わたしの小指には、関節が二つある。

「君の世代では珍しい例だ。何の“個性”も発現しない」

 人口の、約八割が宿しているものが、わたしには宿らなかった。

「普通は四歳までには発現しているからね」
「諦めた方がいい」
「大丈夫、強い個性を持つ人は少ない。大半の人は、些細な個性を持っている」
「無個性だからといって、何も恥じることはない」

 セカンドオピニオンならぬ、フィフスオピニオンである。わたしの両親は些細な可能性に縋り、幼いわたしを病院へ連れて行った。だけれどどのお医者様も、下した診断は同じだった。

 わたしの小指には、関節が二つある。すなわち、個性は発現しない。どれだけ時がたったとしても、どれだけ何かに縋ったとしても、どれだけ祈ったとしても。

 両親はわたしに謝った。個性がある子に産んであげられなくてごめんねと。泣きながら。わたしは痛い心を隠して、平気だと呟いた。個性がないことよりも、両親に泣きながら謝られることの方が辛かったのだ。

 人口の八割が個性を持っている。大したことではなく聞こえるかもしれないが、現実は残酷だった。無個性である二割の殆どは、わたしよりも随分上の世代だ。わたしの世代で、個性を有していないものは少ない。

 小学校も、中学校も。高校も。個性を持たないのは、クラスでわたし一人だった。

 なんてことはない。お医者様の言う通り、強い個性や派手な個性を有している人間は一部だ。大半の人間は、些細すぎる個性しか有していない。だけれど、個性は個性だった。

 微弱な風が出る。髪が伸びるのが早い。乾燥に強い。体温が低い。些細な個性だった。だけれど、それらを有する友人が、わたしはたまらなく羨ましかった。

 誰もが自分だけの“個性”を持っている。だけれどわたしは、それを一生手にすることはない。

 幼いころは地獄だった。個性がないというだけで、わたしはクラスで浮いていたようにも思う。わたしが自分自身に引け目を感じ、周りから距離を置いていたという理由もある。小学校高学年の、特に思春期の頃は酷かった。わたしは誰に対しても劣等感を抱いていたし、些細な個性すら有していないわたしは、クラスの誰よりも劣っていた。

「君もヒーローになれる」

 そんな卑屈でどうしようもないわたしにも、幼馴染がいた。奇しくもその幼馴染は強力な個性を有していた。だけれどまっすぐで正直な人だった。無個性のわたしを馬鹿にすることもなく、それどころか、わたしに個性が発現すると、わたし以上に信じていた。

「わたしはヒーローにはなれないよ」
「なぜだ!」
「無個性だもん」
「僕は、名前ちゃんに個性が発現すると、信じてる」
「!」
「諦めるのは早い!」

 飯田は真直ぐだった。昔から。わたしがそのひたむきさに傷ついていることにも気づかないほどに。

「僕は信じてる。名前ちゃんの個性を」

 信じないで。もうあきらめてるの。個性なんて一生出ないの。わたしは一生このままなの。どれも口に出しても、飯田の耳には届かない。

「だから大丈夫だ」

 飯田の隣は暖かい。個性がないからといって、わたしのことを卑下しない。誰にでも平等で、嘘を吐けない。居心地がよかった。だけれど、わたしが欲しいのはその言葉じゃなかった。


 個性がないからといって、下を向いているのは小学生までだった。個性がないものは仕方がない。それよりも、個性がなくともわたしはこの社会で生き抜かねばならない。二割の少数派の人間として。

 死ぬほど勉強をした。死ぬほど周りに気を配った。個性がなくとも、要領よく生きられるように。個性がなくとも、周りに引け目を感じないように。これは最近知った話であるが、個性を有しているものよりも、有していないものの方が咄嗟の状況判断や適応能力に優れている傾向にあるという説もあるようだ。本当かよ。偶々だろ。そう思いながらも、自分以外の無個性の人々も苦労しているのかと思うと、励まされる気にはなる。どちらかというと無個性に対するプラシーボ効果を狙っているのではないかとでも思うような説である。俗説だろう。

 わたしは生れた時点で、人より劣っている。だから、人より優れるためには努力をしなければならない。どれだけ年を重ねても、個性は付きまとう。自己紹介の時に個性の説明を省くと、必ず「個性は?」と聞かれる。煩い。持たざる者の気持ちがわかるか。持つ者には一生わからないだろう。

 雄英高校の経営科に入学したのも、今後の未来のためだ。学歴としては輝かしいし、周りのクラスメイトもトップレベルだろう。経営科というだけあり、意識の高い人間が集まる。将来起業したいと考えているプライドの高いインテリばかりだ。最初は無個性であるわたしが成績がトップであるということに反感を持つ人もいたようであるが、それも徐々に薄れていった。努力のレベルが違うのだ。何も持たぬ者の絶望を、個性を持つ人間は一生知りえないのだから。

