「あれ名前ちゃん今日は雰囲気が違うね」
「えっそうですか?」
「化粧変えた?」
「今日はあんまり時間がなくて……」

 サイドキックと彼女のやりとりを見つめていると、サイドキックは俺の視線を感じたらしい。

「ホークスもそう思いません!?普段よりもあどけないような」
「確かに幼い気もする」
「こっちの方がいいよ!」

 サイドキックは今日のナチュラルメイクの彼女を推しているようである。わからなくもない。基本的に男はナチュラルメイクが好きである。

「だめですだめです、幼く見られると舐められるじゃないですか」
「舐められるって」
「可愛いのになァ」

 彼女は事務所に出入りする業者やら近くのヒーロー事務所の人々に“舐められないように”する為に、普段はしっかりと化粧をしているらしい。今日はコンビニで揃えた化粧品で済ませたようなので普段よりも薄いが、それはそれで可愛い。むしろ昨日の夜を思い出すようでぐっとくる。



 あどけない顔立ちで、ノートパソコンのキーボードを弾いていく彼女を見つめる。出会った頃を思い出すようだ。今よりも垢抜けていない、あどけなさを残した女の子。その手を引いてこの事務所に招き入れたのは、数年前の話だ。

「パソコンは得意?」
「は、はい。ずっと触っていましたから」
「そうだったね。エクセルとかワードは?」
「授業で習った程度なら」
「授業」
「中学校の、授業。高校には入学式しか行ってないから」
「ああ」

 借りてきた猫のように、彼女は背筋を伸ばしてソファに座っている。目の前にノートパソコンを置くと、彼女は目を瞬かせた。

「随分小さいんですね」
「前いたあの部屋のパソコンが馬鹿でかいんだよ。普通はこれくらい」
「そうなんだ」

 彼女は納得したように呟く。俺は職務規定を告げる。

「真面目に働いてほしいけど、神経すり減らしてまで働く必要はないから」
「え」
「前のところでは寝る間も惜しんで作業してたんでしょ。そういうのはよくない。一生懸命頑張ることはいいことだけど、毎日自分の能力以上のことを続けてたら壊れちゃうよ」
「は、はあ」
「休憩もきちんと取って。残業も遅くまではよくない。労基に引っかかったら処罰受けるのは俺だから」
「労基?」
「労働基準監督署」
「そうなんだ」

 彼女は目を瞬かせる。

「休みは不規則になるかもしれないけどきちんとあるよ」
「お休み」
「あと俺は普通の人よりは速いから。想像より忙しいかも」
「忙しいのは大丈夫です。慣れてます」

 彼女はこくこくと頷いている。俺はその様子を見て、一番重大なことを告げる。

「あと、個性は使わなくていい」
「………個性」
「うん。使用禁止。使った方が捗るかもしれないけど、また危ないことに巻き込まれると大変だから」
「………わかりました」
「人から個性を聞かれたら今まで通りに言えばいいよ。ルービックキューブだっけ?」
「あと知恵の輪」
「それが一瞬で解けることって言えばいい。本当のことなんて言う必要はない」
「………わかりました」

 彼女は目を伏せる。彼女は今、何を考えているのだろうか。彼女の個性は酷く魅力的だ。だけれどそれを利用しては、あの組織と同じになってしまうだろう。俺は別に、この女の子を道具として、戦力としてここに招いたわけでもない。

「立ち上げたばかりの事務所だから大変なこともあると思うけど」
「大丈夫です。精いっぱい働きます」
「やる気があるのはいいことだけどそんなに力をいれなくても」
「ダメです。住むところだって用意してもらって、お金だって……」
「それはこれから返してくれればいいよ」
「お給料から天引きですか?」
「カラダで」
「え」
「ふはっ、そんな絶望的な顔しなくても」

 冗談は通じないらしい。思わず吹き出してしまった。

「今後の名前ちゃんの働きに投資したってこと。普通のOLみたいに働いてくれればいいよ」
「ふ、普通のOLとは」
「難しい喩えだったか」

 何と説明すればいいのだろうかと考える俺を見て、彼女は目を瞬かせたのちに呟いた。

「わたし、勉強します」
「勉強?」
「わたしは世間の“普通”がわからないから。普通がわかるように頑張ります」
「どうやって」
「………本を読んだりインターネットで調べたり」
「そーだね、俺も女の子の“普通”はよくわかんないから」

 このやり取りの所為で彼女の知識が年々偏っていき、数年後の自分が苦労することになるとは当時の俺は知る由もない。



「そういえば炊飯器が壊れたんですよ」
「炊飯器」
「そうなんです。だから最近鍋でお米炊いてて」
「キャンプみたいだ」
「毎日キャンプですよ」

 名前ちゃんは炊飯器のランキングを見ている。すっかり休憩モードである。

「鍋で炊いた米ってやっぱ美味い?今度食いに行っていい?」
「んー……」

 休憩モードだというのにさらりと俺の誘いは流すらしい。完璧な部下モードだ。

「五万……高いなあ……。二万くらいのだと美味しくないかなあ……。毎日食べるものだしなあ……」
「見せて」
「どうぞ」

 彼女の隣に座り、ノートパソコンの画面をのぞき込む。彼女の膝と肩に自分のそれをくっつけても距離を取られなかった。休憩モードだからだろうか。

「これ名前ちゃんが欲しいって言ってた鍋のメーカーじゃん」
「あっほんとだバーミキュラ!ライスポットも出してるんだ……高い……」
「買ってあげようか」
「いいですいいです。欲しかったら自分で買います」
「じゃあ俺が買うから俺の家で作ってよ」
「ホークスさんも炊飯器壊れたんですか?」
「いや別に」
「じゃあいらないじゃないですか」

 名前ちゃんは画面を睨んでいる。本気で炊飯器を吟味しているようである。俺と彼女のやり取りが聞こえたらしいサイドキックの一人が呟いた。「必死や」必死だよ。悪いか。

「やっぱりネットじゃなくて家電量販店に行こうかな……店員さんに詳しい説明聞こ……」
「珍しいね」
「電化製品ってよくわかんないんですよね……。安いの買ったら失敗するかなあ……。またすぐ壊れてもやだし……」

 普段はインターネットで仕入れた情報で即決する彼女が珍しい。俺は世間知らずな彼女の為に一般論を呟く。

「勧められるがままに即決したらだめだよ。一旦持ち帰って考えた方がいい」
「なるほど……確かに舐められるかもしれない……」
「舐められてカモにされるかもしれない」
「カモ!」

 俺の言葉に彼女は大げさに怯える。可愛いなあと思う。

「着いて行ってあげようか」
「…………だめ!」
「えっ」
「一緒に炊飯器なんて選んでるところを誰かに見られたらスキャンダルになってしまう……」

 普段一緒にメシ行くのはいいのか。そう思ったが口には出さない。ヒーローのスキャンダルなんて、相手が業界人や同業者でない限りよっぽど話題にはならない。気にし過ぎである。

「まあ荷物くらいは持つからよかったら呼んでよ」
「………そうですね……」

 俺と彼女のやり取りを見ていたサイドキックの一人が、先ほどと同じセリフを呟いた。「必死や」その通りだよ。悪いか。

(181007)