「えっなにこれ無菌室?」
「はァ!?洗練されたミニマリストの部屋って言えや!」
「自分で“洗練された”っていう?はいこれお土産と引っ越し祝い」

 雄英高校を数年前に卒業し、プロヒーローだかサイドキックだかとして活躍している恋人は先日引っ越したらしい。今までは所属する事務所の寮のようなところに住んでいたようであるが、そろそろ自分の部屋を借りようと決めたようだ。なんだか不確かなことばかり言っているが、恋人はあまりわたしに報告してくれないので彼のご両親やお友達経由で聞いた情報なので仕方がない。信憑性はあるだろうが、又聞きなので正確な情報なのかはわからない。

 実は彼に就職活動を終えて内定をもぎ取ったと連絡をしたときに「そろそろ引っ越すから内見付き合え」と言われたのだけれど、昼夜問わず忙しく仕事の予定がぎりぎりまでわからない彼と日程が合わず、内見に付き合うことはできなかった。が、さくっと好みの物件を見つけたらしい。「お引越し手伝うね」と言っていたけれどそれも予定が合わず、切島くんやら電気くんやら瀬呂くんやらがお手伝いに来てくれたらしい。それも電気くん情報である。

 その後悉く予定が合わずタイミングも合わず何となく言い出しにくくお部屋訪問する機会がなかったのだが、数日前に「ふるさと納税で届いたハムがある」と誘われた。念願の初めての彼氏のお部屋訪問なわけであるが、無菌室のように奇麗だった。髪の毛一本落ちてなさそうであるし埃のひとつもなさそうだ。フィクションでよくある机などを人差し指でつーっとなぞって埃の有無を確認したいくらい。指紋がつくからやめろと怒られそうなのでやらないけれど。

 手渡したわたしの引っ越し祝いとお土産をしげしげと眺めたあと、勝己くんは小さくお礼を言った。ここで「お礼が言えて偉いね」というと怒るので言わないことにする。アルバイト帰りに買ったフルーツタルトの箱とディプティックのお洒落なディフューザーをしげしげと眺めている彼に断って手を洗いに行く。ハンドソープがイソップだった。

「……」

 思わず真顔になりながら控えめにポンプを押す。いい香り。洗い心地もよい。普段よりもたっぷり時間をかけて手を洗いながら考える。えっ勝己くんイソップでハンドソープ買うの?いや買わないだろうな。じゃあ引っ越し祝い?え?誰から?絶対女の子からだよね?そう面倒なことを考えながら頭を振る。だめだめ、変なことを考えていると絶対に勘付かれる。あの人、人の気持ちがわからないように見えるけど案外鋭いから。

 使っていいと言われたタオルで手をふくとふわっふわだった。貧富の差を見せつけられながら彼の元へ戻る。ダイニングテーブルには洒落た料理が並んでいた。

「えっこれウーバーしたの?」
「ウーバーじゃなくて悪かったな!」
「えっ勝己くんが作ったの!?」

 キッチンを見ると何やらよくわからない香辛料やら塩やらがお洒落なボトルに入り並んでいる。パスタもわざわざ瓶に入っている。

「これイケアで買った?」
「あァ」

 いや我ながら、このパスタの瓶イケアで買った?て本当にどうでもいい質問だなと思う。それくらいに動揺していた。机の上にはパエリアやらお肉料理やら洒落たサラダやら美味しそうなハムが並んでいる。わたしは再び口を開く。

「サフラン買ったの?」
「あァ」

 いやパエリア作ってるんだからサフラン買ったに決まってるよね。お米、黄色いもんね。それよりも「このパエリアの鍋買ったの?」て聞いた方が生産性あるよね。「どこで売ってるの?アマゾン?」とか聞いた方が話膨らんだよね。そう反省しながらわたしは促されて椅子に座り、なんだか洒落たワイングラスに洒落たお酒を注がれた。おもてなしをされている。

「えっなに!?最後の晩餐!?」
「縁起でもねェこと言うなや!それに横並びじゃねェだろうが!」
「あの名画のことも絡めて突っ込み返してきた……あっわたしも勝己くんにお酌するね」
「俺は今日は飲まねー」

 勝己くんはそう言って黒いスタイリッシュな形のウォーターサーバーから水を注ぎ、わたしの目の前に座る。いただきますをしてお水とワインで乾杯する。お皿を寄越せとジェスチャーされたので目の前に置かれたお皿を渡すと一品ずつ取り分けてくれた。完全におもてなしをされている。

「美味しい!プロじゃん」
「当たり前だろ」
「勝己くん毎日こんなの食べてるの?いいなあ……」
「……普段はタンパク質メインに決まってんだろ」
「あーそっかあ毎日こんな豪勢なもの食べてたらカロリーオーバーだよね……」

