ヒーローだから好きになったんじゃない。好きになった人が、ヒーローだったのだ。

 ランチタイムの終りを迎えた定食屋は閑散としていた。目の前のテレビ画面を見つめる。先日ヒーロー仮免許を取得したばかりのわたしの恋人が、画面の向こうで敵と闘っている。

 わたしのようにソフトクリームとアイスコーヒーを頼みテレビ画面を凝視している客は、店内にはいない。誰もが「また敵が現れたのか」とでもいうかのように、遅い昼食を摂っている。

「待ち合わせ?」
「はい」

 時間を潰すようにちびちびとアイスコーヒーを飲んでいるわたしに、従業員の女性は優しく微笑んだ。「もうピークは終わったからゆっくりしていってね」優しい言葉である。泣きそう。そう思いながら、本当は待ち合わせじゃなくて置いて行かれたのだと自嘲する。

 テレビの中で闘う、わたしを置いていった彼を見つめる。爆豪勝己くん。わたしの彼氏。仮免許を取得してからは、いつもそうだ。デート中に敵が現れたり悲鳴が聞こえると、彼はわたしを蔑ろにする。当然だ。いずれプロヒーローになるひとなのだから。

 当然だということはわかっているけれど、どうしても「何だかな」という気持ちになってしまう。最初はよかった。わたしは誰が見ても百点満点の笑顔を彼に向けて「行ってらっしゃい気を付けてね。わたしはスタバで待ってるね」と呟き新作のフラペチーノをちびちびと啜っていたのだが、こう何度もデートを邪魔するかのように敵が現れると、何とも言えない気持ちになる。時間をつぶせる場所がある場合はまだいい。問題はない時だ。周りに何もなく、コンビニしかなかったときは辛かった。コンビニのイートインスペースでアイスコーヒーをちびちびと啜っていた。ただ時間を消費するかのように。もっと最悪なのは本当に何もなかった時だ。公園のベンチでぼうっとしていたこともある。

 「じゃあ先に帰ってるね」と言うほど薄情にもなれないのが、わたしの弱さなのだなと思う。「すぐに戻ってくる」と呟く彼のその言葉が当たるときもあれば、勿論当たらない場合もある。だけれどそれを理由に彼を詰ることができるはずもない。わたしはいい彼女でありたいなあと思うからだ。平和を願っているからだ。

 つまり、猫を被っているのだ。仮面を被っているのだ。だけれどそれも辞めちゃおうかな、と思う時がある。今日はまさにその時だった。もう辞めちゃおうかな。画面の中で傷だらけになっている彼を見て、目を伏せる。

 「ヒーロー科の彼氏って、羨ましい」友人にそう言われたこともあるが、わたしからすれば普通の人の方が羨ましいなあと思ってしまう。ないものねだりなのかもしれないが。だって、記念日デートだって誕生日だって、わたしが死ぬほど落ち込んでいるときだって、泣いているときだって、常にわたしという存在は二の次だ。彼は敵が現れたらわたしを蔑ろにして行ってしまう。だからといって敵が暴れ回っているのにわたしを優先してと思えるはずもないし、そうされたらされたでわたしは「何やってんだ!」と彼を引っ叩いて背中を押すに違いないけれど。

 わたしは爆豪くんがヒーローだから好きになったんじゃない。好きになったあなたが、たまたまヒーローだったのだ。だから別に爆豪くんがヒーローでなくて普通科に通う普通の男の子だったとしても、きっと好きになるだろう。あり得るはずもない妄想をしてしまう自分を笑う。そんなことあるはずないのに。

 もう辞めちゃおうかな。爆豪くんを好きでいるの。わたしのような大した個性もない一般人と、いずれプロヒーローになる彼は釣り合わないだろう。別れを切り出すことになるのは時間の問題のような気もする。そう考えながら、わたしはテレビ画面を見つめる。敵は無事捕獲されたらしい。何よりである。

 薄くなったアイスコーヒーに口をつける。氷で薄まってしまって、美味しくないなあ。今度はアイスコーヒーを、美味しいうちに飲み干せるような人を好きになりたいな。そう考えていると、荒々しく店のドアが開かれた。ボロボロになった彼氏の登場である。その人はわたしを見て何も言わない。わたしは仕方なく呟いた。

