「親戚や友人に会いたいなら協力するよ」
「………会いたいとは思いません。地元でも変な噂が立っていると思うし」
「そうかな」
「昔の知り合いに会ったら、昔の自分に戻れたような錯覚をしてしまう気がして」
「昔の自分」
「はい。戻れるはずがないのに。わたしは助けられたとはいえ“被害者”だから。そうなる前の自分には戻れないと思います」

 そう彼女と話したのはいつだっただろうか。正確な日付を覚えているはずがない。

「会いたい人は、じゃあもういない?」
「そうですね」
「好きな男の子とか」
「なにそれ。いないですよ」
「じゃあ初恋の男とか」
「初恋かあ」

 場を和ませようとしたその話題は、割と効力を発揮しているようである。

「小さいころに、事故に遭ったんです」
「事故?」
「はい。自動車の事故。家族でお出かけしたときに」
「大丈夫だった?」
「はい。羽の生えた男の子が助けてくれたんです。顔も覚えていないけど、かっこよかった。それが初恋かな」
「俺も羽が生えてるよ」
「………」
「冗談だよ、いい思い出だ。甘酸っぱくて」
「そうかな」

 彼女は満更でもなさそうに小さく笑う。笑った表情は年相応で可愛らしい。

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「レジスタンス事件の拉致被害者を事務員に?」
「彼女は救出後も塞ぎ込んでいて社会復帰も難しそうだったんで。被害者の社会復帰を後押しすることも慈善事業のひとつでしょ」
「……リスクが高すぎるわ」
「そのために彼女の経歴チェックをお願いしたんじゃないですか。勿論問題があるなら考えますよ」
「問題はなかった。都合のよすぎる偶然のような出来事はあったけれど」
「都合のよすぎる偶然?」 

「我々が“あなた”を見出すきっかけとなった大事故の被害者。その一人が名字名前」
「………え゛」
「彼女が覚えているかどうかはわからないけれど、あなたが二度も自分を助けた恩人だと知れば、彼女はあなたを裏切らない。最も信頼できる、理想的な部下になるわ」
「………俺は彼女を縛りつけるつもりはありませんよ」

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「あ、このごはん美味しい」
「そんなにいい米じゃないよ」
「炊飯器がいいんじゃないですか?ホークスさんの家の炊飯器と同じの買おうかな」
「運動した後だからじゃない?」
「精神的なものですかね」

 名前ちゃんはそう呟いた後、俺の部屋においてある炊飯器をじっと眺めている。どうしても炊飯器が欲しいらしい。

「それよりも名前ちゃんがご飯作れることに感動したんだけど」
「え?ひどいですね作れますよ」
「ほぼほぼ外食してるんだと思ってた」
「美味しくないですか?」
「………美味いです」
「よかったあ。誰かに食べてもらうの初めてだから緊張してたんです」

 名前ちゃんは掠れた声で呟く。

「明日、お礼を言いに行きます」
「お礼?」
「ずっと前に助けてくれてありがとうございましたって。それでちゃんと断ってきます。あの時は動揺してて言えなかったけど。お付き合いしてる人がいるって」
「……………あのちょっと待って」

 俺は新しい情報に箸を置く。どういうことだ。聞いていない。

「その男は“君を助けたのは自分で、だから付き合おう”とか何とか言って口説いてきたってこと?」
「まあ意訳するとそんなかんじ」
「チッ」
「………ホークスさんいま舌打ちした?」

 彼女の前で舌を打ったことなどない。名前ちゃんは目を丸くして俺を見ている。

「俺が話そうか」
「だめだめ!!スキャンダルになる!!」
「ならないって」
「大丈夫です!自分で解決します!」
「もっと頼ってよ」
「十分頼りました。あと冷めないうちにどうぞ」
「………」
「あ、ごはんのお代わり入ります?」

 立ち上がった瞬間、彼女の身体がふらついた。つい先ほどまで彼女の身体に散々無体を働いたのだ。支えた後に労わるように腰を撫でると、彼女の身体がびくりと跳ねた。

「今日はいたかった?」
「いたくなかったです」
「ごめんね、いたくできなくて」
「……いえ、」 

 彼女の頬が赤く染まっているのを正面から見たくて、頬に手を添える。

「じゃあ気持ちよかった?」
「……………は、い」
「そういうとこだよなあ」

 俺の言葉に、彼女は不思議そうに首をかしげている。それを見て俺は彼女の頭を撫でた。

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「縛りつけるつもりはないとは?」
「言うつもりはないってことです。彼女に、助けたのは俺だと。そもそも今まで自分だって忘れてたし」
「何故?」
「ダサいじゃないですか」
「………」
「冗談ですよ。俺は他人に恩を着せる趣味はないんですよ」
「それは嫌味?」
「そんなわけないじゃないですか」

「これから先、自分を助けた人間が現れるかもって思った方が、人生楽しそうじゃないですか。希望が持てそうというか。それだけです」

(181008)