 入学当初は将来の日本のトップたちとコネを作っておくに越したことはないと考えていたが、現在は迷走している。別にコネを作ったところで、わたしはきっと起業はしないだろうし、そもそも経営者の器ではない。経営科に入ったけれど。成績をキープしているけれど。だけど。

 そんな時だった。爆豪くんと出会ったのは。

;
「おい!」
「え?わたし?」
「お前に決まってんだろ!」

 後ろから大声でわたしを呼ぶのは、先ほど体操服を返した爆豪くんであった。彼は怒ったようにわたしに近づき、わたしの手首を掴む。彼の個性は知っている。爆破だ。掌の熱さに怯えたが、彼の掌は熱を持っていなかった。そのことにこっそりと安堵したところで、彼は空き教室にわたしを連れ込んだ。

「え」
「…………言え」
「何を?お礼?さっき言ったじゃん」
「ちげーよ!お前の個性だよ!」
「…………は?」

 個性、という言葉に自分の心が急激に冷めていくのを感じた。自分の個性に対し、引け目を感じなくなったわけではない。だいぶ吹っ切れているが、だけれどわたしは個性というものに憧れている。わたしには一生、手に入れることができないものだからだ。

 地雷のようなものだった。わたしは自分の個性を話したくない。話した後の相手の反応が、わかりきっているからだ。自己紹介も嫌いだ。個性を言わないと、必ず「個性は?」と質問を受ける。わたしは何てことはないとでもいうかのように、「ないんですよね」と笑うのだ。その場は途端に痛ましい雰囲気になる。

「言いたくない」
「あァ!?なんでだよ!」
「そもそも聞いてきたってことは知ってるんでしょ。それなのにわたしの口から言わせようとするなんて、配慮に欠けてると思うけど」

 わたしの声は、酷く冷たくその場に響いた。爆豪くんを初めて見た時、すごく嫌な印象を持った。ああ、この人はきっと、個性がない人にたいしては当たりが強いだろうなあと。嫌だと思った。関わりたくないと。だけれどなぜか彼と関わることが増えた。数か月接したところで、「案外嫌な人ではないのかもしれない」そう思えるようになった。彼の掌が、わたしに対して熱を持ったことがないからだ。この人は、なぜかわたしに、個性を使わない。

「………他人の口からなんて信じられるか」
「え」
「言え」

 爆豪くんは、真直ぐわたしを見ている。このひたむきさを、わたしは懐かしく感じた。飯田と同じだ。ヒーロー科にはひたむきさがないと入れないのだろうか。彼は依然として、わたしの手首をつかんでいる。きっと、話すまで離してくれないのだろう。

「わたしは、個性がないよ」

 わたしは自分の感情を吟味しながら、呟く。わたしはこの言葉を呟いたことで、傷ついているのだろうか。酷く痛々しく響いたその言葉にかぶせるように、爆豪くんは呟いた。

「それがどうした」
「………は?」
「お前が個性持ってようが持ってなかろうがどうでもいいんだよ!」
「…………えっじゃあ何で聞いたの!?嫌がらせ!?嫌な気持ちになったんだけど!」
「確認だバカ!」
「確認!?」

 人がずっと悩んでいた悩みを、どうでもいいと言いやがった。思わず口調が荒くなる。

「お前の前では個性が使えねえ」
「えっ」
「お前に向かって爆破できねえ」
「しようとしたの!?やめてよ!こわい!」
「比喩に決まってんだろ!しねーわ!」

 爆豪くんは声を荒げる。そして呟いた。

「俺は俺が一番だったらどうでもいい」
「え」
「お前に個性があろうがなかろうが、どうでもいいんだよ」

 爆豪くんはそう呟き、ガシガシと頭をかいた。酷く自己中心的だ。だけれど、初めていわれた言葉だった。

「個性がある子に産んであげられなくてごめんね」
「僕は、名前ちゃんに個性が発現すると、信じてる」

 個性がないわたしを、肯定する言葉を投げてくれたのは、この人が、初めてだったのだ。

「………個性がなくても、わたしはわたしだよね?」
「はァ!?当たり前だろ。何言ってんだ」

 ずっと自分に引け目を感じていた。だから、死に物狂いで努力をした。個性がなくとも、胸を張れるように。だけれど、どれだけ他人より勝っても、個性がある人に勝っても、個性がないわたしは、かわいそうなわたしだったのだ。

「………個性がなくても、また体操服貸してくれる?」
「………汚したら殺す」
「真冬じゃなかったら汗かくよ」
「………チッ、」

 爆豪くんは、舌打ちをする。拒む言葉は、彼の口からは出ない。視界が滲む。わたしは思わず、目の前の彼にしがみついた。

「はァ!?ちょ、オイ!何して………、」
「爆豪くん」
「あァ!?」

 彼の背中に手を回す。引きはがされるかと思った。爆破されるのを覚悟した。だけれど、彼の掌が、熱を持つことはなかった。それが何よりの答えだ。この人は個性のないわたしを、許容している。

「ありがとう」
(170306)