 美味しい。とても。ぜんぶ。知能が著しく下がったわたしを見て、勝己くんは口角をあげている。

「ムール貝ってどこに売ってるの?」
「普通に売ってんだろ」
「いや絶対売ってないでしょ」

 最後の晩餐ではないらしい豪勢な晩餐は、とっぷり夜が更けるまで続いた。
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 食事を終えたあとはソファに移動して、彼の好まないであろう穏やかな古典映画を見ながら「もらった」というよくわからない美味しいチーズを食べながらお酒を飲んだ。座り心地の良いソファと疲れている身体に流し込まれたアルコールのせいで、意識はどんどんほどけていく。頭を彼の堅い肩に預けてとろとろ微睡みながらも、そろそろ終電がと思い映画が終ったタイミングで唇を開く。

「いま何時……?てゆかこの部屋時計ないの……?」
「まだ買ってない」
「引っ越し祝い時計にすればよかったね……」

 テレビボードにも洒落た高そうなディフューザーが置かれている。ウッディでスパイシーな香りは、男のひとの部屋だなあと思う。わたしの部屋に置いてある無印のディフューザーもいい香りするけどね。イソップみたいな香りするし。そう負け惜しみながら呟く。

「あれどこの?」
「あ?知らね。もらった」

 もらったものばっかりだな。この人、職場で孤立してないか心配だったけど案外うまくやってるんだな。そう考えながらぐりぐりと肩に頭を擦りつけていると、勝己くんは呟いた。

「コーヒー淹れる。ケーキ食うぞ」
「忘れてた」

 勝己くんはわたしの額にちゅっと唇を落として、キッチンへ向かう。何やらお洒落な家電でコーヒーを淹れている。立ち上がってお手伝いしようかなあと思ったけれど、先ほど食器洗いをしますと宣言したときに怖い顔で「座ってろ」と言われたことを思い出す。キッチンに立ち入ってほしくないタイプの人なのかもしれない。潔癖っぽいところあるし。部屋、無菌室だし。そう思い開き直ってごろごろする。

「それももらいもの?」
「しょうゆ顔から」
「瀬呂くんかあ。さすがのセンス」

 そのままクッションを枕にしてごろごろとしているとテーブルに洒落たコーヒーカップが置かれた。ソーサーがついたやつ。たぶんアラビアである。

「これももらいもの?」
「実家からパクった」
「マグカップとかでよかったのに」
「……」

 苦虫をかみつぶしたような表情を見て、わたしははっとした。この人潔癖だからきっと自分の使ったマグカップを人に使われるのが嫌なのだろう。そう思いわたしは明るい声で呟いた。

「今度ペアの買いに行きたい。かわいいやつ」
「……ダサいのは置かねーからな」

 再び隣に座った勝己くんに凭れながら甘えるようにつぶやくと、ぽつりと穏やかな声色が返された。そのまま同じくアラビアのお皿に盛られたフルーツタルトを口にする。やっぱり美味しい。

「美味しいね……っんっ、」 
「……甘、」

 噛みつくように一瞬唇を奪われた。そのままぽかんとしていると鼻で笑われた。

「間抜けヅラだな」
「……び、びっくりした」
「そーかよ」

 高校を卒業してから、一緒に過ごす時間はとても短くなった。彼は職場の寮に住んでいるのでそこに遊びに行くこともできなかったし、恋人らしいことをする機会もめっきり減った。たまにデートしてご飯を食べて解散なんてことばかりだ。だからか、今日は、妙に。というか、お部屋デートって、その。そう考えながらどきどきしていると、隣に座る彼が押し倒すように伸し掛かってきた。そのまま唇を奪われる。コーヒーの味がする。

「……ン、ま、まって、ケーキ、」
「明日食えばいいだろ」
「明日!?てゆか電車!帰らなきゃ、いま何時」
「終電とっくに終わってる」
「……え゛」
「明日休みだし予定ないならいいだろ」
「……」

 そういえばこの人にしれっと「明日の予定は」と聞かれたような気がする。ないって言ったような気がする。いやてゆかなにこれ?詐欺?手慣れ過ぎてないか?この人こうやって他の女も連れ込んでんの?そう真顔になっている間に詐欺師のような男は冷蔵庫に食べかけのタルトをしまい、コーヒーカップとソーサーを流しへと運んだあとにもう一度わたしに伸し掛かった。

「ほ、」
「あ?」
「他の子にも、こうやっておもてなししてるの……?」
「……は?」
「だ、だって手慣れ過ぎてる!もしやいつも同じ手で色んな女の子を」
「はァ!?ふっざけんなよ何言ってんだてめェはっ倒すぞ!」
「いやもう倒されてる」
「一々癪に障る女だなァ……?」

