「良いニュースと悪いニュースがあるんだ」

 アメコミから出てきたような風貌で海外ドラマのような言い回しをされるとここは海外なのかな?と錯覚してしまう。訝しんだわたしの顔を見て、目の前に座る八木さんは苦笑した。わたしの目の前の湯呑のかさが減っていることに目敏く気付いた彼は、減った分だけお茶を注ぐ。わたしの為にお茶を淹れてくれる男の人はこの人だけだと思う。爆豪くんは絶対に淹れてくれなさそうだ。

「ありがとうございます」
「いや」
「じゃあ悪いニュースから」
「………先日のテロのニュースを?」
「見ました」

 経営科の小テストには時事問題が必ず出題される。意識の高いクラスメイトは新聞を取っているが、わたしは取っていない。毎朝アプリやウェブで主要なニュースくらいは拾うようにしているが。――ここ数日、見出しを飾るのは同じニュースばかりだ。

 “人類救済”を標榜する犯罪組織、ヒューマライズが大規模なテロを起こしたのは数日前の話だ。指導者であるフレクト・ターンという見るからに有個性者である男は、“個性は病でありいずれ人類は個性をコントロールできなくなり、個性に支配される”等と個性終末論を謳っている。

 個性終末論に科学的根拠はない。そもそも“個性”は未だ解明されていない点が多い。個性の起源は中国の軽慶市で発光する赤子が出現したことであると言われているが、未知のウイルスを介した鼠より齎されたものという説もある。なにものかが意図的にウイルスを作り出した、等という陰謀論を提唱する学者もいる。フィクションとしてはそちらの方が面白いから騒ぐのもわからなくもないというのが、他人事であるわたしの所感だ。――わたしは個性を持たないから。

「………これを言うと差別的になると言うか……うーん、言い辛い話なんだけど」
「………どうぞ」
「教師としてではなくて、友人として聞いてくれる?」

 こくりと頷くと、八木さんは困ったような顔をして笑った。そう言われては聞かざるを得ない。

「ずるい言い方をしてごめんね」
「いえ」
「報道規制がされているから内密にお願いしたいんだけど」
「はあ」

 八木さんはもじもじしながら一枚の紙を取り出した。誓約書のようだった。わたしは目を細める。嫌な予感しかしない。

「反社会的組織ヒューマライズの思想は知っているね?」
「人類救済。個性終末論」
「その通り。先日の大規模テロでの被害状況、ニュースで見た?」
「見ました。大規模な爆発が起きてとてつもない数の死者と重傷者が」
「それだけじゃない。行方不明者が出てる」
「え」
「テロで使われた爆薬は“個性因子誘発爆弾”と言ってね。有個性者にしか影響を及ぼさない。つまりヒューマライズは人類救済の手段として、有個性者の殲滅を目論んでいる。選民思想というやつだよ。“いずれおとずれる終末に、無個性者は救われ有個性者は淘汰される”」
「………つまりヒューマライズはめちゃくちゃ強引に“終末”をテロに拠って創り出した?」
「選民の手段として爆薬を使っている。つまり選ばれた無個性者は?」
「………ヒューマライズに引き入れられる」
「今や人口の八割が有個性者だ。二割の無個性者は私よりも年上の人間が多い。目的は人類の滅亡ではない。人類の救済だ。つまり――いやこれセクハラかな?ハラスメントになる?」
「若くて健康な無個性者は危ないってことですね」

 わたしの言葉は冷たくその場に響いた。八木さんは言い辛そうに続ける。

「現代社会で最も有名な無個性者を君は知っているかい?」
「………“オールマイト”」
「自分で言うのも恥ずかしいんだけど、正解だ。私は引退する瞬間をテレビ中継されているからね」
「それで?」
「人間を完全に洗脳するには手間と労力と時間がとてもかかる。テロを起こして無個性者を選民し、やつらの思想に染め上げる一番手っ取り早い方法は?フレクト・ターンは見るからに有個性者だ。どれだけ彼がカリスマ性を備えていたとしても、君は有個性者の言葉に耳を貸すかい?説得力ある?」
「無個性のカリスマ性を持つ別の指導者が必要。――つまり八木さんが危ない」
「私の居場所はすでに知られている。ここ、雄英高校だ。学校に爆弾が仕掛けられたら?生徒たちに危険が及ぶ。そして事件が起これば君は必ず――、」
「わたしはきっと攫われる」
「………この学校にいる無個性者は私ときみのただ二人だけだ。申し訳ないが、私と共に警察の保護を受けてほしい」