「お疲れ様。飲む?」
「あー」

 喉が渇いているだろうとアイスコーヒーを勧めると、彼は一気に飲み干した。わたしのだぞ。お礼くらい言え。そう思ったがいまから別れを切り出すのに説教をしてもなあ、と思い黙ってそれを見つめる。すると彼はわたしの表情を見て、神妙な顔をした。他人の感情に気付いていないようで、それの機微に鋭い男だ。わたしの心を悟ったのかもしれない。

「出るぞ、名前」
「うん」

 店内は少しだけざわついていた。先ほどまで画面の向こうで闘っていた男が現れたからだろう。わたしは持っていたマスクを彼に手渡す。口元を隠してもボロボロの姿を見られてしまえば意味がないかもしれないが、気休め程度にはなるだろう。彼はそれを受け取り、今度は呟いた。

「悪いな」
「どういたしまして」

 会計は爆豪くんがしてくれた。それにお礼を言うと、そっけなく返される。最後かもしれないなあ、そう思うと、彼の横顔を網膜に焼き付けておきたいなあと未練がましいことを考えてしまう。だけれど彼の顔はマスクで隠れて見えない。まあいいか。そう思い彼の隣を歩くと、爆豪くんはぼそぼそと呟いた。

「え?」

 マスクでくぐもって聞こえない。わたしは彼の口元に耳を寄せる。すると爆豪くんは、わたしの肩を一瞬だけ強く抱いて呟いた。

「俺の部屋、行くぞ」

 つまるところ、アレである。お誘いである。こういうことは、なくもない。敵と遭遇したあとに彼の寮の部屋でこっそりイチャイチャすることは、なくもない。何やら戦闘後は気が立っているらしく、むらむらすることがある、ようである。プライドがものすごく高い彼は何も言わないけれど。

「………」

 頷こうか迷ってしまった。だって、デートの途中に置いて行かれて、戻ってきたと思ったらこれである。カラダ目当てなのかと思ってしまう。

 わたしの怪訝そうな目を見て、爆豪くんは舌打ちをした。その後、さらに低い声で呟いた。

「嫌ならいい」

 台詞の割に、その言葉はやたら甘ったるくその場に響いた。思わず彼の目を見つめる。見つめた瞬間に、後悔してしまった。

 この人、たぶん、わたしのこと、結構本気で好きなんだろうな。そう確信してしまった。目は口ほどにものを言うらしいと痛感してしまった。彼は俯いたわたしの手首を掴む。その温度は優しい。彼の個性が、わたしに向けられたことはない。わたしに触れるこの手が、酷く熱くなったことなど、ない。

「爆豪くん」
「あ?」

 それだけで絆されてしまうわたしは、意志の弱く馬鹿な女なのだろうなあ。そう思う。わたしの何か言いたげな表情を見て、爆豪くんはマスクを顎まで下げる。その薄い唇の温度を知りたいなあと、思ってしまった。

「終ったらふわふわのパンケーキが食べたい。あと濃い目のアイスコーヒーが飲みたい。氷で薄まってないやつ」
「………」

 彼は舌打ちをした。そして数秒沈黙したあと、苦々しくつぶやいた。

「マジで我儘な女だなァてめーは」
「爆豪くんの方が我儘だよ」
「はあ!?」

 わたしは彼の腕に腕を絡ませる。振り払われるかと思ったが、そんなこともなかった。

「しょうがないから、もう少し爆豪くんの彼女でいてあげるね」

 声が震えてしまった。きっと彼にはわたしの虚勢が見透かされているだろう。彼はすっと目を細め、上から目線の物言いをするわたしに何か呟くこともなく、歩き出す。彼は何やかんやマメな男であるので、きっちりとわたしの好みを抑えたパンケーキを焼いてくれて、美味しいアイスコーヒーを淹れてくれるんだろう。やるからにはきっちりやる男なのだ。プライドが高いから。そのプライドの高さも、マメさも。震えた声で虚勢を張るわたしに何も言わない彼なりの優しさも、愛おしくて仕方がない。

 ヒーローだから好きになったんじゃない。好きになった人が、ヒーローだったのだ。彼には一生言わないであろうその言葉を、わたしはもう一度心の中で呟いた。

(190804/MASKED)