「名字さんって素敵ですよね。僕の理想です」 人のものになった女は、男の人には魅力的に見えるのだろうか。わたしは一生解けないであろう疑問を頭に浮かべながら、微笑む。 「ありがとうございます」 「失礼ですが、恋人は……」 直球な質問である。ダイニングバーの化粧室の前の狭い廊下で、わたしは呟く。ちょうど最近、自信をもって言えるようになった台詞である。 「結婚が決まってるんです」 「………そうですか、残念だな」 取引先との懇親会にしては、酷く洒落ている店である。会食や接待というよりは、合コンで使うような店だ。個室も多く照明も薄暗い。取引先の今日初めて会話をした人に会釈をし、席へ戻ろうとした瞬間だった。 「不躾なことを窺っても?」 「……答えられないかもしれませんけど、どうぞ?」 ずるい聞き方だな、と思った。目の前のその人は、ブランド物のぴったりとしたスーツを着こなしている。細身のそれが似合っているなあと、漠然と思った。 「名字さんって、無個性なんですよね」 「……」 不躾にもほどがある。わたしの沈黙を肯定だと捉えたらしい。目の前のその人は、わたしの反応を見て破顔した。 「すみません、失礼なことを聞いて。ほっとしたんです。僕と同じだから」 「……え?」 目を瞬かせたわたしを見て、その人は微笑んだ。 「僕も無個性なんです。同じ人に出会えてうれしくて」 「……はあ、」 「僕たちの世代にはほとんどいないじゃないですか。だから」 目の前のその人は、わたしの手を取る。 「いいパートナーになれるんじゃないかって。勿論、友人として」 「………そう、ですね?」 これが学生の頃だったらよかったのかもしれない。無個性の友人。悩みも共有できるし、多感な時期には傷の舐め合いも必要になるだろう。だけれど今、同じ無個性の友人ができたところで何になると言うのだろうか。更には異性である。同性ならともかく。婚約者が暴れ狂う様子が目に浮かぶ。 「良かったら連絡先を――」 「ごめんなさい。婚約者が嫉妬深くて。何か用事がありましたら社用のメールでお願いします」 「そうですか」 目の前のその人は、大袈裟に残念そうなそぶりを見せる。つけている香水といい、身に着けているスーツや小物といい、意識高い系の男の人なのだろうなあと思った。起業や独立を考えていそうだ。経営科の同期にも彼のようなタイプは数人いた。靴はフェラガモあたりのお高い靴を履いている。これは偏見かもしれないけれど。 「本当に残念です。貴方は僕の理想そのものなのに」 理想、とはいったい。わたしは微笑んだ後会釈をし、席へ戻った。その人とすれ違った瞬間に、香水とはまた違うやけに甘ったるい香りがした、気がした。 ; 「ごめんね遅くに!ありがとう!」 「別に」 「お疲れなのにお迎えありがとう」 「また妙なことに巻き込まれるよりはマシだろ」 「……えへ」 会食が終る時間に合わせて迎えに来てくれた婚約者の車の助手席に乗り込む。確かにここ最近、わたしも彼も妙なことに巻き込まれることが多いので、そう言われると何とも言えない。曖昧に笑っておくと、彼はシートベルトを外した。 「勝己くん?」 彼はわたしに覆いかぶさるように身を寄せてきた。キスをされるのだろうか。そう思ったが、唇にはなにも降りてこない。代わりに首筋に顔を埋められた。 「ちょ、ちょっと」 「………男のニオイがする」 「え゛」 「どういうことだ」 男物の香水を嗅ぎ取ったらしい。犬かよ……。そう思うが隣の婚約者の顔は割と本気でキレている。わたしは彼の手を取り、呟く。 「聞いてよ」 「あぁ゛?」 「今日の会食で取引先の人に声を掛けられ」 「殺す」 「わたしを?」 「ンなわけねーだろ考えろ」 ヒーローにしては物騒すぎる物言いである。比喩であるとは知っているけれど。とりあえず相変わらず覆いかぶさるように至近距離で脅しをかけてくる婚約者の頬に口づけた後、続ける。 「結婚するんですって言ったんだけどね?」 「その男はあきらめたのか」 「オチがあるから聞いてよ最後まで」 「オチなんて求めてねえわ!!」 相変わらずせっかちである。わたしは呟く。 「無個性なんだって、その人」 「あ?関係ねーだろ」 「これオチだからもっと違う反応してよ」 「個性なんてどうでもいいわ。俺のに手出ししようとした事実が」 「無個性同士友達になりましょうって言われたけど断ったよ」 「当たり前だ!!」 「わたしも傷の舐め合いをしたいわけではないし」 「男女の友情なんて成立するはずがねーだろ」 「えー飯田とか」 「あれもてめえのことを女として見てねえわけじゃねーだろ」 「じゃあ電気くん」 「あれも同じだ」 「同じか」 まあ確かに、彼のかつてのクラスメイト達はわたしのことを「爆豪の彼女」という目で見ているので、よくドラマなどで取り上げられるさっぱりとした男女の友情と形容するには違う気もする。 「わたしは勝己くんと結婚するから、心配しなくても大丈夫だよ」 ようやく言えるようになった台詞を呟くと、彼は目を細めた。 「お前を信用してないわけじゃねえが、お前の周りの男は誰一人信用してねえ」 「わたしモテないから大丈夫だよ」 「うるせえ黙れ」 「……んっ、」 (181208) |