 提案ではなくて、決定事項のようであった。断ることは許されそうにない。

「私が警察の捜査に協力しているとマスメディアが大々的に触れ回れば、恐らく雄英高校が狙われる可能性はゼロに近い。海外のテロ組織が平和の象徴が不在の、日本のヒーロー養成校をわざわざ狙うとは考えにくいからね。だが一人で保護を受けるわけにもいかない。狙われる危険性のある友人を、危険な場所に置いておけない」
「じゃあ日本中の無個性者を全員保護するんですか?」
「………」
「冗談です、卑屈になってごめんなさい。折角八木さんが守ってくれるのに」
「ごめんね」
「あやまらないで」

 声が震えてしまった。今まで何百回も思った言葉を、冷めたお茶と一緒に流し込む。

「ちなみにいいニュースは?」
「日本の警察は優秀だということかな」
「………いまから荷物を纏めればいいですか?」

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「よく眠れた?」
「あんまり」
「そうか」

 パトカーの中で隣に座る八木さんは穏やかに呟く。大規模な事件が解決したからだろう、晴れやかな表情をしている。窓の外に目を向ける。雪が降りそうだと思った。

「君の彼氏がとても活躍したって」
「………怪我してないといいな」
「ちょうど昨日か今日くらいに帰国する予定じゃないかな?」
「会えるかな」
「………協力しようか?」

 保護といえば聞こえがいいが、軟禁生活にすっかり疲弊しているわたしを八木さんなりに気遣ってくれているようだった。事件が解決するまで誰にも会えず、外部との通信手段も取り上げられていた。何も考えたくなかったので只管時間を食い潰すように勉強した。次のテストがたのしみだ。

 そういえば、と思い返ってきたスマートフォンの電源をつける。わたしは“家庭の事情”で休んでいることになっているらしい。仲の良いクラスメイトからのメッセージが数件入っていた。彼氏からの連絡はない。

 そうだろうなと思う。インターン中である爆豪くんと連絡を取ることは少ない。会いたくなったら教科書を忘れたふりをして顔を見に行くけれど、公欠になっていることも多いし電話もメッセージのやり取りも多い方ではない。一日一回は送るようにしているけれど、返事がないことは多々ある。今回のように数日連絡をしなかったことはないが、“帰国”という言葉から海外にいるのならばわたしからの連絡がないことなど気付いていないだろう。

 それでいい。爆豪くんはわたしに“付き合ってくれている”のだから。だけど、だけど、どうしても会いたいと思ってしまった。雄英高校の前でパトカーは停まる。送ってくれた警察の方にお礼を言って車から降りると、手にしていたスマートフォンが震える。「爆豪勝己」表示された名前に、思わず目を見開いた。

「出ないの?」

 八木さんの声は優しく真冬の夜に響いた。会いたい。話したい。声が聴きたい。だけどダメだと思った。弱音を吐いてしまう。絶対に泣いてしまう。迷っている間に画面は暗くなった。

「明日、連絡します」
「掛け直したら?」
「大丈夫。愚痴っちゃいそうだから」
「………ごめんね」

 守秘義務がある。おたがいに。彼がわたしに何か話すことはないだろうし、わたしも誓約書にサインをしている。何も話せるはずがない。八木さんはそれを悟ったのだろう、気まずそうに続ける。

「今度美味しいものを食べよう。なかなか外出が難しくなったけど今回のお詫びも兼ねて」
「お詫びって、八木さん何も悪くないよ」
「君にそんな顔をさせてるんだ。十分私は悪い男だよ」
「はは、」
「何が食べたい?」

 八木さんの心遣いは嬉しいが申し訳ない。唇を開いたその瞬間だった。

「名前!」

 一番聞きたかった声が、鼓膜を揺らした。

「爆豪、くん」
「オイ俺を無視するとはいい度胸だなァ………?しっかりスマホ握りしめてンのに無視しやがって……」
「ご、ごめんねごめんね爆豪少年!これは私がその」
「………あ゛?」
「あっあっどうしよう間男みたいになっちゃった私」

 おろおろしている八木さんと、八木さんを睨みつけている爆豪くんが目に映る。わたしは唇を開いた。

「また連絡するね、疲れたから今日はもう寝る」
「………オイ、何か――」
「ハイハイ君たち!私のせいで拗れるのはごめんだからね!今日はトクベツ!時間を気にせず二人で話し合いなさい!」
「八木さ」
「はァ!?」
「私が1年A組の少年少女の気を引いてあげるから!その隙に爆豪少年の部屋にしけこみなさい!」
「え」
「いやそれ教師が言うことかよ」
「勿論私は君たち二人を信頼している。話し合いが終ったら速やかに解散すること。爆豪少年は彼女を寮まで送り届けること。いいね?あと爆豪少年」
「あ?」
「君が弱っている彼女に無体を働くような男ではないと信じているよ。君は紳士だろう?」
「………チッ、」