 凄むように顔を近づけられ、キレている恋人の瞳が至近距離でうつる。怒りに満ちた瞳の中で、別の色がゆらゆらと揺れている。わたしはその色をみとめて、唇を開いた。瞳は何よりも雄弁だった。

「お泊りする」
「は?」
「コンビニ近くにあったよね?いまから行ってくる。クレンジングとか買う」
「は?……チッ、仕方ねーな」
「一人で行けるよ」
「何時だと思ってンだ救いようのない馬鹿だな危機管理能力死んでンのか!」

 瞳は何より雄弁だ。怒りに揺れた瞳の奥で、別の色が燻っていた。まるで、“俺にはお前だけだ”って、言っているみたいに。
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「名前じゃなかったらたぶんそろそろぶん殴られてるよ」
「いやいや耳郎お前、かっちゃんはさすがに女には手をあげねーよ!」
「体育祭や授業では女相手にも容赦なかったじゃん。まあ男女差別しないという点ではポリコレの先駆けと言えなくもない」
「すげー耳ざわりの良い言葉にまとめたな」

 フィッシュアンドチップスのフィッシュの方をつまみながら響香ちゃんと電気くんは人の彼氏のことを好き勝手言っている。わたしはチップスの方をつまみながら呟く。

「だけど流れるようなテクニックだったんだよ!?時間の確認をさせない!そもそも時計がない!家なのに!詐欺じゃん!家なのに!」
「それ俺が考えたプランCなんだよなー」
「上鳴が考えたの?だからチャラチャラしてんのか」
「この間爆豪とメシ行ったときにさー、まだ誰も家にいれてないっていうからさー。ふるさと納税でも使って名前ちゃん釣れよって言った」
「自治体の方々に謝れ」
「もしやあのイソップのハンドソープも」
「あれは俺の引っ越し祝い。女子ウケいいじゃん?」
「ウチも普通に欲しい」
「わかるわたしも普通に欲しい。ボディソープもイソップだったし……」

 普通に欲しいけれど自分で買うには高級品である。プレゼントとしてもらうと最高にうれしい。電気くんもセンスの塊だな……チャラチャラしてるけど……。そう考えていると電気くんが爆弾発言をした。

「つーかいつから一緒に住むん?」
「え」
「いやアレ完全に同棲用で借りてんじゃん。ベッドも無駄にでけーし。あいつそんなに服持ってねーのにウォークインクローゼットとかあるし」
「え」
「コンロもIHじゃん。しかも三口。防犯もしっかりしてるし、その辺名前ちゃんが条件だしたって思ってたんだけど違うん?」

 思わずぽかんと口が開いた。電気くんは引越しの手伝いをしただけのことはあり、間取りやらなにやらにも詳しいようである。

「い、一緒に住むつもりない」
「はァ!?言われてねーの!?」
「てゆかあのプライドエベレスト男が一緒に住もうって言うはずなくない?」
「確かになあ。名前ちゃんから“こんなところで暮らしたい!”とか言わねーと言えなさそうな気もする」
「てゆかさっきの話に戻るけど一々鼻につくやつだよね。何だよパエリアって」
「いやいやかっちゃんだって可愛いとこあるんだって。チーズもらったって絶対嘘だし。絶対名前ちゃん好きそうだなって成城石井かカルディで買ってんだよ」
「確かにチーズ貰うってなに?要冷蔵だろうしどんなシチュエーションだよ」

 混乱しているわたしを横目に二人はきゃっきゃと笑いながらフィッシュをつまんでいる。チップスは食べないんだろうか。

「だけど爆豪必死なんだな。普通付き合ってだいぶ経つ女の子にそこまでしねーよ。どうしても今日落としたい!今日しかない!っていう子には必死になるけど」
「上鳴が言うとリアルだなー。……だけどそう考えると爆豪が可哀そうな気もする。肝心のあんたにそこまで伝わってないとなると」
「え゛」
「胡坐をかきすぎもよくないと思うけど、もう少しちゃんと愛されてるなって思った方がいいよ」
「……だけどわたしと勝己くんは釣り合わないし」
「爆豪に名前はもったいない」
「わかる」
「いやそれは逆で」
「そういえば爆豪は今日何してんの?」
「仕事だから終わったら顔出すってよ」
「ふーん。まあ名前を迎えに来るか」
「名前ちゃん明日休み?」
「うんお休み」
「じゃあ今日も泊まりたいって言えよ!かっちゃん喜ぶから!」
「えええ」
「化粧品とか置いて行ってやりなよ。着替えとか。たぶん爆豪喜ぶから」
「ミニマリストって言ってたよ」
「自分で言うかそれ普通」
「やめてやれよ耳郎、彼女はじめて家に呼んで浮かれてたんだろ」

(221010)