたしはそれを表情には出さず、微笑み呟く。 「あとこちらは個人的に持ってきました」 「え」 「どうぞ」 包み紙を渡すと、目の前の人は驚いたように目を瞬かせている。 「これは?」 「昔、助けていただいたということで。お礼も言えなかったので。その節はありがとうございました」 わたしは深々と頭を下げる。 「本ですか?」 「カタログギフトです。dancyuの」 「すごい。センスがいいですね」 「恐縮です」 有名なグルメ雑誌のカタログギフトはお気に召してもらえたらしい。やはり残るものよりも食べ物など残らないものの方がいいだろう。わたしの判断は間違っていなかった。 「お忙しいところ、ありがとうございました。そろそろ失礼しますね」 今日のミッションはこれで終わりである。本日の業務は全て片付けて事務所を出てきたので、このまま直帰して家電量販店へ赴きたいところであるが、心配性な上司に報告をするためにも一度事務所に寄らねばならない。晴れ晴れしい気持ちで席を立とうと思った瞬間だった。 「………個人的な連絡先を教えてもらってもいいですか」 手を握られた。まさかすぎる展開である。わたしは昨日の夜、鏡の前で練習した言葉を呟く。 「あの、それはちょっと。恋人がいるので」 わたしの言葉を聞いた瞬間、目の前の人は大袈裟に笑った。どういうことだ。なぜウケたのだ。わからない。 「大丈夫です。問題ありません」 「え」 この人は何を言っているのだろう。目の前の人は爽やかに微笑み、呟いた。 「俺も結婚してますから。何も問題ありません」 「………」 脳が言葉の意味を理解するのに、数十秒要した。 「え!?問題しかなくないですか!?え!?」 「いやいやお互いに割り切った関係が期待できるじゃないですか。必要以上に干渉しない。どうです」 「酔ってますか!?」 「素面ですよ」 クレイジーすぎる。ツッコミが追い付かない。思わず額に手を当てるという古典的なリアクションを披露してしまった。これだから上司に古いと言われるのだ。 「あともうひとついいですか」 「………できればやめてもらえると……」 「あなたを助けたのが俺って言う話、あれ、嘘です」 「………」 思わず口が開く。この人は何を言っているのだろうか。 「どうしても名前ちゃんに意識してもらいたくて。羽が生えてるっていうのも何かの縁だと思いませんか。奇跡ですよね」 「………」 ちゃん付けで呼ばれたと突っ込むよりも先にわたしを襲ったのは、脱力であった。嘘だと。あれだけ悩んだのに。あれだけ上司に縋ったのに。それが嘘。この人はわたしを助けてくれた人ではない。正直、怒りよりも呆れが大きい。というか怒る体力がない。 「今夜食事でもどうですか?直帰ですよね?」 「………次の予定がありますので、失礼します……」 「じゃあ連絡先は?」 「スマホ持ってないんで……」 我ながら最低の断り文句であると気づいているが、取り繕う余裕もない。疲れた。今日のこの時間は何だったのか。というかダンチューのグルメカタログギフト返してほしい。そう思いながらわたしは呟いた。 「よかったらそれ、奥様と仲良く召し上がってください……失礼します……」 「何だか悪いな。今度お礼に伺いますよ」 「大丈夫です……上司に叱られますので……」 既婚であると自ら暴露したその人は、爽やかすぎる笑顔でわたしをエントランスまで送ってくれた。むしろここまで徹底して爽やかな笑顔を浮かべられると逆に清々しい気持ちになる。わたしはのろのろとした動作で先ほど持っていないと嘘を吐いたスマートフォンを手にして、事務所に連絡する。 「名字です……。はい……。無事終わりました……はい、茶番でした……。あの、疲れたんで直帰してもいいでしょうか……」 ; 「え?嘘?」 「そうなんです!!わたしを助けたのは自分じゃないって!嘘ついたって!あれだけ悩んだのに!ひどいですよね!?何で嘘ついたの!?」 「名前ちゃんの気を惹きたかったからでしょ」 「だとしてもついていい嘘と悪い嘘がある!!」 「倫理観がぶっ飛んでるんだよ。ほら肉焼けたよ」 「ありがとうございます……美味しい……」 焼肉を奢ってあげるから直帰せずに待ってて、という魅力的過ぎる上司の言葉に甘えて炭火焼肉を個室で楽しんでいる。いいお肉を何枚か食べたところで漸く怒りが沸いてきたので、食べながら上司に愚痴を言っているわけであるが。 「だけどすぐに嘘ってネタ晴らしするんですよ?なんで?」 「“なんでこの人、わたしに嘘ついたんだろ?”って自分のことを考えて欲しかったんじゃない、めちゃくちゃ性質悪いなマジで」 「こわい……テクニックがすごい……」 「で、どうやって断ったの」 ホークスさんはトングを置く。わたしは呟く。 「大ライス頼んでいいですか?」 「いいよ。で、どうやって断ったの。しつこくされなかった?」 わたしは大ライスを注文した後、箸をおいて呟いた。 「恋人がいるって言いました。そしたら何て言ったと思います!?」 「まさかのクイズ形式」 「大ライスお待たせしました」 ライスは何の躊躇もなくホークスさんの目の前に置かれた。食べるのはわたしである。ホークスさんはライスをわたしの前に置いてくれた後、呟いた。 「んー、俺にしとけとか」 「“大丈夫です。問題ありません”」 「何言ってんの?」 ホークスさんは怪訝そうにわたしを見ている。わたしは怒りに任せて呟いた。 「結婚してるんですって。だからお互いに割り切った関係になろうって。どう思います?」 「………」 ホークスさんは心底引いた顔をしている。わたしもきっとそんな顔をしていたのだろうなあと思う。 「食事に誘われて連絡先も聞かれましたけど、全部スルーしてきました。茶番ですよね。馬鹿にしすぎですよね。わたしが世間知らずに見えるからって!」 怒りに任せてライスを喉に流し込む。焼肉屋で食べるライスはどうしてこんなに美味しいのだろうか。 「このごはんも美味しい。炊飯器どこのか聞いたら教えてくれるかな……」 「名前ちゃん」 「やっぱり聞くのはまずいですかね……。業務用かな……」 「もう炊飯器買うの辞めたら」 「え!?一生鍋で炊けと!?」 わたしの上司は、真剣な顔で呟いた。 「俺ん部屋に来ればよか」 「……ん?」 「炊飯器買わなくても美味いごはん食えるよ」 この人は何を言っているのだろうか。 (181008) |