 爆豪くんは八木さんに何やら耳元でささやかれたあと、機嫌が悪そうに舌打ちをした。八木さんはわたしたちよりも数歩先を歩き、ウインクをしたあと寮の中へ消えていった。

「わーたーしーがー!夜にも関わらず!来た!」
「オールマイトだ!」
「こんばんは!」
「こんばんは!オールマイト!」

 爆豪くんはクラスメイトが八木さんに気を取られているうちに、わたしの手を掴む。久しぶりに感じた彼の体温に、瞳が潤んだ。
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「………は?」
「何も言わずにぎゅってして」
「………」

 彼の部屋へ招かれ、問いただされそうになったので目の前の身体にぎゅっと抱き着く。先手必勝である。何も言えないし何も聞けない。口に出しても何も変わらないことをわざわざ口に出して、絶望したくない。

 「好きで無個性に生まれたんじゃない」今までの人生で何百回も思った言葉が、弱った心に浮かび上がる。圧倒的なマイノリティ。個性の話題の時はいつも蚊帳の外であるはずなのに、わけのわからない犯罪組織の所為で酷く傷つけられた。

 馬鹿にされている。有個性者であるフレクト・ターンが無個性の人間を選民する。個性終末論。個性因子誘発爆弾。人類救済。馬鹿げている。そう憤るのと同じくらい、不安だった。

 身体が震える。突然のハグに混乱しているらしい爆豪くんはわたしの震えに気付いたらしい。彼の掌が背中に回った。

「名前」
「うん」
「………家庭の事情は」
「なんとかなった」
「そーかよ」
「もう大丈夫」
「………そーかよ」

 その声があまりにも優しく鼓膜を揺らすから、どうしても、視界が滲んでしまった。爆豪くんはわたしが泣いていることに気付いているだろうが何も言わない。言葉はいらない。同情されても惨めになるだけだ。欲しいのは、彼の体温ただひとつだけだった。

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「爆豪少年。君が彼女に直接問いたださなかったみたいで安心したよ。彼女、相当弱っていたからね」
「………ンであんたが」
「同じ無個性同士、彼女とは仲が良いんだ」
「………あ゛?」
「ちがうちがう!わたしは間男じゃない!」
「何勘違いしてんだ、あんたとクソデクのことをあいつに話してねえだろうなって聞いてんだよ」
「話してない話してない!マジギレ辞めて!」
「あいつを妙なことに巻き込んだら殺す」
「えっ」
「あ?」
「う、ううん、ちょっときゅんってしちゃった……」

「で、彼女は大丈夫そうだった?」
「………」
「一応アドバイスしとくとね、女性が大丈夫って言う時は大抵、大丈夫じゃないからね」
「うっせーなわかっとるわ!」
「名前ちゃん、私の前では絶対に泣かないから心配なんだ」
「………あっそ」
「あ!そうだそうだ爆豪少年!名前ちゃんは君のことを心配していたよ。任務の内容は伏せたけれど、怪我してないかなとか会いたいなとか可愛く言ってて」
「ンで俺には言わねーんだあの女………」
「君ももっとマメに連絡してみたらどうかな?ほら彼女も君が忙しいことを知っていて遠慮しているのかもしれないし……」
「………」

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「爆豪くんが浮気してるかもしれない」
「えっ!爆豪少年に限ってそれはない!だって君のこと大好きじゃ」
「いや最近ラインも電話もマメなんですよね……。何か優しいし……。やましいことでもあるのかな」
「ええー……そうきたか……」
「インターン先で気になる子がいるとか……?いや爆豪くんに限ってないか……。よし体操服忘れたふりして様子見に行こ」
「え?体操服?」
「あ、はい。よく忘れたふりして借りに行きます」
「え、爆豪少年貸してくれるの?体操服持ってきてるの?」
「キレながら貸してくれますけどなんで?潔癖っぽいから?」
「いや、今のヒーロー科って体操服着る授業ないんだよね。コスチューム身に着けて実技が殆どだから。となると君に貸すためにわざわざ持ってきてると」
「えー、置きっぱなしなだけな気がする………けど借りるときいつも洗い立ての匂いする……」
「えっ」
「え?」
「う、ううん、ちょっときゅんってしちゃった……君たちの話を聞いてると年甲斐もなくオジサンはしゃいじゃうよ……推せるっていうのかな……」
「八木さん何言ってます?」

(210828/個性終末論篇)